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2026年10月7日水曜日

祈祷会用:サムエル記下 24:1~25

 サムエル記下 24:1-25

 今日お読みしました話の最後はこうなっています。「主はこの国のために祈りにこたえられ、イスラエルに下った疫病はやんだ」(25節)。これと似た表現が21章14節に出て来ます。「この後、神はこの国の祈りにこたえられた」。21章前半の物語の締めくくりの言葉です。つまり21章前半の物語と今日お読みした物語はセットなのです。

 そして、その内側にダビデの家臣の話が二つセットになっていて(21章後半と23章後半)、そのまた内側に「ダビデの感謝の歌」と「ダビデの最後の言葉」とがセットで置かれている。そのような構造になっているのです。

 さて、今日お読みしました24章の物語の展開は、現代の私たちには、かなり理解困難なものと思えます。まず、主がダビデに対して「人口を数えよ」と誘われたにもかかわらず、ダビデが行うとそれに対して罰を加えられたこと。しかも、その罰を受けたダビデが死ぬのではなく、まったく無関係な七万人が死んだこと、などです。これを私たちはどう理解したら良いのでしょうか。

 この物語を正しく理解する上でまず大事なことは、この物語そのものの形を見ておくことです。実はこの話は単純ではないのです。実は大きな枠組みが一つあり、その中にもう一つの話が組み込まれているのです。それがこの話の深さとなっているのです。

 まず大きな枠組みを見ておきましょう。ここを読んですぐに気づきますのは、後半の、祭壇に関する記述が異常に長いということです。この祭壇は、「エブス人アラウナの麦打ち場」に築かれたことが繰り返し語られています。このように、特定の麦打ち場が語られているということは、取りも直さず、後々の時代の人もその場所を良く知っていたことを意味します。

 しかも、それはダビデが正当にお金を払って買い取った場所であることが書かれています。つまりそれは後々までダビデ家に属する土地となったということです。それはいったいどこなのか。歴代誌を見ますと、次のように書かれています。「ソロモンはエルサレムのモリヤ山で、主の神殿の建築を始めた。そこは、主が父ダビデに御自身を現され、ダビデがあらかじめ準備しておいた所で、かつてエブス人オルナンの麦打ち場があった」(歴代下3:1)。つまり、それはソロモンの神殿が建てられた場所なのです。つまり、この物語の大枠は、「そもそも神殿が建てられていた場所はいかなる場所だったのか」を伝える物語だということです。

 その場所は、預言者ガトを通して主が指示した場所だったわけですが(18節)、なぜそこが指示されたかと言いますと、それは御使いが立っていた場所だったと説明されているのです。「御使いはその手をエルサレムに伸ばして、これを滅ぼそうとしたが、主はこの災いを思い返され、民を滅ぼそうとする御使いに言われた。『もう十分だ。その手を下ろせ。』主の御使いはエブス人アラウナの麦打ち場の傍らにいた」(16節)。

 主が「手を下ろせ」と言われた。ストップをかけられた。それは神の憐れみです。エルサレムにその資格があるからではなく、単純に神の憐れみであった。その憐れみが現された場所、それが「エブス人アラウナの麦打ち場」であった。つまりここに書かれているのは「ソロモンの神殿が建てられている場所は、それ自体が神の憐れみを証ししている場所なのですよ」という話なのです。

 そして、もう一つ大事なことは、この話が「主の怒りが再びイスラエルに対して燃え上がった」(1節)という言葉で始まっているということです。「再び」と言うのは、先ほど申しましたように、直接的には21章前半の物語に続くからです。原文では、もっとはっきりとこのつながりが示されています。このあたりは丁寧に読まなくてはなりません。ここに出てくる「神の怒り」そのものは、ダビデが行ったことによって引き起こされたのではないのです。この怒りについては、特に何も説明はされていない。しかし、何らかの罪が神の怒りを引き起こしたということです。そこから話は始まる。その《結果として》、「主は、『イスラエルとユダの人口を数えよ』とダビデを誘われた」という話の流れになっているのです。

 要するに、こういう話なのです。理由は明らかにされていないけれども、神の怒りがあった。その怒りによって疫病がもたらされた。しかし、エルサレムは災いを免れた。それは完全に神の憐れみによってであった。その憐れみの場所に祭壇が築かれ、祈りが献げられた。疫病は完全に止んだ。神殿が建てられたのは、そのような場所だったのだ。――これが話の大枠なのです。

 そのような大枠の中に、もう一つの話が組み込まれているのです。ダビデの人口調査の話です。そして、神の怒りとしての災いは、いわば《ダビデの罪に対する裁き》という形において実現されることになる。そこにこの物語の深さがあるのです。

 「主は…ダビデを誘われた」と書かれています。この記述に抵抗を覚えるのは、現代人でも昔の人でも同じでありまして、歴代誌においては少し書き換えられています。「サタンがイスラエルに対して立ち、イスラエルの人口を数えるようにダビデを誘った」(歴代上21:1)となっているのです。どちらでも同じことです。要するに「主が誘われた」というのも、実際には、サタンがダビデを誘惑することを、主があえて許された、ということですから。事実、ダビデの王国が確立していった時に、その国力、特に軍事力を把握したいというのは、ダビデにとっては自然な心の動きだったのだと思います。しかし、そこにサタンの誘惑があったのであり、主はそれをあえて許されたのです。

 ダビデはヨアブに命じ、ヨアブは不本意ながらもダビデの命令に従い、イスラエルの民を数えます。そして、「剣を取りうる戦士はイスラエルに八十万、ユダに五十万」であることを報告します。しかし、このことはダビデの心の呵責となりました。そして、「わたしは重い罪を犯しました」と主に告白します。かつて盟友ヨナタンは言いました。「主が勝利を得られるために、兵の数の多少は問題ではない」(サムエル上14:6)。しかし、今や自分は兵の数に依り頼み、その数を一生懸命に数えている。その間違いに気がついたのです。

 そのダビデに対して、預言者ガトを通し、主は三つの災いから一つを選ぶように求めます。ダビデは三日間の疫病を選択します。「主の御手にかかって倒れよう。主の慈悲は大きい。人間の手にはかかりたくない」というのがその理由でした。その結果については、先に見たとおりです。実際、主の慈悲が現れ、エルサレムは災いを免れます。エルサレムにいたダビデの家も災いを免れたのでした。

 さて、ここで重要なことは、第一に、先にも言いましたように、主の怒りと裁きは単にダビデの罪に対するものではなかったということです。ダビデの行為に先立って神の怒りがあるのです。しかし第二に重要なことは、ダビデ自身はこの災いを自分に対する裁きとして受け止めている、ということです。それゆえに、また、自分が残されたことは、神の慈悲以外の何ものでもないことを認識しているのです。それは17節の言葉からも分かります。第三に、そのように憐れみを知る者こそが、祭壇を築き、礼拝し、祈るようにと導かれたのだ、ということです。そして、その場所こそ、祈りの家の建てられる場所となったのです。それは神殿が破壊された後に残された人々に大きな意味を持っていたことでしょう。あの場所は神の憐れみの場所だった。だから再びあの場所に神の憐れみが現されるに違いない。そして、神の憐れみによって再び礼拝する時が来るに違いない、と。そして、事実それから数百年後、神の憐れみが完全に現されたのです。御子が十字架にかけられることにおいて。


2026年9月30日水曜日

祈祷会用:サムエル記下 23:1~39

 サムエル記下 23:1-39

 23章の前半には、ダビデの最後の言葉が記されています。この部分は「イスラエルの麗しい歌」とありますように、ダビデの歌として物語とは別に伝えられてきたものなのでしょう。

 このように最後の言葉が厳かに記されている例としては、例えばヤコブ(創世記49章)やモーセ(申命記33章)などにも見られます。イスラエルにおいては、このように《言葉を残す》ということが重要なこととして考えられていたようです。人がその死において、後に残る者に対していったい何を語るかということは、決して小さなことではないのです。

 そこには、ある意味で、その人がどう生きてきたのかという、その道筋のすべてが現れてしまうとも言えるでしょう。人はその人が生きてきたこと以上のことは語れない。聖書に登場する人物の最期を見ます時、私たちならばいったい後に残る者に対していったい何を語るであろうかということを思わせられます。

 ダビデは主の油注がれた者として、「王の統治」について語りました。「主の霊はわたしのうちに語り、主の言葉はわたしの舌の上にある。イスラエルの神は語り、イスラエルの岩はわたしに告げられる。神に従って人を治める者、神を畏れて治める者は、太陽の輝き出る朝の光、雲もない朝の光、雨の後、地から若草を萌え出させる陽の光」(2‐4節)。そのようにダビデ王家の者ならびに後のイスラエルの民が聞くべき言葉として、ダビデは「王の統治」について語り聞かせたのです。

 王は「神に従って人を治める者」でなくてはならず、「神を畏れて治める者」でなくてはならないのです。そのような者であってこそ、「太陽の輝き出る朝の光」となり得るのだ。――そのようにダビデは語ります。

 そのような者はまた、「雨の後、地から若草を萌え出させる陽の光」として表現されています。ここには、雨季の後のパレスチナの情景がその背景にあります。雨季の後、陽の光を浴びて大地は新緑で覆われます。そこでは光と命が結びついています。新約聖書のヨハネによる福音書にもしばしば光は命と結びつけられていますが、それは人々の実感だったのでしょう。王権は力です。そのような力を与えられた者は、その力を何のために用いるべきなのか。――彼は人々を生かすそのような光にならねばならない、というのがここに描かれている王権の理解です。

 ここまで見てきましたように、初代の王はサウルでした。しかし、サウルの時代はある意味では過渡期なのです。本当の意味で中央集権的な王国の支配体制が確立したのはダビデの治世においてでした。

 王国となる以前に人々を治めていたのは「士師」でした。「士師」は、明らかに神によって力を与えられ立てられた人々でした。その力が神に由来することは人々の共通理解だったのです。

 しかし、王国となった時に、その権力は世俗的な力となりました。王に信仰があるかないかに関係なく、王は力を持ち得るのです。それが王制というものです。しかし、だからこそ、王はその力をどのように用いるかが問われるのです。だからこそ、王は神を畏れねばならない。そうダビデは最後に言い残しているのです。

 さらにダビデは言います。「神と共にあってわたしの家は確かに立つ。神は永遠の契約をわたしに賜る、すべてに整い、守られるべき契約を。わたしの救い、わたしの喜びを、すべて神は芽生えさせてくださる」(5節)。この「神と共にあってわたしの家は確かに立つ」という部分は、実は翻訳の難しいところなのです。「わたしの家は、このように神と共にはないが」という訳も可能だからです。そうすると正反対になりますでしょう。実は、そのほうが直訳に近いのです。

 実際、ダビデ王家は問題に満ちていたことは、既に読んできたとおりです。そして、その後のダビデ王朝もまた然りです。ですから、「神と共にはないが」というほうが実状にあっていると言えます。あるいはこの通りの訳であるとしても、現実はそうではないという痛みを伴っていることは事実でしょう。実際、ダビデ自身大きな罪を犯し、その後、ダビデ家に、さらにはイスラエル全体に大きな苦しみがもたらされてきたことは、既に見てきたとおりです。

 しかし、いずれにせよこの歌において大事なことは、ダビデは、「わたしの家」そのものではなく、神の契約に目を向けているということです。既にサムエル下7章のナタン預言において語られていた、神が与えてくださった「永遠の契約」です。そこに現された神の憐れみにこそ、「わたしの家」の未来はあるのです。

 さて、このダビデの歌が残されたことが何を意味するかを考えねばなりません。サムエル記にこの歌が入れられた時には、既にダビデ王朝そのものは存在してはおりません。ダビデの王国は亡びてしまったからです。王家は捕囚となったのです。

 この歌は第一に、なぜそのようになってしまったかを示すものとして読まれたことでしょう。すなわち、ダビデの末裔たちは「神に従って人を治める者、神を畏れて治める者」ではなかった。そして、民に命をもたらす王ではなかった。その事実が歴史の中において明らかにされたということです。「悪人は茨のようにすべて刈り取られる」(6節)と書かれていることが現実となったのです。つまりダビデの王国が滅びたのは世俗的政治的意味における国家的災難ではなかったということです。これは神との関わりの問題なのです。

 しかし、この歌が記されている理由はそれだけではありません。これは希望の歌でもあるのです。なぜなら、契約そのものは「永遠の契約」に他ならないからです。それは未来に目を向けさせます。確かにダビデの家は神と共になかった。それゆえに滅びたように見える。しかし、神はどんな絶望の中にあってもそこに救いと喜びを芽生えさせてくださるのです。

 具体的には滅びたダビデ王家から、ダビデの子孫であるメシア、命をもたらす王が来られるのです。ですから、だから「わたしの救い、わたしの喜びを、すべて神は芽生えさせてくださる」という言葉は、後の人々の言葉でもあるのです。そこにおいて重要なのは、すべての希望の根拠は、永遠の契約にあるという一事です。

 このメシア待望こそ、イエス・キリストの到来の背景に他なりません。そして、命をもたらす王は、既に隠れた姿で来られたのだ、と私たちは伝えられているのです。また、やがて明らかな姿で再び来られるのだ、と伝えられているのです。

 23章後半には、ダビデの勇士たちの武勇伝が記されております。これは21章15‐21に続いています。

 ここに描かれているいくつかのエピソードにおいてまず特徴的であるのは、家来たちのダビデに対する忠誠です。ペリシテ人との戦いにおいて危機を経験したダビデに対して、家来たちは「以後、我々と共に戦いに出てはなりません。イスラエルの灯を消さぬよう心掛けてください」(21:17)と誓わせます。

 また、ダビデが「ベツレヘムの城門の傍らにある、あの井戸の水を飲ませてくれる者があればよいのに」と切望した時、三人の勇士が自らの命をかえりみず、ベツレヘムまで行き、水をくんでダビデのもとに持ち帰ります。これらのエピソードは、ひとつひとつ極端ではありますが、彼らがいかにダビデに忠実であったかを示しています。そのような多くの忠実な人々がいてこそ、王国は存在し得たのです。そのことを聖書は忘れてはおりません。

 しかし、そのような忠実な人々のリストの一番最後に、あえて聖書は「ヘト人ウリヤ」(39節)の名前を置くのです。そのような家来たちの忠実さの物語によってダビデの不真実が際だたせられる。サムエル記の終わりに当たって聖書はやはりそこに光を当てるのです。そのことを聖書は決して覆い隠さないし、なかったことにはしない。人間の救いは罪が人間によって忘れ去られることによってではなく、あくまでも神の赦しと「永遠の契約」にこそあるのです。それゆえに私たちもまた、「わたしの救い、わたしの喜びをすべて神は芽生えさせてくださる」と語ることができるのです。私たちは「永遠の契約」がどのような形で地上に現されたかを知らされているからです。


2026年9月23日水曜日

祈祷会用:サムエル記下 22:32~51

 サムエル記下  22:32~51

 今日は22章の後半をお読みしました。前半部分を少し振り返ってから、今日の内容に入ってまいりましょう。

 22章に記されていますダビデの感謝の歌は次のような言葉で始まっていました。「主はわたしの岩、砦、逃れ場、わたしの神、大岩、避けどころ、わたしの盾、救いの角、砦の塔。わたしを逃れさせ、わたしに勝利を与え、不法から救ってくださる方」(2‐3節)。ここに、この歌全体が総括されていると見てよいでしょう。前回申し上げたように、訳し出されていないものも含めて「わたし」という言葉がこの総括を特徴付けています。

 ダビデは神をまさに「わたしの神」として経験してきたのです。それは彼の苦難においてでした。彼の苦しみは「死の波がわたしを囲み、奈落の激流がわたしをおののかせ、陰府の縄がめぐり、死の網が仕掛けられている」と表現されていました。それは自らの力でははい上がれないような深みへと引き込まれる経験であったのです。

 しかし、その苦難の中から彼は神に向かって叫びます。「わたしの神を呼び求めると」とあります。するとその声は「わたしの神」に届くのです。どんなに深いところからでも届く。そして、「わたしの神」は「天を傾けて降」って来られるのです。これは「天をへし曲げて」というような激しい表現であることを申しました。まさに主は激しく降ってこられる。誰のために――多くの人々のためにではありません。叫び求めるたった一人のためにです。

 まさに「わたし」のために主が行動してくださる。これがダビデにとっての「わたしの神」だったのです。そのような歌が、皆でも歌えるようにと聖書の中には残されているのです。そのような神と人との関係は、ダビデだけの特別な事柄ではなくて、まさにすべての信仰者に当てはまるからです。

 そのような「わたしの神」が降ってきて行動されるのです。それは次のように表現されていました。「主は高い天から御手を伸ばしてわたしをとらえ、大水の中から引き上げてくださる。敵は力があり、わたしを憎む者は勝ち誇っているが、なお、主はわたしを救い出される。彼らが攻め寄せる災いの日、主はわたしの支えとなり、わたしを広い所に導き出し、助けとなり、喜び迎えてくださる」(17‐20節)。一言で表現するならば、主による「救出」が語られていたのです。

 しかし、今日お読みしました後半に入りますと、神がしてくださることは、単純に「救出」に終わらないことが分かります。その先があるのです。

 ダビデは言います。「主のほかに神はない。神のほかに我らの岩はない」(32節)。先に「主はわたしの岩」と呼んでいたダビデがここでは「我らの岩」と呼ぶのです。ここだけです。あとはまた「わたしの」に戻ります。どうしてここで「我らの」が出てくるのでしょうか。それは続く言葉からわかります。「神はわたしの力ある砦、わたしの道を完全にし、わたしの足を鹿のように速くし、高い所に立たせ、手に戦いの技を教え、腕に青銅の弓を引く力を帯びさせてくださる」(33‐35節)。

 17節ではまだ力を持っているのは「敵」なのです。すなわち敵の支配がそこにある。ダビデを憎む者は「勝ち誇っている」と書かれているのです。それでも、そこから引き上げられて、広い所に導き出され、主が喜び迎えてくださった。ならば、それでもう十分であると言えるかもしれません。実際、それが多くの人の考えることではありませんか。苦難から逃れられればそれで十分。あとは感謝をもって、主に真実に生きていきます。それで十分でしょう、と。この歌も25節までで、ある意味で完結しているのです。ダビデは少なくとも「主の道を守り、わたしの神に背かない」と言っているのですから。

 しかし、この歌はそこで終わらないのです。主はダビデを苦難から救い出すだけでよしとはされないのです。主はさらにダビデを強くするのです。「あなたは救いの盾をわたしに授け、自ら降り、わたしを強い者としてくださる」(36節)。強い者とするのは勝利を与えるためです。ダビデが勝利を得るとするならば、もはやそれは単にダビデ自身のためだけではないのです。ダビデと共に主を「岩」として寄り頼む者たちのためでもあるのです。だから「我らの岩」がここに出てくるのです。

 ここに「救いの盾」と書かれています。18節にも「救い出される」という表現がありますが、ここで用いられている言葉は異なります。この「救い」が意味するのは、神ならぬ支配からの解放です。出エジプト記において次のように書かれているようにです。「主はこうして、その日、イスラエルをエジプト人の手から救われた」(出エジプト14:30)。また47節にもこう書かれています。「主は命の神。わたしの岩をたたえよ。わたしの救いの岩なる神をあがめよ。」それにはこう続きます。「わたしのために報復してくださる神よ」。「報復」というのは、単に「仕返し」という意味ではありません。そうではなくて、根本的には神の秩序が回復されることを意味するのです。

 神ならぬ支配によって不義が行われてきた。不当なことがなされてきた。正義が踏みにじられてきた。それが神によって本来の秩序へと回復させられるのです。神に逆らう力が勝ち誇っているままでは終わらないのです。それがここに書かれている「救い」であり「報復」なのです。そのことの実現のためにダビデが用いられるのです。そのために力を受けるのです。強くされるのです。そのようにして、神の支配が実現するのです。

 そして、このダビデの感謝の歌は次のように締めくくられています。「主よ、国々の中で、わたしはあなたに感謝をささげ、御名をほめ歌う。勝利を与えて王を大いなる者とし、油注がれた人を、ダビデとその子孫を、とこしえまで、慈しみのうちにおかれる」(50‐51節)。この部分は詩編18編にほとんど同じ形で記されています。ここで「わたし」として歌っているのはダビデ自身というよりも、後の人たちが自分を「わたし」として歌えるようにしてあるのです。そして、事実、後の人たちはこれを歌い継ぎ、私たちにもまた伝えられてきているのです。

 ですからユダヤ人たちは、神をただ個人的な苦難からの解放者として見ることに留まることはなかったのです。確かに神は個人を顧みてくださる。神は「わたしの神」でいてくださる。しかし、自分が苦難から解放されさえすれば、この世界において神に逆らう力が勝ち誇ったままでも良いとは言わなかったのです。神の完全勝利を求めたのです。そのためにメシアを求め、神の民が用いられることを求めたのです。

 それは既にキリストが到来したことを知らされているキリスト者にとっても重要なことです。私たちは神様を個人的な解放者として見ることに留まりません。私たちが罪の負い目から解放され、この世と共に滅びることを免れて、「自分が救われて」それで良しとしてはならないのです。この世界を支配している罪の力と戦っていく。サタンと戦っていくのです。そこでここに歌われていることは、私たちにとっても重要なのでしょう。神は私たちを強くしてくださる神です。「あなたは救いの盾をわたしに授け、自ら降り、わたしを強い者としてくださる」。

 イエス様が昇天なさる前に、弟子たちに言われました。「わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい」(ルカ24:49)。それから10日間、弟子たちは都にとどまって祈り求め、五旬祭のあの日にまさに約束されたとおりに「高い所からの力に覆われ」たことを私たちは知っています。そのようにして教会は宣教を開始したのです。彼らが天からの力を必要としたのは、単に自分が救われるためではありませんでした。この世界を支配している悪魔の力を打ち砕き、キリストの勝利を見るためだったのです。


2026年9月16日水曜日

祈祷会用:サムエル記下 22:1~31

 サムエル記下22:1~31

 22章にはダビデの感謝の歌が収められています。この歌は、詩編の中に第18編として、ほぼ同じ形で収録されています。聖書に残されているダビデの歌は、明らかに礼拝において用いるために後の時代の手が加えられています。例えば7節に「神殿」が出てくること。ダビデの時代に神殿はありません。また、51節に「ダビデ」の名が出てきます。ダビデ本人が自分の名前をこういう形では書きませんでしょう。しかし、ともかくこの歌の原型はダビデにまで遡るものと考えてよいでしょう。

 そして、注目すべきことは、このダビデの感謝が、丁度、サムエル記上2章のハンナの感謝と対応するように置かれていることです。サムエル記は、このように神の御業を讃える二つの歌で囲まれる形になっているのです。

 士師時代の末期からダビデ王国確立までの激動の時代。これまで見てきたように、そこには様々な人間の思惑が渦巻いているのであって、一見すると人間の謀がこの時代を形作ってきたかのように見えるのです。しかし、この二つの歌に囲まれているということは、とりもなおさずこの時代がまさに神の御業によって形作られてきたのだ、ということを示しているのです。長い歌ですので、二回に分けて読んでいくことにいたします。

 「主はわたしの岩、砦、逃れ場、わたしの神、大岩、避けどころ、わたしの盾、救いの角、砦の塔。わたしを逃れさせ、わたしに勝利を与え、不法から救ってくださる方。ほむべき方、主をわたしは呼び求め、敵から救われる」(2‐4節)。

 これはこの詩編全体を総括する言葉として冒頭に置かれていますが、多くの言葉を連ねて主が真の拠り所であることを語っているのが印象的です。そこで繰り返されているのは「わたしの」という言葉です。ここでは個々に訳し出されてはいませんが、一つ一つの言葉に「わたしの」が加えられています。それは、主が真の拠り所であり守りであるということが、決して観念的に一般化され得ないことを示しています。つまり、これはダビデが一人の人間として、多くの苦しみの中を、現実に一人の「わたし」として、神に寄り頼んで生きてきたという、具体的な経験から生み出されてきた言葉であることを示しているのです。

 そのダビデの苦しみは、具体的には「すべての敵の手」「サウルの手」として1節に記されています。私たちは、サムエル記の物語を思い起こすことができるでしょう。しかし、5節と6節において、彼の苦しみの深さは、「死の波」「奈落の激流」「陰府の縄」「死の網」という四つの言葉をもって表現されています。

 「死の波がわたしを囲み、奈落の激流がわたしをおののかせ、22:6 陰府の縄がめぐり、死の網が仕掛けられている」(5‐6節)。そこに言い表されているのは、もはや自力では逃れられない苦悩の深さです。「奈落の激流」というのは「ベリヤアルの渦」という言葉ですが、ベリは否定を意味し、ヤアルは「上る」という意味です。そこでベリヤアルは「誰ひとりはい上がれない所」を意味します。彼はまさにそのような深みへと引き込まれてしまっている。それがここで語られている内容です。

 しかし、そのような苦難の中、自らはい上がれない深みから、彼は神に向かって叫ぶのです。主を呼び求めるのです。「苦難の中から主を呼び求め、わたしの神を呼び求めると、その声は神殿に響き、叫びは御耳に届く」(7節)。そして、その叫びが神の耳に届きます。その叫びに対する応えとして、8節以下の描写が続くのです。「主の怒りに地は揺れ動き、天の基は震え、揺らぐ。御怒りに煙は噴き上がり、御口の火は焼き尽くし、炭火となって燃えさかる」(8‐9節)。

 そこに描き出されているのは、不当な苦しみに対して、怒りをもって行動を起こされる神の姿です。特に注目すべきは「主は天を傾けて降り」という10節の言葉です。「主は天を傾けて降り、密雲を足もとに従え、ケルビムを駆って飛び、風の翼に乗って現れる。 周りに闇を置き、暗い雨雲、立ち込める霧を幕屋とされる。御前の輝きの中から炭火が燃え上がる」(10‐13節)。新改訳聖書はこれを「主は、天を押し曲げて降りて来られた」と訳しています。こちらの訳の方が一般的です。古代の世界像では、天は何層にも重なったドームのように考えられていました。いわばその何層もの天の形をへし曲げるようなことまでして、主は降って来てくださり行動してくださったのだ、とダビデは語っているのです。

 しかも、それは多くの人々のためというのではなく、深い所から叫び求めるたった一人のために、主はそうしてくださったのだと語られているのです。それがこの歌の表現している最も重要な内容です。一人の叫び求める者のために行動してくださる神。天を押し曲げてでも降ってきてくださる神。それがダビデの神経験に他なりませんでした。それゆえに17節以下では、「主は高い天から御手を伸ばしてわたしをとらえ、大水の中から引き上げてくださる」「わたしを広い所に導き出し、助けとなり、喜び迎えてくださる」と続くのです。このゆえに、「主はわたしの岩、わたしの砦、わたしの逃れ場…」なのです。

 さて、先にも言いましたように、この歌は礼拝のために手が加えられています。民の礼拝のために整えられ、伝承された歌です。しかし、そのような「わたしたち」でうたわれる歌であるにもかかわらず、もともとの「わたし」という要素は、決して神の民全体のこととして一般化されませんでした。実際、詩編には、このような個人の嘆きや感謝の歌が多く含まれております。

 この事実は聖書全体を貫いています。例えば、パウロも、キリストの十字架を「わたしたちのために」と語ると共に、「わたしのために」と語ることを忘れていません。「わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです」(ガラテヤ2:20)。

 神の民やこの世界に対する視点を欠いた、ただ「わたしの救い」だけを考えた信仰のあり方は決して正しいものではあり得ません。しかし、もう一方において、この「わたしのために」を欠いた信仰のあり方も、決して正しいものではあり得ないのです。この「わたしのために」という実存的な要素は、信仰において本質的な事柄だからです。

 さて、そのように、神が、叫び求めるたった一人のために降って来てくださる神であり、一人の人間に神が極限まで真剣に関わられる神であるゆえに、一人の人間が神の御前にどう生きるかということもまた、真剣に問われることになります。その人が神に背いているか否かは、どうでも良いことではないのです。

 21節以下において、ダビデはこう歌っています。「主はわたしの正しさに報いてくださる。わたしの手の清さに応じて返してくださる。わたしは主の道を守り/わたしの神に背かない。わたしは主の裁きをすべて前に置き、主の掟を遠ざけない。わたしは主に対して無垢であろうとし、罪から身を守る。主はわたしの正しさに応じて返してくださる。御目の前にわたしは清い」(21‐25節)。

 ダビデは単に自分の正しさを誇っているのではありません。これは8節から20節に表現されている救いの神の認識に基づく言葉なのです。それゆえにまた、イスラエルの詩編の収集には、このような潔白の主張がなされる詩編と共に、もう一方においては、赤裸々な罪の告白を伴う詩編が共存しているのです。これらは、矛盾することでも、不思議なことでもありません。そもそも、個々の人間に対する神の関わりというものが真剣に受け止められないところにおいて、個々の人間による真剣な罪の告白と悔い改めなど、あり得ません。せいぜい出てくるのは「人間とは罪深いものだ」という安易な一般化した表現ぐらいのものです。そのような主との関係からは、31節にあるような「すべて御もとに身を寄せる人に、主は盾となってくださる」という確信に満ちた告白は生まれません。「わたしの岩」について語れる人だけが、また「すべて御もとに身を寄せる人」について語り得るのです。

2026年9月2日水曜日

祈祷会用:サムエル記下 20:23~21:22

 サムエル記下 20:23-21:22

 ダビデ王家の王位継承に関する物語は先週お読みした箇所から、直接的には列王記上1章に続きます。その間の21章から24章まで、ダビデ王に関するその他の伝承が収録されております。

 「ダビデの世に、三年続いて飢饉が襲った」のが、正確にいつであったのかは定かではありません。全イスラエルにおけるダビデの治世において比較的初期の頃ではなかったかと思われます。いずれにせよ、飢饉というのは、外敵の襲来同様に、王国の存在を根底から脅かします。ダビデは、ついにこの飢饉が主の処罰であることに思い至り、主に託宣を求めました。すると主はこう言われたのです。「ギブオン人を殺害し、血を流したサウルとその家に責任がある」。この結果、サウルの子孫が処刑され、雨が与えられたというのが、この物語です。

 この物語の意味するところを正しく理解するためには、三つのことを特に踏まえておかなくてはなりません。第一に、ギブオン人がイスラエルにおいては被差別少数民族であったこと。第二に、罪は当為者の死によって、あるいは人々の忘却によって、消えてしまうことはないこと、第三に、ダビデの治世において常にベニヤミン族との関係が問題となっていたこと、です。

 ギブオン人については今日の箇所において次のように説明されています。「ギブオン人はアモリ人の生き残りで、イスラエルの人々に属する者ではないが、イスラエルの人々は彼らと誓約を交わしていた」(2節)。この誓約とは何か。ヨシュア記9章に詳しく記されておりますので、その箇所を振り返ってみましょう。

 その昔、ヨシュアの率いるイスラエルの民がエリコとアイを占領した時、ギブオン人たちは自分たちも滅ぼされるのではないかと恐怖に陥り、策略を用いて生き残りを計りました。彼らは遠い国からの使節団を装い、ヨシュアと協定を結ぶことに成功するのです。実際には彼らが近くの住民であることを知っても後の祭りです。主の御前において誓約してしまったからです。

 彼らはイスラエルと共存することとなりました。しかし、力関係がありますから、実際的にはイスラエルによって支配されることになります。その箇所の最後には、こう書かれています。「ヨシュアは、その日、彼らを共同体および主の祭壇のため、主の選ばれた所で柴刈りまた水くみとした。それは今日まで続いている」(ヨシュア9:27)。つまり、後々の時代に至るまで、ギブオン人は二級市民であり続けたということです。

 その彼らがサウルの時代に絶滅の危機にさらされたことを神の託宣は明らかにしたのでした。「ところがサウルは、イスラエルとユダの人々への熱情の余り、ギブオン人を討とうとしたことがあった」(2節)と聖書は説明しています。

 サウルはイスラエルの初代の王でした。しかし、その後にダビデがまず《ユダの王》となり、それから全イスラエルの王となったことを考えますと、後の南北分裂、すなわちユダ族と北の諸部族との分裂の要素が、既にサウルの時代から存在していたことがわかります。サウルはそのような諸部族をまとめねばなりませんでした。

 そこでサウルはイスラエルの民族意識、イスラエルの純粋性に訴えたのです。そこで民族純化政策の具体的な展開として、イスラエルの中にある被差別少数民族であるギブオン人を滅ぼそうとしたのでした。それはこの世的に見るならば極めて鋭い政治的な洞察に基づく行動であったと言えるでしょう。実際、王国はサウルを中心として確かに固く一つにまとまっていったのです。

 しかし、人間の目に正しい政治的判断が必ずしも神の前に正しいとは限りません。神はこのことに関してはイスラエルの民の側につかれませんでした。神は被差別少数民族の方を心に留められるのです。そしてまた、神はイスラエルがその御前でなした誓約が破られたことを問題とされるのです。

 しかも神はその罪を当為者であるサウルが死んだ後にも、なおその罪を問題にされるのです。この頃には既に、二級市民であるギブオン人の悲劇など、イスラエルの人々の記憶からも意識からも失われていたに違いありません。サウルの子孫もまた、かつてサウルが行ったそのことを、大して気にも留めていなかったでしょうし、覚えてもいなかったことでしょう。たとえ覚えていたとしても、それは彼らには関係のないことと考えていたに違いありません。ちょうど今日の戦後の世代の多くが、戦時中に侵した日本の罪は自分たちと無関係であると考えているのと同じです。しかし、人が忘れても神が覚えておられます。神が覚えておられる限り、罪は消えてはいないのです。

 ダビデはギブオン人に尋ねます。「どのように償えば主の嗣業を祝福してもらえるだろうか」。そこでギブオン人は、「わたしたちを滅ぼし尽くし、わたしたちがイスラエルの領土のどこにも定着できないように滅亡を謀った男、あの男の子孫の中から七人をわたしたちに渡してください」と要求します。これは民数記35章30節以下に記されている、血の復讐に関する規定です。律法においては、血を流した罪は血をもって償われねばならぬことが定められているのです。

 ギブオン人の要求は、極めて残忍なものと今日の私たちの目に映るかもしれません。しかし、考えて見れば、代表7人のみの処刑は、驚くべき寛大な要求であるとも言えます。ギブオン人は民族滅亡の危機にさらされたのであり、実際、この人たちは殺された多くの人々の親族であり子孫であるのですから。

 ダビデは、彼らの要求に従いサウルの子孫を引き渡します。これがダビデにとって、どれほど厳しい決断であったかは、ダビデとベニヤミン族との関係を考えれば分かります。ダビデが王位を得る前後の物語を思い起こしてください。サムエル記の記述は、ダビデがサウルを自らの手にかけることを決して欲しなかったことを強調しています。既にお話ししてきたとおり、それはとりもなおさず、そうではなくてダビデがサウルから王位を奪ったと考える人が多かったということです。

 あのベニヤミン人シムイの呪いの言葉も、その事実を示しています。ダビデにとって、ベニヤミン族との関係は、常に大きな問題でした。ダビデがアブサロムの反乱の後、王位に復帰する時、ベニヤミン人シムイを処刑しなかったのも、明らかにベニヤミン族との関係を考えてのことです。

 そのような状況の中にあって、政治的な判断としては明らかに愚かに見えることをダビデはしたのです。すなわちダビデはあえてサウルの子孫を処刑するために引き渡したのです。当然、ダビデはやはりサウルから王位を奪い、前王家を絶滅しようとした者である、との悪評が残ることになるでしょう。

 しかし、ダビデはギブオン人の要求を、二級市民の要求として軽んじることなく、自分にとって不利な展開を覚悟の上で、その要求に従ったのでした。これが神によることを信じたからです。これが主に託宣を求めた結果だったからです。主の御心を求め、主の御言葉を求めるとはそういうことなのです。それがこの世的にはどれほど愚かに見えたとしても、主の御心に従うということなのです。

 とはいえ、まことに罪のもたらす結果は悲惨です。聖書は、処刑されたアルモニとメフィボシェト(ヨナタンの子メフィボシェトとは別人)の母リツパが、さらされた死体が空の鳥と野の獣の餌食になることを一生懸命に防いでいる様子を記しています。まことに切ない光景です。私たちは、この現実を読んで「神は残酷だ」と考える前に、人間の罪というものが、一人の人に留まらず、その子孫にまで悲劇をもたらすという事実について良く考えねばなりません。それはまた、キリストが私たちのために呪いとなってくださったという福音の使信(ガラテヤ3:13)の重大さを知る契機となることでしょう。

 15節以下に書かれているダビデの家臣に関する記述は、23章8節以下に続きますので、22:23~26とあわせて、そこで取り上げたいと思います。


2026年8月26日水曜日

祈祷会用:サムエル記下 19:41~20:22

 サムエル記下19:41~20:22

 アブサロムのクーデターは失敗に終わりました。ダビデは息子を失った嘆きの中から立ち上がり、再び王座に着くためにヨルダンを渡りエルサレムへと向かいます。国家的な危機は回避されました。しかし、その一方において既に戦後の利権争いが非常に醜い形で始まっていいたことを、私たちは今日の箇所に見ることになるのです。

 一歩先に出ていたのはダビデと血縁関係にあったユダ族でした。北イスラエル諸部族が、戦後のダビデ政権とどのような関係を持っていくかについて議論がなされていた時に(19:10)、ユダ族はダビデに使者を遣わして「家臣全員を共に帰還してください」と言い送り、ヨルダン川を渡るのを直接に助けることをしたのです。

 しかし、19:12に書かれていたことをここで思い起こしていただきたいのですが、実はユダ族が遅れを取らないようにと、北の諸部族の動きをリークしたのは他ならぬダビデ自身だったのです。ユダ族を王家との特別な関係に置くことは、ダビデの意向でもあったのです。戦後の政権を安定させるためには、これまで何かとギクシャクしていたユダ族の保守層との関係を良好にしなくてはならない。それがダビデの政治的な判断だったのです。しかし、ユダ族が先んじてダビデを迎えたことは、かえって新たな争いの火種をもたらすこととなりました。

 「王はギルガルへ進んだ。キムハムも共に行き、ユダの全兵士もイスラエルの兵士の半分も王と共に進んだ」(41節)とあるとおり、そこにはユダの兵士だけがいたのではなく、イスラエルの兵士の半分、すなわち北イスラエル諸部族の和平推進派の人々がいたのです。そして、彼らはユダ族に出し抜かれたことを怒ったのでした。その結果、彼らの間で論争が生じます。ユダ族は自分たちがダビデの近親であるから当然だと主張しました。一方、北の諸部族は、自分たちの方が部族の数にしても多いのだと主張いたします。しかし、結局はユダの声の方が大きかったようです。

 さて、この対立に乗じて権力の座を夢見たのがシェバという人物でした。彼はベニヤミン人であったと記されております。あのシムイと同様に、ダビデがサウル王家から王座を奪ったものと信じていた人なのかもしれません。彼は角笛を吹いて反旗を翻しますと、「イスラエルの人々は皆ダビデを離れ、ビクリの息子シェバに従った」(2節)と書かれています。私たちはここで、あのアブサロムの反乱におけるのと同じように、再び人々の不満が結集していくのを見ることになるのです。

 しかし、アブサロムの反乱は、二万人以上のイスラエル人の血を流す結果に終わったのではなかったでしょうか。あの悲劇は、何をももたらさなかったのでしょうか。結局、私たちは、あの悲劇の結果、イスラエルの人々の内に、真の悔い改めは起こらなかったという事実を見るのです。災いが起こる。様々な形で人が死んでいく。それはまことに悲しむべきことです。しかし、本当の悲劇とは災いそのものではありません。人が悲しみや嘆きを通してさえ悔い改めに至らないということこそ真の悲劇なのです。

 敗戦したイスラエルの人たちが、「我々が油を注いで王としたアブサロムは戦いで死んでしまった」(19:11)と語るのを既に見てきました。彼らはその事実が何を意味するのかを深く考えることはありませんでした。それが神に対する反逆であったのか否かを考えることはありませんでした。人々の内にあったのは、戦後をいかに有利に生きるかということだけでした。有利か不利か、得をするか損をするか、それしか考えられない。ならば、不利益を被り損をすれば、再び不満が生じるだけの話です。不満は結集して同じことが繰り返されます。同じ悲劇へと向かうのです。

 さて、今回の場合、人々の心がシェバから離れるのは早かったようです。不満によって一致団結したのですから、人々の心の中には利害の意識しかありません。シェバに従うことが不利益となるのであれば、もはや従う意味がないのです。不満と怒りによって担がれた人の最後はまことに惨めです。

 14節には「シェバはイスラエルの全部族を通って行って、ベト・マアカのアベルまで来ていた。選び抜かれた兵が寄り集まり彼に従った」と書かれています。この言葉がある意味ですべてを物語っていると言えます。「選び抜かれた」と訳されれば聞こえはいいですが、要するにそれだけしかいなかったという話です。

 さらには「選び抜かれた兵」という部分は「ビクリびと」という読み方の方が一般的です。協会訳ではそう訳されていました。身内しか残らなかったということです。アベルはイスラエルの北のはずれです。結局、そこに追いつめられるまで、彼を支持する部族はなかったということです。20:14には、「シェバはイスラエルの全部族を通って行って、ベト・マアカのアベルまで来ていた」と書かれていましたでしょう。そうです、全部族の地を通ったにも関わらず、彼の元には実際にはダビデと戦えるだけの兵士は集まらなかったということです。「選び抜かれた兵」にせよ「ビクリびと」にせよ、実情はそのようなものだったということです。

 彼が最終的に籠城したアベルの町は、追跡していたダビデの家臣によって包囲されました。町に向けて外壁の高さほどの塁が築かれ、町の陥落が時間の問題になった時、知恵ある女が町から呼ばわった次第が16節以下に記されております。

 彼女はヨアブと交渉を開始します。彼女は、アベルの町について、「アベルで尋ねよ」ということわざが残っているほどに、イスラエルの伝統を保持した由緒ある町であることを指摘して、何故この「母なる町」を滅ぼそうとするのか、と訴えます。ヨアブも、アブサロムの反乱の時に見たように、もともと内戦の拡大を望んではいなかった人です。北イスラエルの古い町が滅亡することがあれば、一気に内戦は拡大することになるでしょう。それやヨアブの望むところではありません。

 そこでヨアブは、ビクリの子シェバを差し出すようにと求めます。女は知恵を用いてその要求に応えました。こうしてシェバが殺されて、彼が起こした反乱は鎮圧されることとなったのです。結局、シェバはアブサロムと同じ道を辿ることとなりました。

 さて、そのような反乱の経緯を記している中に、一つのエピソードが挿入されております。アマサの暗殺です。

 ダビデがヨアブに代えてアマサを軍の司令官に任じた次第は19:14に見たとおりです。ヨアブは更迭されました。7節には「ヨアブの兵、クレタ人とペレティ人、および勇士の全員が彼に従ってエルサレムを出発し、ビクリの息子シェバを追跡した」と書かれていますでしょう。「彼に従って」の「彼」とは、弟のアビシャイのことです。すなわち、ヨアブの軍は弟のアビシャイのもとに置かれることとなったのです。

 一方、ヨアブに代わって軍の司令官となったアマサは実際にはその務めを遂行する実力を伴ってはいませんでした。王はアマサに「ユダの人々を三日のうちに動員してここに来なさい」と命じたにもかかわらず、期日までに戻ることはできなかったのです。ユダの人々は、ヨアブに従うようには彼に従わなかったということです。結局、ダビデはアビシャイ(この時点ではヨアブの上官)に命じて自分の親衛隊を率いさせ、シェバを追跡させることになったのです。

 事件は、その追跡の途上で起こりました。彼らがギブオンにさしかかった時に、王のもとへと向かうアマサに出会ったのです。そこでヨアブはアマサを殺害したのでした。剣で刺し殺した次第が詳しく書かれています。アマサはまさか自分が殺されるとは夢にも思ってもみなかったようです。

 ヨアブがアマサを殺害したのは、もちろん、自分の地位を奪ったアマサに対する恨みを晴らしたということでもあるでしょう。かつてアブネルを殺したヨアブは、ここでも自分の地位を回復するためにアマサを殺したのでした。

 しかし、それ以上に、ヨアブは王国の行方を案じていたということでもあろうと思います。ヨアブという男は、たとえ更迭されて弟のアビシャイの元に置かれても、お国のためなら、王のためなら、軍務に忠実であろうとする人物です。そのような彼の目から見て、実力の伴わないアマサが軍の司令官であり続けるということは、王国そのものの危機と映ったことでしょう。そして、そのように見ていたのはヨアブ一人でないことは、彼がアマサを殺害したことについて、誰一人として異論を唱える者がいなかったことからも分かります。

 さて、このように、人間の様々な思惑によって、王国は動いて行ったのでした。これがイスラエルの民であり、ダビデの王国です。そうです、人間の目には、人間が王国を動かしているように見えるのです。しかし、それにもかかわらず、かつてナタンが預言したように(7:12)、王国は揺るぎないものとされていったのです。ある意味では実に不思議であると言わざるを得ません。しかし、その不思議さを通して明らかにされるのは、王国を王国たらしめているのは人間の力や知恵ではなく、ただ神の恵みであるということなのです。ですから神の恵みが離れた時、いや王国が神の恵みから自らを引き離した時、その王国は滅びていくことになるのです。それはそのまま教会について言えることです。パウロはローマの信徒への手紙においてこう言っています。「だから、神の慈しみと厳しさを考えなさい。倒れた者たちに対しては厳しさがあり、神の慈しみにとどまるかぎり、あなたに対しては慈しみがあるのです。もしとどまらないなら、あなたも切り取られるでしょう」(ローマ11:22)

2026年8月19日水曜日

祈祷会用:サムエル記下 19:16~40

 サムエル記下 19:16‐40

 今日の聖書箇所は、かつて都落ちをした惨めな姿で渡ったヨルダン川を、ダビデが再び渡ってエルサレムへと向かう場面です。そこで私たちは、既に登場した幾人かの人々に再び会うことになります。そこには一方において、シムイとツィバがあり、他方において、メフィボシェトとバルジライがおります。特にこの4人に注目しますと、彼らが実に対照的に描かれていることが分かります。

 初めにシムイとツィバに目を留めましょう。この二者はダビデについて、明らかに全く異なる予想を抱いていました。

 まずはシムイから。シムイにとって、都落ちをしたダビデは失脚した王であって、二度と再びエルサレムに戻ることはないと思われました。ですから、彼はここぞとばかりに、石を投げつけて、ダビデを呪ったのです。「出て行け、出て行け。流血の罪を犯した男、ならず者」(16:7)と。落ちぶれた姿とはいえ、ダビデにも兵士たちが同行していたのですから、これはある意味では命がけの行為であったと言えます。

 しかし、今日の箇所を読みますと、シムイがそのような行動に出ることを可能にしたのは、ある程度の後ろ盾があったからであることが分かります。シムイがベニヤミン族の者千人を率いて来ているというところを見ると、彼がもともとベニヤミン族の中にあってかなりの実力者であったものと考えられます。彼の背後にはダビデがサウルの王座を奪ったと見なす人々、それゆえにダビデに元々敵対心を持っていた相当な勢力が控えていたものと思われるのです。

 さて、そのシムイが今や手のひらを返したように、好意的にダビデを迎えに下ってきたのです。もちろんそれは、彼の予想に反してダビデが再び王位に戻ることになったからです。ダビデが正式に王座に着いたときに、かつてのシムイの無礼が取りざたされるならば、彼は死罪を免れることはないでしょう。彼の一族も滅ぼされることになるでしょう。それゆえに彼は先手を打って、いち早くヨルダンへと王を出迎えに行き、王の前にひれ伏してとにかく謝罪したのです。

 彼は言いました。「どうか、主君がわたしを有罪とお考えにならず、主君、王がエルサレムを出られた日にこの僕の犯した悪をお忘れください。心にお留めになりませんように。わたしは自分の犯した罪をよく存じています。ですから、本日ヨセフの家のだれよりも早く主君、王をお迎えしようと下って参りました」(20‐21節)。王の帰還の時点で恩赦の言葉をなんとか得ておくこと。それがシムイの目論みでした。それが失敗に終わればシムイは処刑されます。彼もまたそのことを良くわきまえていたので、千人の者たちを率いてきたのでしょう。謝罪が受け入れられなければダビデと戦うまでのこと。その姿勢がよく現れています。

 当然のことながらダビデの側近であるアビシャイはシムイが処刑されるべきであることを主張しました。しかし、ダビデはシムイの謝罪を受け入れ、「お前を死刑にすることはない」と誓ったのです。これを単純にダビデの寛大さと考えてはなりません。シムイがベニヤミン族における実力者であるとするならば、今後のベニヤミン族との関係を考えて政治的な恩赦を宣言せざるを得なかったとも考えられます。実際、ダビデは最期を迎えるときに、シムイの処刑をソロモンに委ねるのです(列王上2:8以下参照)。

 さて、もう一方においてツィバはダビデが再びエルサレムに戻るであろうことを、ある程度予想していた人物でした。彼はダビデが都落ちをする時に、しっかりとダビデに恩を売っておくのです。サムエル下16章において読んだことを思い起こしてください。彼は、主人であるはずのメフィボシェトについて偽りの訴えをなし、主人に属するものを先に手に入れておいたのです(16:4)。このようなことは、再びダビデが王座に着かなければ意味がないのです。

 彼の予想どおりダビデが勝利を得てエルサレムに帰還するに当たって、再びツィバは息子たちと召使いとを率いて現れます。そして、シムイの率いてきた千人に分け入るかのようにして、自ら渡し場を渡って(原文の表現は「繰り返し渡って」の意)、王家の人々を助けたのです。それはヨルダンを渡るに困難な子供や年老いた者たちのことを考えてではありません。その目的は何か。聖書はそれを「王の目にかなうよう」(19節)と表現しています。

 あくまでも王の目にどう映るかが問題なのです。そこに働いていたのは、かつてメフィボシェトの財産を自らのものにしたときに働いていたのと同じ打算でありました。彼は王の目にかなうようにと、自らずぶ濡れになりながら、一生懸命に王家の人々を渡らせたのです。そのツィバの姿が目に浮かぶようです。

 このように、当初の予想は全く異なる二人でありますが、ダビデを迎えた意図においては一致していました。ダビデの恩赦にせよ、ダビデの好意にせよ、彼らはダビデから良きものを引き出すためにせっせと立ち回るのです。私たちは、ダビデが勝利を得るや否や、手の平を返したように立ち回る北イスラエルの人々の姿、そしてユダ族の姿も見てきました。加えて、このようなシムイやツィバの姿を読んで、なんと浅ましいことかと思わせられます。

 しかし、その浅ましさは、他ならぬ私たちの姿であるかもしれません。彼らがエルサレムへ帰るダビデを迎えた姿は、私たちのメシアに対するあり方を考えさせられます。私たちがキリストに一生懸命に仕えるのも、また神妙に罪を言い表すのも、それはキリストからただ良きものを引き出そうとしている打算の現れであるかもしれません。

 しかし、もう一方で、シムイやツィバとは全く異なる姿が私たちの目を引きます。メフィボシェトとバルジライの姿です。

 メフィボシェトも王を迎えるために下ってきました。ツィバは、まさか足の不自由なメフィボシェトがダビデを出迎えに下って来るとは思いもよらなかったに違いありません。とはいえ、メフィボシェトがたとえ王を出迎えたとしても、彼自身としては王のために何が出来るわけでもありません。ならば何のために来たのか。メフィボシェトは、ただ王の帰還を喜ぶために下って来たのです。

 彼がどれほど王の帰りを待ちわびていたかは、その姿が物語っていました。「彼は、王が去った日から無事にエルサレムに帰還する日まで、足も洗わず、ひげもそらず、衣服も洗わなかった」(25節)と書かれています。メフィボシェトは、ツィバに欺かれた次第を語りました。ツィバに欺かれた結果、彼に属するものは、すべてツィバのものとなってしまいました。しかし、メフィボシェトは、それらを取り返すために王に訴えているのではありません。ダビデが帰ってきた今、そんなことはもはやどうでも良いのです。彼は言いました。「主君、王が無事に王宮にお帰りになったのですから、すべてツィバのものとなってもかまいません」(31節)。そこには、打算を超えた、打算とはもはや無関係な愛がそこにあるのを見るのです。

 また、渡し場での出来事とは前後しますが、32節以下にはバルジライがヨルダン川まで見送りに来ていたことが伝えられています。彼は、ダビデがマハナイムに逃れていた時に、王と兵士たちの生活を支えていた人たちの一人です。既に、彼は八十歳になっていたと聖書は記します。ヨルダン川においても、あのツィバの一族のような奉仕が出来るわけではありません。ただダビデとの別れを惜しんで、純粋に王を見送るために、老いの身をおして、ヨルダンまで共に旅をしたのです。

 王はそんなバルジライに言いました。「わたしと共に来てくれないか。エルサレムのわたしのもとであなたの面倒を見よう」(34節)。もはやあの亡命者ダビデではありません。再び、全イスラエルの王としてエルサレムに戻るダビデのありがたい申し出です。しかし、バルジライは、その申し出を丁寧に断わりました。王は彼に口づけして祝福し、バルジライは自分の町へと帰って行ったのです。

 メフィボシェトとバルジライの打算を越えた王への愛と忠誠。キリストと私たちの関係において失ってはならない大切なことを示しているように思います。


2026年8月12日水曜日

祈祷会用:サムエル記下 19:2~15

サムエル記下19:2~15

 ダビデの息子アブサロムが起こした反乱は、最終的にアブサロムが討ち取られることによって終結しました。ヨアブは角笛を吹いて戦闘の終わりを知らせ、兵士たちは追撃をやめさせます。そして、ダビデの待つ町に凱旋する前に、使者が送られダビデに事の結末が知らされることとなりました。

 ヨアブは、アブサロムが死んだという知らせをダビデが決して良き知らせと受け取ることはないと知っていました。事実そのとおり、ダビデはこの知らせを聞くや、身を震わせ、城門の上の部屋に閉じこもってしまったのです。「わたしの息子アブサロムよ、わたしの息子よ。わたしの息子アブサロムよ、わたしがお前に代わって死ねばよかった。アブサロム、わたしの息子よ、わたしの息子よ。」そう言ってダビデは泣いていたのです。

 さて、ここで私たちが思い出さなくてはならないことがあります。ダビデがウリヤの妻とのことで大きな罪を犯したとき、ナタンはダビデに神の言葉を告げてこう言ったのです。「見よ、わたしはあなたの家の者の中からあなたに対して悪を働く者を起こそう」(12:11)。そして、神の言葉の通りになりました。

 しかし、さらに遡るとナタンを通してダビデはこのような約束をいただいていたことが書かれています。「あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする」(7:12)。この約束の言葉は、たとえダビデが罪を犯したとしても取り消されてはいないのです。この約束によればダビデはクーデターで王座を失うことはあり得ないのです。そして、神はその約束を確かに守られたのです。

 また、ダビデは、都落ちした時、神の箱を持って従おうとしていた祭司たちにこう言いました。「神の箱は都に戻しなさい。わたしが主の御心に適うのであれば、主はわたしを連れ戻し、神の箱とその住む所とを見せてくださるだろう」(15:25)。また、アヒトフェルが裏切ったことを知った時、彼は「主よ、アヒトフェルの助言を愚かなものにしてください」(15:31)と祈りました。そして、実際にその通りになったのです。神はダビデの祈りを聞いておられました。

 人間は自分が祈ったことも、聞いたことも忘れてしまうものです。しかし、人間が忘れても神様は覚えておられます。だから人間の不真実にもかかわらず、神の真実は貫かれますし、神の約束は実現するのです。祈られたことには、人が忘れていても、神が応答してくださるのです。

 確かに、ダビデの悲しみの深さは理解できます。ダビデが大声で泣いたことも無理ありません。しかし、聖書はダビデの心情を単純に肯定しません。明らかに、このすべての出来事の背後に神が生ける御方として動いておられます。ならば、たとえ嘆き悲しんだとしても、ダビデはその嘆きの中に留まってはならないのです。ダビデが死ぬのではなく、アブサロムが死んでダビデが残されました。神によって残されたのです。主に油注がれた者として残されたのです。ならば残された者には責任があります。生かされている者の責任があります。彼は嘆きの中に留まっていてはならないのです。

 それゆえにダビデは強制的に涙の中から立ち上がらされることとなります。それが今日お読みした聖書箇所に書かれていることです。ダビデはヨアブによってそのことを強いられることとなるのです。もちろん、ヨアブは信仰的な観点からダビデを詰ったわけではありません。彼が与えているのは極めて常識的な忠告です。ダビデのため、王家のために戦った家臣たちの顔に泥を塗るようなことをすれば、彼を支持していた人々の心は離れ去ることになる。当たり前の話です。

 「とにかく立って外に出、家臣の心に語りかけてください。主に誓って言いますが、出て来られなければ、今夜あなたと共に過ごす者は一人もいないでしょう」というヨアブの言葉は、厳しくも正しい判断でした「王は立ち上がり、城門の席に着いた」と書かれています。それはまた、神がヨアブを用いてダビデを立ち上がらせた出来事でもありました。

 一方、アブサロムを失ったイスラエル軍が敗退した後、イスラエル諸部族の間に議論が起こりました。要するに、今後もなおダビデと対立を続けるのか、それとも和解してその支配下に身を置くのか、という議論です。

 イスラエル諸部族とは、ユダを除く北方の諸部族です。10節以下に記されているのは、和平推進派の意見です。アブサロムが死んだ今、諸外国に対する防衛を考えるならば、ダビデを亡命者のままにしておかないで、もう一度統一王国の王とする方が良い、というのが彼らの主張でした。しかし、ダビデ王家の支配体制に対する不満は、北の諸部族に依然として根強く残っていたようです。それが後にシェバの反逆(20章)として表面化することになります。

 また、ダビデと戦ったのは北方の諸部族だけではなかったことを思い起こさなくてはなりません。ユダ部族の保守層もまたアブサロムの側に着いていたのです。今日の箇所に「ユダの長老たち」と出てきますが、それはユダの保守層を代表していると見てよいでしょう。ヘブロンからエルサレムに都を移したり、外国人を多数登用したりするダビデの新体制に反発する彼らは、アブサロムの側に着いたのです。

 そのようなユダの保守層を再び統一王国に取り込むために、ダビデは先に述べた北の和平推進派の動きを使いました。ダビデは、エルサレムに留まっているツァドクとアビアタルを通して、ユダの長老たちに、「あなたたちは王を王宮に連れ戻すのに遅れをとるのか」(12節)と伝えさせたのです。そのように、北の動きを引き合いに出し、彼らを優遇する姿勢を見せたのです。「あなたたちはわたしの兄弟、わたしの骨肉ではないか」(13節)とは、そういうことです。

 また、ダビデはアマサに対して彼を軍の司令官にすることを約束するのです。これはまことに驚くべきことと言わざるを得ません。アマサはダビデに敵対した反乱軍の司令官だったのです。ダビデが復帰した後は、当然、アブサロムの側に付いたアマサは処刑され、ヨアブが統一王国の軍の司令官に収まるのが筋でしょう。ところが、ダビデは復帰後もアマサを司令官として残すことを約束したのです。

 その措置は対外的に何を意味したか。ダビデに敵対した彼らの罪状を問わないことを意味したのです。このダビデの説得は功を奏しました。「ダビデはユダのすべての人々の心を動かして一人の人の心のようにした」(15節)と書かれているとおりです。

 さて、このようにして内戦後の国家体制再建が始まりました。しかし、果たしてこれで良いのだろうかと、これを読んでいる私たちはひっかかります。これではまるで、アブサロムが罪を問われないで都に戻された時と同じではないかと思うのです。

 確かに一つの国家的危機が乗り越えられました。しかし、この出来事が神の目にどう映っているのかを考える人は誰一人として登場してこないのです。

 イスラエル諸部族において和平を進めようとしている人々は言いました。「我々が油を注いで王としたアブサロムは死んでしまった」。そうです。彼らがアブサロムを王としたのです。彼らにはその責任があるのです。その結果、多くの人が死に、王の息子も死んだのです。自分たちが油注いだ王がどうして死んだのか。アブサロムを王としたことは神の前に正しかったのか。それとも大きな罪であったのか。そのことを神の御前において問い直す人はいませんでした。

 ですから本当の意味における悔い改めもないのです。彼らが考えたことはただ何が今後自分たちの益となることなのかということだけでした。今後の自分たちにとっては、今、ダビデを連れ戻した方が益となる。その意味で「なぜあなたたちは黙っているばかりで、王を連れ戻そうとしないのか」と言っているのです。それはイスラエルの諸部族だけでなく、ユダの長老たちも同じです。今後を考えれば、イスラエル諸部族が動き出す前に、いち早くユダの主導でダビデ復帰を進めた方が自分たちに有利であるから、ユダの人々は一致して「家臣全員と共に帰還してください」(15節)と言ったのです。

 神の前に自らの罪を見いだし、神の御前において悔い改めるのでなく、ただ利益か不利益かということしか考えられなければ、結局は同じことが繰り返されることになります。そして、事実、そのようになりました。それはこの直後のシェバの反乱にしてもそうですし、イスラエルの歴史全体がそうであったとも言えるでしょう。それは最終的にイスラエルが滅びるまで続くのです。彼らが真に歴史を神の前に悔い改めをもって見直したのは、国が滅びた後のことでした。


2026年8月5日水曜日

祈祷会用:サムエル記下 18:19~19:1

サムエル記下18:19‐19:1

 今日の箇所において繰り返されているのは「良い知らせ」という言葉です。これは名詞と動詞の形で出てきます。20節の「知らせる」「報告する」も同じ言葉ですから、日本語で見るよりも原文ではずっと多くなります。この箇所を理解する上で、この「良い知らせ」とは何かということが重要な意味を持っていることが分かります。

 前回お読みした部分を振り返っておきましょう。ダビデは当初共に出陣するつもりでいましたが、兵士たちの言葉により町に留まることとなりました。そこで三部隊の長であるヨアブ、アビシャイ、イタイに命じてこう言ったのです。「若者アブサロムを手荒には扱わないでくれ」(5節)。この三人だけでなく、「兵士は皆、アブサロムについて王が将軍たち全員に命じるのを聞いていた」(同)と書かれています。

 しかし、ヨアブは既にアブサロムを討ち取るつもりでいました。実際、アブサロムを討ち取る好機が訪れたとき、ためらうことなくヨアブとその部下たちはとどめを刺したのです。ヨアブがそう考えていたのは全く政治的な理由からでした。いわば王国の将来を考えてのことだったのです。

 アブサロムさえ討てばクーデターは失敗に終わり戦いは終結します。これ以上、イスラエルの兵士が死ぬ必要はなくなります。事実、アブサロムにとどめが刺されると、ヨアブは角笛を吹いて、それ以上イスラエル軍を追跡しないよう兵士を引き留めたのです。ヨアブにとって、この結末は最善以外の何ものでもなかったのです。

 さて、ここに改めて登場するアヒマアツにとっても、ヨアブとは異なった観点において、これは最善の結末だったのです。ですから、彼はこの「良い知らせ」を、なんとしてもダビデに伝えようといたします。「どんなことになろうと、わたしもクシュ人を追って走りたい」と主張する彼の熱意は異常にさえ思えます。このアヒマアツの行動を理解するためには、彼が何者かを思い起こす必要があります。ですので、ここでわざわざ「ツァドクの子アヒマアツ」と呼ばれているのです。

 ツァドクは祭司です。15章24節を御覧ください。ダビデがエルサレムを追われた時、ツァドクをはじめレビ人全員が神の契約の箱を担いでエルサレムを出て、ダビデに従おうとしていたことが書かれていました。つまり祭司たちは、神の箱はアブサロムと共にエルサレムに留まるべきではないと判断したのです。神の箱はあくまでもダビデと共にあるべきだと。彼らにとってアブサロムは、ただダビデに反逆した者ではないのです。神の油注がれた者に戦いを挑んでいる者なのです。すなわち神に敵対する者なのです。

 しかし、ダビデは彼らをエルサレムに帰したのです。ダビデはそうして、自らを神の懲らしめの御手に委ねたのでした。しかし、当然のことながら、ツァドクら祭司としては、アブサロムがそのままエルサレムで王位につき、聖所を支配するようになるとは思っていないのです。それが御心に適ったことであるとは、到底思えなかったに違いない。ですからツァドクが素直にエルサレムに戻ったのは、あくまでもエルサレムの様子をダビデに伝えるためだったのです。

 そのツァドクの子アヒマアツも、同じ思いを共有していたからこそ、危険に身をさらしてさえ、伝令の役目を引き受けたのでしょう。そのようなアヒマアツにとって、アブサロムが倒れたことは、政治的な観点からではなく、信仰的観点から見て、まさにダビデに伝えるべき「良い知らせ」だったのです。

 さらに言うならば、彼はダビデが将軍らにアブサロムを保護するよう命じたことは聞いていないのです。アヒマアツは兵士ではありませんから。ですから彼はヨアブに言うのです。「走って行って、主が王を敵の手から救ってくださったという良い知らせを王に伝えます」。彼にとって、これは「主の勝利」に他ならない。だから、どうしてもこの主の勝利の良い知らせをダビデに伝えようとしたのです。

 しかし、ヨアブには分かっているのです。ダビデはこれを決して「良い知らせ」とは受け取らない、と。ですからヨアブは「今日、お前が知らせるのは良くない」と言ってアヒマアツを引き留めます。ヨアブは「王の息子が死んだのだ」と言ってアヒマアツに説明し、留めようとするのです。かつてイシュ・ボシェトが殺された時、その知らせを伝えた者が処刑されたこと(4章)をも思い起こしたのかも知れません。ですので、彼は代わりにクシュ人を報告に遣わそうとするのです。

 ところが、アヒマアツはどうしてもダビデに伝えると言って聞きません。彼がどれほど純粋にこの結果を信仰的な事柄として受け止めていたかが分かります。すなわち、誰が何と言おうと、これは善なることなのです。イスラエルにとって最も良き結末であったと確信しているのです。ヨアブは根負けして、彼が行くことを許可します。アヒマアツはクシュ人を追い抜くほどにひたすら走ります。

 一方、ダビデはマハナイムにおいて、良い知らせを待っていました。しかし、人間が待ち望む「良い知らせ」と、神が与えようとしている「良い知らせ」は、必ずしも一致するとは限りません。神は確かに御自身の正義を貫かれ、そしてダビデを救われたのです。ダビデは再びエルサレムで王位に着くのです。それが神の目に正しいことであり、神が与えようとしていた「良い知らせ」でした。しかし、ダビデが待っていた「良い知らせ」とは、アブサロムの無事に他なりませんでした。

 24節以下には、人間がいかに自分が考える「良い知らせ」を待っているものであるかが、滑稽なほどに強調されて描かれています。見張りは、一人の男が走ってくることをダビデに伝えます。ダビデは「一人だけならば良い知らせをもたらすだろう」と全く根拠のないことを言います。しかし、実際には一人ではなく二人でした。また一人走って来ることが伝えられると、「これもまた良い知らせだ」と言うのです。そして、アヒマアツのようであることが伝えられると、「良い男だ。良い知らせなので来たのだろう」と言うのです。滑稽ですが、これが往々にして私たちのしていることです。自分が考える「良い知らせ」をひたすら待ち望み、そのような知らせが伝えられるであろうと一生懸命に思い込もうとしているのです。

 アヒマアツはダビデに主の勝利と救いとを伝えました。「あなたの神、主はほめたたえられますように。主は主君、王に手を上げる者どもを引き渡してくださいました」(28節)。しかし、ダビデの第一声はアヒマアツを驚かせます。王はこう聞いたのです。「若者アブサロムは無事か」と。

 アヒマアツは事態を悟りました。ゆえにアブサロムが死んだことを伝えることをためらいます。彼はこう答えるのです。「ヨアブが、王様の僕とこの僕とを遣わそうとしたとき、大騒ぎが起こっているのを見ましたが、何も知りません」。

 するとそこにクシュ人が到着し、アヒマアツと同じことを伝えます。「主君、王よ、良い知らせをお聞きください。主は、今日あなたに逆らって立った者どもの手からあなたを救ってくださいました」。王はクシュ人にも尋ねます。「若者アブサロムは無事か」と。クシュ人は、アブサロムの死を伝えます。「主君、王の敵、あなたに危害を与えようと逆らって立った者はことごとく、あの若者のようになりますように。」

 これを聞くと、ダビデはすぐにアブサロムが死んだことを悟ります。ダビデは城門の上の部屋に上って「わたしの息子アブサロムよ、わたしの息子よ。わたしの息子アブサロムよ、わたしがお前に代わって死ねばよかった。アブサロム、わたしの息子よ」と言って泣いたのでした。

 自然な情としては当然のことです。しかし、この嘆きを単に自然なこととして肯定してはなりません。ここで嘆いているダビデは、かつてアブサロムに対して神の前における罪を問わないで王宮に戻してしまった、あのダビデに他ならないのです。罪に対する主の裁きを決して見ようとしないダビデなのです。信仰的な人が、こと家族のことになると、もう神との関わりはどこかに行ってしまって、肉的な観点からしか見られなくなることは起こるものです。ダビデの姿は、私たちの姿であるかも知れません。

2026年7月29日水曜日

祈祷会用:サムエル記下 17:24~18:18

 サムエル記下 17:24~18:18

 アヒマアツとヨナタンは発見されることを間一髪免れて無事ダビデのもとに到着しました。そして「直ちに川を渡ってください」と言って、彼らが危機的な状況に置かれていることを告げました。ダビデとその一行は全員夜の間にヨルダンを渡りきりました。そして、彼らはマハナイムへと向かったのです(24節)。

 前にマハナイムという地名が出て来たのを思い出してください。「サウルの軍の司令官、ネルの子アブネルは、サウルの子イシュ・ボシェトを擁立してマハナイムに移り、彼をギレアド、アシュル人、イズレエル、エフライム、ベニヤミン、すなわち全イスラエルの王とした」(2:8)。これはペリシテ人との戦いにおいて、イスラエルが敗れた時の話です。

 サウルとヨナタンは戦死しました。サウルの王国は崩壊しました。そこでネルの子アブネルはマハナイムにおいてサウルの子イシュ・ボシェトを擁立するのです。つまり、マハナイムとは、かつてアブネルとイシュ・ボシェトが暫定政権の拠点とした場所なのです。しかし、結局、アブネルとイシュ・ボシェトは決裂し、さらにはアブネルが暗殺され、イシュ・ボシェトも暗殺され、サウル王家は滅びていったことは、既に見てきたとおりです。

 そのように、滅亡へと向かうサウル王家が逃れた場所であるマハナイムへとダビデは逃れて行くのです。まるであの時のサウル王家と同じ運命を辿っているかのようにです。しかし、その結末はあのサウルの家の場合と同じではなかったのだ、と聖書は言っているのです。確かにダビデは神の懲らしめの御手により、王座から追われ、ヨルダンの東へと追いやられることになります。しかし、決して滅びることはなかったのです。結果を先に申しますならば、むしろ滅びたのは、軍事力的には圧倒的に有利であり、しかも総力を挙げてダビデとその一行を全滅させようとしていた、その当のアブサロムの方だったのです。それはなぜであるのか。その問いを抱きつつ、今日の箇所を読んでいきましょう。

 まず、「ダビデがマハナイムに着いたころ、アブサロムと彼に従うイスラエルの兵は皆、共にヨルダンを渡った」(24節)と書かれています。イスラエルの兵がヨルダンを渡りきった頃、既にダビデは川から二十キロほど離れたマハナイムに到着していたことになります。彼らの間がこれほどに大きくあいたのは、どうしてですか。アブサロムが全軍を召集していたからです。

 先週見たとおり、アヒトフェルは少数精鋭による短期決戦を提案したのです。しかし、その策が退けられ、イスラエルの全軍を召集するように提案したフシャイの策が採用されたのでした。そこに神の意志が働いていたことは、先に見たとおりです(17:14)。ダビデは依然として苦しみのただ中にあります。しかし、ダビデの知らないところで、既に神の救いの御手は動き始めているのです。

 加えて、マハナイムにおいて、その地の有力者の援助を受けることができたことを聖書は伝えています。かつてのサウル王家の拠点となった地において、ダビデは全く思いがけない人たちの暖かさに触れることになりました。聖書はその中に、ナハシュの子ショビという人物がいたことを伝えています。彼は、かつて戦火を交えたアンモン人ナハシュの子ハヌン(10章)の兄弟です。これは驚くべきことでしょう。また、そこにはかつてメフィボシェトをかくまっていたアミエルの子マキル(9:4)もいます。彼は当然、サウル王家の側の人間です。さらにはその歳80になる老人のバルジライもいます。高齢をおしてここまで来たのでしょう。つまりこれらは当然のこととして与えられた援助ではないのです。ダビデは苦しみただ中で、人を通して現された神の憐れみに触れているのです。

 さて、ダビデはそこで兵士を三部隊に分けて、ヨアブ、アビシャイそしてガト人イタイの指揮下におきます。そして、自ら共に出陣しようとしますが、兵士たちはそれを止めました。「出陣なさってはいけません。我々が逃げ出したとしても彼らは気にも留めないでしょうし、我々の半数が戦死しても気にも留めないでしょう。しかしあなたは我々の一万人にも等しい方です。今は町にとどまり、町から我々を助けてくださる方がよいのです」(3節)。ダビデは、これを受け入れ、「若者アブサロムを手荒には扱わないでくれ」とだけ指揮官たちに命じて引き下がります。

 ダビデが留まるべきだと言い出したのは、恐らくヨアブではないかと思われます。ヨアブはダビデがもともとアブサロムに害を加えるつもりがないことを知っています。しかし、彼はこの時点で既に、アブサロムを殺すことを決意していたに違いないのです。だから、ダビデには戦場に出て欲しくはなかったのです。

 戦争というものは、支配体制の崩壊と共に終結します。古代の王国どうしの戦いならば、王が討ち取られた終わるのです。確かにダビデの兵士たちは、アブサロムの兵士たちと戦っているのですが、彼らを全滅させるわけにはいきません。統一王国はなお存続せねばならないからです。なんとしても戦死者が多く出ないうちに、早期に決着をつけねばなりません。「わたしは王一人を討ちとります」(2節)と言ったアヒトフェルの提案を思い起こしてください。あの提案は完全に正しかったのです。

 しかし、ヨアブの思惑がどうであれ、結果的には、出陣するはずではなかったアブサロムが出陣し、ダビデは出陣しようとしていたのにもかかわらず最終的には出陣しなかったのです。ここで本来起こり得たことが、ひっくり返っていることに注意してください。もちろん、ひっくり返したのは神様です。聖書はそこに神の御手を見ているのです。

 結局、戦いはイスラエル軍の側に多くの戦死者を出しました。それはエフライムの森が戦場になったからです。戦略においてはダビデの軍隊の方が一枚も二枚も上なのです。アブサロムがどんなに多くの兵士を集めたとしても、密林においては、大軍は役に立ちません。良く組織された精鋭部隊の方が圧倒的に有利なのです。聖書は、「その日密林の餌食になった者は剣が餌食にした者よりも多かった」と説明しています。

 そして、その密林での戦闘がアブサロムの命取りともなりました。アブサロムの乗ったらばが樫の大木のからまりあった枝の下を通った時、彼の頭が木に引っかかってしまったのです。

 先にアブサロムについて、「イスラエルの中でアブサロムほど、その美しさをたたえられた男はいなかった」(14:25)と書かれていたことを思い起こしてください。その美しさの一つは、彼の髪の多さだったのです。「毎年の終わりに髪を刈ることにしていたが、それは髪が重くなりすぎるからで、刈り落とした毛は王の重りで二百シェケルもあった」(同26節)。しかし、その彼の最も誉れとしていたことが、彼に滅びをもたらすものとなったのです。なんと皮肉なことでしょうか。

 これを発見した兵の一人はダビデの要求を思い出し、アブサロムを殺すことなくヨアブに報告します。すると、ヨアブは「見たなら、なぜその場で地に打ち落とさなかったのか」と言い、結局自らアブサロムを討ちに行くのです。ヨアブは棒をアブサロムの心臓に突き刺し、従卒十人がとどめを刺しました。そして、ヨアブが戦闘の終結を示す角笛を吹いて、それ以上の戦いを留めました。目的は全軍を滅ぼすことではないからです。

 さて、ここで重要なのは、ダビデがアブサロムを殺したのではない、ということです。もちろん、それは親子だからということでもあります。しかし、ともかくダビデはアブサロムを殺すことを願わなかった。にもかかわらず、アブサロムは死んだのです。

 このことは、サウルやイシュ・ボシェトの最期を思い起こさせます。ダビデは、あの時も、それぞれを自ら手にかけて殺そうとはしなかったのです。にもかかわらず、彼らは死にました。彼らに共通しているのは、王権というものを神からのものとして認めなかった点にあります。彼らは真の王である神のもとに謙ろうとはしなかったのです。神が王であることを認めず自ら王となろうとする者、また王権を維持しようとする者は、自らに滅びを招くのです。

 アブサロムにおいて起こった皮肉な出来事はもう一つあります。18節以下にこう記されているのです。「アブサロムは生前、王の谷に自分のために石柱を立てていた。跡継ぎの息子がなく、名が絶えると思ったからで、この石柱に自分の名を付けていた。今日もアブサロムの碑と呼ばれている」。14:27には、三人の息子があったことが記されていますが、三人とも早死にしてしまったのでしょう。彼ができたことは、石柱で名を残すことだけでした。

 しかし、王の谷に石柱を立てても、彼は結局王ではあり得ませんでした。そして、残そうとした名は、このようにまことに不名誉な形で末永く残されることになりました。人間の賢さを集めたような思惑も、神の御前においてはどれほど愚かなものであるか、ということでしょう。それは現実の世界において、実に皮肉な形で示されることになるのです。私たちは、この神の御前において、まことに謙らなくてはなりません。

2026年7月22日水曜日

祈祷会用:サムエル記下 17:1~24

 サムエル記下 17:1~24

 ダビデ王は都を追われました。アブサロムは新しい王として、「イスラエル人の兵士を全員率いてエルサレムに入城」(16:15)しました。ここからも、軍事的にアブサロムを支えたのは実質的には北の諸部族の兵士たちであることが分かります。

 さて、そこに「アヒトフェルも共にいた」(同)と書かれていました。ダビデの顧問であったアヒトフェルがアブサロムの側に付いたことは、既に15章で見てきました。そのアヒトフェルがアブサロムに提案します。「お父上の側女たちのところにお入りになるのがよいでしょう。お父上は王宮を守らせるため側女たちを残しておられます。あなたがあえてお父上の憎悪の的となられたと全イスラエルが聞けば、あなたについている者はすべて、奮い立つでしょう」(16:21)。その頃、アヒトフェルの提案は、神託のように受け取られていました。アブサロムはその提案に従い、全イスラエルの注目の中で父の側女たちを自分のものとします。ここにおいて、アブサロムとダビデの対立は修復不可能となったことは、誰の目にも明らかでした。

 こうしてアブサロムが長年かけて準備してきたクーデターの計画は、いよいよ最終段階に入ることとなります。すなわち、最終的な目標はダビデの命です。前王を討ち取ること。ダビデが生きて残っている限り、アブサロムの王権は確かにはならないからです。

 そこで、アヒトフェルはさらにアブサロムに提案しました。「一万二千の兵をわたしに選ばせてください。今夜のうちに出発してダビデを追跡します。疲れて力を失っているところを急襲すれば、彼は恐れ、彼に従っている兵士も全員逃げ出すでしょう。わたしは王一人を討ち取ります。兵士全員をあなたのもとに連れ戻します。あなたのねらっておられる人のもとに、かつてすべての者が帰ったように。そうすれば、民全体が平和になります」(1‐3節)。

 この言葉はアブサロムにも、イスラエルの長老全員の目にも正しいものと映りました。実際、アヒトフェルの洞察力は恐るべきものであったと言わざるを得ません。彼は全く正しかったのです。16章14節には「王も同行の兵士も皆、疲れて到着し、そこで一息ついた」と書かれています。そこは約束していた待ち合わせの場所です。15章28節において「分かったか。わたしはあなたたちからの知らせを受けるまで、荒れ野の渡し場で待っている」とツァドクに言ったその場所です。彼らはヨルダン川を渡る手前で休んでいる。そこで知らせを待っているのです。ヨルダンを渡った後では急襲は難しい。手前にいるなら可能です。そこでアヒトフェルの速戦即決の策が実行されたなら、恐らくダビデに勝算はなかったでしょう。兵士たちは逃げ出し、ダビデは討ち取られていたに違いありません。

 神託とも見なされていたアヒトフェルの提言です。普通なら即実行に移されていたはずです。しかし、この時は不思議とそうはならなかった。アブサロムはさらにフシャイをも呼び寄せて、意見を聞こうとしたのです。どうしてか。分かりません。クーデターの最終段階にあったため、彼は慎重になった。念には念を入れて落ち度のないようにし、すべての計画を成功裏に締めくくりたかったということかも知れません。

 いずれにせよ、そこでフシャイが呼び出されます。彼はアヒトフェルの提案を批判して独自の対案を提示しました。「わたしはこう提案いたします。まず王の下に全イスラエルを集結させることです。ダンからベエル・シェバに至る全国から、海辺の砂のように多くの兵士を集結させ、御自身で率いて戦闘に出られることです。隠れ場の一つにいる父上を襲いましょう。露が土に降りるように我々が彼に襲いかかれば、彼に従う兵が多くても、一人も残ることはないでしょう。父上がどこかの町に身を寄せるなら、全イスラエルでその町に縄をかけ、引いて行って川にほうり込み、小石一つ残らなくしようではありませんか」(11‐13節)。

 このように、フシャイは慎重論を展開したのでした。それは最後の段階で慎重になっているであろうアブサロムの意向に沿うものでした。さらに言うならば、フシャイはアブサロムの内にあった願望をみごとに見抜いていたとも言えます。アヒトフェルの提案との大きな違いはどこにあったか。アヒトフェルは「一万二千の兵をわたしに選ばせてください」と言っているのです。そして、1節後半では訳には出ていませんが「《わたしは》今夜の内に出発してダビデを追跡します」と言っているのです。そして、「わたしは王一人を討ち取ります」と言っている。これに対し、フシャイは全兵士をアブサロムの下に集結させるべきだと言っているのです。そして、「御自分で率いて戦闘に出られることです」と言って勧めているのです。

 王位を欲する者が夢見る一つの姿は、自らが大軍を率いて出陣する姿です。フシャイはその姿を描き出してみせたのです。もちろん、フシャイの提案の真の意図は時間稼ぎにありました。何としてもダビデと兵士たちにヨルダンを渡らせなくてはなりません。ダビデは渡し場で待っています。そこに知らせを届けなくてはならない。この策が採用されれば、大軍を集める間、ダビデのところに使者を送るための時間を稼ぐことができます。

 結果的に、アヒトフェルの提案は退けられ、フシャイの提案が採用されました。アブサロムの心理を読んだフシャイの洞察は見事です。しかし、私たちが注目すべきは彼の賢さではありません。聖書は別の言葉をもってこの出来事を説明しているのです。「アヒトフェルの優れた提案が捨てられ、アブサロムに災いがくだることを主が定められたからである」(14節)と。

 ここに自ら王位を奪おうとしたアブサロムに対する裁きがあったことを聖書は語ります。この一連の出来事の背後に主がおられるのです。そして、同時に、これはダビデの救いでもありました。私たちは、アヒトフェルが裏切ったことを知った時にダビデが祈ったことを思い起こさねばなりません。彼はこう祈ったのです。「主よ、アヒトフェルの助言を愚かなものにしてください」(15:31)。この祈りがこのような形で応えられたと言ってもよいでしょう。

 フシャイは、アブサロムが兵を集結させる間に、祭司ツァドクとアビアタルに指示を出します。荒れ野の渡し場で夜を過ごそうとしているダビデと兵士たちに使者を送ることを命じるのです。ツァドクの息子のアヒマアツとアビアタルの息子ヨナタンが都とダビデとを繋ぐ使者とされたことは、既に15:27で見てきました。こうして、ダビデが神の箱を返したことが、結局ダビデの命を救うことになるのです。

 ヨナタンとアヒマアツがダビデのもとに知らせを届ける様子は、実に生き生きと描かれております。彼らは目撃され、アブサロムに知らせられます。そこで彼らはバフリムのある男の家に入り、間一髪、発見を免れて、ダビデのもとに行くのです。このようにかくまわれて追っ手を逃れる場面は、聖書の他の箇所にも見られますが、このようなモチーフによって、ここにも神の助けがあったことを描いているのでしょう。この結果、ダビデに知らせが届けられ、王は同行していた兵士たちと共に、ヨルダンを渡ります。そして、夜明けまでに全員が渡りきったのでした。

 一方、23節以下には、アヒトフェルの策が不採用になった後、彼が自害した次第が描かれています。アヒトフェルは不採用に抗議して自害したわけではありません。「家の中を整え、首をつって死に」という描写は、彼が極めて冷静であったことを示しています。鋭い洞察力を持ったアヒトフェルのことです。事の結末が彼には見えていたのでしょう。この夜にヨルダンのこちら側でダビデを討たなければ、もはやどんなに多くの兵士を集めようともダビデには勝てない。アブサロムの軍隊に勝ち目はない。ダビデの王座が戻れば、もはや自分の命はない。もはや望みなしと判断して自害したのであろうと思われます。

 さて、この一連の出来事は、その背後に神の御腕が働いていたことを示しています。一方においては、王となろうとしたアブサロムに対して裁きを下す腕が動き始めています。しかし、もう一方においては、荒れ野で嘆き苦しんでいるダビデのために、ダビデがまだ何も見ていない時から、既に救いの御腕は動き始めていたのです。


2026年7月15日水曜日

祈祷会用:サムエル記下 16:1~23

 サムエル記下 16:1-23

 15章17節以下には、都落ちをしたダビデになおも従おうとする人々の姿が描かれていました。私たちは、ガト人イタイ、祭司やレビ人たち、そしてアルキ人フシャイとダビデとの関係が、アブサロムとその追従者たちとの関係といかに異なるかを見てきました。ダビデと彼に従った人々がいかに深い愛と信頼の絆で結ばれていたかを見ます時、それが苦境にあるダビデにとって、どれほど大きな慰めであったかを思わせられます。

 しかし、16章に入りますと、王位を追われたダビデに、幾多の厳しい現実が情け容赦なく降りかかってきたことが改めて語られます。ダビデの喜びとなる人々だけでなく、そこにはまた悲しみとなる人々もいるのです。ここで登場してきますのは、ツィバ、シムイ、そしてアヒトフェルです。

 ダビデが山頂を少し下ったとき、メフィボシェトの従者ツィバがダビデを迎えました(1節)。ツィバが足の萎えたヨナタンの子メフィボシェトの従者となった次第は、9章に記されていました。彼はもともとサウル家に仕えていた者です。「ツィバには十五人の息子と二十人の召使いがいた」(9:10)という言葉は、彼が既にサウルの従者として相当の勢力を得ていたことを示しています。その彼が、いかにサウル家が没落したとはいえ、足の萎えた者の土地を耕す小作農の如き位置に置かれたことは、決して喜ばしいことではなかったに違いありません。

 そこで彼は、クーデターの混乱に乗じて、メフィボシェトの土地財産を我がものにしようと画策いたします。ツィバは二頭の鞍を置いたろばに、二百個のパン、百房の干しぶどう、百個の夏の果物、ぶどう酒一袋を積んでダビデを迎え、「ろばは王様の御家族の乗用に、パンと夏の果物は従者の食用に、ぶどう酒は荒れ野で疲れた者の飲料に持参いたしました」と言って差し出します。そして、メフィボシェトについてダビデから尋ねられますと、こう答えたのです。「エルサレムにとどまっています。『イスラエルの家は今日、父の王座をわたしに返す』と申していました」(3節)。こう言って、主人であるメフィボシェトを悪し様に訴えたのでした。

 実際、これが全くの偽りであったことは後に明らかになります(19章25節以下)。しかし、ダビデはそのことを知りません。王はツィバに、メフィボシェトに属する物をすべてツィバに与えてしまいます。それこそツィバが求めていたことでした。一方、ツィバの言葉を信じたダビデは、ヨナタンの子メフィボシェトに裏切られたと思っているわけですから、それはダビデにとってどれほど大きな悲しみであったかと思います。

 そして、さらにその悲しみに追い打ちをかけるように、ダビデがバフリムにさしかかった時、シムイという男が呪いながら石を投げつけてきます。彼はサウル家の一族の出でありました。彼はダビデを呪って言います。「出て行け、出て行け。流血の罪を犯した男、ならず者。サウル家のすべての血を流して王位を奪ったお前に、主は報復なさる。主がお前の息子アブサロムに王位を渡されたのだ」(7‐8節)。いくら都落ちをしたダビデとは言え、共の勇士たちが左右を固めている王に石を投げつけるのですから、それこそ彼は、ある意味で、命がけでダビデを呪っているのです。

 サムエル記がこれまで強調してきたように、ダビデは決してサウルの王位を奪ったのではありません。しかし、現実には、そのような見方が、ベニヤミン族を中心として、根強く残っていたことがこのエピソードからよくわかります。

 もちろん、ダビデにとってシムイの呪いの言葉は、サウル王家に関するかぎりまったく謂われのない事でした。しかし、彼の最後の言葉はダビデの心に深く突き刺さったに違いありません。シムイはこう言ってダビデを呪ったのです。「お前は災難を受けている。お前が流血の罪を犯した男だからだ」(8節)。シムイはもちろんかつて起こっていたサウル王家を支持するイスラエル諸部族とダビデを王に立てたユダとの戦争の話をしているのです。しかし、ダビデとしては、自分がウリヤを殺害したことを思い起こさずにはおれなかったことでしょう。

 一方、アブサロムはイスラエル人の兵士を率いてエルサレムに入城し、王宮を占拠します。聖書はここで「アヒトフェルも共にいた」と伝えています。アヒトフェルがいかに有能な顧問であったかは、彼の提案が常々「神託のように受け取られていた」(23節)という言葉から分かります。そのような男がアブサロムに寝返ったことは、ダビデにとって大きな痛手でした。

 アブサロムはエルサレム入城後、早速アヒトフェルに策を練るよう要求します。アヒトフェルはアブサロムに、父ダビデの残した側女を自分のものとし、ダビデとの対立が決定的になったことを全イスラエルに示すことを提案しました。そして、その提案に従い、アブサロムは屋上に張られた天幕において、全イスラエルの注目の中で、父ダビデの側女たちのところに入ったのです。

 この出来事は、ダビデとアブサロムとの関係が、もはや決定的に和解不可能なものとなったことを意味しました。それはダビデにとって、最も悲しむべきことでありました。しかし、それはまた何よりも、ナタンの預言の成就に他ならなかったのです。かつてナタンはダビデに主の言葉を告げて言いました。「見よ、わたしはあなたの家の者の中からあなたに対して悪を働く者を起こそう。あなたの目の前で妻たちを取り上げ、あなたの隣人に与える。彼はこの太陽の下であなたの妻たちと床を共にするであろう」(12:11)。

 さて、このようなダビデを襲った一連の苦しみの中において、これらを神の懲らしめの御手として受け入れ、その御手に身をゆだねるダビデの姿を、聖書は描き出しております。特に今日の聖書箇所において印象的なのは、ヨアブの兄弟、ツェルヤの子アビシャイとのやりとりです。

 シムイがダビデを呪って石を投げつけた時、アビシャイは王に言います。「行かせてください。首を切り落としてやります」。するとダビデはこう答えたのでした。「ツェルヤの息子たちよ、ほうっておいてくれ。主がダビデを呪えとお命じになったのであの男は呪っているのだろうから、『どうしてそんなことをするのか』と誰が言えよう」(10節)。そして、さらに言います。「主がわたしの苦しみを御覧になり、今日の彼の呪いに代えて幸いを返してくださるかもしれない」(12節)。

 ダビデはこの苦境にあって、自らの罪を思うのです。呪いを受けても仕方のない自分であることを思うのです。そのようなダビデにとって、神が呪いに代えて幸いを与えてくれることは決して当然のことではありませんでした。それは神の憐れみによるのであって、ただダビデはひたすら、神の憐れみにすがるのです。自分は神の憐れみを受ける資格など全くないことを知りながらも、神はきっと憐れんでくださると信じて、憐れみを求めるのです。

 実際、苦境において神を求めるあり方は、ある意味で二つに分かれると言えるでしょう。そこで自らを省みることなく、神なのだから幸いにしてくれて当然、救ってくれて当然と思いながら神に向かうのか。それとも自らの罪を思って、本来ならば断罪され滅ぼされても当然であることを認めながらも、なおひたすら神の憐みにすがって望みを抱くのか。もし前者なら、なかなか事態が好転しないときに、どうして神は助けてくれないのか、と言って腹を立てたり神を呪ったりするようにもなるのでしょう。結局、人はその点において、神を求めるあり方は二つに分かれるのです。

 そして、そのように神の憐れみに自らを託したダビデを、確かに神は見捨てることなく、顧みておられたのです。エルサレムにはアヒトフェルだけがいたのではなく、そこにはフシャイもいるのです。それは神がダビデの祈りに答え、ダビデのために備え給うた人物に他なりませんでした。神はこのフシャイを通して、ダビデに逃れの道を備えられたのでした。そのことを私たちは続く17章に見ることになるのです。

2026年7月8日水曜日

祈祷会用:サムエル記下 15:24~37

 サムエル記下15:24~37

 今日は15章の後半をお読みします。既に先週お読みした17節以下からの部分において、都から逃れていくダビデと、彼に従った人々との関係が一つ一つ丁寧に描かれています。そしてそこに描かれています関係は、その直前のアブサロムと彼に従った人々との関係とまさに好対照をなしているのです。

 先週読みましたように、アブサロムが目を付けたのはダビデ王家に不満を持っている人たちでした。北の諸部族の人々、ヘブロンの人々、そしてバト・シェバの祖父アヒトフェルなどです。アブサロムに従った人々は、ダビデへの不満と敵意を共通項としている人々です。いわば不満と敵意によって統一された人々なのです。一方、17節以下には、ダビデと彼に従った人々が、共通の敵意によって結ばれていたのではなく、互いへの深い愛と信頼で結ばれていたことを示しているのです。

 既に、ガト人イタイについては先週見てきました。アブサロムに付いた方が亡命者である彼にとっては絶対に有利であるにもかかわらず、彼はダビデと困難を共にする方を選んだのでした。そして、後に見るように、このイタイは、指揮官の一人として、アブサロムの軍との戦闘において重要な役割を演じることになるのです。そして、今日の箇所においてダビデの味方として現れてきますのは、聖所に仕える祭司たちとレビ人たち、およびアルキ人フシャイです。

 ツァドクをはじめレビ人全員が神の契約の箱を担いで来ていました。これはアブサロムの手から契約の箱を守るためではありません。いくらアブサロムといえど、聖所や神の箱に手を出すことはできません。そんなことをしたら全イスラエルを敵に回すことになります。

 しかし、これまで見てきましたように、アブサロムは極めて世俗的な人間です。この前にも後にも、祭司や預言者との関わりが全く記されてはおりません。アブサロムが預言者から言葉を受けたり、祭司の持つウリムとトンミムによって御心を尋ね求めることはないのです。そのように、祭司や預言者との関係は皆無ではなかったにせよ、非常に薄かったと思われます。

 ですから、祭司たちとレビ人たちはダビデに従って出ることを決意したのです。そして、神の箱もまた、アブサロムの王国に留まるよりも、ダビデと共にあるべきであると彼らは考えたのでした。もちろん、神の箱を携えてダビデと行動を共にすることは、祭司たちやレビ人にとって危険なことであったに違いありません。にもかかわらず、彼らは神の箱を運び出してきたのです。

 一方、神の箱が運ばれてきたことは、ダビデにとっても極めて有利なことでした。レビ人がダビデの側に付き、神の箱がダビデのもとにあることを知れば、アブサロムを支持する人々の間に大きな動揺が生じることは間違いありません。それはアブサロムの支持基盤そのものが危うくなることを意味するのです。

 また、アブサロムと共にある多くの兵士たちは、神の箱がダビデのもとにあることを知ったならば、きっと攻撃を開始することに恐れを抱くに違いありません。そして、ダビデに従った人々にとっては、これが何よりも神がダビデと共にあることの見えるしるしとなり、彼らの士気を高めるものとして機能することになるでしょう。

 しかし、驚いたことにダビデは彼らをエルサレムに帰らせるのです。彼は言いました。「神の箱は都に戻しなさい。わたしが主の御心に適うのであれば、主はわたしを連れ戻し、神の箱とその住む所とを見せてくださるだろう。主がわたしを愛さないと言われるときは、どうかその良いと思われることをわたしに対してなさるように」(25節)。ダビデは、それがどんなに自分の有利に働くとしても、神の箱を自分のために用いることをしませんでした。神さまを自分の側に引き寄せて、自分の助けにするのではなく、自分自身を神の懲らしめと憐れみの御手にゆだねたのです。

 ダビデをしてそのように語らせたのは、主への揺るぎない信頼でした。荒れ野に再び追いやられることによって、ダビデは主への信頼へと立ち帰ったのです。ダビデは「主がわたしを愛さないと言われるときは」と言っていますが、それは主の愛を疑っているのではなく、主に愛されていることを心から信じている者の言葉に他ならないのです。

 ダビデはは、主がきっと憐れんでくださり、彼を再びエルサレムへと戻してくださることを信じているのです。ですから、25節の言葉と一見矛盾するように見えますが、ダビデは事の成り行きにただ身を任せるのではありません。「主の御手に身をゆだねること」は「成り行きに身をゆだねること」ではないのです。ダビデはそこで為しえる最善を尽くすのです。

 「王は祭司ツァドクに向かって言葉を続けた。『分かったか。平和にエルサレムに戻ってもらいたい。息子のアヒマアツとアビアタルの子ヨナタン、この二人の若者を連れて帰りなさい。分かったか。わたしはあなたたちからの知らせを受けるまで、荒れ野の渡し場で待っている』」(27‐28節)。このように、ただツァドクやアビアタルをエルサレムに戻すだけでなく、そこからの情報が届くように手配したのです。そして主は確かに、そのダビデがエルサレムへと送り込んだ人々を用いて、ダビデを危機から救い出されるのです。

 そして、もう一人の味方として現れてきますのはフシャイです。その直前にはこう書かれています。「アヒトフェルがアブサロムの陰謀に加わったという知らせを受けて、ダビデは、『主よ、アヒトフェルの助言を愚かなものにしてください』と祈った」(31節)。

 ここにも、「主の御手に身をゆだねること」と「成り行きに身をゆだねること」の違いが現れています。ダビデは主に祈るのです。そして、いわばこの祈りに答えるようにして、主はフシャイを与えられたのでした。

 彼は、「ダビデの友」と呼ばれています。それは高官の職位名でありますが、同時に実質を現しています。フシャイは、嘆きの姿をもって、ダビデを迎えます。ダビデは彼の存在こそ、先の祈りの答えであることを悟ったのでしょう。そのフシャイをダビデはエルサレムに帰して言います。「お前はわたしのためにアヒトフェルの助言を覆すことができる」と。そして、事実、このフシャイによってダビデは危機から救い出されることになるのです(17章)。

 さて、以上のことを見た上で、さらにこのダビデの物語が、後の人々、特にこれを読んだ捕囚の民にとってどれほど大きな慰めとなったであろうか、ということを考えるべきでしょう。ダビデの物語は、彼が荒れ野へと追いやられた時、決して神から見捨てられてしまったのではないことを伝えているのです。荒れ野において、彼の助けが神によって備えられ、そこにおいてもなお神が憐れみをもってダビデの祈りを聞き、祈りに答えて将来へ備えてくださったことを伝えているのです。

 あのダビデと同じように、捕囚の民もまた、試練の荒れ野へと追いやられた人々でありました。そして、エルサレムから離れ、神殿をも失ってしまった人々に対して、預言者エレミヤは、安易な解放を望むのではなく、神の裁きに服して救いの時を待ち望むように語りました。

 主はエレミヤを通して、捕囚の民にこう言われたのでした。「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしに出会うであろう」(エレミヤ29:11以下)と。ダビデの物語は、この主の言葉がまことに真実であることを彼らに示したに違いありません。

 私たちもまた、しばしば主の懲らしめのもとに置かれます。その時、この物語は、私たちがいかに主に信頼して歩むべきかを教えてくれるものとなるでしょう。


2026年7月1日水曜日

祈祷会用:サムエル記下 15:1~23

 サムエル記下 15:1~23

 新共同訳ですと、前の14章には「ダビデ、アブサロムを赦す」と小見出しが付いています。確かに全体の流れとしてはそのような話でした。兄殺しのかどで追放となっていたアブサロムはヨアブの計らいによって国外追放を解かれてエルサレムに戻されることとなります。さらに王宮への出入り禁止も解かれ、追放から5年後、ついにダビデ王と再会することとなりました。「王はアブサロムを呼び寄せ、アブサロムは王の前に出て、ひれ伏して礼をした。王はアブサロムに口づけした」という言葉で前の章は終わっています。口づけは赦しと和解のしるしに他なりませんでした。

 しかし、それは形だけの和解に過ぎなかったことがこの章で明らかにされます。もともと追放は主の前に罪を問われた結果ではありませんでした。赦しもまた、神の赦しを信じての赦しではありませんでした。結局、アブサロムは罪を自覚することなく、ゆえに罪を悔い改めることもなく、赦しを求めることもないままに、王家への復帰を許され、宮廷に戻ることとなったのです。そのことがダビデ王家にさらなる悲劇をもたらすことになろうとは、誰も想像しませんでした。

 今日の箇所は、その後にアブサロムが取った行動を伝えています。「その後、アブサロムは戦車と馬、ならびに五十人の護衛兵を自分のために整えた」(1節)。エルサレムにおいて自由に動けるようになったアブサロムが護衛を整えることは極めて自然なことでした。もはや逃亡者ではなく王子なのですから。また、アムノンの親族と共に都に共存することを考えるならば当然の行動と見えます。

 しかし、後に見るように、実はこれこそ政変の準備に他ならなかったのです。彼はダビデが王位から退くのを待つことなく、自ら王となってイスラエルが自分の王国であることを宣言することに決めていたのです。

 確かにアブサロムはアムノン亡き後既に王位継承第一位にありました。しかし、最終的に決定を下すのはあくまでもダビデです。ダビデとは既に和解しました。しかし、これまでの王との関係からすると、ダビデがそのまま自分を指名するとは思えなかったのでしょう。彼はダビデの死後における自分の王位継承は確かではないと考えた。さらに言うならば、もし自分が次の王になれなければ、自分と一族の命は危ないとも言えるのです。次の王は王位を安定させるために、他の兄弟を皆殺しにするかもしれない。そのような懸念もあったに違いありません。

 それゆえに、彼はその後四十歳になるまで(四年間という読み方もある)、着々と反乱の準備を整えていくのです。その準備の中心は、アブサロムを支持する母体を形成することでした。そのために一番確実なのは、ダビデ王に不満を持っている人々に接近することです。そこで彼は毎朝早く起き、王による裁定が行われる城門への道の傍らに立ちました。そこで裁定を求める人々に声をかけ、イスラエルの諸部族に属することが分かると、「お前の訴えは正しいし、弁護できる。だがあの王の下では聞いてくれる者はいない」(3節)と語ったのです。

 ここでイスラエルの諸部族というのは、ユダ以外の北イスラエル諸部族を指しているものと思われます。彼らの多くはもともとサウル家を支持していた人々です。かつてダビデがユダの王だったとき、イスラエル諸部族との間に戦争が続いたことを思い起こしてください。ダビデの治世においても、ダビデに不満や恨みを抱いていた者は決して少なくなかったであろうことは想像できます。

 実際、後にダビデが都落ちをした時、ダビデを公然と罵るシムイのような人物も出てくるのです(16:7以下)。そのような人々に、アブサロムは言葉巧みに語りかけ、「わたしがこの地の裁き人であれば、争い事や申し立てのある者を皆、正当に裁いてやれるのに」と言ったのです。そうして、彼は「イスラエルの人々の心を盗み取った」(6節)のでした。

 そうして、ついに計画決行の日がやってきます。彼は政変の拠点としてヘブロンを選びました。このことからも、アブサロムは既に、もう一つの不満分子に手を伸ばしていたことが分かります。それは誰か。ユダ族の宗教的に保守的な人々です。

 ヘブロンはイスラエルの伝統と結びついた古い聖所です。そこはユダの保守的な敬虔な人々にとって特別な意味を持つ場所でした。かつてダビデがユダの王であったとき、ダビデ王国の中心であったのはヘブロンだったのです。しかし、ダビデはイスラエルとユダの統一王国の王となった時に、都をエルサレムに移したのです。エルサレムは既に見たように、もともとイスラエルの伝統とは全く無関係なエブス人の土地です。そこに都を移すことがヘブロンの敬虔な人々にとって喜びであったはずがありません。

 しかも、18節にも見ますように、ダビデは側近や親衛隊に、かなりの割合で外国人を起用したのです。これは伝統を重んじる人々にとっては耐え難いことであったに違いありません。アブサロムはそのような人々を味方に付け、彼らの宗教的感情に訴えるためにヘブロンを即位宣言の場所として選んだのです。

 もちろん、アブサロム自身は、宗教的な保守主義者ではありません。彼は、ヘブロン行きの目的をカムフラージュするために、「主への誓願」を持ち出すのです。それほどに、敬虔さの微塵もない男でした。しかし、ヘブロンはアブサロムの生まれ故郷でもありましたから、ヘブロンに行くことについて誰も疑う者はなかったのです。

 そして、もう一人、彼が目をつけたのはダビデの顧問であるギロ人アヒトフェルです。彼は、エリアムの父親(23:34)であり、従ってバト・シェバの祖父に当たります(11:3)。彼がダビデの顧問として登用されたのは、恐らくはバト・シェバとの関係によるものでしょう。しかし、孫娘の家庭を姦淫と殺人の罪をもって破壊したことは、アヒトフェルの心に少なからぬ恨みを残したに違いありません。そこに目をつけたのがアブサロムでした。彼はダビデの顧問でありながら簡単に翻り、アブサロムの側に付くことになるのです。こうして、「陰謀が固められてゆき、アブサロムのもとに集まる民は次第に数を増した」(12節)のでした。

 さて、多くの人を動かして事を成そうとする時、最も手っ取り早い方法は、共通の敵を設定すること、そして人々の不満や怒りや恨みをかき立てて団結させることです。これがアブサロムの採った手法でした。アブサロムの目論みの通り、彼の周りには不満と怒りに満ちた強力な集団ができあがっていったのです。しかし、この最善と見えた方法が、結局はアブサロムを王にすることなく、彼を滅ぼすことになるのです。

 それはダビデが王となるまでに歩んだ道筋とは対照的であったと言えます。思い起こしてください。かつてダビデはサウルに追われた時、政変によって自らが王となることを求めませんでした。人を王とするのは神であることを信じていたからです。

 アドラムに難を避けた彼の周りには負債のある者や不満を持つ者が集まりました(サムエル上22)。しかし、ダビデはサウルの体制に対する彼らの不満と怒りを利用しようとはしませんでした。むしろサウルが敵ではないことをダビデは繰り返して示し続けたのです。どうしてか。神に信頼していたからです。

 アブサロムが反乱を起こした時、ダビデは再びあの時と同じ荒れ野の道を辿ることになります。イスラエル人の心がアブサロムに移っているという知らせが届いた時、ダビデは家臣全員に、「直ちに逃れよう」(14節)と言って都落ちを決意します。

 もちろん、彼はエルサレムに留まって徹底抗戦することもできたのです。ヨアブのもとにある軍隊と外国人傭兵部隊はダビデのもとにいるのですから。しかし、彼はエルサレムを去りました。一つの理由はエルサレムとその住民を戦火に巻き込まないためでした(14節)。それは自分の王位や王国の体制を守ることよりもずっと大事なことだったのです。

 ダビデは自らの未来を主に委ねて都落ちをします。それは後に25節において「わたしが主の御心に適うのであれば、主はわたしを連れ戻し、神の箱とその住む所とを見せてくださるだろう」と言っているとおりです。

 ですから、彼はガト人イタイが同行を申し出た時にも、一旦は申し出を拒否するのです。自分の身を守るためには、一人でも多くの者が共にいたほうが良いに決まっているのに、彼はイタイを帰そうとしたのでした。ダビデはかつて王となる前に辿った荒れ野の道に再び戻されることによって、彼の原点に、すなわち主に信頼して歩むところへと再び引き戻されたのです。

 さて、この物語を記した歴史家たちは、どんな思いでこのダビデの都落ちの場面を描いたのでしょうか。きっと、捕囚となった自分たちとエルサレムから離れていくダビデとが重なって見えたに違いありません。


2026年6月24日水曜日

祈祷会用:サムエル記下 14:21~33

 サムエル記下14:21~33

 私たちはここまでダビデ王家に起こった一連の出来事を読んでまいりました。長男アムノンの犯した罪。その罪に対する報復として三男アブサロムがアムノンを殺害し、ゲシュルに逃亡したこと。ダビデもまたアブサロムを公に追放することとなりました。

 さて、これまで読んできたことを正しく理解するために、今一度11章と12章に書かれていたことを振り返っておきたいと思います。バト・シェバ事件の話です。ダビデがバト・シェバと関係し、バト・シェバが身籠もった時、ダビデはなんとかしてその罪を隠蔽しようとしました。そして、ついにその夫ウリヤを殺害するに至ります。これで全ては闇に葬られたはずでした。しかし、神はダビデにナタンを遣わされます。ナタンはたとえ話を通してダビデが犯した罪を明らかにされます。神はダビデの罪を神の光の中に引き出されたのです。ナタンは神の言葉を語り、ダビデの行いが他ならぬ《主に対する罪》であることを明らかにされました。

 主はナタンを通してダビデに言われました。「なぜ主の言葉を侮り、わたしの意に背くことをしたのか」(12:9)。それに対して、ダビデは自分の犯した罪が主に対する罪であることを認めて言います。「わたしは主に罪を犯した」(12:13)。すると即座にナタンはダビデに対して宣言します。「その主があなたの罪を取り除かれる」(同)と。

 その後のダビデ家に起こった悲劇的な出来事を思います時に、罪が主に対する罪として裁かれ、主の御前において取り扱われるということは、いかに大事なことかと思います。主の御前において悔い改めがなされ、そして主が赦されるのでなければ、罪の問題は解決しないからです。しかし、まことに悲しむべきことに、アムノンの罪も、アブサロムの罪も、ついに最後まで主の御前において取り扱われることはありませんでした。

 先週、私たちは、知恵のある女とダビデとのやりとりを読みました。その知恵ある女を送ったのは神ではなく、ヨアブでした。ダビデはこの女の言葉の背後にヨアブがいることを見抜きます。女もまた、「御家臣ヨアブが事態を変えるためにこのようなことをしたのです」(14:20)と、事の真相を明らかにしました。恐らくこの女が王に訴え出ていた時、ヨアブも何食わぬ顔をしてそこに陪席していたのでしょう。

 ダビデはヨアブに向き直って言います。「よかろう、そうしよう。あの若者、アブサロムを連れ戻すがよい」(14:21)。こうして追放が解かれます。しかし、この判決はどこから来たのでしょう。どうしてダビデはアブサロムを連れ戻すことに決めたのでしょう。明らかに追放の解除という判決は、神の赦しに基づくものではありませんでした。いみじくも、その直後にヨアブが言っているとおりです。「王よ、今日僕は、主君、王の御厚意にあずかっていると悟りました。僕の言葉を実行してくださるからです」(22節)。

 このように、ダビデが追放を解いたのは神の言葉を実行したのではなくて、あくまでもヨアブの言葉の実行に過ぎませんでした。ここで起こっていることは12章で起こったこととは異なることを聖書ははっきりと書いています。しかし、それはある意味で当然の成り行きであったとも言えます。なぜなら、もともとダビデはアブサロムの罪を神の御前に明らかにした上で追放を宣言したのではなかったからです。神とは関係なく追放し、神とは関係なく追放を解除したのです。

 さて、こうしてダビデによる追放解除の言葉を手に入れたヨアブは、立ってゲシュルへと向かい、アブサロムをエルサレムへ連れ帰ります。ところがダビデ王は一つの条件を付けていました。「自分の家に向かわせよ。わたしの前に出てはならない」(24節)。つまり、ダビデはエルサレムへの帰還は認めたのですが、王宮への出入りは認めなかったのです。王位継承権を持った王子としては扱わなかったということです。ダビデはアブサロムを連れ戻すことを許可したのですが、完全に追放を解いたわけではない、とも言えます。

 なぜダビデはこのようなことをしたのでしょう。それはエルサレムの人々の手前、またアムノンの家の手前、完全に赦免することができなかったのかもしれません。あるいは、アムノンを殺したアブサロムに対する怒りが解けていなかったのかもしれません。いずれにせよ、このこともまた、法的な処置ではなく、神の律法のもとでの処罰でもありませんでした。少なくとも、アブサロムは、この処罰が何を根拠として何故になされたものなのか、全く理解してはいませんでした。それは彼にとっても、ダビデ自身にとっても、極めて不幸な展開をもたらす原因となるのです。

 アブサロムは王宮への出入りを禁じられたまま、二年間を過ごします。アブサロムが宮廷に戻されることがそれほど容易なことではないことを悟ったヨアブは、これ以上アブサロムには関わろうとはしませんでした。ダビデ王とアブサロムとの関係の修復が困難であるならば、これ以上アブサロムに関わることは、ヨアブにとっても益とはならないからです。

 実は、後にダビデ王の死期が近づいた時に、ヨアブが四男のアドニヤの王位継承を支持するという話が出て来ます(列王上1:7)。しかし、考えてみるとこの二年間の間に既にヨアブはアブサロムに見切りをつけてアドニヤの支持を考えていたのかもしれません。見切りをつけていたことは、後にアブサロムにとどめを刺すヨアブの行動にも、暗い形で現れることになります。いずれにせよ、ヨアブにとって大事なのは将来の自分の権力が確保されることなのであって、アブサロムの罪が赦されることや、彼とダビデとの関係が修復されることそのものは、もともとどうでも良いことだったのです。

 一方、アブサロムはそのままの状態に留まっているわけにはいきません。先週申し上げたとおり、アムノンを殺したのは、単に妹を汚された兄の私怨によるのではなかったからです。それは王位継承第一位の王子として、やがてはダビデの王座を嗣ぐためだったのです。ですから、なんとか事の打開を図るため、アブサロムはヨアブを王のもとへの使者に頼もうとして人をやります。しかし、ヨアブは応じません。そこでついに、アブサロムはヨアブの地所の大麦に放火するという暴挙に出ます。

 このアブサロムの行動と、その後に彼が語った言葉は、彼が決して神による罪の赦しを求めていたのでも、神の御前における真実な和解を求めていたのでもないことを示しています。彼は王家への復帰を求めていただけであって、本質的に赦しを欲してなどいないのです。彼は神の御前において自分の罪を認めてはいないからです。「王に会いたい。わたしに罪があるなら、死刑にするがよい」(14:32)。彼は自分が死に価する罪人だとは思っていないのです。

 このアブサロムに対してダビデはどう対処したのでしょうか。ヨアブは王のもとに行って報告しました。王はアブサロムを呼び寄せます。アブサロムは王の前に出てひれ伏します。王はアブサロムに口づけします。これは王の赦しのしるしであり、王とアブサロムの和解のしるしでもあります。しかし、どうしてダビデはアブサロムを王家に復帰させたのでしょうか。ここにおいて再び、彼は根拠のない赦しを与えます。その赦しは成り行きによる赦しであり、神の赦しを信じたからではありません。それゆえに和解も見せかけのものでしかありません。これらすべては神の御前における事柄ではないのです。

 このダビデの姿は、私たちの日常のあり方を考えさせるものです。私たちも往々にして、罪の問題を神の御前において問いません。子供に対しても、往々にして親が言うことは、「そんなことをしたら恥ずかしいよ」「そんなことをしたら他の人の迷惑になるよ」ということだけです。そして、処罰を加えるのも、神の御前において罪が裁かれるのではなく、自分の怒りにまかせて、あるいは世間体を取り繕うための罰を加えます。親も子も、神の前における罪であるか否かを考えません。それゆえに、赦すときにも、何の根拠もなく赦します。たいていは成り行きです。それゆえに、赦されたとしても、自分の罪が赦されたことの意味を考えることはありません。

 アブサロムはその美しさのゆえに、王たるに相応しい人物と見なされていたようです。後に見るように、その実力も備えていたのでしょう。しかし、悔い改めを知らない者の力も美しさも、その者を王とするのではなくて、むしろ滅びへと導くものでしかありませんでした。


2026年6月17日水曜日

祈祷会用:サムエル記下 14:1~20

サムエル記下 14:1‐20

 アムノンは罪を犯しました。しかし、ダビデはこの事件を公にすることなく宮中に留めました。罪は律法違反として裁かれることはありませんでした。それゆえにアムノンもまた神に対する罪としてこれを認識することはありませんでした。

 一方、アブサロムもまた、この事件を公にすることはありませんでした。神に対する罪としてアムノンの罪が裁かれ、神の正義が貫かれることを求めはしませんでした。「いいか。アムノンが酒に酔って上機嫌になったとき、わたしがアムノンを討てと命じたら、アムノンを殺せ。恐れるな。これはわたしが命令するのだ。勇気を持て。勇敢な者となれ」(13:28)。これが最終的に従者たちに与えた実行命令です。アブサロムによるアムノン殺害は、あくまでも《アブサロムの命令》によるものであって、神の命令によるのではなく、神の正義が実現したのではなかったことが強調されているのです。

 そのようにアムノン殺害事件は、13章においては、あくまでもアブサロムの個人的な報復として描かれておりました。ところが、14章以降の展開を見ます時に、これは単にアブサロムの憎しみと怒りの現れではなかったことが明らかになってまいります。実はこれはその後も続いていきます《王位継承をめぐる争い》の一部分であったのです。

 3章2節以下に、ヘブロンで生まれたダビデの息子たちの名が記されておりました。アムノンは長男です。次男のキルアブはそれ以降出てきませんし王位継承争いの中にも入ってきませんから、若くして亡くなったものと思われます。三男はアブサロムで祖父はゲシュルの王です。(四男のアドニヤも後に王位継承争いの中で命を落とします。)ですから、アムノンを殺害することは、彼が王位継承者の筆頭になることを意味するのです。

 アブサロムはアムノン殺害後、ゲシュルに亡命します。13節を見ますと、アブサロムは亡命後、イスラエルを追放された者とされたようです。アブサロムは王位継承者筆頭であったアムノンを殺害したのですから、もはや事件はいかなる仕方でも隠蔽はされ得ません。すぐにもイスラエルにおいて事は公になりました。当然のことながら、ダビデは審判を下さざるを得なかったのでしょう。

 アブサロム自身は、この追放という処分が遅かれ早かれ解除されるものと考えていたようです。彼は決して自らの行ったことを悪であるとは見なしていなかったからです。それは後に32節において「わたしに罪があるなら、死刑にするがよい」と大胆にも語っていることから分かります。

 彼は自らを正当化することのできる理由がありました。そのような理由があることは時として非常に不幸なことです。彼は死ぬまで決して自分の罪を神の御前において認めて悔い改めることはありませんでした。そして、これは来週読むことになりますが、そのようなアブサロムが、自らを義としたまま、結局は追放処分が解除されてゲシュルからエルサレムに戻されることになるのです。そして、再び王子としてダビデの王宮に出入りするようになるのです。そのことが後のダビデ王家に、イスラエルに、いかに悲惨な結果をもたらすことになるか、私たちはこれから見ていくことになります。

 しかし、今日はアブサロム自身ではなく、彼がエルサレムに戻ることができるように動いたヨアブの行動に目を留めたいと思います。ヨアブはある策略を用いてアブサロムの呼び戻しを実現するのです。

 「アムノンの死をあきらめた王の心は、アブサロムを求めていた」(13:39)と書かれていました。アブサロムが関わる後の出来事を見ますと、ダビデがいかにアブサロムを溺愛していたかが分かります。彼が帰ることを求めたのは父の自然な心情でした。このダビデの心の動きに目を留めたのがヨアブでした。

 彼はテコアに使いを送って一人の知恵のある女を呼び寄せます。そして、喪に服しているように装い、王に架空の訴えをさせたのです。夫を亡くしたやもめの二人の息子がいさかいを起こし、一方が他方を打ち殺してしまった。そこで一族の者が「兄弟殺しを引き渡せ、殺した兄弟の命の償いに彼を殺し、跡継ぎも断とう」と言っているのだ、と訴えたのです。

 ダビデは、その架空の話における兄弟殺しの息子が殺されないように計らい、この女にとって憐れみ深い裁定を下します。「王は女に言った。『家に帰るがよい。お前のために命令を出そう』」(8節)。つまり情状酌量し兄弟殺しの息子を無罪とするのです。本来ならば王の裁定は絶対ですから、これで問題は解決しているはずです。ところがテコアの女は執拗に問題を蒸し返すのです。ダビデが主の名によって誓うところに持って行くためです。そして、ついにダビデは主の名によって誓います。「主は生きておられる。お前の息子の髪の毛一本たりとも地に落ちることはない」(11節)。

 そこですかさず女はこう言って王に迫ります。「主君である王様、それではなぜ、神の民に対してあなたはこのようにふるまわれるのでしょう。王様御自身、追放された方を連れ戻そうとなさいません。王様の今回のご判断によるなら王様は責められることになります」(13節)と切り出したのです。

 つまりこの女の息子を情状酌量無罪として女が息子を二人とも失ってしまうことがないように裁定を下したのに、アブサロムを無罪としないで追放したままにして、神の民が王となるべき人を二人とも失ってしまうようなことをしても良いのですか、と言っているのです。

 ヨアブの入れ知恵によるのですが、女はあえてここで「神の民に対して」という言葉を使っています。これは「神の民に逆らって」とも訳せるような言葉です。神の民、すなわちイスラエルの人々の願いに反して、ということです。ここには民意の変化が見てとれます。アブサロムが引き起こしたのは宮廷においては前代未聞のスキャンダルだったのですから、人々はアムノンを殺害したアブサロムの追放を当初は良しとしていたに違いないのです。しかし、三年経った今、明らかにアブサロムを連れ戻そうという動きが人々の間に起こってきているのです。

 それは25節に見るように「イスラエルの中でアブサロムほど、その美しさをたたえられた男はなかった。足の裏から頭のてっぺんまで、非のうちどころがなかった」と書かれていることと無縁ではないでしょう。そもそも、人々はアムノンよりもアブサロムが王となることを望んでいたのかもしれません。

 そうしますと、ヨアブはただ単に王の心情を察して仲介の労を執ったということではなさそうです。そこにはダビデ王の死後を考えた政治的な意図が見られるのです。ヨアブはかつて自分の権力の座が脅かされることのないように、アブネルを殺害した人物です。彼にとっては、国家に安定した統治があること、そしてその国家の軍の総司令官という立場に自分が君臨し続けることが決定的に大きな意味を持っていたのです。そのためには、相応しい人物が即位せねばならず、またその即位に一役買っていることは、極めて重要なことだったのです。世論の動き、ダビデの心の変化は、ヨアブにまたとない機会を与えたのでした。

 さて、ここに記されていることは、ナタンのたとえ話と対を為しているように見えますが、本質的に異なるものとして描かれているのです。ナタンを送ったのは神でしたが、テコアの女を送ったのはあくまでも神ではなくヨアブなのです。彼女が言っているように「ヨアブが事態を変えるためにこのようなことをした」(20節)のです。

 正義の主張と共に渦巻いているのは人間の思惑と野心です。それらが人間の「知恵」によって事を動かし、そして結果として災いをもたらすことになるのです。ここに出てくるのは知恵のある女です。あのアムノンを動かしたヨナダブも「賢い男」(知恵のある男)と書かれていました。人間の知恵が災いの連鎖を生み出すという悲しむべき事実をこれらの人物は象徴しているようです。

 しかし、私たちはもう一方で、これがすべてナタンによって予告されていた一線の上を辿っていることを思い起こします。すべては崩壊へと向かっているように見えます。しかし、神の手を離れてしまっているわけではありません。神の支配の中で、やがてアムノンではなく、アブサロムでもなく、ソロモンが王として立てられることになるのです。人間の思惑や野心によって、神の救いの計画は挫折させられることはないのです。


2026年6月10日水曜日

祈祷会用:サムエル記下 13:20~39

 サムエル記下13:20‐39

 今日は13章の後半をお読みします。13章は次のような言葉から始まりました。「その後、こういうことがあった。ダビデの子アブサロムにタマルという美しい妹がいた。ダビデの子アムノンはタマルを愛していた」(1節)。そのタマルを我がものとするために、アムノンは仮病を使います。父ダビデが見舞いに来たときに、アムノンは「妹タマルをよこしてください」と願いました。ダビデに言われるままにタマルがアムノンの家に来ると、そばにいた者を出て行かせ、アムノンはタマルを捕らえて力ずくで床を共にします。

 それはアムノンの従兄弟であり友人でもあったヨナダブの入れ知恵でした。この「ヨナダブ」の名を覚えておいてください。後で出て来ます。アムノンは自らの思いを遂げるとタマルを憎悪し家から追い出しました。タマルは上着を引き裂き、嘆きながら歩いて帰ります。そして、兄アブサロムのもとに身を寄せたのでした。ここまでが先週読んだところです。

 さて、今日の箇所の内容に入る前に、この事件に対する人々の対処の仕方を見ておきましょう。タマルが犯されたことを知った実の兄であるアブサロムは、彼女にこう言いました。「今は何も言うな」。これは《事件を公にするな》ということです。アブサロム自身、アムノンに抗議することも、王に訴え出ることもしませんでした。「アブサロムはアムノンに対して、いいとも悪いとも一切語らなかった」(22節)のです。表面的に見るならば、タマルもアブサロムも、アムノンの罪を不問に付したのでした。

 一方、この事件は当然のことながらダビデの耳にも入りました。父であるダビデはどうしたでしょうか。「ダビデ王は事の一部始終を聞き、激しく怒った」(21節)と書かれています。しかし、驚いたことに、ここにはアムノンの罪を処罰したとは書かれていないのです。

 実は、私たちが読んでいるのはヘブライ語で書かれた聖書底本からの翻訳なのですが、ギリシア語訳旧約聖書(七十人訳)では、「激しく怒った」の後に、次のような言葉が加えられているのです。「しかし、彼の息子の魂を悲しませることはしなかった。彼が長子であり、彼を愛していたからである」。細かい話は割愛しますが、恐らくこれが本来の読みであったものと考えられます。

 要するにダビデはあくまでもこの件を内密にしたのです。宮廷の中だけに留めたのです。息子アムノンの罪は、明らかに律法違反なのです。しかし、ダビデは息子を律法違反として公に裁くことはしませんでした。アムノンが長子であり、王位継承第一位にあったことはダビデにとって大きなことだったのでしょう。さらに言えば、王家のスキャンダルはようやく統一された国家を不安定にしかねい。そのような懸念もあったことでしょう。このような理由から身内の罪の隠蔽が起こることは、今も昔も変わりません。

 そして、今日の箇所に入ると、「それから二年たった」とだけ記されているのです。この間のことが全く抜け落ちている。聖書は沈黙しているのです。それは、アムノンの罪が、結局覆い隠されたままであり、人々の記憶からも消えていったことを示しているのです。

 そんなある日、アブサロムは、エルサレムから20キロほど離れたバアル・ハツォルにおいて、羊の毛を刈る季節の祝宴を催します。それは農業で言えば収穫祭に当たります。大々的に行われるのです。アブサロムは王子全員を招待し、ダビデ王と家臣をも招待しました。ダビデ王はアブサロムの負担になることを好まず辞退します。そこで、アブサロムはアムノンを代理として同行させてくれるよう願います。このようなやりとりから、この時点でアムノンは王子たちの中で別格の扱いを受けていたことが分かります。ダビデはアムノンを同行させることを承諾しました。

 さて、私たちはアムノンが実際にアブサロムの招待を受けて、平気で祝宴に参加していることに驚きを覚えます。しかも、アブサロムは従者にこう命じていたのです。「いいか。アムノンが酒に酔って上機嫌になったとき、わたしがアムノンを討てと命じたら、アムノンを殺せ」(28節)。そして、実際そのことが実行された。ということは、アムノンは酒を飲んで上機嫌になっていたということです。

 これは驚くべきことではありませんか。アムノンは恐らくタマルにも兄であるアブサロムにも謝罪することはなかったでしょう。しかし、特に自分自身の罪が取りざたされることのない二年間を経て、アムノンにとって「あの出来事」はもう既に終わったことになっていたのです。

 しかし、この聖書箇所に記されている悲劇は、一つのことをはっきりと示しています。人間の罪というものが、人々の目から隠されても、人々の記憶からは失われても、何事もなかったかのように以前の状態が続いていたとしても、依然として残っているのだということです。なぜなら、もともと問題は単に人と人との間のことではないからです。アムノンが神の律法に背いた行為が問題なのです。

 すなわち、これは神と人との間のことなのです。罪というのは、そもそもそういうものなのです。神と人との話なのです。しかし、ダビデもアブサロムもタマルも、そしてアムノン自身も、この罪を神の御前に出すことはしなかったのです。神の言葉のもとに置くことをしなかったのです。要するに、この13章に登場する人物は誰一人として、これが神に対する罪であることを認識していないのです。

 ついにアムノンの罪は、「神に対する背き」として明らかにされることはありませんでした。罪は神の御前で明らかにされ、神の御前で悔い改められ、神の御前で赦しが与えられ、神の御前において和解がなされなければならないのです。もしそうでなければ、問題は未来に持ち越されます。そして、事実そうなりました。

 アブサロムは、結局、復讐としてアムノンを殺害することになりました。罪は神の律法への違反として考えられないならば、ただ人と人との間の憎しみしか産み出しません。そして、結局恨みを晴らすという仕方でしか処理されません。アブサロムが、最後まで罪に対する神の裁きを考えられなかったことは、彼の言葉から分かります。「これはわたしが命令するのだ。勇気を持て。勇敢な者となれ」(28節)。強調されているのは「わたし」です。命じているのは神ではありません。

 こうしてアブサロムの復讐は果たされました。しかし、彼は母方の祖父であるゲシュルの王タルマイのもとに亡命します。これはダビデとの決定的な亀裂の発端となりました。そして、この結末は彼自身の滅びとなるのです。憎しみと怒りによって罪を処理しようとするならば、自らの滅びを招くことになるのです。

 一方、アムノンの悲劇は、ただ殺害されたということではありません。ここに再びヨナダブが登場します。ここで私たちは驚くべき発言を耳にするのです。アムノンが殺害された時、彼は明らかにバアル・ハツォルの祝宴に参加してはおりませんでした。彼はダビデと共に事件の第一報を聞くことになります。それはアブサロムが王子たちを皆殺しにしたという誤ったニュースでした。

 ダビデはそれを聞いて衣を裂きます。しかし、ヨナダブが言うのです。「殺されたのはアムノン一人です。アブサロムは妹タマルが辱めを受けたあの日以来、これを決めていたのです」と。彼はアムノン一人が殺されたことを強調します。実際に王子たちが帰って来るのはその後です。何を意味しますか?ヨナダブがアムノン殺害の計画を事前に知っていたということでしょう。あるいは少なくともそれを予測できたということでしょう。ヨナダブはこの章の始めにはアムノンの友として登場したのではなかったでしょうか!

 アムノンはダビデの長男としてその寵愛を一身に集めて育ちました。欲しいものはすべて手に入れてきたことでしょう。そして、異母姉妹であるタマルをも手に入れ、欲しくなくなったら捨てることもできました。その罪を問う者は誰もいませんでした。自分自身、そのために罪責感に苦しむ必要もありませんでした。何もなかったかのように生活できたのです。さて、彼は幸いな人だったでしょうか。そうではありません。彼は最終的に孤独の内に、友にも見捨てられた者として、身内の手によって殺害され、死んで行ったのです。これが彼の一生でした。

 人間に必要なことは処罰から逃れることでも罪の意識から逃れることでもありません。罪が不問に付され、罪が罪として認識されないということは、決して幸いなことではないのです。人に必要なのは罪からの救いです。神との関係、そして人との関係が神の救いの恵みによって回復されることなのです。そのためにキリストは来られたのです。


2026年6月3日水曜日

祈祷会用:サムエル記下 13:1~22

 サムエル記下 13:1‐22


 アレクサンドル・シュメーマンという東方教会の神学者が次のようなことを書いています。「聖書では、人の食物、すなわち人が生きるために関与しなければならないこの世は、神から『神との交わり』として与えられたものです。…存在するものはすべて神の人への贈り物です。人が神を知り得るため、また人のいのちを神との交わりにするための贈り物です」。

 しかし、この世界の現実はどうでしょう。食物にせよ、富にせよ、性の交わりにせよ、神からの贈り物として受け取られることなく、欲望の対象にしかなっていません。それらによって神への感謝が生まれることもなく、神との交わりが形作られることもない。そこにこそ本来の姿から堕ちてしまった人間の姿があります。今日の聖書箇所もまた、そのような現実を伝えているのです。

 ダビデの長男アムノンは腹違いの妹であるタマルを愛していました。この章には「愛していた」という言葉が繰り返されます。この言葉は神の愛から人間の欲望までを表す幅広い言葉です。今日は、この「愛」なるものがいったい何であるかを中心に見ていくことになります。

 彼は妹タマルを思いつつも、「タマルは処女で、手出しをすることは思いも寄らなかった」と書かれています。これはタマルの処女性を重んじたということではありません。どこの世界でも王家の娘は政略結婚に使われます。未婚の王女は厳しい管理下に置かれていたのです。それゆえ、簡単には手出しできなかった、ということです。

 そのようなアムノンに、ある日いとこのヨナダブが入れ知恵をします。病気を装って床に就き、父ダビデが見舞いに来た時に、「妹タマルをよこしてください」と願えば良いということでした。早速アムノンはその計画を実行に移します。案の定、ダビデは長男アムノンの願いどおりに、タマルのもとに人をやり、兄アムノンの家に行って料理をするようにと伝えさせました。

 タマルは言われるままに、兄のもとに来てレビボットを焼きます。すると、アムノンはそばにいた者を皆出て行かせ、タマルだけを残しました。そして、タマルが彼に食べさせようと近づくと、彼はタマルを捕らえて言ったのです。「妹よ、おいで。わたしと寝てくれ」と。タマルは「いけません、兄上。わたしを辱めないでください」と抵抗します。しかし、アムノンは彼女の言うことを聞こうとせず、力ずくで辱め、彼女と床を共にしたのでした。

 さて、ここで殊更に「妹よ」とか「いけません、兄上」と書かれていることには意味があります。彼らは確かに血のつながった兄弟ではありません。しかし、律法によるならば、たとえ異母兄妹であっても、性の交わりを持つことは禁じられているのです。「異母姉妹であれ、異父姉妹であれ、自分の姉妹と寝る者は呪われる」(申命記27:22)。

 ですから、タマルは「イスラエルでは許されないことです。愚かなことをなさらないでください」と言いました。その後の「どうぞまず王にお話しください。王はあなたにわたしを与えるのを拒まれないでしょう」という言葉は、律法の観点からすると誤りです。しかし、タマルはこう言うしかなかったのでしょう。そして実際、アムノンの願いなら、ダビデは律法に反しても願いどおりにしたかもしれません。

 いずれにせよ、これはただ律法に反するということではありません。律法に反する仕方で手に入れるということは、《もはや神からの賜物として受け取るつもりはない》ということを意味するのです。

 結婚も性の交わりも、本来は、神から感謝をもって受け取り、それゆえにまたそこに神との交わりが生じるはずの神の賜物だったはずです。しかし、それ自体が欲求の対象となる時にどうなってしまうのか。私たちはあのアダムとエバが禁じられた木の実を食べた時と同じ姿をここに見ることになるのです。

 聖書は恐るべき言葉をもって、その結果を記します。「そして、アムノンは激しい憎しみを彼女に覚えた。その憎しみは、彼女を愛したその愛よりも激しかった」。なぜアムノンがタマルを憎んだのか、その理由は書かれておりません。人間の心理としていくらでも説明することはできるでしょう。しかし、どのような理由にせよ、これは人の世にいくらでも見られることです。かつて肉体関係を「愛」と呼んでいた男女が、その後、それ以上に憎みあっていることなどは、決して珍しいことではありません。

 重要なのは、彼が憎んだ理由ではありません。彼の「愛」が全く逆の「憎しみ」に転じてしまったという事実です。アムノンはタマルに「立て。出て行け」と言って追い出します。そして、自分に仕える従者を呼び、「この女をここから追い出せ。追い出したら戸に錠をおろせ」と命じたのでした。そして、そこに表されたアムノンの憎悪は、ただアムノンの内だけで終わりませんでした。

 タマルは嘆きの叫びをあげながら家に向かいます。血のつながった兄であるアブサロムはこのことを知り、激しくアムノンを憎悪します。そして、やがてこれがアムノン殺害へと発展することになるのです。いや、それだけではありません。そのようにしてアムノンを殺すアブサロムがやがて自らを滅ぼすことになるのです。

 ここまで見てきたように、ある意味ではアムノンは自分が欲してやまなかったものを手に入れることができたのです。ヨナダブが与えた策略によって獲得することができました。そのように、人は欲するものを自分の知恵や力を用いていくらでも手に入れることはできるのです。

 しかし、たとえ何を手に入れたとしても、それを神からの賜物として受けるのでなければ、本当の意味で人間の幸いに結びつくことはないのです。いやむしろ自分自身や他者までも不幸に落とすものとなり得るのです。

 それは既にダビデの行為の中に見たとおりです。 ダビデもまた、神の御声を退け、神の賜物としてではない仕方において、バト・シェバを自分のものとしたのです。しかし、その罪についてナタンが預言した「それゆえ、剣はとこしえにあなたの家から去らないであろう」(12:10)という言葉は、このような形で実現していくことになりました。しかし、この不幸の連鎖は、まさに人間の歴史そのものを表していると言えるでしょう。

 しかし、まさにそのような世界に、イエス様は来てくださったのです。そのような世界のただ中に来られ、私たちをそこから引き出してくださいました。この被造物世界をそれ自体として欲望の対象とする罪の中から私たちを引き出し、再び神の賜物として受け取ることができるようにしてくださったのです。全てのものを神との交わりをもたらすものとして受け取る、人間の本来の姿へと回復してくださったのです。

 まさにそのことを指し示しているのが「感謝の祭儀」とも呼ばれる聖餐です。これはまことの「食事」の回復です。私たちはキリストを神の賜物として受け取り、パンと葡萄酒を真に神の賜物として受け取って祝うのです。

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