2026年7月26日日曜日

「私たちを造り変える聖霊」

2026年7月26日 主日礼拝説教 

聖書:コリントの信徒への手紙二 3:12‐18

 今日は7月の第4主日ですので、年度主題を覚えて礼拝をおささげします。毎月、確認していますが、今年度の年度主題は「聖霊の神殿である私たち」です。私たちを神殿として私たちに宿っておられる聖霊のお働きに思いを向けて、今日も御言葉に耳を傾けます。今日は特に、私たちを造りかえる聖霊のお働きに私たちの思いを向けることといたしましょう。

主と同じ姿に
 さて、世の中には、「自分を変えたい」「自分は変りたい」と思っている人、思ったことのある人は少なくないことと思います。しかし、それは何のためでしょう。また、どのように変わることを願っているのでしょうか。ここにいる私たちが変わることを願うとするならば、どのような自分になることを求めたらよいのでしょう。

 聖書は、私たちが変わっていくべき方向を明確に示しています。例えば、ローマの信徒への手紙8章29節には次のように記されています。「神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです」(ローマ8:29)。

 そして、本日与えられている聖書箇所の中にも次のように書かれていました。「わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです」(2コリント3:18)。

 そのように、「御子の姿に似たものに」と書かれ、「主と同じ姿に」と書かれています。これが聖書の指し示す方向です。それは、キリストの似姿です。しかし、主と同じ姿に変えられるとは、具体的にはどのように変わることなのでしょうか。それは言葉としては理解できますが、意味するところは必ずしも明白ではありません。また、ともすると、自分勝手なキリストのイメージを持ち込んでしまうことにもなりかねません。私たちは、あくまでも聖書の語るところに即して考えなくてはならないのです。

 ちなみに、この章はパウロが神から与えられた自らの職務について語っている箇所です。彼は使徒としての職務を与えられたことを次のように表現しています。「神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました」(3:6)。そして、その新しい契約に仕える務めについて、古い契約に仕えたモーセの職務と対比させながら語っているのです。

 先ほどお読みしました18節は、そのような流れの中において語られているのです。ならば、「主と同じ姿に造りかえられる」ということに関しても、これを「新しい契約」との関連で理解しなくてはならないのです。

心に記される神の律法
 では、その「新しい契約」とは何でしょう。この言葉は本日の第一朗読において読まれたエレミヤ書に出てきました。次のように書かれています。「見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。この契約は、かつてわたしが彼らの先祖の手を取ってエジプトの地から導き出したときに結んだものではない。わたしが彼らの主人であったにもかかわらず、彼らはこの契約を破った、と主は言われる。しかし、来るべき日に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。そのとき、人々は隣人どうし、兄弟どうし、『主を知れ』と言って教えることはない。彼らはすべて、小さい者も大きい者もわたしを知るからである、と主は言われる。わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない」(エレミヤ31・31‐34)。

 かつて神はイスラエルの民をエジプトから導き出し、十戒を与えて彼らと契約を結びました。彼らは神の民となり、神は彼らの神となられました。その契約に仕えたのがモーセです。イスラエルの民は、モーセを通して与えられた律法に従い、この世界に神の支配と神の救いの計画を指し示す民となるはずでした。しかし、彼らは神の戒めに背きました。神との契約を破ったのです。旧約聖書はその不従順な民の罪の歴史をごまかすことなく記しています。

 しかし、神は御自分の民を、そしてこの世界を、見捨ててしまうことはありませんでした。神の救いの計画はイスラエルの不従順にもかかわらず進められていったのです。「古い契約」が無効とされて終わりではありません。神はエレミヤに「新しい契約」の預言を与えられたのです。

 神は、罪の赦しに基づいて、新しい契約を結ばれるのです。そこで主は言われます。「わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す」と。古い契約において、律法は石の板に刻まれました。しかし、イスラエルの民はその律法を守れませんでした。それゆえ、新しい契約において、神はその律法を心に記すと言われるのです。

 ここで聖餐式の度に読まれる御言葉を思い起こしてください。キリストは、最後の晩餐において、杯を取って感謝の祈りをささげ、こう言われたのです。「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」(1コリント11:25)。――このキリストの言葉が、今日も繰り返し語られてるとはどういうことですか。それは、エレミヤの預言がここに実現しているということを意味するのです。

 キリストが十字架にかかられて流された血によって、新しい契約が立てられました。今日もなお同じ主の言葉が語られ、聖餐が行われております。キリスト者となって聖餐に与るということは、この新しい契約の中に生きていることを意味します。教会は、キリストの血によって立てられた新しい契約による神の民なのです。ですから、使徒パウロは自分自身を、新しい契約に仕える者として語っているのです。

 新しい契約においては、律法は石の板ではなく、心に記されます。心に記されるべき律法が何であるかは、既に十戒において示されています。キリストはこの律法を二つの最も重要な戒めとして要約されました。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない」(マルコ12:29‐31)。律法が心に書き記されるということは、この戒めが私たちの内に実現することに他なりません。すなわち、私たちがまことに神を愛し、人を愛する者となることです。

 新しい契約に生きる者にとって、人生の意味と目的は単純明快です。人生の意味と目的は、神を愛し、人を愛することにあります。家庭生活、社会生活における人生の課題のすべてはこの原則の応用問題に他なりません。

 私たちは変わらねばなりません。その方向は明瞭に示されています。神を愛し、人を愛する者となることです。その完成はどのような姿となるでしょう。それが「主と同じ姿」なのです。キリストこそ、まことに父なる神を愛し、そして人を愛された方だからです。その愛の真実は十字架に向かう歩みにおいて現され、その栄光は復活において現されました。私たちは、その姿へと向かっているのです。これは人生の大目標であり、教会の歴史の大目標なのです。


主の霊によって
 しかし、まことに神を愛し、人を愛する者となり、主と同じ姿となるということであるならば、それは単純に私たちの努力によって実現され得ることでないことは明らかです。ですから、パウロはここで、主と同じ姿に「造りかえられていきます」と語るのです。人間はあくまでも受け身です。人間は、自分の心に律法を書き記すことはできません。書き記していただくしかないのです。それゆえに、「これは主の霊の働きによることです」と言われているのです。これは聖霊のお働きなのです。

 しかし、ここではあえて聖霊が「主の霊」と呼ばれています。そして、主と同じ姿に変えられることが、「主の霊」によるならば、そこで最も重要なのは主とどのような関係にあるか、ということなのでしょう。「主の方に向き直れば、覆いは取り去られます」と書かれています。パウロがこのように書くのは、同胞であるユダヤ人のことを考えているからです。相変わらず、モーセの律法の書が読まれています。彼らは律法を遵守するために真剣に努力しています。しかし、キリストには背を向けたままであり、心には覆いがかかったままなのです。

 覆いは取り去られねばなりません。そのためには、心に律法を書き記すのは主の霊のお働きであることを認めて、主の方に向き直って生きていくことなのです。主に向き直るということは、観念的なことではありません。単に心情的なことでもありません。「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である」と言われる主に向いて生きていく生活は、具体的な形を取るのです。それは御言葉を聞き、共に礼拝をささげ、聖餐に与りながら形づくられる生活です。そのように具体的に主に向く生活を重んじることをしないで、「私は少しも変わらない」と嘆いても何の意味もありません。

 一方、私たちが新しい契約の民として主に向いて生きていくならば、「私は少しも変わらない」と思えたとしても、少しも心配する必要はありません。主の霊が私たちを主と同じ姿に造りかえてゆくのです。それは私たちの努力を越えた、主の救いの御業なのです。私たちが新しい契約の中に生きるなら、その御業がやがて完成する時が来るでしょう。パウロはこう言いました。「あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています」(フィリピ1・6)。私たちもまた主の約束に信頼し、パウロのこの言葉に喜びと感謝をもって「アーメン」と唱和してまいりましょう。

2026年7月22日水曜日

祈祷会用:サムエル記下 17:1~24

 サムエル記下 17:1~24

 ダビデ王は都を追われました。アブサロムは新しい王として、「イスラエル人の兵士を全員率いてエルサレムに入城」(16:15)しました。ここからも、軍事的にアブサロムを支えたのは実質的には北の諸部族の兵士たちであることが分かります。

 さて、そこに「アヒトフェルも共にいた」(同)と書かれていました。ダビデの顧問であったアヒトフェルがアブサロムの側に付いたことは、既に15章で見てきました。そのアヒトフェルがアブサロムに提案します。「お父上の側女たちのところにお入りになるのがよいでしょう。お父上は王宮を守らせるため側女たちを残しておられます。あなたがあえてお父上の憎悪の的となられたと全イスラエルが聞けば、あなたについている者はすべて、奮い立つでしょう」(16:21)。その頃、アヒトフェルの提案は、神託のように受け取られていました。アブサロムはその提案に従い、全イスラエルの注目の中で父の側女たちを自分のものとします。ここにおいて、アブサロムとダビデの対立は修復不可能となったことは、誰の目にも明らかでした。

 こうしてアブサロムが長年かけて準備してきたクーデターの計画は、いよいよ最終段階に入ることとなります。すなわち、最終的な目標はダビデの命です。前王を討ち取ること。ダビデが生きて残っている限り、アブサロムの王権は確かにはならないからです。

 そこで、アヒトフェルはさらにアブサロムに提案しました。「一万二千の兵をわたしに選ばせてください。今夜のうちに出発してダビデを追跡します。疲れて力を失っているところを急襲すれば、彼は恐れ、彼に従っている兵士も全員逃げ出すでしょう。わたしは王一人を討ち取ります。兵士全員をあなたのもとに連れ戻します。あなたのねらっておられる人のもとに、かつてすべての者が帰ったように。そうすれば、民全体が平和になります」(1‐3節)。

 この言葉はアブサロムにも、イスラエルの長老全員の目にも正しいものと映りました。実際、アヒトフェルの洞察力は恐るべきものであったと言わざるを得ません。彼は全く正しかったのです。16章14節には「王も同行の兵士も皆、疲れて到着し、そこで一息ついた」と書かれています。そこは約束していた待ち合わせの場所です。15章28節において「分かったか。わたしはあなたたちからの知らせを受けるまで、荒れ野の渡し場で待っている」とツァドクに言ったその場所です。彼らはヨルダン川を渡る手前で休んでいる。そこで知らせを待っているのです。ヨルダンを渡った後では急襲は難しい。手前にいるなら可能です。そこでアヒトフェルの速戦即決の策が実行されたなら、恐らくダビデに勝算はなかったでしょう。兵士たちは逃げ出し、ダビデは討ち取られていたに違いありません。

 神託とも見なされていたアヒトフェルの提言です。普通なら即実行に移されていたはずです。しかし、この時は不思議とそうはならなかった。アブサロムはさらにフシャイをも呼び寄せて、意見を聞こうとしたのです。どうしてか。分かりません。クーデターの最終段階にあったため、彼は慎重になった。念には念を入れて落ち度のないようにし、すべての計画を成功裏に締めくくりたかったということかも知れません。

 いずれにせよ、そこでフシャイが呼び出されます。彼はアヒトフェルの提案を批判して独自の対案を提示しました。「わたしはこう提案いたします。まず王の下に全イスラエルを集結させることです。ダンからベエル・シェバに至る全国から、海辺の砂のように多くの兵士を集結させ、御自身で率いて戦闘に出られることです。隠れ場の一つにいる父上を襲いましょう。露が土に降りるように我々が彼に襲いかかれば、彼に従う兵が多くても、一人も残ることはないでしょう。父上がどこかの町に身を寄せるなら、全イスラエルでその町に縄をかけ、引いて行って川にほうり込み、小石一つ残らなくしようではありませんか」(11‐13節)。

 このように、フシャイは慎重論を展開したのでした。それは最後の段階で慎重になっているであろうアブサロムの意向に沿うものでした。さらに言うならば、フシャイはアブサロムの内にあった願望をみごとに見抜いていたとも言えます。アヒトフェルの提案との大きな違いはどこにあったか。アヒトフェルは「一万二千の兵をわたしに選ばせてください」と言っているのです。そして、1節後半では訳には出ていませんが「《わたしは》今夜の内に出発してダビデを追跡します」と言っているのです。そして、「わたしは王一人を討ち取ります」と言っている。これに対し、フシャイは全兵士をアブサロムの下に集結させるべきだと言っているのです。そして、「御自分で率いて戦闘に出られることです」と言って勧めているのです。

 王位を欲する者が夢見る一つの姿は、自らが大軍を率いて出陣する姿です。フシャイはその姿を描き出してみせたのです。もちろん、フシャイの提案の真の意図は時間稼ぎにありました。何としてもダビデと兵士たちにヨルダンを渡らせなくてはなりません。ダビデは渡し場で待っています。そこに知らせを届けなくてはならない。この策が採用されれば、大軍を集める間、ダビデのところに使者を送るための時間を稼ぐことができます。

 結果的に、アヒトフェルの提案は退けられ、フシャイの提案が採用されました。アブサロムの心理を読んだフシャイの洞察は見事です。しかし、私たちが注目すべきは彼の賢さではありません。聖書は別の言葉をもってこの出来事を説明しているのです。「アヒトフェルの優れた提案が捨てられ、アブサロムに災いがくだることを主が定められたからである」(14節)と。

 ここに自ら王位を奪おうとしたアブサロムに対する裁きがあったことを聖書は語ります。この一連の出来事の背後に主がおられるのです。そして、同時に、これはダビデの救いでもありました。私たちは、アヒトフェルが裏切ったことを知った時にダビデが祈ったことを思い起こさねばなりません。彼はこう祈ったのです。「主よ、アヒトフェルの助言を愚かなものにしてください」(15:31)。この祈りがこのような形で応えられたと言ってもよいでしょう。

 フシャイは、アブサロムが兵を集結させる間に、祭司ツァドクとアビアタルに指示を出します。荒れ野の渡し場で夜を過ごそうとしているダビデと兵士たちに使者を送ることを命じるのです。ツァドクの息子のアヒマアツとアビアタルの息子ヨナタンが都とダビデとを繋ぐ使者とされたことは、既に15:27で見てきました。こうして、ダビデが神の箱を返したことが、結局ダビデの命を救うことになるのです。

 ヨナタンとアヒマアツがダビデのもとに知らせを届ける様子は、実に生き生きと描かれております。彼らは目撃され、アブサロムに知らせられます。そこで彼らはバフリムのある男の家に入り、間一髪、発見を免れて、ダビデのもとに行くのです。このようにかくまわれて追っ手を逃れる場面は、聖書の他の箇所にも見られますが、このようなモチーフによって、ここにも神の助けがあったことを描いているのでしょう。この結果、ダビデに知らせが届けられ、王は同行していた兵士たちと共に、ヨルダンを渡ります。そして、夜明けまでに全員が渡りきったのでした。

 一方、23節以下には、アヒトフェルの策が不採用になった後、彼が自害した次第が描かれています。アヒトフェルは不採用に抗議して自害したわけではありません。「家の中を整え、首をつって死に」という描写は、彼が極めて冷静であったことを示しています。鋭い洞察力を持ったアヒトフェルのことです。事の結末が彼には見えていたのでしょう。この夜にヨルダンのこちら側でダビデを討たなければ、もはやどんなに多くの兵士を集めようともダビデには勝てない。アブサロムの軍隊に勝ち目はない。ダビデの王座が戻れば、もはや自分の命はない。もはや望みなしと判断して自害したのであろうと思われます。

 さて、この一連の出来事は、その背後に神の御腕が働いていたことを示しています。一方においては、王となろうとしたアブサロムに対して裁きを下す腕が動き始めています。しかし、もう一方においては、荒れ野で嘆き苦しんでいるダビデのために、ダビデがまだ何も見ていない時から、既に救いの御腕は動き始めていたのです。


2026年7月19日日曜日

「ひたすら神を仰ぐ者に」

2026年7月19日 主日礼拝説教 

聖書:マルコによる福音書 9:14‐29

なんと信仰のない時代なのか
 今日の聖書箇所は、イエス様がペトロ、ヤコブ、ヨハネの三人を連れて山から降りてこられたところから始まります。そこで主が目にしたのは、弟子たちが大勢の群衆に取り囲まれて律法学者たちと議論している姿でした。事の発端はどうもこういうことのようです。

 ある人がイエスの弟子たちのもとに病気の息子を連れてきました。その子に現れていたのは「てんかん」のような症状でした。父親は「霊に取りつかれている」と表現しています。当然のことながら、悪い霊から息子を解放して、癒してほしくて連れてきたわけです。

 その症状が現れたのはその子が幼い頃からだと言います。長い間、親も子も苦しんできたのでしょう。病気になれば、それは誰かが罪を犯したからに違いないと噂される社会です。なぜこの子はこんな苦しみを負わなくてはならないのか。いったい誰の罪なのか。――きっと長い間、そのような辛い思いを抱えて生きてきたのでしょう。

 その父親が、神の救いを宣べ伝えるイエスの一行のことを耳にしたのです。「神の国は近づいた」と宣言し、癒しの業をもって、神の憐れみを体現しておられる方のことを耳にしたのです。そして、この父親は神の憐れみを求めて、息子を連れて、弟子たちのところにやってきたのです。

 しかし、結果から言いますと、この子供は癒されませんでした。この父親は失望と落胆に顔をゆがめ、いくばくかの疑いを抱えたまま、そこに立っていたのでしょう。彼はイエス様に言いました。「この霊を追い出してくださるようにお弟子たちに申しましたが、できませんでした」(18節)。

 一方、その父親のかたわらで弟子たちは何をしていたのでしょう。律法学者たちと議論していたのです。恐らく癒せなかったことについて律法学者たちに何か言われたのでしょう。もはやこの親子のことは眼中にありません。議論に夢中です。さらに言うならば、そこに集まってきた群衆も同じです。この親子ではなく、議論している弟子たちの方を取り囲んでいるのです。これが山から降りてきたイエス様が目にした光景でした。

 その弟子たちの姿を見て、取り囲む人々を見て、そして父親の言葉を聞いて、イエス様は嘆きながらこう言われました。「なんと信仰のない時代なのか。いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか」(19節)。

 実に激しい嘆きの言葉です。イエス様がここまで言われるのは珍しいことです。しかし、間違ってはなりません。苦しんでいる親子をそっちのけにして議論している愛のなさを嘆いているのではないのです。そうではなくて、弟子たちや律法学者だけでなく、この父親についても、さらには群衆についても、「信仰がないこと」を嘆いておられるのです。「なんと信仰のない時代なのか」と。

信仰のないわたしをお助けください
 そして、「その子をわたしのところに連れてきなさい」とイエス様は言われました。人々は病気の息子をイエス様のもとに連れてきます。するとその子は引きつけを起こし、地面に倒れ、転び回って泡を吹きました。主はその子について尋ねました。「このようになったのは、いつごろからか」と。

 その後のやり取りは次のように書かれています。「父親は言った。『幼い時からです。霊は息子を殺そうとして、もう何度も火の中や水の中に投げ込みました。おできになるなら、わたしどもを憐れんでお助けください。』イエスは言われた。『「できれば」と言うか。信じる者には何でもできる。』その子の父親はすぐに叫んだ。『信じます。信仰のないわたしをお助けください』」(23節)。

 「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる」。この激しい言葉をもって、この父親を信仰へと招いているのです。この父親には今こそ「信じる」ということが必要だからです。失意と落胆の中にある時こそ、そして、過酷な現実が目の前にあるからこそ、不信仰の暗闇に落ちてはならないのです。実際、彼の目の前で息子が泡を吹いて転げまわっているのですから。そして、その現実に対して自分は無力なのですから。何もできないんですから。ならば、信じるしかない。神の憐れみを信じて寄り頼むしかないのです。

 イエス様に言われて、この父親にも分かったのだろうと思います。「おできになるなら」なんて悠長なことを言っている場合じゃないのです。可能だろうか、不可能だろうかなんて言っている場合じゃない。信じるしかないのだ、と。たとえ信じることがどんなに難しくても信じるしかない。だから父親はこう叫んだのです。「信じます。信仰のないわたしをお助けください」。

 ある意味では支離滅裂な言葉です。しかし、そう言うしかないでしょう。信じることが難しければ助けていただくしかないのです。そうです、助けていただかなくてはならないのは、息子である以前に自分自身なのです。信じることが困難な自分自身なのです。息子のことを神に願う前に、自分自身が助けを必要としているのです。

 それはこの父親だけでありません。本当はあの弟子たちも同じであったはずなのです。苦しんでいる息子が連れて来られた。その息子を解放することができない。自分たちの無力さが明らかにされた。ならは、律法学者たちと議論している場合ではないでしょう。

 弟子たちもまた、無力な自分たちを神の憐れみにゆだねて、ひたすら神の御業を求めるしかないのです。それこそあの父親のように「信じます。信仰のないわたしたちをお助けください」と言って、神に縋り付くしかない。祈るしかない。本来、彼らはそうあるべきだったのです。ですからこの箇所の結論部分において、イエス様はこう言っておられるのです。「この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことはできないのだ」(29節)と。

祈りによらなければ
 さて、ここで私たちは、一旦この場面から離れ、かつてこの弟子たちが宣教のために村々に遣わされた時のことを思い起こしたいと思います。イエス様は弟子たちを二人組にして村々へと遣わされました。その時のことが次のように書かれています。「その際、汚れた霊に対する権能を授け、旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、ただ履物は履くように、そして『下着は二枚着てはならない』と命じられた」(6:7-9)。つまり、イエス様は弟子たちの持ち物をほとんど没収してしまわれたのです。もう神に寄り頼むしかありません。そして、遣わされた弟子たちの様子は次のように書かれているのです。「十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした」(6:12‐13)。

 そして、帰ってきて報告するわけです。彼らの報告の様子を聖書はこのように記しています。「さて、使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した」。――そのように聖書には「自分たちが行ったこと…を報告した」と書かれているのです。もちろん、本当は弟子たちが行ったのではありません。神様がなさったのです。それは弟子たちも分かっていたはずです。

 しかし、彼らの心が変化していったであろうことは容易に想像できます。きっと彼らは感謝されたことでしょう。癒された人たちから。解放された人たちから。また、その家族から。そのようなことが繰り返されたらどうなりますか。どうしたって「わたしがしてあげた」という思いになるではありませんか。

 そうしているうちに、次第に関心は自分の方に移ってまいります。神を信じなさいと宣べ伝えていながら、自分は神様の方に向かないで自分の方ばかり見ているということが起こり始めます。結局、いつも考えているのは自分や周りの人々のこと、人間のこと、こちら側のこと。信仰とは言いながら、水平の次元のことしか考えていないということが起こります。

 弟子たちは確かにそのようになっていたのでしょう。それは今日お読みした場面にもよく現れているように思います。だから苦しんでいる親子をそっちのけで、議論に熱中するようなことにもなるのです。

 実際そうでしょう。こちら側にしか目が向いていなければ、自分たちが癒せなかったことは大問題です。その事実を人々がどう見るかも大問題です。もちろん自分で自分をどう見なしえるかということも大問題です。弟子としての自信が崩れてしまいますから。だから必死で弁明せざるを得ない。そのための議論です。しかし、彼らが夢中になっていたことは、すべて水平の次元のことなのです。

 本当に重要なことは、悪霊に縛られている息子に対し、またそのゆえに苦しんでいる父親に対して、「神様が何をしてくださるのか」ということなのでしょう。だからこそ、大事なのは信仰だったのです。彼らは信じて求めるべきだったのです。こちら側のことはゆだねて、無力な自分たちをも神にゆだねて、ひたすら神の御業を求めるべきだったのです。だからイエス様は「祈りによらなければ」と弟子たちに言われたのです。

 「なんと信仰のない時代なのか」とイエス様は言われました。しかし、イエス様が求めておられるのは、私たちが自信をもって胸を張って「私は信じています」と言えるようになることではありません。そうではなくて、こちら側ばかり見ている目を転じて、イエス様が指し示しておられる神の国に、神の御支配に目を向けるようになることなのです。

 私たちが自分の無力さを認め、弱さを認め、ボロボロであることを認め、そこからひたすら神を仰ぐ者となることなのです。救っていただかなくてはならないことを認めて、いや、時として、救ってくださる神を信じることさえできない自分であることを正直に認めて、ひたすら主の憐れみを求める者となることなのです。「信じます。信仰のないわたしをお助けください」と叫んだ、あの父親のように。

2026年7月15日水曜日

祈祷会用:サムエル記下 16:1~23

 サムエル記下 16:1-23

 15章17節以下には、都落ちをしたダビデになおも従おうとする人々の姿が描かれていました。私たちは、ガト人イタイ、祭司やレビ人たち、そしてアルキ人フシャイとダビデとの関係が、アブサロムとその追従者たちとの関係といかに異なるかを見てきました。ダビデと彼に従った人々がいかに深い愛と信頼の絆で結ばれていたかを見ます時、それが苦境にあるダビデにとって、どれほど大きな慰めであったかを思わせられます。

 しかし、16章に入りますと、王位を追われたダビデに、幾多の厳しい現実が情け容赦なく降りかかってきたことが改めて語られます。ダビデの喜びとなる人々だけでなく、そこにはまた悲しみとなる人々もいるのです。ここで登場してきますのは、ツィバ、シムイ、そしてアヒトフェルです。

 ダビデが山頂を少し下ったとき、メフィボシェトの従者ツィバがダビデを迎えました(1節)。ツィバが足の萎えたヨナタンの子メフィボシェトの従者となった次第は、9章に記されていました。彼はもともとサウル家に仕えていた者です。「ツィバには十五人の息子と二十人の召使いがいた」(9:10)という言葉は、彼が既にサウルの従者として相当の勢力を得ていたことを示しています。その彼が、いかにサウル家が没落したとはいえ、足の萎えた者の土地を耕す小作農の如き位置に置かれたことは、決して喜ばしいことではなかったに違いありません。

 そこで彼は、クーデターの混乱に乗じて、メフィボシェトの土地財産を我がものにしようと画策いたします。ツィバは二頭の鞍を置いたろばに、二百個のパン、百房の干しぶどう、百個の夏の果物、ぶどう酒一袋を積んでダビデを迎え、「ろばは王様の御家族の乗用に、パンと夏の果物は従者の食用に、ぶどう酒は荒れ野で疲れた者の飲料に持参いたしました」と言って差し出します。そして、メフィボシェトについてダビデから尋ねられますと、こう答えたのです。「エルサレムにとどまっています。『イスラエルの家は今日、父の王座をわたしに返す』と申していました」(3節)。こう言って、主人であるメフィボシェトを悪し様に訴えたのでした。

 実際、これが全くの偽りであったことは後に明らかになります(19章25節以下)。しかし、ダビデはそのことを知りません。王はツィバに、メフィボシェトに属する物をすべてツィバに与えてしまいます。それこそツィバが求めていたことでした。一方、ツィバの言葉を信じたダビデは、ヨナタンの子メフィボシェトに裏切られたと思っているわけですから、それはダビデにとってどれほど大きな悲しみであったかと思います。

 そして、さらにその悲しみに追い打ちをかけるように、ダビデがバフリムにさしかかった時、シムイという男が呪いながら石を投げつけてきます。彼はサウル家の一族の出でありました。彼はダビデを呪って言います。「出て行け、出て行け。流血の罪を犯した男、ならず者。サウル家のすべての血を流して王位を奪ったお前に、主は報復なさる。主がお前の息子アブサロムに王位を渡されたのだ」(7‐8節)。いくら都落ちをしたダビデとは言え、共の勇士たちが左右を固めている王に石を投げつけるのですから、それこそ彼は、ある意味で、命がけでダビデを呪っているのです。

 サムエル記がこれまで強調してきたように、ダビデは決してサウルの王位を奪ったのではありません。しかし、現実には、そのような見方が、ベニヤミン族を中心として、根強く残っていたことがこのエピソードからよくわかります。

 もちろん、ダビデにとってシムイの呪いの言葉は、サウル王家に関するかぎりまったく謂われのない事でした。しかし、彼の最後の言葉はダビデの心に深く突き刺さったに違いありません。シムイはこう言ってダビデを呪ったのです。「お前は災難を受けている。お前が流血の罪を犯した男だからだ」(8節)。シムイはもちろんかつて起こっていたサウル王家を支持するイスラエル諸部族とダビデを王に立てたユダとの戦争の話をしているのです。しかし、ダビデとしては、自分がウリヤを殺害したことを思い起こさずにはおれなかったことでしょう。

 一方、アブサロムはイスラエル人の兵士を率いてエルサレムに入城し、王宮を占拠します。聖書はここで「アヒトフェルも共にいた」と伝えています。アヒトフェルがいかに有能な顧問であったかは、彼の提案が常々「神託のように受け取られていた」(23節)という言葉から分かります。そのような男がアブサロムに寝返ったことは、ダビデにとって大きな痛手でした。

 アブサロムはエルサレム入城後、早速アヒトフェルに策を練るよう要求します。アヒトフェルはアブサロムに、父ダビデの残した側女を自分のものとし、ダビデとの対立が決定的になったことを全イスラエルに示すことを提案しました。そして、その提案に従い、アブサロムは屋上に張られた天幕において、全イスラエルの注目の中で、父ダビデの側女たちのところに入ったのです。

 この出来事は、ダビデとアブサロムとの関係が、もはや決定的に和解不可能なものとなったことを意味しました。それはダビデにとって、最も悲しむべきことでありました。しかし、それはまた何よりも、ナタンの預言の成就に他ならなかったのです。かつてナタンはダビデに主の言葉を告げて言いました。「見よ、わたしはあなたの家の者の中からあなたに対して悪を働く者を起こそう。あなたの目の前で妻たちを取り上げ、あなたの隣人に与える。彼はこの太陽の下であなたの妻たちと床を共にするであろう」(12:11)。

 さて、このようなダビデを襲った一連の苦しみの中において、これらを神の懲らしめの御手として受け入れ、その御手に身をゆだねるダビデの姿を、聖書は描き出しております。特に今日の聖書箇所において印象的なのは、ヨアブの兄弟、ツェルヤの子アビシャイとのやりとりです。

 シムイがダビデを呪って石を投げつけた時、アビシャイは王に言います。「行かせてください。首を切り落としてやります」。するとダビデはこう答えたのでした。「ツェルヤの息子たちよ、ほうっておいてくれ。主がダビデを呪えとお命じになったのであの男は呪っているのだろうから、『どうしてそんなことをするのか』と誰が言えよう」(10節)。そして、さらに言います。「主がわたしの苦しみを御覧になり、今日の彼の呪いに代えて幸いを返してくださるかもしれない」(12節)。

 ダビデはこの苦境にあって、自らの罪を思うのです。呪いを受けても仕方のない自分であることを思うのです。そのようなダビデにとって、神が呪いに代えて幸いを与えてくれることは決して当然のことではありませんでした。それは神の憐れみによるのであって、ただダビデはひたすら、神の憐れみにすがるのです。自分は神の憐れみを受ける資格など全くないことを知りながらも、神はきっと憐れんでくださると信じて、憐れみを求めるのです。

 実際、苦境において神を求めるあり方は、ある意味で二つに分かれると言えるでしょう。そこで自らを省みることなく、神なのだから幸いにしてくれて当然、救ってくれて当然と思いながら神に向かうのか。それとも自らの罪を思って、本来ならば断罪され滅ぼされても当然であることを認めながらも、なおひたすら神の憐みにすがって望みを抱くのか。もし前者なら、なかなか事態が好転しないときに、どうして神は助けてくれないのか、と言って腹を立てたり神を呪ったりするようにもなるのでしょう。結局、人はその点において、神を求めるあり方は二つに分かれるのです。

 そして、そのように神の憐れみに自らを託したダビデを、確かに神は見捨てることなく、顧みておられたのです。エルサレムにはアヒトフェルだけがいたのではなく、そこにはフシャイもいるのです。それは神がダビデの祈りに答え、ダビデのために備え給うた人物に他なりませんでした。神はこのフシャイを通して、ダビデに逃れの道を備えられたのでした。そのことを私たちは続く17章に見ることになるのです。

2026年7月12日日曜日

「私たちの弱さをキリストのもとに」

2026年7月12日 主日礼拝説教 

聖書:マルコによる福音書 8:22‐26

 今日の聖書箇所は、一人の盲人が癒されたという話でした。その人は明らかに生まれながらの盲人ではありません。後でこの人が、「人が見えます。木のようです」と言っていることから分かります。木は見たことがあるのです。

 人生の途上で視力を失うこと、それは実に悲しく辛いことであったに違いありません。しかも、当時の社会は、今日と比べて、そのような人々が遥かに生きにくい社会でした。生活が困難であるというだけではありません。「この人の目が見えなくなったのは、誰の罪のゆえか。本人の罪か、両親の罪か」というような心ない言葉にもさらされます。自分でも、私は神に打たれたのではないか、罰せられたのではないか、などと思うようにもなります。それは病気そのものよりも辛いことだったのかもしれません。

 しかし、幸いなことに、彼の周りにはそんな宗教的な偏見を抱く人々ばかりではありませんでした。彼と共に生きようとする人たちもいたのです。彼の幸いを願い、彼を支える人たちがいたのです。そのような人々が彼をイエス様のもとに連れて来たのです。そして、その人に触れていただきたいと願ったのです。もちろん、それは「癒していただきたい」という意味なのです。しかし、彼らが「触れていただきたい」と言ったのには、それなりの理由がありました。

 福音書には、イエス様が病気の人に触れる姿、手を置かれる姿が繰り返し出てきます。そうです、キリストは手を伸ばされるのです。そして、病に苦しんできた人に触れられるのです。罪を犯したから病気になった。神に背いたから神に打たれたのだ。そう言われてきた人たち、自分でもそのように思ってきた人たちに、イエス様は手を伸ばされるのです。触れられるのです。手を置かれるのです。

 そこで人々が目にしていたのは、単に病気が癒されるという奇跡ではありませんでした。人々がイエス様の姿に見ていたのは、まさに神が慈しみをもって御手を伸べ、苦しみを負う人間に恵み深く触れてくださっているという姿だったのです。神が慈しみ深く触れてくださる。――それは病気の癒し以上に大きなことだったのです。

その目に唾をつけ
 それゆえに、「この人に触れていただきたい」と人々は願いました。そこで、イエス様はこの人の手を取って、村の外に導いていかれました。今まで頼りにしてきた人々、ここまで連れてきてくれた人々から引き離されます。きっとそこには不安もあったに違いありません。恐れもあったことでしょう。しかし、しっかりと握ってくださるイエス様を頼りに、彼は歩いていきました。その手にイエス様の御手の力とぬくもりを感じながら、彼は歩いていったのです。

 やがてイエス様が立ち止まりました。既に村の外にまで出ていることをこの人は感じ取ったことでしょう。そこで主はこの人と向き合います。そしてイエス様は突然、この人の目に唾をつけ始めます。さらに「両手をその人の上に置いた」と書かれています。両目の上に手をあてたのでしょう。そして後、主はこう言われたのです。「何か見えるか」と。

 イエス様が唾をつけたという話は他にも出てきます。このような箇所を読んで奇妙に思う方はいるかもしれません。何かおまじないのような行為のように思うかもしれませんし、今どきの子どもたちは「汚いな」と感じる人がいるかもしれません。

 しかし、私はこのような箇所を読みますと、なぜか自分の幼い頃を思い出すのです。外で遊び回ってはしょっちゅう転んで肘や膝をすりむいて帰ってきたものでした。すると私の祖母が「痛くない、痛くない」とか言いながら、傷に唾をつけてくれるわけです。もちろん後で薬などを塗るわけですが、それは“おばあちゃん”が唾をつけてくれるのとは意味が全く違うのです。ある意味で、薬を塗る前に、もう癒されているのです。まだ血が出ていても、既に祖母の愛情が触れたときに癒されているのです。

 傷口に唾を塗ることは、古来からどこにでも見られる習慣でした。唾には殺菌作用がありますから。しかし、目に塗ったとしても効きません。子どもでも分かります。この人だって唾が目に効くとは思っていないでしょう。しかし、そんなことはどうでも良いのです。確かに奇妙な行為かもしれないけれど、この人はその指先の動きを通して、自分に関心を持ち、この苦しみを理解し、癒そうとしてくださる御方に触れているのです。

 この人にはイエス様は見えません。その表情も、その眼差しも見えないのです。しかし、この人には想像できたに違いありません。イエス様がどんな表情で、どんな眼差しで、今自分に向かってくださっているか。親が幼いわが子の傷に触れて癒すように、自分の目に触れてくれているイエス様の指先。そして自分の両目の上に置かれたイエス様の手のひらの温かさ。その手を通して、この人は確かに神の慈しみに触れていたのです。その神の愛がその人の目を開いたのです。

もう一度両手を当てられると
 しかも、この聖書箇所は、イエス様が再度手を置かれたことを伝えています。この人が何でもはっきり見えるように、繰り返しその目に触れられるのです。そのような奇跡物語は、他にはありません。ですから25節の「もう一度」という言葉が、この箇所ではとても重要なのです。

 良く見えなければ「もう一度」手を置かれるイエス様。愛の御手をもって、もう一度触れてくださるイエス様。そのようにして繰り返し触れられて一人の人の目が開かれた。その出来事を、キリストの弟子たちは他人のことのように思えなかったに違いありません。ですから、この話が大事に語り伝えられたのでしょう。実際、それは弟子たちの経験でもあったのです。

 今日の朗読は22節からでしたが、実はこの話の直前には、《目の見えない弟子たち》の姿が描かれております。先週お読みした箇所です。イエス様は弟子たちにこう言っておられました。「なぜ、パンを持っていないことで議論するのか。まだ、分からないのか。悟らないのか。心がかたくなになっているのか。目があっても見えないのか。耳があっても聞こえないのか。覚えていないのか」(17‐18節)と。

 もう既に救い主と共にいるのに、既に圧倒的な神の愛の中にあるのに、弟子たちにはまだそのことが見えていないのです。ですからイエス様は彼らに言うのです。「まだ悟らないのか」と。そして、この福音書を読みますと、そのような悟らない、見えない弟子たちの姿が、全体を通して描き出されていることが分かります。ですから、イエスが捕らえられたときには、皆、イエスを見捨てて逃げてしまったのです。ペトロにせよ、他の弟子たちにせよ、大事なことはほとんど何も見えていなかったことが明らかになるのです。

 しかし、イエス様はそのような弟子たちに触れ続けられたのです。逃げてしまった弟子たちは、それで終わりではありませんでした。それで終わりなら、今日この世に教会は存在しないでしょう。主はあの弟子たちにもう一度現われてくださいました。いわばもう一度彼らに触れられたのです。いや、それだけではありません。さらに彼らに聖霊を注ぐという形で、決定的に触れてくださったのです。

 そのように、イエスの弟子たちにとって、あの盲人の癒しは、他人事ではなかったのです。その盲人の姿は、弟子たち自身の姿でもあったのです。

今も触れてくださるキリスト
 さらに言うならば、それはあの弟子たちだけに限ったことではありません。この物語が世々の教会において読まれてきたのはなぜですか。あれから二千年後の日本の教会において読まれているのはなぜですか。それは、キリストが今も私たちに触れてくださる御方であるからに違いありません。私たちが見えるようになるために、その御体をもって触れてくださるのです。そのキリストの体はどこにありますか。ここにあります。聖書は、教会がキリストの体であると教えているのです。

 キリストは教会という体を通して私たちに触れてくださいます。教会が行う洗礼の水を通してキリストは触れてくださいます。聖餐のパンと杯を通して触れてくださいます。御言葉の説教を通して触れてくださいます。こうして共に祈り讃美を捧げる中で、キリストは私たちに触れてくださいます。

 キリストは、今も私たちに触れ続けてくださるのです。私たちが見えるようになるために。キリストによって既に現された完全な神の愛が見えるように、神の救いが見えるように、私たちが既に神の大いなる恵みの中にあることが見えるように、私たちの手を取って導き、私たちと真実に向き合い、そして私たちに触れてくださるのです。「何か見えてきたか」と問いながら、繰り返し御手を置いてくださるのです。

 そこで大事なことがあります。イエス様が御手を置かれたのは、その見えない目の上であったということ。イエス様が唾を塗られたのも、その目の上でした。彼の最も弱き部分にイエス様は触れられました。彼の悲しみ、不安や恐れ、それらすべてが結びついているその最も弱き部分が、イエス様との接点になりました。最初の弟子たちにしてもそうでした。世々のキリスト者もまた、そのことを経験してきたのです。それゆえに、私たちもまた、私たちの最も弱い部分をそのまま携えて、ここに集まるのです。私たちの苦しみも、嘆きも、辛さも、自分について「わたしのここが大嫌い!」と言いたくなる部分も、何もかもそのまま携えて、主のもとに集まるのです。私たちがイエス様の御手を感じることができるのは、私たちの最も弱いところにおいてです。

 主は私たちに繰り返し触れてくださり「何か見えてきたか」と問いかけてくださいます。ならば、この人がしたように、私たちも見ようと目を凝らすことが大事なのでしょう。見え始めた神の愛、神の救い、そこから目を逸らしてはなりません。見たい!もっと見えるようになりたい!そのことを願い続けることです。やがてはっきりと見えるときが来るまで、そのことを願い続けて、一心に目を注ぐのです。そのように見えるようになることをひたすら願いつつ、もっともっとイエス様に触れていただきましょう。

2026年7月8日水曜日

祈祷会用:サムエル記下 15:24~37

 サムエル記下15:24~37

 今日は15章の後半をお読みします。既に先週お読みした17節以下からの部分において、都から逃れていくダビデと、彼に従った人々との関係が一つ一つ丁寧に描かれています。そしてそこに描かれています関係は、その直前のアブサロムと彼に従った人々との関係とまさに好対照をなしているのです。

 先週読みましたように、アブサロムが目を付けたのはダビデ王家に不満を持っている人たちでした。北の諸部族の人々、ヘブロンの人々、そしてバト・シェバの祖父アヒトフェルなどです。アブサロムに従った人々は、ダビデへの不満と敵意を共通項としている人々です。いわば不満と敵意によって統一された人々なのです。一方、17節以下には、ダビデと彼に従った人々が、共通の敵意によって結ばれていたのではなく、互いへの深い愛と信頼で結ばれていたことを示しているのです。

 既に、ガト人イタイについては先週見てきました。アブサロムに付いた方が亡命者である彼にとっては絶対に有利であるにもかかわらず、彼はダビデと困難を共にする方を選んだのでした。そして、後に見るように、このイタイは、指揮官の一人として、アブサロムの軍との戦闘において重要な役割を演じることになるのです。そして、今日の箇所においてダビデの味方として現れてきますのは、聖所に仕える祭司たちとレビ人たち、およびアルキ人フシャイです。

 ツァドクをはじめレビ人全員が神の契約の箱を担いで来ていました。これはアブサロムの手から契約の箱を守るためではありません。いくらアブサロムといえど、聖所や神の箱に手を出すことはできません。そんなことをしたら全イスラエルを敵に回すことになります。

 しかし、これまで見てきましたように、アブサロムは極めて世俗的な人間です。この前にも後にも、祭司や預言者との関わりが全く記されてはおりません。アブサロムが預言者から言葉を受けたり、祭司の持つウリムとトンミムによって御心を尋ね求めることはないのです。そのように、祭司や預言者との関係は皆無ではなかったにせよ、非常に薄かったと思われます。

 ですから、祭司たちとレビ人たちはダビデに従って出ることを決意したのです。そして、神の箱もまた、アブサロムの王国に留まるよりも、ダビデと共にあるべきであると彼らは考えたのでした。もちろん、神の箱を携えてダビデと行動を共にすることは、祭司たちやレビ人にとって危険なことであったに違いありません。にもかかわらず、彼らは神の箱を運び出してきたのです。

 一方、神の箱が運ばれてきたことは、ダビデにとっても極めて有利なことでした。レビ人がダビデの側に付き、神の箱がダビデのもとにあることを知れば、アブサロムを支持する人々の間に大きな動揺が生じることは間違いありません。それはアブサロムの支持基盤そのものが危うくなることを意味するのです。

 また、アブサロムと共にある多くの兵士たちは、神の箱がダビデのもとにあることを知ったならば、きっと攻撃を開始することに恐れを抱くに違いありません。そして、ダビデに従った人々にとっては、これが何よりも神がダビデと共にあることの見えるしるしとなり、彼らの士気を高めるものとして機能することになるでしょう。

 しかし、驚いたことにダビデは彼らをエルサレムに帰らせるのです。彼は言いました。「神の箱は都に戻しなさい。わたしが主の御心に適うのであれば、主はわたしを連れ戻し、神の箱とその住む所とを見せてくださるだろう。主がわたしを愛さないと言われるときは、どうかその良いと思われることをわたしに対してなさるように」(25節)。ダビデは、それがどんなに自分の有利に働くとしても、神の箱を自分のために用いることをしませんでした。神さまを自分の側に引き寄せて、自分の助けにするのではなく、自分自身を神の懲らしめと憐れみの御手にゆだねたのです。

 ダビデをしてそのように語らせたのは、主への揺るぎない信頼でした。荒れ野に再び追いやられることによって、ダビデは主への信頼へと立ち帰ったのです。ダビデは「主がわたしを愛さないと言われるときは」と言っていますが、それは主の愛を疑っているのではなく、主に愛されていることを心から信じている者の言葉に他ならないのです。

 ダビデはは、主がきっと憐れんでくださり、彼を再びエルサレムへと戻してくださることを信じているのです。ですから、25節の言葉と一見矛盾するように見えますが、ダビデは事の成り行きにただ身を任せるのではありません。「主の御手に身をゆだねること」は「成り行きに身をゆだねること」ではないのです。ダビデはそこで為しえる最善を尽くすのです。

 「王は祭司ツァドクに向かって言葉を続けた。『分かったか。平和にエルサレムに戻ってもらいたい。息子のアヒマアツとアビアタルの子ヨナタン、この二人の若者を連れて帰りなさい。分かったか。わたしはあなたたちからの知らせを受けるまで、荒れ野の渡し場で待っている』」(27‐28節)。このように、ただツァドクやアビアタルをエルサレムに戻すだけでなく、そこからの情報が届くように手配したのです。そして主は確かに、そのダビデがエルサレムへと送り込んだ人々を用いて、ダビデを危機から救い出されるのです。

 そして、もう一人の味方として現れてきますのはフシャイです。その直前にはこう書かれています。「アヒトフェルがアブサロムの陰謀に加わったという知らせを受けて、ダビデは、『主よ、アヒトフェルの助言を愚かなものにしてください』と祈った」(31節)。

 ここにも、「主の御手に身をゆだねること」と「成り行きに身をゆだねること」の違いが現れています。ダビデは主に祈るのです。そして、いわばこの祈りに答えるようにして、主はフシャイを与えられたのでした。

 彼は、「ダビデの友」と呼ばれています。それは高官の職位名でありますが、同時に実質を現しています。フシャイは、嘆きの姿をもって、ダビデを迎えます。ダビデは彼の存在こそ、先の祈りの答えであることを悟ったのでしょう。そのフシャイをダビデはエルサレムに帰して言います。「お前はわたしのためにアヒトフェルの助言を覆すことができる」と。そして、事実、このフシャイによってダビデは危機から救い出されることになるのです(17章)。

 さて、以上のことを見た上で、さらにこのダビデの物語が、後の人々、特にこれを読んだ捕囚の民にとってどれほど大きな慰めとなったであろうか、ということを考えるべきでしょう。ダビデの物語は、彼が荒れ野へと追いやられた時、決して神から見捨てられてしまったのではないことを伝えているのです。荒れ野において、彼の助けが神によって備えられ、そこにおいてもなお神が憐れみをもってダビデの祈りを聞き、祈りに答えて将来へ備えてくださったことを伝えているのです。

 あのダビデと同じように、捕囚の民もまた、試練の荒れ野へと追いやられた人々でありました。そして、エルサレムから離れ、神殿をも失ってしまった人々に対して、預言者エレミヤは、安易な解放を望むのではなく、神の裁きに服して救いの時を待ち望むように語りました。

 主はエレミヤを通して、捕囚の民にこう言われたのでした。「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしに出会うであろう」(エレミヤ29:11以下)と。ダビデの物語は、この主の言葉がまことに真実であることを彼らに示したに違いありません。

 私たちもまた、しばしば主の懲らしめのもとに置かれます。その時、この物語は、私たちがいかに主に信頼して歩むべきかを教えてくれるものとなるでしょう。


2026年7月5日日曜日

「困窮は主の豊かさを知る機会」

2026年7月5日 主日礼拝説教 

聖書:マルコによる福音書 8:14-21

パンを忘れた弟子たち
 「弟子たちはパンを持って来るのを忘れ、舟の中には一つのパンしか持ち合わせていなかった」(14節)。そう書かれていました。小さなミスです。そのミスによって困ったことになりました。パンは一個しかありません。全員が食べるには足りません。

 そのように誰かのミスによって、あるいは全員のミスによって、何かが不足したり欠乏したりするということは起こります。それは私たちが置かれている様々な人間関係にも起こりますし、教会にもそのようなことは起こります。

 もっとも今日お読みした場面においては大したことが起こっているわけではありません。パンを忘れたからと言ってその後の旅に重大な支障をきたすわけではありません。事実、その後は何事もなかったかのように話は続きます。皆が少し我慢すればよいだけの話です。しかし、これは典型的な一つの出来事であるとも言えます。後に、形を変えて、もっと大きな出来事として起こるかもしれません。だからこそ、その場面でイエス様が言われた御言葉は、後々まで繰り返し伝えられてきたのです。それは今日の私たちにも、大きな意味を持っていると言えるのです。私たちにも、起こり得ることですから。

 その時、イエス様は何と言われたでしょうか。「そのとき、イエスは、『ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい』と戒められた」(15節)と書かれています。

 そうです、そのような時こそ気をつけなくてはならないことがあるのです。そのように全員にパンが一個しかないような事態になった時こそ、明らかに困窮や不足が生じているような時こそ、気をつけなくてはならない「パン種」があるのです。パン種は小さくても、全体を膨らませてしまいます。そのように小さく入り込んで全体に悪い影響を及ぼしてしまうパン種があるのです。

ファリサイ派のパン種
 実際、困窮や不足がある時に何が入り込んでくるでしょう。まず可能性として考えられるのは「裁き合い」です。そもそも、いったい誰が悪いのか。誰が正しいのか。そのような議論が始まるのです。そして、それぞれが自分を正当化しはじめます。これこそが「ファリサイ派のパン種」です。

 今日の箇所の直前にはファリサイ派の人々が来て、天からのしるしを求め、議論をしかけたという話が書かれています(11節)。明らかに悪意をもって議論をふっかけてきたのは、以前にファリサイ派の人々とイエス様の一行との間で一悶着あったからです。

 7章をご覧ください。「ファリサイ派の人々と数人の律法学者たちが、エルサレムから来て、イエスのもとに集まった。そして、イエスの弟子たちの中に汚れた手、つまり洗わない手で食事をする者がいるのを見た」(7:1‐2)。――「見た」と書かれていますが、要するに「気になった」ということです。だからイエス様を詰問するのです。「なぜ、あなたの弟子たちは昔の人の言い伝えに従って歩まず、汚れた手で食事をするのですか」(同5節)。

 なぜ弟子たちが昔の人の言い伝えを守っていないことが気になったか。ファリサイ派の人たちは昔の人の言い伝えを一生懸命に守っていたからです。彼らの生活がこんな風に書かれています。「ファリサイ派の人々をはじめユダヤ人は皆、昔の人の言い伝えを固く守って、念入りに手を洗ってからでないと食事をせず、また、市場から帰ったときには、身を清めてからでないと食事をしない。そのほか、杯、鉢、銅の器や寝台を洗うことなど、昔から受け継いで固く守っていることがたくさんある」(同3‐4節)。

 こういう人は、他の人のことが気になるものです。喜んで守っている人は別でしょうが、義務感から、仕方なく守っている人や、あるいは自分はこれだけ一生懸命に何かを行っていると日頃から思っている人は、守っていない人が気になるものです。自分と同じように行っていない人が気になる。非難したくなる。そういうものです。

 また、当然のことながら、そのように他人の行動を批判的に見る人は、自分も批判されているのではないかと気になるものです。批判されないように一生懸命になる。ですから他人の行動ばかりではなく自分の行動も気になります。どう見えているか。どう判断されているか、と。結果的に自分の正しさを一生懸命にアピールするようになります。表向きの正しさを繕うようになります。それが攻撃されれば自分も攻撃的になります。その結果、律法主義の世界は裁き合いの世界ともなるのです。

 そのようなファリサイ派のパン種が、困窮と不足の中に入り込むとどうなるでしょう。皆が互いの行動を問題にします。いったい誰が悪いのか。誰が正しいのか。そのような議論が始まります。皆が自分を正当化し、自分は正しいと主張し始めます。裁き合いが起こります。そのようなパン種は共同体を崩壊させることとなるでしょう。イエス様は言われました。「ファリサイ派のパン種によく気をつけなさい」。

ヘロデのパン種
 そして、困窮や不足が生じたとき、可能性としてもう一つ考えられることがあります。それは正しさを問題にするファリサイ派のパン種とは対極にあるものです。すなわち、そこでは「正しさ」ではなく、ただ力関係がモノを言うようになる。そのような可能性は確かにあります。困窮や不足を解決する力を持った人、不足を満たすことができる人がいたら、その人が正しいか正しくないかは全く問題にされることなく、人々から持ち上げられることになるかも知れません。その結果、能力にせよモノにせよ、何かを持っている者が影響力を持つ共同体となっていきます。しかし、それこそが「ヘロデのパン種」なのです。

 ヘロデについては洗礼者ヨハネを投獄し、その首をはねた人物として6章に出てきます。ヘロデ・アンティパスというガリラヤおよびペレヤ地方の領主です。しかし、この福音書では「ヘロデ王」と呼ばれています。実際には王ではない人物を「王」と呼ぶのはある意味では皮肉です。王でもないのに王のように振る舞っていた人物であったということです。

 彼は酒の席で踊りをおどったヘロディアの娘にこう言い放ちます。「お前が願うなら、この国の半分でもやろう」。実はこれは有名な言葉で、当時誰もが知っていたセリフなのです。かつてオリエント一帯を支配した大ペルシア帝国の王クセルクセス一世が口にしたセリフなのです。エステル記に出てきます。つまりヘロデは傲慢にも自らをあのクセルクセス王になぞらえているのです。そして、その王権を示すために、洗礼者ヨハネの首をはねたのです。

 そのような神をも畏れぬ不遜な人物を、それでもなお支持するユダヤ人の一団があったのです。彼らはこの福音書において「ヘロデ派」と呼ばれています。宗教的な一派ではなく政治的なグループです。彼らがヘロデを支持したのはヘロデが正しいからではなく、ヘロデの権力の恩恵にあずかっているからです。ヘロデが力を持っているからです。そのことによって利益を受ける人々だからです。

 先にも申しましたように、そのようなヘロデ派の精神、ヘロデのパン種が共同体の中に入ってくることがあり得ます。正しいか否かはどうでもよいのです。神に対してどのような態度であるかも別にいい。ただ不足を満たし困窮を解決してくれさえすればよい。そのようなヘロデのパン種が教会に入り込むなら、教会という麦粉全体を損なってしまいます。もはや教会ではなくなります。ですからイエス様は前もって弟子たちに言っておられたのです。「ヘロデのパン種によく気をつけなさい」。

神の豊かさに目を留めて
 さて、弟子たちはイエス様の言葉を聞いて思いました。「これは自分たちがパンを持っていないからなのだ」。よほどパンを忘れたことを気にしていたのでしょう。そこでイエス様は言われました。「なぜ、パンを持っていないことで議論するのか。まだ、分からないのか。悟らないのか。心がかたくなになっているのか。目があっても見えないのか。耳があっても聞こえないのか。覚えていないのか。わたしが五千人に五つのパンを裂いたとき、集めたパンの屑でいっぱいになった籠は、幾つあったか」(17‐19節)。

 もちろん弟子たちは覚えていました。「十二です」と彼らは答えます。イエス様はさらに問いました。「七つのパンを四千人に裂いたときには、集めたパンの屑でいっぱいになった籠は、幾つあったか。」弟子たちは答えます。「七つです」。そこでイエス様は言われました。「まだ悟らないのか」。

 そうです、彼らは既に悟っていなくてはならないのです。五千人に五つのパンは明らかに足らなかったのです。彼らは困窮していたのです。しかし、イエス様がおられるところにおいては、その困窮は神の豊かさを知る機会となったのです。十二の籠に有り余るほどの神の豊かさです。四千人に七つのパンの時にも、明らかに足らなかったのです。しかし、それは七つの籠に有り余るほどの神の豊かさを知る契機となったのです。

 困窮のあるところ、それは互いに自分の正しさを主張し、裁き合い、悪人捜しをする場所にもなり得ます。困窮のあるところ、それはただ力を持つものが持ち上げられ、力ない者が隷属するような場所にもなり得ます。しかし、そこにはもう一つの可能性があるのです。それは皆が既に来られた救い主に目を向け、救い主を送られた神の限りない慈しみに目を注ぐことです。そして、それは神の豊かさを経験する場所となるのです。

 パウロが後に手紙に書いています。「わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか」(ローマ8:32)。その御子が共におられる。窮乏の舟の中にも御子イエス様が共におられる。それがどれほど大きな意味を持っているかを彼らは悟らなくてはならなかったのです。そこでパンが一個しかなくても、全く問題ではない。むしろ一個のパンが既に与えられているではないか、と語ることができるのです。

 「ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい」。大事なことはパン種を持ち込んでしまわないことです。ファリサイ派のパン種とヘロデのパン種を外に放り出し、まず神の御業に目を向け喜び祝う。私たちはいつもそのような教会でありたいと思うのです。

2026年7月1日水曜日

祈祷会用:サムエル記下 15:1~23

 サムエル記下 15:1~23

 新共同訳ですと、前の14章には「ダビデ、アブサロムを赦す」と小見出しが付いています。確かに全体の流れとしてはそのような話でした。兄殺しのかどで追放となっていたアブサロムはヨアブの計らいによって国外追放を解かれてエルサレムに戻されることとなります。さらに王宮への出入り禁止も解かれ、追放から5年後、ついにダビデ王と再会することとなりました。「王はアブサロムを呼び寄せ、アブサロムは王の前に出て、ひれ伏して礼をした。王はアブサロムに口づけした」という言葉で前の章は終わっています。口づけは赦しと和解のしるしに他なりませんでした。

 しかし、それは形だけの和解に過ぎなかったことがこの章で明らかにされます。もともと追放は主の前に罪を問われた結果ではありませんでした。赦しもまた、神の赦しを信じての赦しではありませんでした。結局、アブサロムは罪を自覚することなく、ゆえに罪を悔い改めることもなく、赦しを求めることもないままに、王家への復帰を許され、宮廷に戻ることとなったのです。そのことがダビデ王家にさらなる悲劇をもたらすことになろうとは、誰も想像しませんでした。

 今日の箇所は、その後にアブサロムが取った行動を伝えています。「その後、アブサロムは戦車と馬、ならびに五十人の護衛兵を自分のために整えた」(1節)。エルサレムにおいて自由に動けるようになったアブサロムが護衛を整えることは極めて自然なことでした。もはや逃亡者ではなく王子なのですから。また、アムノンの親族と共に都に共存することを考えるならば当然の行動と見えます。

 しかし、後に見るように、実はこれこそ政変の準備に他ならなかったのです。彼はダビデが王位から退くのを待つことなく、自ら王となってイスラエルが自分の王国であることを宣言することに決めていたのです。

 確かにアブサロムはアムノン亡き後既に王位継承第一位にありました。しかし、最終的に決定を下すのはあくまでもダビデです。ダビデとは既に和解しました。しかし、これまでの王との関係からすると、ダビデがそのまま自分を指名するとは思えなかったのでしょう。彼はダビデの死後における自分の王位継承は確かではないと考えた。さらに言うならば、もし自分が次の王になれなければ、自分と一族の命は危ないとも言えるのです。次の王は王位を安定させるために、他の兄弟を皆殺しにするかもしれない。そのような懸念もあったに違いありません。

 それゆえに、彼はその後四十歳になるまで(四年間という読み方もある)、着々と反乱の準備を整えていくのです。その準備の中心は、アブサロムを支持する母体を形成することでした。そのために一番確実なのは、ダビデ王に不満を持っている人々に接近することです。そこで彼は毎朝早く起き、王による裁定が行われる城門への道の傍らに立ちました。そこで裁定を求める人々に声をかけ、イスラエルの諸部族に属することが分かると、「お前の訴えは正しいし、弁護できる。だがあの王の下では聞いてくれる者はいない」(3節)と語ったのです。

 ここでイスラエルの諸部族というのは、ユダ以外の北イスラエル諸部族を指しているものと思われます。彼らの多くはもともとサウル家を支持していた人々です。かつてダビデがユダの王だったとき、イスラエル諸部族との間に戦争が続いたことを思い起こしてください。ダビデの治世においても、ダビデに不満や恨みを抱いていた者は決して少なくなかったであろうことは想像できます。

 実際、後にダビデが都落ちをした時、ダビデを公然と罵るシムイのような人物も出てくるのです(16:7以下)。そのような人々に、アブサロムは言葉巧みに語りかけ、「わたしがこの地の裁き人であれば、争い事や申し立てのある者を皆、正当に裁いてやれるのに」と言ったのです。そうして、彼は「イスラエルの人々の心を盗み取った」(6節)のでした。

 そうして、ついに計画決行の日がやってきます。彼は政変の拠点としてヘブロンを選びました。このことからも、アブサロムは既に、もう一つの不満分子に手を伸ばしていたことが分かります。それは誰か。ユダ族の宗教的に保守的な人々です。

 ヘブロンはイスラエルの伝統と結びついた古い聖所です。そこはユダの保守的な敬虔な人々にとって特別な意味を持つ場所でした。かつてダビデがユダの王であったとき、ダビデ王国の中心であったのはヘブロンだったのです。しかし、ダビデはイスラエルとユダの統一王国の王となった時に、都をエルサレムに移したのです。エルサレムは既に見たように、もともとイスラエルの伝統とは全く無関係なエブス人の土地です。そこに都を移すことがヘブロンの敬虔な人々にとって喜びであったはずがありません。

 しかも、18節にも見ますように、ダビデは側近や親衛隊に、かなりの割合で外国人を起用したのです。これは伝統を重んじる人々にとっては耐え難いことであったに違いありません。アブサロムはそのような人々を味方に付け、彼らの宗教的感情に訴えるためにヘブロンを即位宣言の場所として選んだのです。

 もちろん、アブサロム自身は、宗教的な保守主義者ではありません。彼は、ヘブロン行きの目的をカムフラージュするために、「主への誓願」を持ち出すのです。それほどに、敬虔さの微塵もない男でした。しかし、ヘブロンはアブサロムの生まれ故郷でもありましたから、ヘブロンに行くことについて誰も疑う者はなかったのです。

 そして、もう一人、彼が目をつけたのはダビデの顧問であるギロ人アヒトフェルです。彼は、エリアムの父親(23:34)であり、従ってバト・シェバの祖父に当たります(11:3)。彼がダビデの顧問として登用されたのは、恐らくはバト・シェバとの関係によるものでしょう。しかし、孫娘の家庭を姦淫と殺人の罪をもって破壊したことは、アヒトフェルの心に少なからぬ恨みを残したに違いありません。そこに目をつけたのがアブサロムでした。彼はダビデの顧問でありながら簡単に翻り、アブサロムの側に付くことになるのです。こうして、「陰謀が固められてゆき、アブサロムのもとに集まる民は次第に数を増した」(12節)のでした。

 さて、多くの人を動かして事を成そうとする時、最も手っ取り早い方法は、共通の敵を設定すること、そして人々の不満や怒りや恨みをかき立てて団結させることです。これがアブサロムの採った手法でした。アブサロムの目論みの通り、彼の周りには不満と怒りに満ちた強力な集団ができあがっていったのです。しかし、この最善と見えた方法が、結局はアブサロムを王にすることなく、彼を滅ぼすことになるのです。

 それはダビデが王となるまでに歩んだ道筋とは対照的であったと言えます。思い起こしてください。かつてダビデはサウルに追われた時、政変によって自らが王となることを求めませんでした。人を王とするのは神であることを信じていたからです。

 アドラムに難を避けた彼の周りには負債のある者や不満を持つ者が集まりました(サムエル上22)。しかし、ダビデはサウルの体制に対する彼らの不満と怒りを利用しようとはしませんでした。むしろサウルが敵ではないことをダビデは繰り返して示し続けたのです。どうしてか。神に信頼していたからです。

 アブサロムが反乱を起こした時、ダビデは再びあの時と同じ荒れ野の道を辿ることになります。イスラエル人の心がアブサロムに移っているという知らせが届いた時、ダビデは家臣全員に、「直ちに逃れよう」(14節)と言って都落ちを決意します。

 もちろん、彼はエルサレムに留まって徹底抗戦することもできたのです。ヨアブのもとにある軍隊と外国人傭兵部隊はダビデのもとにいるのですから。しかし、彼はエルサレムを去りました。一つの理由はエルサレムとその住民を戦火に巻き込まないためでした(14節)。それは自分の王位や王国の体制を守ることよりもずっと大事なことだったのです。

 ダビデは自らの未来を主に委ねて都落ちをします。それは後に25節において「わたしが主の御心に適うのであれば、主はわたしを連れ戻し、神の箱とその住む所とを見せてくださるだろう」と言っているとおりです。

 ですから、彼はガト人イタイが同行を申し出た時にも、一旦は申し出を拒否するのです。自分の身を守るためには、一人でも多くの者が共にいたほうが良いに決まっているのに、彼はイタイを帰そうとしたのでした。ダビデはかつて王となる前に辿った荒れ野の道に再び戻されることによって、彼の原点に、すなわち主に信頼して歩むところへと再び引き戻されたのです。

 さて、この物語を記した歴史家たちは、どんな思いでこのダビデの都落ちの場面を描いたのでしょうか。きっと、捕囚となった自分たちとエルサレムから離れていくダビデとが重なって見えたに違いありません。


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