2026年4月29日水曜日

祈祷会用:サムエル記下 10:1~19

サムエル記下 10:1-19

 この章はダビデの王国とアンモン人および援軍に入ったアラム人との戦いを伝えている章です。この章は前後の章と深いつながりがあり、その関連を意識して読む必要があります。この10章と前の9章とを結びつけるのは「忠実」と訳されている「ヘセド」という言葉です。「その後、アンモン人の王が死に、その子ハヌンが代わって王となった。ダビデは、『ハヌンの父ナハシュがわたしに忠実であったのだから、わたしもその子ハヌンに忠実であるべきだ』と言って、使節を遣わして哀悼の意を表そうとした」(1‐2節)。

 先週申し上げたことを思い起こしていただきたいのですが、この語は「慈しみ」とも訳せます。「慈しみ」という言葉が結びつくのは第一には主なる神です。主が慈しみを示された。それはイスラエルが慈しみに価するからではなく、ただ主が約束に忠実であられたからです。その主がしてくださったように人に対して行う。それが慈しみの原意です。

 前章では、ダビデは亡きヨナタンのゆえに、その子メフィボシェトに慈しみを示しました。メフィボシェトは、ダビデの忠実と慈しみを感謝をもって受け取りました。それと同じように、この章では、ダビデが亡くなったアンモン人の王ナハシュとの関係のゆえに、その子ハヌンに忠実と慈しみを示そうとします。しかし、前の章とは対照的なことが起こります。そのナハシュの息子ハヌンは、ダビデの忠実と慈しみを斥けるのです。

 また、この章は後の章と深いつながりにあります。この対アンモン戦争が、11章に記されている「バト・シェバ事件」の背景となっているのです。ダビデがアンモンと戦い勝利を得た時というのは、いわばダビデが最も勢力を拡大した時であり、彼の治世の絶頂期に当たるのです。しかし、まさにその頂点にいた時に、ダビデは恐るべき罪を犯してしまうのです。その結果、外なる敵を支配し得たダビデ王家は、なんとその内側から崩れ始めてしまうのです。ですので、この章に記されている勝利は、次の章の出来事に続くものとして読まねばならないのです。

 さて、イスラエルとアンモンとの関係を考えるには、サムエル記上11章まで遡る必要があります。そこにはアンモン人の王ナハシュが攻め上り、ギレアドのヤベシュを包囲した時のことが記されておりました。アンモンにとってヨルダン川と自国の間にあるギレアドは常に支配下に欲しい地であったものと思われます。しかし、この時、サウルが立ち上がり、アンモン人の陣営に奇襲攻撃をかけ、決定的な勝利をおさめます。「翌日、サウルは民を三つの組に分け、朝の見張りの時刻にアンモン人の陣営に突入し、日盛りのころまで彼らを討った。生き残った者はちりぢりになり、二人一緒に生き残った者はいなかった」(サムエル上11:11)。そして、この勝利こそが、サウルが王となる直接的要因となったのでした。

 この後、アンモンはイスラエルに従属する形で和平を保っていたものと思われます。また、既に見てきたようにサウルに追われていた時代からダビデ自身はペリシテやモアブと極めて良好な関係を作り出していましたし、同じようにアンモンの王ナハシュとも極めて良好な関係にあったものと思われます。アンモン人とダビデは直接戦ってはおりませんし、サウル家に敵対しているものと思われた有力な武将であるダビデとの関係を親密に保つことは、アンモンにとっても非常に望ましいことだったに違いありません。それが「ハヌンの父ナハシュがわたしに忠実であったのだから、わたしもその子ハヌンに忠実であるべきだ」という言葉の背景です。

 ところが、ダビデがナハシュ王の死に際して、哀悼の意を表そうと使節団を遣わした時に一つの事件が起こります。彼らがスパイ疑惑のゆえに拘束され、甚だしい辱めを受けた末に送り返されるのです。

 これを単に偶発的な事件と見ることは恐らく正しくないでしょう。このことの原因となったのはアンモン人の高官たちであったことを聖書は伝えています(3節)。明らかに高官たちはナハシュの時代には絶対にしなかったようなことをハヌンに対してしているのです。つまり、このことは大きな政策転換がアンモン王国に起こっていることを示しているのです。支配者の世代交代によって大きな政策転換が起こるのは世の常です。ここで起こっているのは、それまでナハシュによって押さえられてきた宮廷内タカ派の台頭です。

 この事件が起こるべくして起こったことは、6節以下でかなりの広範囲に渡るアラム人の諸都市から傭兵を得ていることからも分かります。このようなことはすぐにはできません。それまでの外交によるかなりの準備が必要です。ハヌンと高官たちは時間をかけてユーフラテスにまで広がるアラム人の支援を取り付けてきた。そして、ついに王が死にました。彼らからすれば、ついに「時が満ちた」のです。この事件は、いわば和平推進派を押さえた高官たちによる事実上の宣戦布告です。

 ハヌンはどうして父ナハシュと同じ道を進むことができなかったのでしょうか。イスラエルに従属したまま、そしてギレアドを支配できぬまま、ヘブロンの王となったダビデと親密な関係を保っている父親の姿は、年若いハナンからすればなんとも情けない姿に映ったのかもしれません。しかし、いずれにせよアラムとの関わりにおいて軍事的にも力を持ち始めたハヌンの慢心がそこにあったと言えるっでしょう。

 実際、今日の箇所を見ましても、戦いにおいて彼らは戦略的にかなり優位に立っていたのです。ヨアブの軍隊はエルサレムから首都のラバ(今日のアンマン)に向かったものと思われます。しかし、彼らはラバ南方の草原地帯(8節の「野」)に配備されていたアラム兵とラバから迎え撃ったアンモン兵の挟み撃ちに遭うのです。これはヨアブの大きな誤算でした。通常、このような体勢となったら絶体絶命です。

 ヨアブはそこで大きな決断を下します。軍隊を二分したのです。「ヨアブは戦線が前方と後方にあるのを見て、イスラエルの全精鋭から兵をえりすぐり、アラム軍に向かって戦列を整え、残りの兵士を兄弟アビシャイの指揮にゆだねて、アンモン軍に向かって戦列を整えさせた」(9‐10節)。軍隊を二分することは一歩間違えば自殺行為となりかねません。いわば最後の手段です。

 そこには最終的な結果を主にゆだねた信仰的な決断があったことを聖書は伝えます。「我らの民のため、我らの神の町々のため、雄々しく戦おう。主が良いと思われることを行ってくださるように」(12節)。そして、驚くべきことに、アンモン軍もアラム軍も敗走するという結果となったのです。

 「慢心」は滅びをもたらします。慢心はどこから来るかと言えば、それは人間の目に見えることが全てであるという思い上がりから来るのです。これは対極にある「絶望」についても言えます。絶望もまたどこから来るかと言えば、それは人間の目に見えることが全てであると思うところから来る。それもまた傲慢の一つの現れです。

 ハヌンと高官たちの企ては、彼らの目には完璧なものと映っていたでしょう。目の前の戦況は圧倒的有利に見えたに違いありません。一方、ヨアブの目に映っていたのはまさに絶望的な状況であったに違いない。しかし、歴史を動かすすべての要因が人間の手の内にあるのではありません。その決定的要因は見えざる御方が持っておられるのです。ヨアブはそのその事実に目を向けて、見えざる御方に信頼しました。一方、その事実を見ていなかったハヌンと高官たちは自らに滅びを招くこととなったのです。

 しかし、聖書が本当に語りたいのはアンモン人の問題ではありません。実は本当に語りたいのは、この勝利によってアラム人の地にまで支配を広げたダビデの問題なのです。聖書はあえてこの勝利において、ヨアブやアビシャイの信仰的な姿を強調します。聖書は常に彼らをそのように描いているわけではありません。しかし、ここではそれが重要なのです。なぜなら、それはこの大勝利が「ダビデの勝利」ではないことを鮮明に示すことになるからです。

 そうです。これはダビデの勝利ではないのです。しかし、人は他の人々による結果、究極的には神による結果を、あたかも自分が勝ち得た結果であるかのように誤解してしまうのです。自分が何かを成し遂げたかのように思ってしまう。まさにダビデがそのように思い上がった時に、彼は深い落とし穴に落ち込むことになるのです。それが続く11章の伝えている出来事なのです。


2026年4月26日日曜日

「聖霊の神殿である私たち」

2026年4月26日 主日礼拝説教 

聖書:コリントの信徒への手紙一 3:10‐17

 今年の年度主題は「聖霊の神殿である私たち」です。この一年間、特に聖書が語っている神の霊、聖霊のお働きに私たちの思いを向けたいと考えています。

 私たちの目に聖霊は見えません。家庭においても教会においても社会においても動いて見えているのは人間です。この世界は人間が動かしているように見えますし、いつの間にか人間がすることがすべてであるかのように思い込んでいます。だからこそ、私たちはあえて意識的に、目に見えるものではなく、見えないものに目を注ぐ必要があるのでしょう。目に見えない神がなさっていることに目を向ける。神の霊のお働きに目を向けることが必要なのです。

 そのために設定されたのが「聖霊の神殿である私たち」という今年の年度主題です。ところで、この「私たち」というのは、第一義的には私たち一人ひとりの個人ではありません。そうではなく、「私たち」として集まって形作っている「教会」のことです。そこでまず、この「私たち」である教会について、聖書の語るところに耳を傾けたいと思います。

イエス・キリストという土台の上に
 今日の聖書箇所において、まずパウロは、「私たち」すなわち「教会」を家にたとえています。家でありますならば、大切なのはまず土台です。教会の土台とは何でしょうか。彼はコリントの信徒たちに次のように書き送っています。「わたしは、神からいただいた恵みによって、熟練した建築家のように土台を据えました。そして、他の人がその上に家を建てています。ただ、おのおの、どのように建てるかに注意すべきです。イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできません」(1コリント3:10‐11)。

 ここに書かれていますように、教会の土台はイエス・キリストです。ここで土台が「イエス」だけでもなく、「キリスト」だけでもなく、「イエス・キリスト」と表現されていることは、それ自体大きな意味を持っています。

 「イエス」というのは人の名前です。歴史上のある時代に現れた特定の個人の名前です。福音書記者のルカは、この方が公に現れた頃を「皇帝ティベリウスの治世の第15年」(ルカ3:1‐3)と記録しています。この方はポンティオ・ピラトという歴史上の人物のもとで裁きを受け、その権力のもとで処刑されました。ナザレの人イエスのかけられた十字架はおとぎ話の中に立てられたのではなく、現実に私たちが生きているこの世界に、この地上に立てられたのです。

 一方、「キリスト」とは、神によって油注がれた者、メシアを意味します。神が世の救いのために遣わされた救い主です。ですから、この「イエス」と「キリスト」が並べられること自体に、強烈な主張が込められていることが分かります。十字架にかけられたあのナザレの人イエスこそ、神の遣わされたキリストであるという主張です。神は、この世界において、この歴史の中において、ただ一度限りの決定的なこととして、メシアを十字架にかけられた。そのことによって、事実として、罪の贖いを成し遂げられたのです。人間の罪がこの世における事実であるように、罪の贖いもまたこの世における事実でなくてはならないからです。

 このキリストであるナザレの人イエスにおいて起こった出来事、そしてその出来事を言い表す信仰の告白こそが、私たちの土台、教会の土台です。そして、誰もこの土台以外の他の土台を据えることはできない、とパウロは言うのです。パウロがコリントの教会の創設者でありましても、パウロ自身は教会の土台にはなり得ない。優れた人間も、高邁な思想も、神秘的な体験も教会の土台とはなりえないのです。土台となり得ないものを土台にしようとすると、その時は立っていてもいずれ倒れて崩れます。教会を考えるときに、私たち自身の教会生活を考えるときに、神が据えられた土台は何であるかを絶えず思い起こさねばなりません。

燃え尽きぬ材料をもって
 続いて、建物を考える上で重要なのはその建築に用いる材料です。パウロはこの材料について次のように語っています。「この土台の上に、だれかが金、銀、宝石、木、草、わらで家を建てる場合、おのおのの仕事は明るみに出されます。かの日にそれは明らかにされるのです。なぜなら、かの日が火と共に現れ、その火はおのおのの仕事がどんなものであるかを吟味するからです。だれかがその土台の上に建てた仕事が残れば、その人は報いを受けますが、燃え尽きてしまえば、損害を受けます。ただ、その人は、火の中をくぐり抜けて来た者のように、救われます」(12‐15節)。

 材料は明らかに二通りに分けられています。「金、銀、宝石」と「木、草、わら」です。その違いは14節と15節に書かれているように、残るものか燃え尽きてしまうものかの違いです。イエス・キリストという土台の上に教会が建て上げられていきます。しかし、それが残る場合もあるし、燃えて無くなってしまう場合もあるということです。どのように建てられたかは、「かの日にそれは明らかにされるのです」と書かれています。「かの日」というのは、「かの日が火と共に現れ」と書かれていますように、これは終末における審判を意味します。

 それは神がまことの神として、キリストがまことの主として御自身を現される時に他なりません。その時に、神との関係がどうであったか、キリストとの関係がどうであったかが問われます。そこにこそ裁きがあるのです。その時に、神の御前で、キリスト・イエスの御前で、残るものと燃え尽きてしまうものとに分かれるのです。その時に教会は吟味されることになります。どのように教会が建てられてきたかが吟味され、明らかにされるのです。

 しかし、私たちは神の裁き、ただ遙か彼方に見ているだけであってはなりません。神との関係がどうなっているかが問われるのは、ただ終わりの日においてだけではありません。この人間の歴史におけるプロセスそのものが、既に神の裁きのもとにあるのです。事実、社会の情勢が変化する中で、教会の置かれている状況が変化する中で、私たちの生活環境が変化する中で、私たちと神との関係がどうであるか、私たちとキリストとの関係がどうであるかが問われることは起こります。私たちが本当に主に従ってきたのかそうでないのかが問われるということは起こるのです。歴史のプロセスの中にも、確かに神の裁きはあるのです。

 そのような裁きの過程において、やはり残るものと燃え尽きてしまうものに分かれるのです。この世的には大きく豊かに見えていたとしても、どれほど多くの人が賞賛するものであっても、それが神の御心に適わないならば、木や草やわらの類で出来たものとして、燃え尽きてしまうのです。その一方で、多くの人の目に留まらなくとも、人の目からは価値無きこと、愚かなことのように見えても、神の御心に適うならば神の御前における金、銀、宝石として残るのです。

 私たちは何を大事にしようとしているのでしょうか。何をもって教会を形作ろうとしているのでしょうか。それは残るものでしょうか。それとも燃え尽きてしまうものでしょうか。私たちはそのことを、絶えず問い直す必要があるのです。

私たちは神の神殿であるから
 さて、私たちは最終的に、そのようにして建てられる教会とは何であるかを知らなくてはなりません。パウロは次のように語っています。「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿なのです」(16‐17節)。

 私たちが求道を始めた時、信仰を求め始めた時、多かれ少なかれ、私たちが考えていたことは、「わたしにとって神は必要であるか否か。わたしにとって信仰は必要であるか否か」ということであったろうと思います。そして、その延長上に、「わたしにとって教会は必要であるか。教会に行くことは私にとって益であるかどうか」という問いもまた存在したことでしょう。

 しかし、それが求道の初めだけでなく、洗礼を受けて何年経っても考えていることが同じであるならば、それはやはり問題であると言えるでしょう。教会が自分のために存在しているかのように考えている。教会が人間のためのものであり、人間の手でどのようにでもできると考えている。もしそうでありますならば、私たちはパウロにこう言われるかも知れません。「あなたがたは知らないのですか」と。

 知らなくてはなりません。私たちは神の神殿なのです。教会は神の神殿なのです。神殿は人によって作られたとしても人間のものではありません。神のものなのです。神のために存在しているのです。「神の神殿は聖なるものだからです」とパウロは言います。「聖なるもの」とは神のものであるということです。

 だから、あたかも私たちのためのものであるかのように扱ってはならないのです。「神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう」とまで言われているこの言葉を、私たちは畏れをもって受けとめなくてはなりません。それほどまでに教会は神にとって大切なものなのです。実際にはコリントの教会は問題だらけの教会でした。しかし、それでもなお単なる人間の集まりであるかのように粗末に扱ってはならないのです。私たちは、自分たちが神の神殿とされていることに対する畏れを失ってはならないのです。

 そして、神の神殿とされているという事実にこそ、私たちの喜びもまたあるのです。このような私たちがキリストによって贖われ、罪を赦された者として形作る教会に、神の霊がお住みくださる。そのように私たちを神のものとし、神が共にいてくださる。そこにこそ喜びがあるのです。さらには、6章に書かれていますように、教会を形づくる私たち一人一人のこの体が、神の神殿とされ、神の霊が宿ってくださる。そこにこそ私たちの喜びがあるのです。「知らないのですか」とパウロは言います。私たちは知らなくてはなりません。私たちは神の神殿であり、神の霊が私たちの内に住んでおられるのです。

2026年4月22日水曜日

祈祷会用:サムエル記下 9:1~13

 サムエル記下 9:1-13

 9章は直接8章には繋がりませんが、ダビデの王権が確立されるに当たってダビデがサウル家との関わりにおいて行った一つのことが記されております。「ダビデは言った。『サウル家の者がまだ生き残っているならば、ヨナタンのために、その者に忠実を尽くしたい』」(1節)。

 ここで私たちはサムエル記上で読んできた二つの場面を思い起こさなくてはなりません。一つはサムエル記上20章。ダビデがサウルによって命を狙われている事情を親友であるヨナタンに訴える場面です。そこでヨナタンはダビデのためにサウルの悪意を確認すべく動くわけですが、そこでヨナタンはダビデにこう言うのです。「…主が父と共におられたように、あなたと共におられるように。そのときわたしにまだ命があっても、死んでいても、あなたは主に誓ったようにわたしに慈しみを示し、また、主がダビデの敵をことごとく地の面から断たれるときにも、あなたの慈しみをわたしの家からとこしえに断たないでほしい」(サムエル上20:13‐15)。

 「主が父と共におられたように、あなたと共におられるように」とは驚くべき言葉です。王位を継ぐのは王子である自分ではなくてあなただ、という意味だからです。また、その後に「ヨナタンはダビデの家と契約を結び」とあります。それは、やがてダビデ家がサウル家に取って代わることを前提としている言葉です。だからこそ、ヨナタンは「主に誓ったようにわたしに慈しみを示し…あなたの慈しみをわたしの家からとこしえに断たないでほしい」と言うのです。古代オリエントにおいては、王朝が交替する時、新しい王家が旧王家のものを皆殺しにするのが通例でした。ここでヨナタンが願っているのは、そのようなことをしないで欲しい、ということです。

 もう一つ思い起こすべき場面はサムエル記上24章です。用を足すために洞窟に入ったサウルをダビデが殺すこともできたのに手を掛けなかったという話です。そのことを知ったサウルは声を上げて泣き、ダビデこそ王となるべき器であると認めるのです。その時、サウルはダビデに言うのです。「今わたしは悟った。お前は必ず王となり、イスラエル王国はお前の手によって確立される。主によってわたしに誓ってくれ。わたしの後に来るわたしの子孫を断つことなく、わたしの名を父の家から消し去ることはない、と」(サムエル上24:21‐22)。ダビデはサウルに誓いました。主旨は先のヨナタンとの約束と同じです。

 この二つの約束のゆえに、ダビデはサウル家に仕えていたツィバを呼び出して尋ねたのです。「サウル家には、もうだれも残っていないのか。いるなら、その者に神に誓った忠実を尽くしたいが」。この章では「忠実を尽くす」という言葉が3度繰り返されています。「忠実」は、ヨナタンとの約束では「慈しみ」と訳されていました。この最後の部分は直訳すると「神の慈しみを行う」という言葉です。この「忠実」あるいは「慈しみ」と訳せるヘセドが今日のテーマです。

 この表現が示すように、聖書における「忠実」とか「慈しみ」は、ヒューマニズムに基づく言葉ではありません。ダビデがしようとしていることは、単に約束を守るということではないのです。神がイスラエルに対して慈しみを示されたのは、イスラエルが優れていたからではなく、主がその約束に忠実であったからです。ですから人に対して慈しみを示すというのは、《主がしてくださったように人に対して行う》ということなのです。それがここでダビデが行っていることなのです。

 さて、ダビデのもとに呼び出されたツィバが非常に恐れていたであろうことは想像に難くありません。彼の一家はサウル家に仕えていた家だからです。彼はヨナタンの子息が一人いることを告げると、すぐさまこう付け加えました。「両足の萎えた方でございます」。その息子、メフィボシェトについては、既に4章4節に記されておりました。「サウルの子ヨナタンには両足の萎えた息子がいた。サウルとヨナタンの訃報がイズレエルから届いたとき、その子は五歳であった。乳母が抱いて逃げたが、逃げようとして慌てたので彼を落とし、足が不自由になったのである。彼の名はメフィボシェトといった」(4:4)。両足が萎えていれば、軍隊を率いることはできません。そのような人物が王位を脅かすはずはないのです。ツィバがメフィボシェトの足に言及したのは、明らかに、サウル王家の再興を企てる危険人物とはなり得ないことを示すためでした。

 ダビデはアミエルの子マキルの家にかくまわれていたメフィボシェトを呼び寄せました。そして、彼にサウルの地所をすべて彼に返すことを約束します。さらにダビデはメフィボシェトが常に王の食卓で食事をするように計らったのでした。このことについては、サウルの子孫を自分の目の届くところに置くことがダビデの目的であったとの見方がありますが、それは当たらないでしょう。先にも触れましたとおり、メフィボシェトは物理的に王位を脅かす存在とはなり得なかったからです。ここでダビデが語っているとおり、やはりこれは単純にヨナタンとの関係において説明されるべきです。

 メフィボシェト自身も、これが尋常な計らいでないことを理解しておりました。本来なら滅ぼされても不思議でないサウル家の生き残りが生かされて、しかも王の食卓で共に食事をしているのです。それは、ただヨナタンとダビデとの関係のゆえに、またサウルとの約束のゆえに、ダビデにおいて示された慈しみ(忠実)以外の何ものでもなかったのです。それゆえに、彼は驚きをもって語ります。「僕など何ものでありましょうか。死んだ犬も同然のわたしを顧みてくださるとは」。このように「慈しみ」というものは、それを受ける側(この場合メフィボシェト)に根拠があるわけではないので、そこには本来驚きが伴うのです。それが「慈しみ」を知る者の当然の反応なのです。

 それは私たちにおいても言えるのです。本来罪のゆえに滅ぼされてしかるべき私たちが赦されて、生かされて、それだけでなく主の食卓にあずからせていただき、キリストの体と血とにあずかっている。それを受ける根拠は私たちの側にはないのです。それはキリストのゆえの慈しみなのです。しかし、そこにこのメフィボシェトが示しているほどの驚きがあるかと言えば、改めて考えさせられます。私たちは慈しみを本当の意味で知っているのでしょうか。

 むしろ私たちは、もう一方のツィバに近いのかもしれません。彼の恐れもまた取り除かれました。ツィバの家の者たちは、メフィボシェトの召使いになり、彼に返還された土地を耕す者となったのです。これもまた、サウルの従者であったツィバの一族にとっては、驚くべき寛大な処遇であったはずです。

 メフィボシェトとツィバは違います。サウル王家にもともと仕えていた者として、反逆を企てる恐れがあるわけですからいつ粛清されても不思議ではありません。そのようなツィバとその一族は、なんとダビデの王国において、もはや恐れることなく生きていくことができるのです。彼はダビデに喜びをもって約束しました。「私の主君、王が僕にお命じになりましたことはすべて、僕が間違いなく実行いたします」(11節)と。

 しかし、彼は慈しみが何であるか、慈しみに与った者の責任が何であるかを理解しませんでした。彼はこの後、16章に登場します。ダビデの息子アブサロムが反乱を起こし、ダビデが都落ちをした時に、彼はダビデを迎え、メフィボシェトについて偽りの報告をするのです。「(メフィボシェトは)エルサレムにとどまっています。『イスラエルの家は今日、父の王座をわたしに返す」と申していました」(16:3)と。こうして彼は、報告を信じたダビデから、メフィボシェトに属するものすべてをツィバに与えるとの約束を取り付けてしまうのです。

 やがて反乱軍が鎮圧され、ダビデが再びエルサレムに戻った時、ツィバの偽りが明らかになります。メフィボシェトは王が都落ちをしたその日から、「足も洗わず、ひげもそらず、衣服も洗わなかった」(19:25)のでした。彼はひたすらダビデの帰りを待っていたのです。そして、偽りによって奪われた地所についても、「主君、王が無事に王宮にお帰りになったのですから、すべてツィバのものとなってもかまいません」(19:31)と語ったのでした。まことに、慈しみを知るとはどういうことかを考えさせられるエピソードです。

2026年4月19日日曜日

「神が心にかけていてくださるから」

2026年4月19日 主日礼拝説教 

聖書:ペトロの手紙一 5:6-11

自分を低くしなさい
 今日は、ペトロの手紙一5章6節からお読みしました。その直前には、「皆互いに謙遜を身に着けなさい」(5節)という勧めが書かれています。今日の箇所はその続きです。

 「互いに謙遜を身に着けなさい」という言葉は、ここにいる私たちには、恐らく何の違和感もなく耳に入ってくるだろうと思います。教会の中はもちろんのこと、教会の外においても、「謙遜」は広く美徳と見なされているからです。また、「謙遜」は、より良い人間関係の土台であると考える人も少なくないでしょう。

 しかし、この手紙が書かれた当時の人々が、同じこの言葉を耳にしたら、私たちとはまったく異なる印象を受けただろうと思うのです。というのも、当時のギリシア・ローマ世界においては、「謙遜」は美徳どころか、否定的な意味合いを持つ言葉だったからです。その社会で尊ばれていたのは「名誉」であり「誇り」であり、「人より高くあること」でした。そのような世界において、低くあること、身を小さくすることは、弱さや卑屈さの表れとして軽蔑の対象とされたのです。

 「謙遜」と訳されているのはギリシア語で「タペイノフロシュネー」という言葉です。元になっている「タペイノス」は文字通り「低い」という意味の言葉です。名誉と誇りが人の価値を決める世界において、この「低さ」はまことにネガティブなものとして受け取られていたのです。なのでタペイノフロシュネーが結びつくのも、「卑屈」「自己卑下」「惨めであること」という響きだったのです。

 その「タペイノフロシュネーを身に着けなさい」とペトロは勧めるのです。当時の社会の価値観に真っ向から逆らうような言葉です。それをペトロは当たり前のように手紙に書いて送るのです。それはどうしてか。――これは「教会」に宛てた手紙だからです。すなわち、これは信仰を前提とした勧めなのです。あくまでも、神との関わりにおいて聞かれ、理解されるべき言葉なのです。一般的な謙遜という美徳の話として聞いてはならないのです。

 ですから、ペトロはそこで旧約聖書の箴言を引用してこう続けるのです。「なぜなら、『神は、高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになる』からです」と。これが理由なのです。それゆえに、お互いに対して謙遜であるかを問う前に、そもそも私たちは「神に対して」謙遜であるかどうかを省みる必要があるのです。実際どうなのでしょう。私たちは人に対してどころか、神に対してさえ、なかなか謙遜になれない者ではないでしょうか。神に対してさえ高ぶって生きているのではないでしょうか。

 かつてスポルジョンという人が説教の中でこう語っていました。「高ぶりは最初の罪であり最後の罪である」と。実際、聖書が語る最初の罪は、アダムとエバが善悪の知識の木から取って食べ、自らが神のようになろうとした高ぶりの罪でした。そして、その高ぶりの罪は私たちの人生が終わるまで、そして世の終わりまでついて回ることでしょう。その意味では確かに「最後の罪」とも言えます。

 だから、ペトロはさらにこう続けるのです。「だから、神の力強い御手の下で自分を低くしなさい」(6節)。繰り返しますが、これは教会に宛てた手紙です。毎週集まって神の御前に礼拝をささげている教会に宛てた手紙なのです。神を礼拝しているはずの信仰者に宛てた手紙です。神を礼拝している私たちが、本当に神の前で自らを低くしているならば、このような勧めの言葉をペトロは書く必要はなかったのでしょう。このような勧めが聖書に記されているのは、往々にして、私たちはそうなっていないからであるに違いありません。

 そして、そこにもう一つの勧めの言葉が続くのです。「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです」(7節)。ところで、今、「もう一つの勧めの言葉が続く」と申しましたけれど、しかし、それはあくまでも日本語訳の場合です。実は、原文においては、6節と7節は途中で切れない一つの文なのです。つまり6節の「高ぶり」と7節の「思い煩い」は切り離すことができない、ということです。

 それは、ある意味では当然のことであるとも言えます。先ほど、アダムとエバの話に少しだけ触れましたが、あの創世記の物語を読んでもよく分かります。

 神は、「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない」と命じました。しかし、蛇はこう言って誘惑しました。「それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ」と。

 そして、その誘惑に人間は負けました。人間は神を退けて、自らを神の位置に就けました。人間は自分が善悪を知るものと思い上がって、神をさえ裁く者となりました。神を退けて人間がこの世界を治め、神を退けて人間が自らの人生を治めようとする者となりました。「これは私の人生だ」と。

 しかし、人間は神の位置に身を置いても、神にはなれません。神なしにこの世界を治めようとしても人は神にはなれません。神なしに自らの人生を治めようとしても、神にはなれません。いや自らの人生を治めるどころか、今日一日の生活すら私たちは治めることができません。神にはなれないどころか、我が身一つどうすることもできないような私たちです。そんな私たち人間が、自分を頼りにすることと、他の人間を頼りにすることしか考えられなければ、思い煩いを抱えることになるのは、当然のことなのです。

 イエス様はそんな人間の現実を良く御存じでした。ですから、思い煩いで心がいっぱいの人々に、このように語られたのです。「あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか」(マタイ6:27)。最もパーソナルな自分自身の寿命の問題でさえ、私たちはそれに指一本触れることができないのです。そんな私たちですから、神に対して高ぶって、自らが神の位置に留っている限り、様々なことに思い悩まざるを得ないのです。

心にかけていてくださる神
  だからペトロは「神の力強い御手の下で自分を低くしなさい」という言葉に、「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい」という言葉を続けるのです。「お任せしなさい」とは、「投げかける」と訳すことのできる言葉です。手に握ったままで物を投げることはできません。投げるためには手放さなくてはなりません。手放すことができるのは、受け止めて下さる方がおられるからです。私たちの思い煩いを受け止めてくださる方がおられるのです。

 その方について、聖書にはこのように語られています。「神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです」(7節)。「心にかけていてくださる」というのは良い訳だと思います。聖書が伝えているのは、まさにそういうことだからです。いつか「心にかけてくださる」のではないのです。思い煩いをお任せする時に、心にかけてくださるのではないのです。過去においても、未来においても、そしてこの瞬間にも「心にかけていてくださる」のです。

 私たちが高ぶって、神を忘れていたときに、神様は心にかけていてくださったのです。私たちがそのお方に信頼して生きるのではなく、そのお方に背を向け、自分の力に頼って生きていたそのとき、神様は私たちを心にかけていてくださったのです。そして、神は私たちを今も心にかけていてくださるのです。

 これをペトロ自身の経験から出た言葉として聞く時に、これはまことに心を打つ言葉として迫ってまいります。

 最後の晩餐の席において、イエス様が弟子たちの離反を予告した時、ペトロは「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません」(マルコ14:29)と言いました。しかし、主は言われました。「はっきり言っておくが、あなたは今日、今夜、鶏が二度鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう」(同30節)。かくしてそのとおりになりました。

 そのような自分が今、使徒とされている。それはまさに驚き以外の何ものでもなかったに違いないのです。どうしてこのようなことがあり得たのか。――「神が心にかけていてくださったから」としか言いようがないでしょう。傲慢にも「わたしはつまずきません」と言い放ったあの時、神は既にわたしを心にかけていてくださった。大祭司の中庭において、三度「知らない」と言った時、神はわたしを心にかけていてくださった。イエス様の言葉を思い出し、自らの罪と弱さに打ちのめされて声を上げて泣いていた時、そんなわたしを神は心にかけていてくださった。

 ペトロにはよくわかったと思います。そしてやがて知るに至ったのです。既にイエス様が十字架にかかられるためにこの世に来られたそのこと自体が、まさに神が心にかけていてくださることを現していたのだと。

 それゆえに、ペトロは「神の力強い御手の下で自分を低くしなさい」と語るのです。そのような、心にかけていてくださる神の御前で身を低くするのです。その力強い御手の下で身を低くするのです。裁く者であることをやめて、身を低くするのです。ただひたすら信頼する者として、身を低くするのです。

 私たちはこうして礼拝の場に集められているわけですが、神を礼拝し、神に祈るとは本来、神の御前で自らを低くすることなのでしょう。心にかけていてくださる神の力強い御手の下で、自らを低くすることなのでしょう。私たちの礼拝の姿は、礼拝する教会の姿は、神様からどのように見えているのでしょうか。

 この神の御前において身を低くすること、それがペトロの語るタペイノフロシュネー(謙遜)です。それを身に着けなさいと言うのです。そして、神の前に身を低くした者として、お互いの関係も築いていくのです。それが「皆互いに謙遜を身に着けなさい」という勧めの意味するところです。それが本来のお互いの関係なのです。ならば、お互いの関係においても、共に神の御前に身を低くすること、共に礼拝することは、中心的な意味を持つのです。

2026年4月15日水曜日

祈祷会用:サムエル記下 8:1~18

 サムエル記下 8:1-18

 7章におけるナタン預言とダビデの祈りから一転して、8章はダビデの戦果の報告です。内容は、周辺諸国がダビデに屈服し、イスラエルに隷属するものとなった、ということです。

 まずペリシテ人。シロの聖所が滅ぼされて後、サウルの時代を通じてイスラエルを支配していたペリシテ人が、ついにダビデの支配下に置かれることになったことが、1節に報告されています。

 そして、次に挙げられているのはモアブ人。これはなかなか理解することが困難な箇所です。というのも、サムエル記上22章を見ると、ダビデがサウルに追われアドラムの洞窟に難を避けていたとき、モアブの王に「神がわたしをどのようになさるか分かるまで、わたしの父母をあなたたちのもとに行かせてください」と言って、両親を託したという記事があるからです。そのように、もともとダビデは個人的にはモアブの王国と極めて親しい関係にあったものと思われます。実際、ダビデ自身にもモアブ人の血が流れているのです。曾祖母のルツはモアブ人だからです。

 ですから、ダビデがただ王国の領土の拡大を目論んで、積極的にモアブに軍事侵攻を開始したということは考えにくいのです。では、どうして親戚にも当たるモアブの王国と戦うことになったのか。――このあたりの事情については、後に読むことになる10章が参考になるかもしれません。

 後で改めて説明することになりますが、そこに描かれているのは、アンモン人の王が死んで、息子が王となった頃の話です。その時点でダビデの王国は相当に力を持つに至っていたのでしょう。軍事的な脅威は疑心暗鬼を生み出すことになります。

 ダビデの側としては、アンモン人の王の死に際して哀悼の意を露わそうとしただけなのに、高官たちは弔問のために送られた使節をスパイと見なしたのです。その結果、それまで友好関係にあったアンモン人の王国とイスラエルとは敵対関係になり、ついには全面戦争に発展して行ったのでした

 。恐らくは同様のことが、モアブとの間にも起こったのでしょう。モアブは戦わなくてよいはずの相手に、疑心暗鬼から弓を弾くことになったのです。

 しかし、重要なことは、先週お読みしましたナタン預言との関わりです。「わたしの民イスラエルの上に士師を立てたころからの敵をわたしがすべて退けて、あなたに安らぎを与える」という預言が語られていました。その予言が成就したことをこの章は証言しているのです。そう考えますと、この場合にもイスラエルの平和を脅かす要因がモアブの側にあり、それを主が退けられたということが語られていると理解してよいのでしょう。

 その次に挙げられている、ツォバの王ハダドエゼルおよび援軍として参戦したダマスコのアラム人との戦いについてはどうでしょう。ここにおいても、ダビデによる王国拡大のために侵略を開始したということではなく、「ツォバの王、レホブの子ハダドエゼルがユーフラテスに勢力を回復しようと行動を起こしたとき、彼を討ち」(3節)と書かれているのです。

 特にアラム人との戦いについては、先に触れた10章に記されている出来事と関係しているものと思われます。後に見ることになりますが、そこではダビデが積極的にアラム人との戦いを始めたのではなく、ツォバのアラム人が敵対してきたアンモン人の援軍として参戦したことが書かれているのです。要するに戦いを仕掛けたのは彼らなのです。

 加えて、ツォバの王から奪った戦車の馬の腱を切ったという出来事は、大事なことを伝えています。これはヨシュアもかつて行ったことですが(ヨシュア11:9)、ダビデがただ軍備を拡大していくことを考えていたとするならば、この行動は理解困難です。奪った馬はこちらの軍備として使えるわけですから。ですので、これらの行動は、やはりダビデが積極的には次なる軍事的な征服行動を考えてはいなかったことを示していると言えるのです。

 その後、戦いの話ではなく、ヒッタイト人の王国ハマトの王が平和的に王子を遣わしたという話が出ています。ハマトの王国はツォバのさらに北に当たります。ハダドエゼルはイスラエルと戦う一方でハマトとも戦っていたのです。しかし、ハダドエゼルが敗れたとなりますと、こんどはハマトがイスラエルと国境を接することになるのです。そこで彼らは、戦争という選択肢ではなく、いち早く友好的な関係を築くという選択肢を選び取ったのでした。

 そして、最後にエドム人が征服されたことが記されております。この戦いについてサムエル記は詳細を語ってはいません。しかし、この話は後々まで語り継がれたのでしょう。詩編60編はこの戦いを背景に作られた歌です。内容的には明らかに単純な勝利の歌ではなく、むしろ敗北して捕囚となった出来事を反映しています。そのことについては、後で改めて触れることにいたしましょう。

 さて、ダビデの戦果として報告されている一連の戦いについて見てきましたが、私たちはこのような血なまぐさい報告を読むことを快く思いませんし、また、身近にも感じません。しかし、実は、この章は私たちの信仰生活について、極めて重要なことを記しているのです。そこで、いくつかのことを考えてみたいと思います。

 第一に、ここでダビデが得た勝利は、力を付けたダビデ王国の軍事力による勝利であると記されてはおりません。二回繰り替えされている次の言葉は重要です。「主はダビデに、その行く先々で勝利を与えられた」(6節、14節)。つまり、ペリシテやモアブの征服の背後に主がおられるということです。ここに書かれていることは士師記に繰り返されていた「主の戦い」という思想の延長上にあることが分かります。

 このような「主の戦い」についての思想は、侵略戦争を正当化することに用いられる危険性を伴いますが、極めて重要なことをも語っています。それは神の裁きが単に終末論的に考えられるだけでなく、歴史の中で形を取るということです。

 この章における大事なポイントは、神の裁きが諸国民にまで及ぶのだ、という主張です。主は諸国民を支配する主でもあり、その裁きは全地に及ぶという教えです。その意味でこの部分はイザヤ書やエレミヤ書などの預言者の書に現れる「諸国民への預言」に相当すると見てよいでしょう。私たちは、神の支配と裁きが神を信じている人々だけに関係すると考えてはならないのです。

 第二に、このダビデの勝利は、ナタン預言に続けて書かれていることを心に留める必要があります。先に触れましたように、これは7章9節以下の記述が実現したことを示しているのです。つまり、主に油注がれた王は、「敵をことごとく断」つ王なのです。この油注がれた王によって、神の民は不正を行う者に圧迫されることなく、安らぎを得るのです。そして、ダビデは事実、そのように周辺諸国を支配し、イスラエルの民に平安を与えたのです。

 しかし、このこともまた、後の王国の滅亡という観点から見直さなくてはなりません。ダビデの平和はイスラエルの罪のゆえに失われてしまうのです。ダビデの王座は失われてしまうのです。ここから詩編60編のような歌が生まれることになったのです。

 ところが、もう一方において、神はダビデに対して、「あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに堅く据えられる」(7:16)と言われたのです。そこからやがてダビデの王座の回復と来るべき真の王の到来の希望が生まれます。これがメシア待望となるのです。ここに書かれているダビデの勝利は、後にイスラエルが支配された時代には、直接的に彼らの希望、メシアによる希望と結びつくことになるのです。

 このことはイエス・キリストが歴史の中に登場した時の背景を理解する上でも重要です。福音書を読みますと、人々の期待とイエスの行動との間に大きな隔たりがあることを見ることができます。人々は、明らかに、政治的な解放者としてのメシアを求めていたことが分かります。その期待の背景にあったのが、ナタン預言の約束だったのです。また、それに続く、諸国民を屈服させ支配するダビデ像だったのです。

 これに対して、福音書は、イエス様が苦難のメシアとして十字架に向かわれる姿を描きます。では、あの支配する王としてのメシア像は間違いなのでしょうか。それは教会から失われてしまったのでしょうか。いいえ、そのようなことはありません。王として全地を支配するメシアの姿は、依然として教会の希望の中に生き続けているのです。例えば、今日の箇所と同じように、敵を支配する王について語っている詩編110編は、繰り返し新約聖書に引用されているのです(マタイ22:44、使徒2:34以下など)。そこでは、復活したイエス様が、やがて敵を支配する王なるメシアに他ならないことが語られているのです。

 まず、罪が贖われなくてはなりませんでした。メシアは苦難を受け、罪を贖わなくてはなりませんでした。しかし、苦難の姿がメシアの最後の姿なのではありません。メシアは王なのです。最後に神の正義を貫かれる王なのです。神の正義によって全地を裁かれる王なのです。この王としてのメシア像を心に抱いているか否かで、信仰生活は全く異なったものになります。このイメージを持つために、勝利者としてのダビデの姿は重要な意味を持っているのです。

2026年4月12日日曜日

「土の器ではあるけれど」 

2026年4月12日 主日礼拝説教 

コリントの信徒への手紙二 4:7-16

土の器の中に
 今日の第二朗読では、コリントの教会に宛てたパウロの手紙をお読みしました。そこで彼はこう言っています。「ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています」(2コリント4:7)。

 「土の器」という表現は、ある意味ではたいへん分かりやすい。私たちは確かに「土の器」です。土の器の特徴は弱さであり脆さです。壊れやすい。最終的には、必ず壊れてしまう。そのような意味において、私たちは土の器です。どんなに強がって見せても土の器に過ぎません。いや、私たちは土の器に過ぎないことを知っているからこそ、強がるのかもしれません。土の器であることは怖いから。土の器であることを認めることは恐ろしいことだから。

 しかし、パウロは自分が土の器であることを認めた上で、まことに驚くべきことを宣言するのです。「わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰らず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない」(8‐9節)。

 私たちが、自分を土の器だと実感するのは、苦難の中に置かれた時でしょう。すべてが順調に進んでいるとき、自分の弱さは問題とはなりません。しかし、苦難においては脆さが問題となります。四方から苦しめられるときには弱さが大きな問題となります。しかし、パウロが言っていることは、要するに「土の器であっても大丈夫」ということです。

 決定的に重要なことは別にあります。パウロはこう言っているのです。「《このような宝を》土の器に納めています」と。重要なのは、中に何を納めているのか、ということなのです。こわれてしまうような土の器で良いのです。その中に宝を持つことです。

 パウロが言っている「このような宝」とは何でしょうか。実は、今日の朗読箇所の直前にそのことが書かれているのです。「『闇から光が輝き出よ』と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました」(6節)。――これが宝です。

 神は信仰という光を与えてくださいました。十字架にかかられたイエス・キリストを、栄光に満ちた神の子、救い主として示してくださり、イエス・キリストを信じる者としてくださったのです。「イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださった」とは、そういうことです。

 いや、ここに書かれているのは、さらにそれ以上のことです。「わたしたちの心の内に輝いて」と書かれていますでしょう。主語は誰ですか。神様御自身です。なんと神御自身が私たちの心の内に光となって輝いて照らしてくださったと書かれているのです。――これ以上の宝があるでしょうか。

 イエス・キリストの福音は、単なる一つの思想ではありません。私たちに与えられた信仰は、単なる「心の持ちよう」などではありません。それは一つの出来事です。それは実に神御自身が来られて自ら輝いて光となって私たちの心の暗闇を照らしてくださるという出来事なのです。単なる一つの思想を、パウロは「宝」などとは呼ばないでしょう。それは神の圧倒的な恵みによる御業であり出来事であり事実であるゆえに、それは宝なのです。いかなるものにもまさる宝なのです。もし私たちがそれほどに思っていないとするならば、それは与えられているものの真価が分かっていないということなのです。

 私たちは確かに土の器かもしれない。しかし、宝を内に納めた土の器として生きることができるのです。そこにこそ救いがあるのです。この宝が私たち自身とこの世を救うのです。私たちは、自分で自分を救うことができません。私たちは、私たち自身の力で、この世界を救うことはできません。私たちは皆、土の器なのですから。この世界そのものが土の器なのですから。救いは神から来るのです。神からの宝こそが私たち自身とこの世界を救うのです。

 救いが神から来るものであるならば、私たち自身が土の器であることは、まったく問題ではありません。土の器であるからこそ、神の与えてくださった宝の真価が表れるからです。

 実際、これを言っているパウロ自身、「土の器」であることの一つの現われとして、何かしらの病気を負っていたようです。彼はそれを身に与えられた「一つのとげ」と表現しています。それが何かは分かりません。しかし、それは恐らくパウロの伝道の働きにも支障をきたすようなものだったのでしょう。だからパウロはこのとげが取り除かれるように祈り求めたのです。そのことが、この手紙の12章に書かれています。

 しかし、主はそのとげを取り去ることはありませんでした。主はパウロにこう言われたのです。「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(12:9)。これがパウロの得た答えでした。それゆえにさらにパウロはこう語るのです。「だから、キリストの力がわたしのうちに宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです」(12:9‐10)。

 そのようなパウロであるからこそ、今日の聖書箇所においても、確信をもってこう言っていたのです。「わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰らず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない」と。土の器であっても大丈夫。それがパウロの確信だったのです。

イエスの命が現われるために
 さらに、パウロは10節以下においてこう続けます。「わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています。イエスの命がこの体に現われるために。わたしたちは生きている間、絶えずイエスのために死にさらされています。死ぬはずのこの身にイエスの命が現われるために」(10‐11節)。土の器であることについて、パウロはさらにこれを「いつもイエスの死を体にまとっている」と表現しています。今日はさらに残された時間、この「死を体にまとう」という不思議な表現について、しばらく一緒に考えてみたいと思います。

 細かい話になりますが、ここで用いられている「死」という言葉は、「死」そのものを表現するために通常用いられる言葉ではありません。あえて言葉を加えるならば、それは「死につつある人の状態」を表す言葉です。「死」そのものというよりも、「死んでいくプロセス」と言っても良いでしょう。

 人間が死んでいくプロセスは、ある意味では生まれたときから始まっていると言えます。土の器であるとはそういうことでしょう。その意味で、人は誰でも「生まれながらに死を体にまとっている」と言えるのです。ですからその事実が様々な形で現れます。例えば病気という形で現れます。人生の途上で体の機能の一部を失うということもあるでしょう。次第に衰えていくということも起こります。死を体にまとっているのですから当然です。そこには誰一人例外はありません。

 もちろんキリスト者も例外ではありません。クリスチャンになったら病気にはならないか。苦しんだり災いに遭ったりすることはないか。信仰者は死なないか。そんなことはないでしょう。いやむしろ、パウロや当時のキリスト者のように、迫害によって「死を体にまとっている」という事実が表に現れることもあります。信仰のゆえに殉教して死ぬ者もいたのですから。

 しかし、土の器に宝を持つならば、イエス・キリストを信じる信仰があるならば、決定的に異なることがあるのです。それはいかなる苦しみも、もはや決して孤独に一人で背負うことはない、ということです。そこで味わっているのは自分の苦しみであり、自分の死であるはずなのに、「イエスの死を体にまとっている」と語られているのです。私たちは苦しみにおいて、イエス様と一つになるのです。

 これはイエス様の側から言うならば、「あなたは一人で苦しんでいるのではない」ということです。「あなたは《わたしの死を》体にまとっているのだ。苦しんでいるあなたの身において、わたしとあなたは一つだ」。――イエス様がそう言ってくださっているということです。

 そして、私たちは知っているのです。十字架にかかって苦しんで死んでいったイエス様は復活なさったと。十字架の向こうに復活があった。ならば、私たちが十字架にかかったイエス様と一つになるならば、復活したイエス様とも一つになるのです。「イエスの死を体にまとう」なら、イエスの命もまた体に現われるのです。「いつもイエスの死を体にまとっているのは、イエスの命がこの体に現われるためなのだ」とパウロは言うのです。

 実際、私たちがしばしば目にするのは、様々な苦難中にあってなお、苦難の中にあるからこそ、イエス様の命に輝いている信仰者の姿です。病気の床にある人において、迫害の中に置かれている人において、無駄な労苦に何年も人生を費やしているように見える人において、確かに、「イエスの命がこの体に現われる」ということが起こっているのを、私たちはしばしば目の当たりにするのです。イエスの死を身に負う時、イエスの命も現われる。それは真実です。

 そして、私たちがイエスの死を完全に身に負ったとき、負い抜いたとき、そのようにして私たちが地上の人生を全うした時、そして土の器が土に帰る時、イエス様の命もまた完全に現われるのです。十字架で死んだイエス様が復活して永遠の命に輝いたように、私たちもやがて神の国に復活して永遠の命に輝き、神の御前に立たせていただけるのです。「主イエスを復活させた神が、イエスと共にわたしたちをも復活させ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださると、わたしたちは知っています」(4:14)とパウロは言います。これこそ、私たち土の器に与えられている究極の希望なのです。


2026年4月8日水曜日

祈祷会用:サムエル記下 7:1~29

 サムエル記下 7:1-29

 エブス人の町エルサレムがイスラエルによって征服されて、統一国家の都として確立された時、ダビデが思い立ったのはエルサレムに神の箱を移すことでした。神の箱がダビデの町に運び上げられる時、ダビデが主の御前で跳ね躍って喜び迎えたことが6章に記されています。

 既にエルサレムには神の箱が安置されるべき天幕が用意されていました。かつて荒れ野を旅していた時のように、また、シロに聖所があった時のように、定められた仕方で建て上げられた「臨在の幕屋」と呼ばれる天幕です。神の箱がそこに安置されると、ダビデは主の御前に焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげました。――こうして、神の箱は紀元前6世紀にユダが滅亡するまで、エルサレムに留まることとなるのです。

 さて、7章に入りますと、神の箱のために天幕を張ったダビデが、天幕に代えて神殿の建設を思い立ったことが記されています。さらに、ダビデの計画について、神が預言者ナタンの口を通して語られたことが記されています。それらの言葉はこの章のほぼ半分を占めています。

 このように一人の人が長く語るところは、物語全体の主題に関する重要な部分であると以前申し上げました。特に今日の箇所は「ナタン預言」と呼ばれるところで、ヨシュア記から列王記に至るこの壮大な歴史物語全体において、中心的な意味を持つ重要な預言の言葉なのです。

 そこには、この後400年以上続くことになる「ダビデ王朝」という存在が何を意味するのかが明らかにされています。それは裏を返すなら、ダビデ王朝が紀元前6世紀に形の上では滅びることになる時、すなわち、王国が崩壊し、神殿が破壊された時に、いったい何が問題であったかを指し示す言葉ともなるのです。

 しかし、もう一方において、ダビデ王朝が滅びた時、このナタン預言は大きな希望の拠り所ともなったのです。そこには、神御自身がダビデの王座を堅く据えると約束されているからです。そして、さらに言うならば、その約束があったからこそ、ダビデの裔であるメシア(キリスト)が到来したのです。その意味で、メシアの到来を信じている私たちにとっても、このナタンの預言は大きな意味を持っていると言えるでしょう。

 それでは物語に目を移しましょう。ダビデは預言者ナタンに神殿の建設について相談しました。その背景にあったのは、ダビデがエルサレムを征服するや、いち早くティルスの王ヒラムがレバノン杉や木工、石工を送って、ダビデの王宮を建てたことにあります。5章11節以下に書かれていました。

 それゆえ、ダビデは言うのです。「見なさい。わたしはレバノン杉の家に住んでいるが、神の箱は天幕を張った中に置いたままだ」と。確かに言われてみれば、いかにも主が粗末に扱われているように見えなくもない。ナタンはダビデの計画を良きことと見て、それに同意します。「心にあることは何でも実行なさるとよいでしょう」。しかし、その夜、主の言葉が臨みます。それが5節以下の言葉です。

 ここでまず注目すべきは、「家」と「天幕」、「住む」と「歩む」という言葉の対比です。ダビデは神のために「住むべき家」を建てようとしたのです。家と天幕の違いは移動性です。神の箱が「天幕」に置かれていたのは、イスラエルがカナンの地に定住する前、荒れ野を旅して移動していた時代の名残です。

 既にイスラエルがカナンの地に入り定住するようになって百年以上も経過しています。王国の首都もエルサレムと定められてもはや移動することはありません。そこに王宮も建てられております。当然、聖所が移動式の天幕である必要もありません。ダビデが「天幕」ではなく「家」を建てようとしたことは自然であると言えるでしょう。

 しかし、神の箱が天幕に置かれていたことは、かつての時代の名残であるだけでなく、イスラエルの神がいかなる方であるかという本質的なことを指し示していたのです。ダビデはまずそのことを知らされる必要がありました。それはイスラエルの神は「共に歩まれる神」なのだということです。「わたしはイスラエルの子らと常に共に歩んできたが」(7節)と書かれているとおりです。

 このことは、彼らがカナンの地に定住するようになったからこそ、語られねばなりませんでした。なぜなら、カナンの地にはもともとバアルを礼拝する土着の宗教が存在していたからです。バアルは「主人」という意味です。それは土地の女神アシュタロトの夫です。地の作物はバアルによるアシュタロトの出産と考えられておりました。このようにバアルは土地と結びついた豊作の神なのです。

 それに対して、イスラエルの神である主はそうではありません。主は土地の神ではなくて、人と結びついている神、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」なのです。神は土地にではなく、人生と関わり、民の生活と関わっているのです。イスラエルが主の幕屋と共に荒れ野を旅をしていた時には、そのことが実に明瞭でありました。

 しかし、カナンへの定住と共に、その関係は見えにくくなったのです。神と民との関係が、バアルと土地との関係にとって代わられる危険がありました。そうなった時には、神はただ豊作をもたらすためだけの存在となるのです。もはや「共に生きる神」「共に歩む神」ではなくなってしまうのです。実際、彼らはそのようなバアル化の強烈な影響のもとに置かれてきたのです。

 それゆえに、王が神殿を建てることを思い立った時、ダビデはまず、神の箱が幕屋に置かれてきた意味を改めて教えられなくてはならなかったのです。確かに後の時代に、神殿は建てられることになります。しかし、それでもなお、神が幕屋を住まいとしていたことの意味そのものは、後の時代においても決して忘れられてはならなかったのです。

 そして、さらに預言は「わたしの僕ダビデに告げよ」(8節)と続きます。ダビデが神のために神殿を建てようとしていたときに、むしろ神がダビデのために家を興すと語り始めます。ここで注目すべき言葉は数多く繰り返される「わたし」という言葉です。ダビデが王であるのはなぜか。彼は羊飼いだったのです。その彼を主が「牧場の羊の群れの後ろからあなたを取って、わたしの民イスラエルの指導者にした」のです。

 ここにおいて、これまでの物語において、ダビデの王座獲得がクーデターではなかったという事実が重要になります。それは神の恵みと選びによるのです。神がこれまでダビデと共に歩んでくださったように、これからも「わたしは共にいる」と言ってくださることによって成り立つ。それがダビデ王朝なのです。

 それゆえにダビデ王朝の存在は、王国が何によって成り立つのかを示す「しるし」でもあるのです。王国を揺るぎないものとするのは人間ではなく神御自身なのです。「あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに堅く据えられる」(16節)と語られているとおりです。

 もしダビデ王家が、またその王国が、神殿を建てるように人間がその力をもって建てたものならば、それを支える人の力が失われた時に崩壊することになるでしょう。国家は国力が失われることによって崩壊することになるのです。

 しかし、ダビデの王国はそうではないのです。これは神が建てたものであり、神の恵みによって成るものなのです。ならば、もし崩壊するとするならば、それは人間が力を失った時ではなくて、人間が神との間に正しい関係を失った時なのです。すなわち、人間が神の恵みを恵みとして受け取らなくなった時なのです。

 ですから、ダビデにとって第一に大切なことは神のために何を為しえるかということではありませんでした。神の恵みを恵みとしてしっかりと受け止めることだったのです。

 18節以下において、ダビデは主の御前において祈ります。そこで語られていることは、もはや「わたしはあなたのために何かを成し遂げましょう」ということではありません。彼は神の御業を自分の言葉で語り直します。そして、その御業を誉め称えるのです。

 また神の言葉の真実に依り頼んで、「主なる神よ、今この僕とその家について賜った御言葉をとこしえに守り、御言葉のとおりになさってください」(25節)と語るのです。ここでダビデがしていることは、いわば彼の信仰告白なのです。

 私たちが信仰告白を唱える時にも、そこで為されていることは基本的には同じです。私たちが礼拝においてする第一のことは、神に対する決意表明ではありません。神の恵みを恵みとして受け止め、神の恵みの御業を自分の口をもって語ることなのです。ダビデの王国がそうであったように、教会もまたその信仰告白の上に成り立つものだからです。


2026年4月5日日曜日

「絶望を押し流す圧倒的な神の恵み」

2026年4月5日 イースター礼拝説教 

聖書:マルコによる福音書 16:1‐8

絶望した人々
 今年のイースターにおいては、マルコによる福音書16章が読まれました。キリストの復活を伝える聖書箇所です。しかし、私たちはまずその直前、15章の最後に書かれていることに目を向けておきたいと思います。「ヨセフは亜麻布を買い、イエスを十字架から降ろしてその布で巻き、岩を掘って作った墓の中に納め、墓の入り口には石を転がしておいた。マグダラのマリアとヨセの母マリアとは、イエスの遺体を納めた場所を見つめていた」(15:46‐47)。

 そこには今日の聖書箇所と関係する人々が出てきます。まずはヨセフです。彼はイエス様の葬られたあの墓の持ち主です。彼は最高法院の議員でした。イエス様に有罪判決を下し死刑を言い渡したあの最高法院の一員です。しかし、イエス様を手厚く葬ったこの男は、明らかにイエス様に対して好意的です。彼には、このイエスという人物が、死罪に当たるとはどうしても思えなかったに違いありません。真夜中に行われた異常な裁判による判決は、どう見ても正当ではないと思っていたことでしょう。

 しかし、彼はイエスを守れなかったのです。彼の属する最高法院の決定により、宗教的な正義の名のもとに、イエスは処刑されて死んでしまいました。ヨセフは、せめてイエスをきちんと墓に葬りたいと思った。ですから自分の墓を提供したのです。しかし、遺体を墓に納めたところで、何が変わるわけでもありません。事態を変え得なかった自分の無力さ、正義の名のもとに犯してしまった大きな大きな罪。それは動かしがたい事実なのであって、もはや何も変わらないのです。すべては終わったのです。

 そして、またそこには婦人たちが出てきます。マグダラのマリアとヨセの母マリア。イエス様を愛し、慕っていた婦人たちです。しかし、彼らもイエス様を守ることはできませんでした。十字架につけられ苦しんでいるイエス様に対しても、ただ見つめていることしかできませんでした。彼らの目の前で、イエス様は息を引き取りました。「マグダラのマリアとヨセの母マリアとは、イエスの遺体を納めた場所を見つめていた」と書かれています。彼らはいつまでもいつまでも見つめていたことでしょう。しかし、それで何が変わるわけではありません。すべては終わったのです。

 私たちは、その場面に登場しない人々のことにも思いを馳せるべきでしょう。イエスの弟子たちです。彼らはこの前後にまったく現れません。イエス様を見捨てて逃げてしまったからです。「あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と誓ったペトロ。しかし、実際には、鶏が二度鳴く前に三度イエス様を知らないと否んでしまったペトロ。彼はイエス様が葬られた後の安息日を、どんな思いで過ごしていたのでしょう。見捨てられることによる絶望というものがあります。しかし、誰かを見捨ててしまったという自責の念における絶望は、より深いとも言えます。自分を責めたところで、もはや何も変わりません。すべては終わったのです。

 イエス様は死んでしまって、墓に葬られました。その入り口は石でふさがれました。その石は大きかったと記されています。あの婦人たちが見つめていた墓の入り口にある大きな石、動かし難い大きな石。それはヨセフや婦人たちやあの弟子たちの絶望の大きさを象徴しているように思えてなりません。彼らの心の中には、あの墓の石よりも、もっともっと大きな動かし難い絶望という石があったのです。

 しかし、そこに本日お読みしたあの聖書の言葉が続きます。そこにはこう書かれているのです。「ところが、目を上げて見ると、石はすでにわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである」(4節)。三日目の朝、あの日曜日の朝、あの婦人たちはイエス様の遺体に油を塗りに墓に行きました。彼らは「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。しかし、「目を上げて見ると、石はすでにわきへ転がしてあった」と書かれています。だれが転がしてくれたのでしょう。神様です。

 いや、転がされたのは石だけではありません。その石が象徴していた死の現実、絶望そのものが転がされたのです。彼女たちは、墓の中にいた若者から、こんな言葉を聞くのす。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である」(6節)。

 神がおられないならば、絶望は絶望でしかありません。死人は永遠に死人でしかありません。人間にはどうすることもできないのですから。しかし、あの時、あの女性たちは、絶望をひっくり返して、転がして、押し流してしまうほどの、圧倒的な神のリアリティに触れたのです。それがあの日に起こった出来事であり、教会が「キリストの復活」として二千年もの長きに渡って宣べ伝えてきた出来事なのです。そして、私たちがよく知るように、絶望が転がされたあの墓から始まったことが、まるで絶望を押し流す洪水のように流れくだって、後の歴史を大きく動かしてきたのです。だから、遠く離れた日本にもこうして教会があり、二千年の後にも、こうして復活祭を祝っているのです。

恐れから喜びへ
 しかし、今、「祝っている」と申しましたが、あの日、あの時、あの出来事は、あの婦人たちに、単純に喜びをもたらしはしませんでした。今日の聖書箇所にはこう書かれているのです。「婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである」(8節)。実はもともとマルコによる福音書は、この言葉で終わっていたのです。そして、彼女たちが「恐れた」ということ自体、大きな意味を持っているのです。

 人は観念としての神を恐れることはありません。哲学者の神を恐れることはありません。神は存在するか否かという議論の対象となるような、そんな神を恐れることはないのです。単なるご利益祈願の対象である神を恐れることはありません。

 しかし、人が生けるまことの神を意識し始めるならば、それが本当に神であるならば、そこで人は恐れを抱かざるを得なくなるのです。なぜなら、聖書が語るように、「神の御前では隠れた被造物は一つもなく、すべてのものが神の目には裸であり、さらけ出されている」(ヘブライ4:13)からです。人はごまかせても、神をごまかすことはできない。人の前では繕えようとも、神の前では取り繕うことはできない。それが本当に神ならば、人間は、その御前でどう生きてきたのか、どう生きているのかが問われることになる。ならば、恐れざるを得ないでしょう。

 神がおられなければ絶望は絶望でしかない。死人は永遠に死人でしかないのです。しかし、その現実を覆すまことの神がおられるなら、人間は恐れざるを得ないのです。その事実を聖書は正直に言い表しているのです。「婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである」。

 これが本来のマルコによる福音書の最後の言葉だと先ほど申しました。でも、変だと思いませんか。本当に「だれにも何も言わなかった」ということが結論なら、この出来事を私たちが今読んでいるのは変でしょう。――結局、彼女たちは語りだしたんです。あの日の出来事を宣べ伝えたのです。どうしてか。恐れは、恐れのままに終わらなかったからです。

 確かに、彼女たちは、まことの神のリアリティに触れたのです。その神の御前においては、一切のごまかしもきかない――そのようなまことの神に触れたのです。だから彼女たちは震え上がった。しかし、その神はイエス・キリストを世に遣わされた神でもあるのです。この世の罪をあがなうために、人間の罪を赦すためにキリストを十字架につけられた神でもあるのです。

 私たちはキリストの復活後、人類に対して最初に与えられたメッセージにもう一度耳を傾けたいと思うのです。キリストの復活を告げたあの若者はいったい何と言っているでしょうか。彼は、こう語ったのです。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である」(6節)。

 ここで大切なことは、ただ単に「死んでしまったイエスが復活させられた」と告げられているのではない、ということです。「十字架につけられたナザレのイエスが復活させられた」と告げられているのです。ナザレのイエスが十字架につけられたのは誰のためですか。私たちのためです。私たちの罪が赦されるために、罪の贖いの犠牲となってくださったのです。そのキリストを神は復活させられたのです。

 先ほど、あの時、あの女性たちは、絶望をひっくり返して、転がして、押し流してしまうほどの、圧倒的な神のリアリティに触れたのです」と申しました。しかし、正確にいうならば、彼女たちが目にし、触れていたのは、「圧倒的な恵みの神のリアリティ」だったのです。だから、恐れは恐れで終わらなかった。彼女たちは語りだしたのです。

 そして、さらにあの若者が告げた恵みに満ちた言葉は、恐れのゆえに沈黙したあの女性たちを、後に弟子たちのもとへと向かわせることになったのです。彼はこう続けたのでした。「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と」(7節)。――まさに、これこそ神の恵みではないですか。

 確かに弟子たちはイエス様を見捨てて逃げました。ここでことさらに「弟子たちとペトロに告げなさい」と言われています。確かにペトロはイエス様を三度も否みました。その事実そのものは変わりません。しかし、恵みの神のリアリティは、溢れ流れて、絶望の石をひっくり返して、彼らのところにも及ぶのです。「あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる」。

 ガリラヤとは、彼らが初めてイエス様に出会ったあの場所です。「わたしに従え」と言われた、あの場所です。あの場所に戻って、彼らはもう一度、招きの言葉を聞くのです。絶望をもたらした過去の事実は変わらない。しかし、その絶望を転がされた者として、彼らはキリストに従って、キリストと共に生きて行くのです。キリストの復活が伝えられているのだから。

 そして、それはあの弟子たちだけの話ではありません。過去の事実は変わりません。しかし、人は絶望を転がされた者として、キリストと共に生きていくことはできるのです。私たちにも、時を経て、キリストの復活が伝えられているからです。あの墓から始まった大きな流れは、ここにまで及んでいるからです。

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