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2026年8月12日水曜日

祈祷会用:サムエル記下 19:2~15

サムエル記下19:2~15

 ダビデの息子アブサロムが起こした反乱は、最終的にアブサロムが討ち取られることによって終結しました。ヨアブは角笛を吹いて戦闘の終わりを知らせ、兵士たちは追撃をやめさせます。そして、ダビデの待つ町に凱旋する前に、使者が送られダビデに事の結末が知らされることとなりました。

 ヨアブは、アブサロムが死んだという知らせをダビデが決して良き知らせと受け取ることはないと知っていました。事実そのとおり、ダビデはこの知らせを聞くや、身を震わせ、城門の上の部屋に閉じこもってしまったのです。「わたしの息子アブサロムよ、わたしの息子よ。わたしの息子アブサロムよ、わたしがお前に代わって死ねばよかった。アブサロム、わたしの息子よ、わたしの息子よ。」そう言ってダビデは泣いていたのです。

 さて、ここで私たちが思い出さなくてはならないことがあります。ダビデがウリヤの妻とのことで大きな罪を犯したとき、ナタンはダビデに神の言葉を告げてこう言ったのです。「見よ、わたしはあなたの家の者の中からあなたに対して悪を働く者を起こそう」(12:11)。そして、神の言葉の通りになりました。

 しかし、さらに遡るとナタンを通してダビデはこのような約束をいただいていたことが書かれています。「あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする」(7:12)。この約束の言葉は、たとえダビデが罪を犯したとしても取り消されてはいないのです。この約束によればダビデはクーデターで王座を失うことはあり得ないのです。そして、神はその約束を確かに守られたのです。

 また、ダビデは、都落ちした時、神の箱を持って従おうとしていた祭司たちにこう言いました。「神の箱は都に戻しなさい。わたしが主の御心に適うのであれば、主はわたしを連れ戻し、神の箱とその住む所とを見せてくださるだろう」(15:25)。また、アヒトフェルが裏切ったことを知った時、彼は「主よ、アヒトフェルの助言を愚かなものにしてください」(15:31)と祈りました。そして、実際にその通りになったのです。神はダビデの祈りを聞いておられました。

 人間は自分が祈ったことも、聞いたことも忘れてしまうものです。しかし、人間が忘れても神様は覚えておられます。だから人間の不真実にもかかわらず、神の真実は貫かれますし、神の約束は実現するのです。祈られたことには、人が忘れていても、神が応答してくださるのです。

 確かに、ダビデの悲しみの深さは理解できます。ダビデが大声で泣いたことも無理ありません。しかし、聖書はダビデの心情を単純に肯定しません。明らかに、このすべての出来事の背後に神が生ける御方として動いておられます。ならば、たとえ嘆き悲しんだとしても、ダビデはその嘆きの中に留まってはならないのです。ダビデが死ぬのではなく、アブサロムが死んでダビデが残されました。神によって残されたのです。主に油注がれた者として残されたのです。ならば残された者には責任があります。生かされている者の責任があります。彼は嘆きの中に留まっていてはならないのです。

 それゆえにダビデは強制的に涙の中から立ち上がらされることとなります。それが今日お読みした聖書箇所に書かれていることです。ダビデはヨアブによってそのことを強いられることとなるのです。もちろん、ヨアブは信仰的な観点からダビデを詰ったわけではありません。彼が与えているのは極めて常識的な忠告です。ダビデのため、王家のために戦った家臣たちの顔に泥を塗るようなことをすれば、彼を支持していた人々の心は離れ去ることになる。当たり前の話です。

 「とにかく立って外に出、家臣の心に語りかけてください。主に誓って言いますが、出て来られなければ、今夜あなたと共に過ごす者は一人もいないでしょう」というヨアブの言葉は、厳しくも正しい判断でした「王は立ち上がり、城門の席に着いた」と書かれています。それはまた、神がヨアブを用いてダビデを立ち上がらせた出来事でもありました。

 一方、アブサロムを失ったイスラエル軍が敗退した後、イスラエル諸部族の間に議論が起こりました。要するに、今後もなおダビデと対立を続けるのか、それとも和解してその支配下に身を置くのか、という議論です。

 イスラエル諸部族とは、ユダを除く北方の諸部族です。10節以下に記されているのは、和平推進派の意見です。アブサロムが死んだ今、諸外国に対する防衛を考えるならば、ダビデを亡命者のままにしておかないで、もう一度統一王国の王とする方が良い、というのが彼らの主張でした。しかし、ダビデ王家の支配体制に対する不満は、北の諸部族に依然として根強く残っていたようです。それが後にシェバの反逆(20章)として表面化することになります。

 また、ダビデと戦ったのは北方の諸部族だけではなかったことを思い起こさなくてはなりません。ユダ部族の保守層もまたアブサロムの側に着いていたのです。今日の箇所に「ユダの長老たち」と出てきますが、それはユダの保守層を代表していると見てよいでしょう。ヘブロンからエルサレムに都を移したり、外国人を多数登用したりするダビデの新体制に反発する彼らは、アブサロムの側に着いたのです。

 そのようなユダの保守層を再び統一王国に取り込むために、ダビデは先に述べた北の和平推進派の動きを使いました。ダビデは、エルサレムに留まっているツァドクとアビアタルを通して、ユダの長老たちに、「あなたたちは王を王宮に連れ戻すのに遅れをとるのか」(12節)と伝えさせたのです。そのように、北の動きを引き合いに出し、彼らを優遇する姿勢を見せたのです。「あなたたちはわたしの兄弟、わたしの骨肉ではないか」(13節)とは、そういうことです。

 また、ダビデはアマサに対して彼を軍の司令官にすることを約束するのです。これはまことに驚くべきことと言わざるを得ません。アマサはダビデに敵対した反乱軍の司令官だったのです。ダビデが復帰した後は、当然、アブサロムの側に付いたアマサは処刑され、ヨアブが統一王国の軍の司令官に収まるのが筋でしょう。ところが、ダビデは復帰後もアマサを司令官として残すことを約束したのです。

 その措置は対外的に何を意味したか。ダビデに敵対した彼らの罪状を問わないことを意味したのです。このダビデの説得は功を奏しました。「ダビデはユダのすべての人々の心を動かして一人の人の心のようにした」(15節)と書かれているとおりです。

 さて、このようにして内戦後の国家体制再建が始まりました。しかし、果たしてこれで良いのだろうかと、これを読んでいる私たちはひっかかります。これではまるで、アブサロムが罪を問われないで都に戻された時と同じではないかと思うのです。

 確かに一つの国家的危機が乗り越えられました。しかし、この出来事が神の目にどう映っているのかを考える人は誰一人として登場してこないのです。

 イスラエル諸部族において和平を進めようとしている人々は言いました。「我々が油を注いで王としたアブサロムは死んでしまった」。そうです。彼らがアブサロムを王としたのです。彼らにはその責任があるのです。その結果、多くの人が死に、王の息子も死んだのです。自分たちが油注いだ王がどうして死んだのか。アブサロムを王としたことは神の前に正しかったのか。それとも大きな罪であったのか。そのことを神の御前において問い直す人はいませんでした。

 ですから本当の意味における悔い改めもないのです。彼らが考えたことはただ何が今後自分たちの益となることなのかということだけでした。今後の自分たちにとっては、今、ダビデを連れ戻した方が益となる。その意味で「なぜあなたたちは黙っているばかりで、王を連れ戻そうとしないのか」と言っているのです。それはイスラエルの諸部族だけでなく、ユダの長老たちも同じです。今後を考えれば、イスラエル諸部族が動き出す前に、いち早くユダの主導でダビデ復帰を進めた方が自分たちに有利であるから、ユダの人々は一致して「家臣全員と共に帰還してください」(15節)と言ったのです。

 神の前に自らの罪を見いだし、神の御前において悔い改めるのでなく、ただ利益か不利益かということしか考えられなければ、結局は同じことが繰り返されることになります。そして、事実、そのようになりました。それはこの直後のシェバの反乱にしてもそうですし、イスラエルの歴史全体がそうであったとも言えるでしょう。それは最終的にイスラエルが滅びるまで続くのです。彼らが真に歴史を神の前に悔い改めをもって見直したのは、国が滅びた後のことでした。


2026年8月5日水曜日

祈祷会用:サムエル記下 18:19~19:1

サムエル記下18:19‐19:1

 今日の箇所において繰り返されているのは「良い知らせ」という言葉です。これは名詞と動詞の形で出てきます。20節の「知らせる」「報告する」も同じ言葉ですから、日本語で見るよりも原文ではずっと多くなります。この箇所を理解する上で、この「良い知らせ」とは何かということが重要な意味を持っていることが分かります。

 前回お読みした部分を振り返っておきましょう。ダビデは当初共に出陣するつもりでいましたが、兵士たちの言葉により町に留まることとなりました。そこで三部隊の長であるヨアブ、アビシャイ、イタイに命じてこう言ったのです。「若者アブサロムを手荒には扱わないでくれ」(5節)。この三人だけでなく、「兵士は皆、アブサロムについて王が将軍たち全員に命じるのを聞いていた」(同)と書かれています。

 しかし、ヨアブは既にアブサロムを討ち取るつもりでいました。実際、アブサロムを討ち取る好機が訪れたとき、ためらうことなくヨアブとその部下たちはとどめを刺したのです。ヨアブがそう考えていたのは全く政治的な理由からでした。いわば王国の将来を考えてのことだったのです。

 アブサロムさえ討てばクーデターは失敗に終わり戦いは終結します。これ以上、イスラエルの兵士が死ぬ必要はなくなります。事実、アブサロムにとどめが刺されると、ヨアブは角笛を吹いて、それ以上イスラエル軍を追跡しないよう兵士を引き留めたのです。ヨアブにとって、この結末は最善以外の何ものでもなかったのです。

 さて、ここに改めて登場するアヒマアツにとっても、ヨアブとは異なった観点において、これは最善の結末だったのです。ですから、彼はこの「良い知らせ」を、なんとしてもダビデに伝えようといたします。「どんなことになろうと、わたしもクシュ人を追って走りたい」と主張する彼の熱意は異常にさえ思えます。このアヒマアツの行動を理解するためには、彼が何者かを思い起こす必要があります。ですので、ここでわざわざ「ツァドクの子アヒマアツ」と呼ばれているのです。

 ツァドクは祭司です。15章24節を御覧ください。ダビデがエルサレムを追われた時、ツァドクをはじめレビ人全員が神の契約の箱を担いでエルサレムを出て、ダビデに従おうとしていたことが書かれていました。つまり祭司たちは、神の箱はアブサロムと共にエルサレムに留まるべきではないと判断したのです。神の箱はあくまでもダビデと共にあるべきだと。彼らにとってアブサロムは、ただダビデに反逆した者ではないのです。神の油注がれた者に戦いを挑んでいる者なのです。すなわち神に敵対する者なのです。

 しかし、ダビデは彼らをエルサレムに帰したのです。ダビデはそうして、自らを神の懲らしめの御手に委ねたのでした。しかし、当然のことながら、ツァドクら祭司としては、アブサロムがそのままエルサレムで王位につき、聖所を支配するようになるとは思っていないのです。それが御心に適ったことであるとは、到底思えなかったに違いない。ですからツァドクが素直にエルサレムに戻ったのは、あくまでもエルサレムの様子をダビデに伝えるためだったのです。

 そのツァドクの子アヒマアツも、同じ思いを共有していたからこそ、危険に身をさらしてさえ、伝令の役目を引き受けたのでしょう。そのようなアヒマアツにとって、アブサロムが倒れたことは、政治的な観点からではなく、信仰的観点から見て、まさにダビデに伝えるべき「良い知らせ」だったのです。

 さらに言うならば、彼はダビデが将軍らにアブサロムを保護するよう命じたことは聞いていないのです。アヒマアツは兵士ではありませんから。ですから彼はヨアブに言うのです。「走って行って、主が王を敵の手から救ってくださったという良い知らせを王に伝えます」。彼にとって、これは「主の勝利」に他ならない。だから、どうしてもこの主の勝利の良い知らせをダビデに伝えようとしたのです。

 しかし、ヨアブには分かっているのです。ダビデはこれを決して「良い知らせ」とは受け取らない、と。ですからヨアブは「今日、お前が知らせるのは良くない」と言ってアヒマアツを引き留めます。ヨアブは「王の息子が死んだのだ」と言ってアヒマアツに説明し、留めようとするのです。かつてイシュ・ボシェトが殺された時、その知らせを伝えた者が処刑されたこと(4章)をも思い起こしたのかも知れません。ですので、彼は代わりにクシュ人を報告に遣わそうとするのです。

 ところが、アヒマアツはどうしてもダビデに伝えると言って聞きません。彼がどれほど純粋にこの結果を信仰的な事柄として受け止めていたかが分かります。すなわち、誰が何と言おうと、これは善なることなのです。イスラエルにとって最も良き結末であったと確信しているのです。ヨアブは根負けして、彼が行くことを許可します。アヒマアツはクシュ人を追い抜くほどにひたすら走ります。

 一方、ダビデはマハナイムにおいて、良い知らせを待っていました。しかし、人間が待ち望む「良い知らせ」と、神が与えようとしている「良い知らせ」は、必ずしも一致するとは限りません。神は確かに御自身の正義を貫かれ、そしてダビデを救われたのです。ダビデは再びエルサレムで王位に着くのです。それが神の目に正しいことであり、神が与えようとしていた「良い知らせ」でした。しかし、ダビデが待っていた「良い知らせ」とは、アブサロムの無事に他なりませんでした。

 24節以下には、人間がいかに自分が考える「良い知らせ」を待っているものであるかが、滑稽なほどに強調されて描かれています。見張りは、一人の男が走ってくることをダビデに伝えます。ダビデは「一人だけならば良い知らせをもたらすだろう」と全く根拠のないことを言います。しかし、実際には一人ではなく二人でした。また一人走って来ることが伝えられると、「これもまた良い知らせだ」と言うのです。そして、アヒマアツのようであることが伝えられると、「良い男だ。良い知らせなので来たのだろう」と言うのです。滑稽ですが、これが往々にして私たちのしていることです。自分が考える「良い知らせ」をひたすら待ち望み、そのような知らせが伝えられるであろうと一生懸命に思い込もうとしているのです。

 アヒマアツはダビデに主の勝利と救いとを伝えました。「あなたの神、主はほめたたえられますように。主は主君、王に手を上げる者どもを引き渡してくださいました」(28節)。しかし、ダビデの第一声はアヒマアツを驚かせます。王はこう聞いたのです。「若者アブサロムは無事か」と。

 アヒマアツは事態を悟りました。ゆえにアブサロムが死んだことを伝えることをためらいます。彼はこう答えるのです。「ヨアブが、王様の僕とこの僕とを遣わそうとしたとき、大騒ぎが起こっているのを見ましたが、何も知りません」。

 するとそこにクシュ人が到着し、アヒマアツと同じことを伝えます。「主君、王よ、良い知らせをお聞きください。主は、今日あなたに逆らって立った者どもの手からあなたを救ってくださいました」。王はクシュ人にも尋ねます。「若者アブサロムは無事か」と。クシュ人は、アブサロムの死を伝えます。「主君、王の敵、あなたに危害を与えようと逆らって立った者はことごとく、あの若者のようになりますように。」

 これを聞くと、ダビデはすぐにアブサロムが死んだことを悟ります。ダビデは城門の上の部屋に上って「わたしの息子アブサロムよ、わたしの息子よ。わたしの息子アブサロムよ、わたしがお前に代わって死ねばよかった。アブサロム、わたしの息子よ」と言って泣いたのでした。

 自然な情としては当然のことです。しかし、この嘆きを単に自然なこととして肯定してはなりません。ここで嘆いているダビデは、かつてアブサロムに対して神の前における罪を問わないで王宮に戻してしまった、あのダビデに他ならないのです。罪に対する主の裁きを決して見ようとしないダビデなのです。信仰的な人が、こと家族のことになると、もう神との関わりはどこかに行ってしまって、肉的な観点からしか見られなくなることは起こるものです。ダビデの姿は、私たちの姿であるかも知れません。

2026年7月29日水曜日

祈祷会用:サムエル記下 17:24~18:18

 サムエル記下 17:24~18:18

 アヒマアツとヨナタンは発見されることを間一髪免れて無事ダビデのもとに到着しました。そして「直ちに川を渡ってください」と言って、彼らが危機的な状況に置かれていることを告げました。ダビデとその一行は全員夜の間にヨルダンを渡りきりました。そして、彼らはマハナイムへと向かったのです(24節)。

 前にマハナイムという地名が出て来たのを思い出してください。「サウルの軍の司令官、ネルの子アブネルは、サウルの子イシュ・ボシェトを擁立してマハナイムに移り、彼をギレアド、アシュル人、イズレエル、エフライム、ベニヤミン、すなわち全イスラエルの王とした」(2:8)。これはペリシテ人との戦いにおいて、イスラエルが敗れた時の話です。

 サウルとヨナタンは戦死しました。サウルの王国は崩壊しました。そこでネルの子アブネルはマハナイムにおいてサウルの子イシュ・ボシェトを擁立するのです。つまり、マハナイムとは、かつてアブネルとイシュ・ボシェトが暫定政権の拠点とした場所なのです。しかし、結局、アブネルとイシュ・ボシェトは決裂し、さらにはアブネルが暗殺され、イシュ・ボシェトも暗殺され、サウル王家は滅びていったことは、既に見てきたとおりです。

 そのように、滅亡へと向かうサウル王家が逃れた場所であるマハナイムへとダビデは逃れて行くのです。まるであの時のサウル王家と同じ運命を辿っているかのようにです。しかし、その結末はあのサウルの家の場合と同じではなかったのだ、と聖書は言っているのです。確かにダビデは神の懲らしめの御手により、王座から追われ、ヨルダンの東へと追いやられることになります。しかし、決して滅びることはなかったのです。結果を先に申しますならば、むしろ滅びたのは、軍事力的には圧倒的に有利であり、しかも総力を挙げてダビデとその一行を全滅させようとしていた、その当のアブサロムの方だったのです。それはなぜであるのか。その問いを抱きつつ、今日の箇所を読んでいきましょう。

 まず、「ダビデがマハナイムに着いたころ、アブサロムと彼に従うイスラエルの兵は皆、共にヨルダンを渡った」(24節)と書かれています。イスラエルの兵がヨルダンを渡りきった頃、既にダビデは川から二十キロほど離れたマハナイムに到着していたことになります。彼らの間がこれほどに大きくあいたのは、どうしてですか。アブサロムが全軍を召集していたからです。

 先週見たとおり、アヒトフェルは少数精鋭による短期決戦を提案したのです。しかし、その策が退けられ、イスラエルの全軍を召集するように提案したフシャイの策が採用されたのでした。そこに神の意志が働いていたことは、先に見たとおりです(17:14)。ダビデは依然として苦しみのただ中にあります。しかし、ダビデの知らないところで、既に神の救いの御手は動き始めているのです。

 加えて、マハナイムにおいて、その地の有力者の援助を受けることができたことを聖書は伝えています。かつてのサウル王家の拠点となった地において、ダビデは全く思いがけない人たちの暖かさに触れることになりました。聖書はその中に、ナハシュの子ショビという人物がいたことを伝えています。彼は、かつて戦火を交えたアンモン人ナハシュの子ハヌン(10章)の兄弟です。これは驚くべきことでしょう。また、そこにはかつてメフィボシェトをかくまっていたアミエルの子マキル(9:4)もいます。彼は当然、サウル王家の側の人間です。さらにはその歳80になる老人のバルジライもいます。高齢をおしてここまで来たのでしょう。つまりこれらは当然のこととして与えられた援助ではないのです。ダビデは苦しみただ中で、人を通して現された神の憐れみに触れているのです。

 さて、ダビデはそこで兵士を三部隊に分けて、ヨアブ、アビシャイそしてガト人イタイの指揮下におきます。そして、自ら共に出陣しようとしますが、兵士たちはそれを止めました。「出陣なさってはいけません。我々が逃げ出したとしても彼らは気にも留めないでしょうし、我々の半数が戦死しても気にも留めないでしょう。しかしあなたは我々の一万人にも等しい方です。今は町にとどまり、町から我々を助けてくださる方がよいのです」(3節)。ダビデは、これを受け入れ、「若者アブサロムを手荒には扱わないでくれ」とだけ指揮官たちに命じて引き下がります。

 ダビデが留まるべきだと言い出したのは、恐らくヨアブではないかと思われます。ヨアブはダビデがもともとアブサロムに害を加えるつもりがないことを知っています。しかし、彼はこの時点で既に、アブサロムを殺すことを決意していたに違いないのです。だから、ダビデには戦場に出て欲しくはなかったのです。

 戦争というものは、支配体制の崩壊と共に終結します。古代の王国どうしの戦いならば、王が討ち取られた終わるのです。確かにダビデの兵士たちは、アブサロムの兵士たちと戦っているのですが、彼らを全滅させるわけにはいきません。統一王国はなお存続せねばならないからです。なんとしても戦死者が多く出ないうちに、早期に決着をつけねばなりません。「わたしは王一人を討ちとります」(2節)と言ったアヒトフェルの提案を思い起こしてください。あの提案は完全に正しかったのです。

 しかし、ヨアブの思惑がどうであれ、結果的には、出陣するはずではなかったアブサロムが出陣し、ダビデは出陣しようとしていたのにもかかわらず最終的には出陣しなかったのです。ここで本来起こり得たことが、ひっくり返っていることに注意してください。もちろん、ひっくり返したのは神様です。聖書はそこに神の御手を見ているのです。

 結局、戦いはイスラエル軍の側に多くの戦死者を出しました。それはエフライムの森が戦場になったからです。戦略においてはダビデの軍隊の方が一枚も二枚も上なのです。アブサロムがどんなに多くの兵士を集めたとしても、密林においては、大軍は役に立ちません。良く組織された精鋭部隊の方が圧倒的に有利なのです。聖書は、「その日密林の餌食になった者は剣が餌食にした者よりも多かった」と説明しています。

 そして、その密林での戦闘がアブサロムの命取りともなりました。アブサロムの乗ったらばが樫の大木のからまりあった枝の下を通った時、彼の頭が木に引っかかってしまったのです。

 先にアブサロムについて、「イスラエルの中でアブサロムほど、その美しさをたたえられた男はいなかった」(14:25)と書かれていたことを思い起こしてください。その美しさの一つは、彼の髪の多さだったのです。「毎年の終わりに髪を刈ることにしていたが、それは髪が重くなりすぎるからで、刈り落とした毛は王の重りで二百シェケルもあった」(同26節)。しかし、その彼の最も誉れとしていたことが、彼に滅びをもたらすものとなったのです。なんと皮肉なことでしょうか。

 これを発見した兵の一人はダビデの要求を思い出し、アブサロムを殺すことなくヨアブに報告します。すると、ヨアブは「見たなら、なぜその場で地に打ち落とさなかったのか」と言い、結局自らアブサロムを討ちに行くのです。ヨアブは棒をアブサロムの心臓に突き刺し、従卒十人がとどめを刺しました。そして、ヨアブが戦闘の終結を示す角笛を吹いて、それ以上の戦いを留めました。目的は全軍を滅ぼすことではないからです。

 さて、ここで重要なのは、ダビデがアブサロムを殺したのではない、ということです。もちろん、それは親子だからということでもあります。しかし、ともかくダビデはアブサロムを殺すことを願わなかった。にもかかわらず、アブサロムは死んだのです。

 このことは、サウルやイシュ・ボシェトの最期を思い起こさせます。ダビデは、あの時も、それぞれを自ら手にかけて殺そうとはしなかったのです。にもかかわらず、彼らは死にました。彼らに共通しているのは、王権というものを神からのものとして認めなかった点にあります。彼らは真の王である神のもとに謙ろうとはしなかったのです。神が王であることを認めず自ら王となろうとする者、また王権を維持しようとする者は、自らに滅びを招くのです。

 アブサロムにおいて起こった皮肉な出来事はもう一つあります。18節以下にこう記されているのです。「アブサロムは生前、王の谷に自分のために石柱を立てていた。跡継ぎの息子がなく、名が絶えると思ったからで、この石柱に自分の名を付けていた。今日もアブサロムの碑と呼ばれている」。14:27には、三人の息子があったことが記されていますが、三人とも早死にしてしまったのでしょう。彼ができたことは、石柱で名を残すことだけでした。

 しかし、王の谷に石柱を立てても、彼は結局王ではあり得ませんでした。そして、残そうとした名は、このようにまことに不名誉な形で末永く残されることになりました。人間の賢さを集めたような思惑も、神の御前においてはどれほど愚かなものであるか、ということでしょう。それは現実の世界において、実に皮肉な形で示されることになるのです。私たちは、この神の御前において、まことに謙らなくてはなりません。

2026年7月22日水曜日

祈祷会用:サムエル記下 17:1~24

 サムエル記下 17:1~24

 ダビデ王は都を追われました。アブサロムは新しい王として、「イスラエル人の兵士を全員率いてエルサレムに入城」(16:15)しました。ここからも、軍事的にアブサロムを支えたのは実質的には北の諸部族の兵士たちであることが分かります。

 さて、そこに「アヒトフェルも共にいた」(同)と書かれていました。ダビデの顧問であったアヒトフェルがアブサロムの側に付いたことは、既に15章で見てきました。そのアヒトフェルがアブサロムに提案します。「お父上の側女たちのところにお入りになるのがよいでしょう。お父上は王宮を守らせるため側女たちを残しておられます。あなたがあえてお父上の憎悪の的となられたと全イスラエルが聞けば、あなたについている者はすべて、奮い立つでしょう」(16:21)。その頃、アヒトフェルの提案は、神託のように受け取られていました。アブサロムはその提案に従い、全イスラエルの注目の中で父の側女たちを自分のものとします。ここにおいて、アブサロムとダビデの対立は修復不可能となったことは、誰の目にも明らかでした。

 こうしてアブサロムが長年かけて準備してきたクーデターの計画は、いよいよ最終段階に入ることとなります。すなわち、最終的な目標はダビデの命です。前王を討ち取ること。ダビデが生きて残っている限り、アブサロムの王権は確かにはならないからです。

 そこで、アヒトフェルはさらにアブサロムに提案しました。「一万二千の兵をわたしに選ばせてください。今夜のうちに出発してダビデを追跡します。疲れて力を失っているところを急襲すれば、彼は恐れ、彼に従っている兵士も全員逃げ出すでしょう。わたしは王一人を討ち取ります。兵士全員をあなたのもとに連れ戻します。あなたのねらっておられる人のもとに、かつてすべての者が帰ったように。そうすれば、民全体が平和になります」(1‐3節)。

 この言葉はアブサロムにも、イスラエルの長老全員の目にも正しいものと映りました。実際、アヒトフェルの洞察力は恐るべきものであったと言わざるを得ません。彼は全く正しかったのです。16章14節には「王も同行の兵士も皆、疲れて到着し、そこで一息ついた」と書かれています。そこは約束していた待ち合わせの場所です。15章28節において「分かったか。わたしはあなたたちからの知らせを受けるまで、荒れ野の渡し場で待っている」とツァドクに言ったその場所です。彼らはヨルダン川を渡る手前で休んでいる。そこで知らせを待っているのです。ヨルダンを渡った後では急襲は難しい。手前にいるなら可能です。そこでアヒトフェルの速戦即決の策が実行されたなら、恐らくダビデに勝算はなかったでしょう。兵士たちは逃げ出し、ダビデは討ち取られていたに違いありません。

 神託とも見なされていたアヒトフェルの提言です。普通なら即実行に移されていたはずです。しかし、この時は不思議とそうはならなかった。アブサロムはさらにフシャイをも呼び寄せて、意見を聞こうとしたのです。どうしてか。分かりません。クーデターの最終段階にあったため、彼は慎重になった。念には念を入れて落ち度のないようにし、すべての計画を成功裏に締めくくりたかったということかも知れません。

 いずれにせよ、そこでフシャイが呼び出されます。彼はアヒトフェルの提案を批判して独自の対案を提示しました。「わたしはこう提案いたします。まず王の下に全イスラエルを集結させることです。ダンからベエル・シェバに至る全国から、海辺の砂のように多くの兵士を集結させ、御自身で率いて戦闘に出られることです。隠れ場の一つにいる父上を襲いましょう。露が土に降りるように我々が彼に襲いかかれば、彼に従う兵が多くても、一人も残ることはないでしょう。父上がどこかの町に身を寄せるなら、全イスラエルでその町に縄をかけ、引いて行って川にほうり込み、小石一つ残らなくしようではありませんか」(11‐13節)。

 このように、フシャイは慎重論を展開したのでした。それは最後の段階で慎重になっているであろうアブサロムの意向に沿うものでした。さらに言うならば、フシャイはアブサロムの内にあった願望をみごとに見抜いていたとも言えます。アヒトフェルの提案との大きな違いはどこにあったか。アヒトフェルは「一万二千の兵をわたしに選ばせてください」と言っているのです。そして、1節後半では訳には出ていませんが「《わたしは》今夜の内に出発してダビデを追跡します」と言っているのです。そして、「わたしは王一人を討ち取ります」と言っている。これに対し、フシャイは全兵士をアブサロムの下に集結させるべきだと言っているのです。そして、「御自分で率いて戦闘に出られることです」と言って勧めているのです。

 王位を欲する者が夢見る一つの姿は、自らが大軍を率いて出陣する姿です。フシャイはその姿を描き出してみせたのです。もちろん、フシャイの提案の真の意図は時間稼ぎにありました。何としてもダビデと兵士たちにヨルダンを渡らせなくてはなりません。ダビデは渡し場で待っています。そこに知らせを届けなくてはならない。この策が採用されれば、大軍を集める間、ダビデのところに使者を送るための時間を稼ぐことができます。

 結果的に、アヒトフェルの提案は退けられ、フシャイの提案が採用されました。アブサロムの心理を読んだフシャイの洞察は見事です。しかし、私たちが注目すべきは彼の賢さではありません。聖書は別の言葉をもってこの出来事を説明しているのです。「アヒトフェルの優れた提案が捨てられ、アブサロムに災いがくだることを主が定められたからである」(14節)と。

 ここに自ら王位を奪おうとしたアブサロムに対する裁きがあったことを聖書は語ります。この一連の出来事の背後に主がおられるのです。そして、同時に、これはダビデの救いでもありました。私たちは、アヒトフェルが裏切ったことを知った時にダビデが祈ったことを思い起こさねばなりません。彼はこう祈ったのです。「主よ、アヒトフェルの助言を愚かなものにしてください」(15:31)。この祈りがこのような形で応えられたと言ってもよいでしょう。

 フシャイは、アブサロムが兵を集結させる間に、祭司ツァドクとアビアタルに指示を出します。荒れ野の渡し場で夜を過ごそうとしているダビデと兵士たちに使者を送ることを命じるのです。ツァドクの息子のアヒマアツとアビアタルの息子ヨナタンが都とダビデとを繋ぐ使者とされたことは、既に15:27で見てきました。こうして、ダビデが神の箱を返したことが、結局ダビデの命を救うことになるのです。

 ヨナタンとアヒマアツがダビデのもとに知らせを届ける様子は、実に生き生きと描かれております。彼らは目撃され、アブサロムに知らせられます。そこで彼らはバフリムのある男の家に入り、間一髪、発見を免れて、ダビデのもとに行くのです。このようにかくまわれて追っ手を逃れる場面は、聖書の他の箇所にも見られますが、このようなモチーフによって、ここにも神の助けがあったことを描いているのでしょう。この結果、ダビデに知らせが届けられ、王は同行していた兵士たちと共に、ヨルダンを渡ります。そして、夜明けまでに全員が渡りきったのでした。

 一方、23節以下には、アヒトフェルの策が不採用になった後、彼が自害した次第が描かれています。アヒトフェルは不採用に抗議して自害したわけではありません。「家の中を整え、首をつって死に」という描写は、彼が極めて冷静であったことを示しています。鋭い洞察力を持ったアヒトフェルのことです。事の結末が彼には見えていたのでしょう。この夜にヨルダンのこちら側でダビデを討たなければ、もはやどんなに多くの兵士を集めようともダビデには勝てない。アブサロムの軍隊に勝ち目はない。ダビデの王座が戻れば、もはや自分の命はない。もはや望みなしと判断して自害したのであろうと思われます。

 さて、この一連の出来事は、その背後に神の御腕が働いていたことを示しています。一方においては、王となろうとしたアブサロムに対して裁きを下す腕が動き始めています。しかし、もう一方においては、荒れ野で嘆き苦しんでいるダビデのために、ダビデがまだ何も見ていない時から、既に救いの御腕は動き始めていたのです。


2026年7月15日水曜日

祈祷会用:サムエル記下 16:1~23

 サムエル記下 16:1-23

 15章17節以下には、都落ちをしたダビデになおも従おうとする人々の姿が描かれていました。私たちは、ガト人イタイ、祭司やレビ人たち、そしてアルキ人フシャイとダビデとの関係が、アブサロムとその追従者たちとの関係といかに異なるかを見てきました。ダビデと彼に従った人々がいかに深い愛と信頼の絆で結ばれていたかを見ます時、それが苦境にあるダビデにとって、どれほど大きな慰めであったかを思わせられます。

 しかし、16章に入りますと、王位を追われたダビデに、幾多の厳しい現実が情け容赦なく降りかかってきたことが改めて語られます。ダビデの喜びとなる人々だけでなく、そこにはまた悲しみとなる人々もいるのです。ここで登場してきますのは、ツィバ、シムイ、そしてアヒトフェルです。

 ダビデが山頂を少し下ったとき、メフィボシェトの従者ツィバがダビデを迎えました(1節)。ツィバが足の萎えたヨナタンの子メフィボシェトの従者となった次第は、9章に記されていました。彼はもともとサウル家に仕えていた者です。「ツィバには十五人の息子と二十人の召使いがいた」(9:10)という言葉は、彼が既にサウルの従者として相当の勢力を得ていたことを示しています。その彼が、いかにサウル家が没落したとはいえ、足の萎えた者の土地を耕す小作農の如き位置に置かれたことは、決して喜ばしいことではなかったに違いありません。

 そこで彼は、クーデターの混乱に乗じて、メフィボシェトの土地財産を我がものにしようと画策いたします。ツィバは二頭の鞍を置いたろばに、二百個のパン、百房の干しぶどう、百個の夏の果物、ぶどう酒一袋を積んでダビデを迎え、「ろばは王様の御家族の乗用に、パンと夏の果物は従者の食用に、ぶどう酒は荒れ野で疲れた者の飲料に持参いたしました」と言って差し出します。そして、メフィボシェトについてダビデから尋ねられますと、こう答えたのです。「エルサレムにとどまっています。『イスラエルの家は今日、父の王座をわたしに返す』と申していました」(3節)。こう言って、主人であるメフィボシェトを悪し様に訴えたのでした。

 実際、これが全くの偽りであったことは後に明らかになります(19章25節以下)。しかし、ダビデはそのことを知りません。王はツィバに、メフィボシェトに属する物をすべてツィバに与えてしまいます。それこそツィバが求めていたことでした。一方、ツィバの言葉を信じたダビデは、ヨナタンの子メフィボシェトに裏切られたと思っているわけですから、それはダビデにとってどれほど大きな悲しみであったかと思います。

 そして、さらにその悲しみに追い打ちをかけるように、ダビデがバフリムにさしかかった時、シムイという男が呪いながら石を投げつけてきます。彼はサウル家の一族の出でありました。彼はダビデを呪って言います。「出て行け、出て行け。流血の罪を犯した男、ならず者。サウル家のすべての血を流して王位を奪ったお前に、主は報復なさる。主がお前の息子アブサロムに王位を渡されたのだ」(7‐8節)。いくら都落ちをしたダビデとは言え、共の勇士たちが左右を固めている王に石を投げつけるのですから、それこそ彼は、ある意味で、命がけでダビデを呪っているのです。

 サムエル記がこれまで強調してきたように、ダビデは決してサウルの王位を奪ったのではありません。しかし、現実には、そのような見方が、ベニヤミン族を中心として、根強く残っていたことがこのエピソードからよくわかります。

 もちろん、ダビデにとってシムイの呪いの言葉は、サウル王家に関するかぎりまったく謂われのない事でした。しかし、彼の最後の言葉はダビデの心に深く突き刺さったに違いありません。シムイはこう言ってダビデを呪ったのです。「お前は災難を受けている。お前が流血の罪を犯した男だからだ」(8節)。シムイはもちろんかつて起こっていたサウル王家を支持するイスラエル諸部族とダビデを王に立てたユダとの戦争の話をしているのです。しかし、ダビデとしては、自分がウリヤを殺害したことを思い起こさずにはおれなかったことでしょう。

 一方、アブサロムはイスラエル人の兵士を率いてエルサレムに入城し、王宮を占拠します。聖書はここで「アヒトフェルも共にいた」と伝えています。アヒトフェルがいかに有能な顧問であったかは、彼の提案が常々「神託のように受け取られていた」(23節)という言葉から分かります。そのような男がアブサロムに寝返ったことは、ダビデにとって大きな痛手でした。

 アブサロムはエルサレム入城後、早速アヒトフェルに策を練るよう要求します。アヒトフェルはアブサロムに、父ダビデの残した側女を自分のものとし、ダビデとの対立が決定的になったことを全イスラエルに示すことを提案しました。そして、その提案に従い、アブサロムは屋上に張られた天幕において、全イスラエルの注目の中で、父ダビデの側女たちのところに入ったのです。

 この出来事は、ダビデとアブサロムとの関係が、もはや決定的に和解不可能なものとなったことを意味しました。それはダビデにとって、最も悲しむべきことでありました。しかし、それはまた何よりも、ナタンの預言の成就に他ならなかったのです。かつてナタンはダビデに主の言葉を告げて言いました。「見よ、わたしはあなたの家の者の中からあなたに対して悪を働く者を起こそう。あなたの目の前で妻たちを取り上げ、あなたの隣人に与える。彼はこの太陽の下であなたの妻たちと床を共にするであろう」(12:11)。

 さて、このようなダビデを襲った一連の苦しみの中において、これらを神の懲らしめの御手として受け入れ、その御手に身をゆだねるダビデの姿を、聖書は描き出しております。特に今日の聖書箇所において印象的なのは、ヨアブの兄弟、ツェルヤの子アビシャイとのやりとりです。

 シムイがダビデを呪って石を投げつけた時、アビシャイは王に言います。「行かせてください。首を切り落としてやります」。するとダビデはこう答えたのでした。「ツェルヤの息子たちよ、ほうっておいてくれ。主がダビデを呪えとお命じになったのであの男は呪っているのだろうから、『どうしてそんなことをするのか』と誰が言えよう」(10節)。そして、さらに言います。「主がわたしの苦しみを御覧になり、今日の彼の呪いに代えて幸いを返してくださるかもしれない」(12節)。

 ダビデはこの苦境にあって、自らの罪を思うのです。呪いを受けても仕方のない自分であることを思うのです。そのようなダビデにとって、神が呪いに代えて幸いを与えてくれることは決して当然のことではありませんでした。それは神の憐れみによるのであって、ただダビデはひたすら、神の憐れみにすがるのです。自分は神の憐れみを受ける資格など全くないことを知りながらも、神はきっと憐れんでくださると信じて、憐れみを求めるのです。

 実際、苦境において神を求めるあり方は、ある意味で二つに分かれると言えるでしょう。そこで自らを省みることなく、神なのだから幸いにしてくれて当然、救ってくれて当然と思いながら神に向かうのか。それとも自らの罪を思って、本来ならば断罪され滅ぼされても当然であることを認めながらも、なおひたすら神の憐みにすがって望みを抱くのか。もし前者なら、なかなか事態が好転しないときに、どうして神は助けてくれないのか、と言って腹を立てたり神を呪ったりするようにもなるのでしょう。結局、人はその点において、神を求めるあり方は二つに分かれるのです。

 そして、そのように神の憐れみに自らを託したダビデを、確かに神は見捨てることなく、顧みておられたのです。エルサレムにはアヒトフェルだけがいたのではなく、そこにはフシャイもいるのです。それは神がダビデの祈りに答え、ダビデのために備え給うた人物に他なりませんでした。神はこのフシャイを通して、ダビデに逃れの道を備えられたのでした。そのことを私たちは続く17章に見ることになるのです。

2026年7月8日水曜日

祈祷会用:サムエル記下 15:24~37

 サムエル記下15:24~37

 今日は15章の後半をお読みします。既に先週お読みした17節以下からの部分において、都から逃れていくダビデと、彼に従った人々との関係が一つ一つ丁寧に描かれています。そしてそこに描かれています関係は、その直前のアブサロムと彼に従った人々との関係とまさに好対照をなしているのです。

 先週読みましたように、アブサロムが目を付けたのはダビデ王家に不満を持っている人たちでした。北の諸部族の人々、ヘブロンの人々、そしてバト・シェバの祖父アヒトフェルなどです。アブサロムに従った人々は、ダビデへの不満と敵意を共通項としている人々です。いわば不満と敵意によって統一された人々なのです。一方、17節以下には、ダビデと彼に従った人々が、共通の敵意によって結ばれていたのではなく、互いへの深い愛と信頼で結ばれていたことを示しているのです。

 既に、ガト人イタイについては先週見てきました。アブサロムに付いた方が亡命者である彼にとっては絶対に有利であるにもかかわらず、彼はダビデと困難を共にする方を選んだのでした。そして、後に見るように、このイタイは、指揮官の一人として、アブサロムの軍との戦闘において重要な役割を演じることになるのです。そして、今日の箇所においてダビデの味方として現れてきますのは、聖所に仕える祭司たちとレビ人たち、およびアルキ人フシャイです。

 ツァドクをはじめレビ人全員が神の契約の箱を担いで来ていました。これはアブサロムの手から契約の箱を守るためではありません。いくらアブサロムといえど、聖所や神の箱に手を出すことはできません。そんなことをしたら全イスラエルを敵に回すことになります。

 しかし、これまで見てきましたように、アブサロムは極めて世俗的な人間です。この前にも後にも、祭司や預言者との関わりが全く記されてはおりません。アブサロムが預言者から言葉を受けたり、祭司の持つウリムとトンミムによって御心を尋ね求めることはないのです。そのように、祭司や預言者との関係は皆無ではなかったにせよ、非常に薄かったと思われます。

 ですから、祭司たちとレビ人たちはダビデに従って出ることを決意したのです。そして、神の箱もまた、アブサロムの王国に留まるよりも、ダビデと共にあるべきであると彼らは考えたのでした。もちろん、神の箱を携えてダビデと行動を共にすることは、祭司たちやレビ人にとって危険なことであったに違いありません。にもかかわらず、彼らは神の箱を運び出してきたのです。

 一方、神の箱が運ばれてきたことは、ダビデにとっても極めて有利なことでした。レビ人がダビデの側に付き、神の箱がダビデのもとにあることを知れば、アブサロムを支持する人々の間に大きな動揺が生じることは間違いありません。それはアブサロムの支持基盤そのものが危うくなることを意味するのです。

 また、アブサロムと共にある多くの兵士たちは、神の箱がダビデのもとにあることを知ったならば、きっと攻撃を開始することに恐れを抱くに違いありません。そして、ダビデに従った人々にとっては、これが何よりも神がダビデと共にあることの見えるしるしとなり、彼らの士気を高めるものとして機能することになるでしょう。

 しかし、驚いたことにダビデは彼らをエルサレムに帰らせるのです。彼は言いました。「神の箱は都に戻しなさい。わたしが主の御心に適うのであれば、主はわたしを連れ戻し、神の箱とその住む所とを見せてくださるだろう。主がわたしを愛さないと言われるときは、どうかその良いと思われることをわたしに対してなさるように」(25節)。ダビデは、それがどんなに自分の有利に働くとしても、神の箱を自分のために用いることをしませんでした。神さまを自分の側に引き寄せて、自分の助けにするのではなく、自分自身を神の懲らしめと憐れみの御手にゆだねたのです。

 ダビデをしてそのように語らせたのは、主への揺るぎない信頼でした。荒れ野に再び追いやられることによって、ダビデは主への信頼へと立ち帰ったのです。ダビデは「主がわたしを愛さないと言われるときは」と言っていますが、それは主の愛を疑っているのではなく、主に愛されていることを心から信じている者の言葉に他ならないのです。

 ダビデはは、主がきっと憐れんでくださり、彼を再びエルサレムへと戻してくださることを信じているのです。ですから、25節の言葉と一見矛盾するように見えますが、ダビデは事の成り行きにただ身を任せるのではありません。「主の御手に身をゆだねること」は「成り行きに身をゆだねること」ではないのです。ダビデはそこで為しえる最善を尽くすのです。

 「王は祭司ツァドクに向かって言葉を続けた。『分かったか。平和にエルサレムに戻ってもらいたい。息子のアヒマアツとアビアタルの子ヨナタン、この二人の若者を連れて帰りなさい。分かったか。わたしはあなたたちからの知らせを受けるまで、荒れ野の渡し場で待っている』」(27‐28節)。このように、ただツァドクやアビアタルをエルサレムに戻すだけでなく、そこからの情報が届くように手配したのです。そして主は確かに、そのダビデがエルサレムへと送り込んだ人々を用いて、ダビデを危機から救い出されるのです。

 そして、もう一人の味方として現れてきますのはフシャイです。その直前にはこう書かれています。「アヒトフェルがアブサロムの陰謀に加わったという知らせを受けて、ダビデは、『主よ、アヒトフェルの助言を愚かなものにしてください』と祈った」(31節)。

 ここにも、「主の御手に身をゆだねること」と「成り行きに身をゆだねること」の違いが現れています。ダビデは主に祈るのです。そして、いわばこの祈りに答えるようにして、主はフシャイを与えられたのでした。

 彼は、「ダビデの友」と呼ばれています。それは高官の職位名でありますが、同時に実質を現しています。フシャイは、嘆きの姿をもって、ダビデを迎えます。ダビデは彼の存在こそ、先の祈りの答えであることを悟ったのでしょう。そのフシャイをダビデはエルサレムに帰して言います。「お前はわたしのためにアヒトフェルの助言を覆すことができる」と。そして、事実、このフシャイによってダビデは危機から救い出されることになるのです(17章)。

 さて、以上のことを見た上で、さらにこのダビデの物語が、後の人々、特にこれを読んだ捕囚の民にとってどれほど大きな慰めとなったであろうか、ということを考えるべきでしょう。ダビデの物語は、彼が荒れ野へと追いやられた時、決して神から見捨てられてしまったのではないことを伝えているのです。荒れ野において、彼の助けが神によって備えられ、そこにおいてもなお神が憐れみをもってダビデの祈りを聞き、祈りに答えて将来へ備えてくださったことを伝えているのです。

 あのダビデと同じように、捕囚の民もまた、試練の荒れ野へと追いやられた人々でありました。そして、エルサレムから離れ、神殿をも失ってしまった人々に対して、預言者エレミヤは、安易な解放を望むのではなく、神の裁きに服して救いの時を待ち望むように語りました。

 主はエレミヤを通して、捕囚の民にこう言われたのでした。「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしに出会うであろう」(エレミヤ29:11以下)と。ダビデの物語は、この主の言葉がまことに真実であることを彼らに示したに違いありません。

 私たちもまた、しばしば主の懲らしめのもとに置かれます。その時、この物語は、私たちがいかに主に信頼して歩むべきかを教えてくれるものとなるでしょう。


2026年7月1日水曜日

祈祷会用:サムエル記下 15:1~23

 サムエル記下 15:1~23

 新共同訳ですと、前の14章には「ダビデ、アブサロムを赦す」と小見出しが付いています。確かに全体の流れとしてはそのような話でした。兄殺しのかどで追放となっていたアブサロムはヨアブの計らいによって国外追放を解かれてエルサレムに戻されることとなります。さらに王宮への出入り禁止も解かれ、追放から5年後、ついにダビデ王と再会することとなりました。「王はアブサロムを呼び寄せ、アブサロムは王の前に出て、ひれ伏して礼をした。王はアブサロムに口づけした」という言葉で前の章は終わっています。口づけは赦しと和解のしるしに他なりませんでした。

 しかし、それは形だけの和解に過ぎなかったことがこの章で明らかにされます。もともと追放は主の前に罪を問われた結果ではありませんでした。赦しもまた、神の赦しを信じての赦しではありませんでした。結局、アブサロムは罪を自覚することなく、ゆえに罪を悔い改めることもなく、赦しを求めることもないままに、王家への復帰を許され、宮廷に戻ることとなったのです。そのことがダビデ王家にさらなる悲劇をもたらすことになろうとは、誰も想像しませんでした。

 今日の箇所は、その後にアブサロムが取った行動を伝えています。「その後、アブサロムは戦車と馬、ならびに五十人の護衛兵を自分のために整えた」(1節)。エルサレムにおいて自由に動けるようになったアブサロムが護衛を整えることは極めて自然なことでした。もはや逃亡者ではなく王子なのですから。また、アムノンの親族と共に都に共存することを考えるならば当然の行動と見えます。

 しかし、後に見るように、実はこれこそ政変の準備に他ならなかったのです。彼はダビデが王位から退くのを待つことなく、自ら王となってイスラエルが自分の王国であることを宣言することに決めていたのです。

 確かにアブサロムはアムノン亡き後既に王位継承第一位にありました。しかし、最終的に決定を下すのはあくまでもダビデです。ダビデとは既に和解しました。しかし、これまでの王との関係からすると、ダビデがそのまま自分を指名するとは思えなかったのでしょう。彼はダビデの死後における自分の王位継承は確かではないと考えた。さらに言うならば、もし自分が次の王になれなければ、自分と一族の命は危ないとも言えるのです。次の王は王位を安定させるために、他の兄弟を皆殺しにするかもしれない。そのような懸念もあったに違いありません。

 それゆえに、彼はその後四十歳になるまで(四年間という読み方もある)、着々と反乱の準備を整えていくのです。その準備の中心は、アブサロムを支持する母体を形成することでした。そのために一番確実なのは、ダビデ王に不満を持っている人々に接近することです。そこで彼は毎朝早く起き、王による裁定が行われる城門への道の傍らに立ちました。そこで裁定を求める人々に声をかけ、イスラエルの諸部族に属することが分かると、「お前の訴えは正しいし、弁護できる。だがあの王の下では聞いてくれる者はいない」(3節)と語ったのです。

 ここでイスラエルの諸部族というのは、ユダ以外の北イスラエル諸部族を指しているものと思われます。彼らの多くはもともとサウル家を支持していた人々です。かつてダビデがユダの王だったとき、イスラエル諸部族との間に戦争が続いたことを思い起こしてください。ダビデの治世においても、ダビデに不満や恨みを抱いていた者は決して少なくなかったであろうことは想像できます。

 実際、後にダビデが都落ちをした時、ダビデを公然と罵るシムイのような人物も出てくるのです(16:7以下)。そのような人々に、アブサロムは言葉巧みに語りかけ、「わたしがこの地の裁き人であれば、争い事や申し立てのある者を皆、正当に裁いてやれるのに」と言ったのです。そうして、彼は「イスラエルの人々の心を盗み取った」(6節)のでした。

 そうして、ついに計画決行の日がやってきます。彼は政変の拠点としてヘブロンを選びました。このことからも、アブサロムは既に、もう一つの不満分子に手を伸ばしていたことが分かります。それは誰か。ユダ族の宗教的に保守的な人々です。

 ヘブロンはイスラエルの伝統と結びついた古い聖所です。そこはユダの保守的な敬虔な人々にとって特別な意味を持つ場所でした。かつてダビデがユダの王であったとき、ダビデ王国の中心であったのはヘブロンだったのです。しかし、ダビデはイスラエルとユダの統一王国の王となった時に、都をエルサレムに移したのです。エルサレムは既に見たように、もともとイスラエルの伝統とは全く無関係なエブス人の土地です。そこに都を移すことがヘブロンの敬虔な人々にとって喜びであったはずがありません。

 しかも、18節にも見ますように、ダビデは側近や親衛隊に、かなりの割合で外国人を起用したのです。これは伝統を重んじる人々にとっては耐え難いことであったに違いありません。アブサロムはそのような人々を味方に付け、彼らの宗教的感情に訴えるためにヘブロンを即位宣言の場所として選んだのです。

 もちろん、アブサロム自身は、宗教的な保守主義者ではありません。彼は、ヘブロン行きの目的をカムフラージュするために、「主への誓願」を持ち出すのです。それほどに、敬虔さの微塵もない男でした。しかし、ヘブロンはアブサロムの生まれ故郷でもありましたから、ヘブロンに行くことについて誰も疑う者はなかったのです。

 そして、もう一人、彼が目をつけたのはダビデの顧問であるギロ人アヒトフェルです。彼は、エリアムの父親(23:34)であり、従ってバト・シェバの祖父に当たります(11:3)。彼がダビデの顧問として登用されたのは、恐らくはバト・シェバとの関係によるものでしょう。しかし、孫娘の家庭を姦淫と殺人の罪をもって破壊したことは、アヒトフェルの心に少なからぬ恨みを残したに違いありません。そこに目をつけたのがアブサロムでした。彼はダビデの顧問でありながら簡単に翻り、アブサロムの側に付くことになるのです。こうして、「陰謀が固められてゆき、アブサロムのもとに集まる民は次第に数を増した」(12節)のでした。

 さて、多くの人を動かして事を成そうとする時、最も手っ取り早い方法は、共通の敵を設定すること、そして人々の不満や怒りや恨みをかき立てて団結させることです。これがアブサロムの採った手法でした。アブサロムの目論みの通り、彼の周りには不満と怒りに満ちた強力な集団ができあがっていったのです。しかし、この最善と見えた方法が、結局はアブサロムを王にすることなく、彼を滅ぼすことになるのです。

 それはダビデが王となるまでに歩んだ道筋とは対照的であったと言えます。思い起こしてください。かつてダビデはサウルに追われた時、政変によって自らが王となることを求めませんでした。人を王とするのは神であることを信じていたからです。

 アドラムに難を避けた彼の周りには負債のある者や不満を持つ者が集まりました(サムエル上22)。しかし、ダビデはサウルの体制に対する彼らの不満と怒りを利用しようとはしませんでした。むしろサウルが敵ではないことをダビデは繰り返して示し続けたのです。どうしてか。神に信頼していたからです。

 アブサロムが反乱を起こした時、ダビデは再びあの時と同じ荒れ野の道を辿ることになります。イスラエル人の心がアブサロムに移っているという知らせが届いた時、ダビデは家臣全員に、「直ちに逃れよう」(14節)と言って都落ちを決意します。

 もちろん、彼はエルサレムに留まって徹底抗戦することもできたのです。ヨアブのもとにある軍隊と外国人傭兵部隊はダビデのもとにいるのですから。しかし、彼はエルサレムを去りました。一つの理由はエルサレムとその住民を戦火に巻き込まないためでした(14節)。それは自分の王位や王国の体制を守ることよりもずっと大事なことだったのです。

 ダビデは自らの未来を主に委ねて都落ちをします。それは後に25節において「わたしが主の御心に適うのであれば、主はわたしを連れ戻し、神の箱とその住む所とを見せてくださるだろう」と言っているとおりです。

 ですから、彼はガト人イタイが同行を申し出た時にも、一旦は申し出を拒否するのです。自分の身を守るためには、一人でも多くの者が共にいたほうが良いに決まっているのに、彼はイタイを帰そうとしたのでした。ダビデはかつて王となる前に辿った荒れ野の道に再び戻されることによって、彼の原点に、すなわち主に信頼して歩むところへと再び引き戻されたのです。

 さて、この物語を記した歴史家たちは、どんな思いでこのダビデの都落ちの場面を描いたのでしょうか。きっと、捕囚となった自分たちとエルサレムから離れていくダビデとが重なって見えたに違いありません。


2026年6月24日水曜日

祈祷会用:サムエル記下 14:21~33

 サムエル記下14:21~33

 私たちはここまでダビデ王家に起こった一連の出来事を読んでまいりました。長男アムノンの犯した罪。その罪に対する報復として三男アブサロムがアムノンを殺害し、ゲシュルに逃亡したこと。ダビデもまたアブサロムを公に追放することとなりました。

 さて、これまで読んできたことを正しく理解するために、今一度11章と12章に書かれていたことを振り返っておきたいと思います。バト・シェバ事件の話です。ダビデがバト・シェバと関係し、バト・シェバが身籠もった時、ダビデはなんとかしてその罪を隠蔽しようとしました。そして、ついにその夫ウリヤを殺害するに至ります。これで全ては闇に葬られたはずでした。しかし、神はダビデにナタンを遣わされます。ナタンはたとえ話を通してダビデが犯した罪を明らかにされます。神はダビデの罪を神の光の中に引き出されたのです。ナタンは神の言葉を語り、ダビデの行いが他ならぬ《主に対する罪》であることを明らかにされました。

 主はナタンを通してダビデに言われました。「なぜ主の言葉を侮り、わたしの意に背くことをしたのか」(12:9)。それに対して、ダビデは自分の犯した罪が主に対する罪であることを認めて言います。「わたしは主に罪を犯した」(12:13)。すると即座にナタンはダビデに対して宣言します。「その主があなたの罪を取り除かれる」(同)と。

 その後のダビデ家に起こった悲劇的な出来事を思います時に、罪が主に対する罪として裁かれ、主の御前において取り扱われるということは、いかに大事なことかと思います。主の御前において悔い改めがなされ、そして主が赦されるのでなければ、罪の問題は解決しないからです。しかし、まことに悲しむべきことに、アムノンの罪も、アブサロムの罪も、ついに最後まで主の御前において取り扱われることはありませんでした。

 先週、私たちは、知恵のある女とダビデとのやりとりを読みました。その知恵ある女を送ったのは神ではなく、ヨアブでした。ダビデはこの女の言葉の背後にヨアブがいることを見抜きます。女もまた、「御家臣ヨアブが事態を変えるためにこのようなことをしたのです」(14:20)と、事の真相を明らかにしました。恐らくこの女が王に訴え出ていた時、ヨアブも何食わぬ顔をしてそこに陪席していたのでしょう。

 ダビデはヨアブに向き直って言います。「よかろう、そうしよう。あの若者、アブサロムを連れ戻すがよい」(14:21)。こうして追放が解かれます。しかし、この判決はどこから来たのでしょう。どうしてダビデはアブサロムを連れ戻すことに決めたのでしょう。明らかに追放の解除という判決は、神の赦しに基づくものではありませんでした。いみじくも、その直後にヨアブが言っているとおりです。「王よ、今日僕は、主君、王の御厚意にあずかっていると悟りました。僕の言葉を実行してくださるからです」(22節)。

 このように、ダビデが追放を解いたのは神の言葉を実行したのではなくて、あくまでもヨアブの言葉の実行に過ぎませんでした。ここで起こっていることは12章で起こったこととは異なることを聖書ははっきりと書いています。しかし、それはある意味で当然の成り行きであったとも言えます。なぜなら、もともとダビデはアブサロムの罪を神の御前に明らかにした上で追放を宣言したのではなかったからです。神とは関係なく追放し、神とは関係なく追放を解除したのです。

 さて、こうしてダビデによる追放解除の言葉を手に入れたヨアブは、立ってゲシュルへと向かい、アブサロムをエルサレムへ連れ帰ります。ところがダビデ王は一つの条件を付けていました。「自分の家に向かわせよ。わたしの前に出てはならない」(24節)。つまり、ダビデはエルサレムへの帰還は認めたのですが、王宮への出入りは認めなかったのです。王位継承権を持った王子としては扱わなかったということです。ダビデはアブサロムを連れ戻すことを許可したのですが、完全に追放を解いたわけではない、とも言えます。

 なぜダビデはこのようなことをしたのでしょう。それはエルサレムの人々の手前、またアムノンの家の手前、完全に赦免することができなかったのかもしれません。あるいは、アムノンを殺したアブサロムに対する怒りが解けていなかったのかもしれません。いずれにせよ、このこともまた、法的な処置ではなく、神の律法のもとでの処罰でもありませんでした。少なくとも、アブサロムは、この処罰が何を根拠として何故になされたものなのか、全く理解してはいませんでした。それは彼にとっても、ダビデ自身にとっても、極めて不幸な展開をもたらす原因となるのです。

 アブサロムは王宮への出入りを禁じられたまま、二年間を過ごします。アブサロムが宮廷に戻されることがそれほど容易なことではないことを悟ったヨアブは、これ以上アブサロムには関わろうとはしませんでした。ダビデ王とアブサロムとの関係の修復が困難であるならば、これ以上アブサロムに関わることは、ヨアブにとっても益とはならないからです。

 実は、後にダビデ王の死期が近づいた時に、ヨアブが四男のアドニヤの王位継承を支持するという話が出て来ます(列王上1:7)。しかし、考えてみるとこの二年間の間に既にヨアブはアブサロムに見切りをつけてアドニヤの支持を考えていたのかもしれません。見切りをつけていたことは、後にアブサロムにとどめを刺すヨアブの行動にも、暗い形で現れることになります。いずれにせよ、ヨアブにとって大事なのは将来の自分の権力が確保されることなのであって、アブサロムの罪が赦されることや、彼とダビデとの関係が修復されることそのものは、もともとどうでも良いことだったのです。

 一方、アブサロムはそのままの状態に留まっているわけにはいきません。先週申し上げたとおり、アムノンを殺したのは、単に妹を汚された兄の私怨によるのではなかったからです。それは王位継承第一位の王子として、やがてはダビデの王座を嗣ぐためだったのです。ですから、なんとか事の打開を図るため、アブサロムはヨアブを王のもとへの使者に頼もうとして人をやります。しかし、ヨアブは応じません。そこでついに、アブサロムはヨアブの地所の大麦に放火するという暴挙に出ます。

 このアブサロムの行動と、その後に彼が語った言葉は、彼が決して神による罪の赦しを求めていたのでも、神の御前における真実な和解を求めていたのでもないことを示しています。彼は王家への復帰を求めていただけであって、本質的に赦しを欲してなどいないのです。彼は神の御前において自分の罪を認めてはいないからです。「王に会いたい。わたしに罪があるなら、死刑にするがよい」(14:32)。彼は自分が死に価する罪人だとは思っていないのです。

 このアブサロムに対してダビデはどう対処したのでしょうか。ヨアブは王のもとに行って報告しました。王はアブサロムを呼び寄せます。アブサロムは王の前に出てひれ伏します。王はアブサロムに口づけします。これは王の赦しのしるしであり、王とアブサロムの和解のしるしでもあります。しかし、どうしてダビデはアブサロムを王家に復帰させたのでしょうか。ここにおいて再び、彼は根拠のない赦しを与えます。その赦しは成り行きによる赦しであり、神の赦しを信じたからではありません。それゆえに和解も見せかけのものでしかありません。これらすべては神の御前における事柄ではないのです。

 このダビデの姿は、私たちの日常のあり方を考えさせるものです。私たちも往々にして、罪の問題を神の御前において問いません。子供に対しても、往々にして親が言うことは、「そんなことをしたら恥ずかしいよ」「そんなことをしたら他の人の迷惑になるよ」ということだけです。そして、処罰を加えるのも、神の御前において罪が裁かれるのではなく、自分の怒りにまかせて、あるいは世間体を取り繕うための罰を加えます。親も子も、神の前における罪であるか否かを考えません。それゆえに、赦すときにも、何の根拠もなく赦します。たいていは成り行きです。それゆえに、赦されたとしても、自分の罪が赦されたことの意味を考えることはありません。

 アブサロムはその美しさのゆえに、王たるに相応しい人物と見なされていたようです。後に見るように、その実力も備えていたのでしょう。しかし、悔い改めを知らない者の力も美しさも、その者を王とするのではなくて、むしろ滅びへと導くものでしかありませんでした。


2026年6月17日水曜日

祈祷会用:サムエル記下 14:1~20

サムエル記下 14:1‐20

 アムノンは罪を犯しました。しかし、ダビデはこの事件を公にすることなく宮中に留めました。罪は律法違反として裁かれることはありませんでした。それゆえにアムノンもまた神に対する罪としてこれを認識することはありませんでした。

 一方、アブサロムもまた、この事件を公にすることはありませんでした。神に対する罪としてアムノンの罪が裁かれ、神の正義が貫かれることを求めはしませんでした。「いいか。アムノンが酒に酔って上機嫌になったとき、わたしがアムノンを討てと命じたら、アムノンを殺せ。恐れるな。これはわたしが命令するのだ。勇気を持て。勇敢な者となれ」(13:28)。これが最終的に従者たちに与えた実行命令です。アブサロムによるアムノン殺害は、あくまでも《アブサロムの命令》によるものであって、神の命令によるのではなく、神の正義が実現したのではなかったことが強調されているのです。

 そのようにアムノン殺害事件は、13章においては、あくまでもアブサロムの個人的な報復として描かれておりました。ところが、14章以降の展開を見ます時に、これは単にアブサロムの憎しみと怒りの現れではなかったことが明らかになってまいります。実はこれはその後も続いていきます《王位継承をめぐる争い》の一部分であったのです。

 3章2節以下に、ヘブロンで生まれたダビデの息子たちの名が記されておりました。アムノンは長男です。次男のキルアブはそれ以降出てきませんし王位継承争いの中にも入ってきませんから、若くして亡くなったものと思われます。三男はアブサロムで祖父はゲシュルの王です。(四男のアドニヤも後に王位継承争いの中で命を落とします。)ですから、アムノンを殺害することは、彼が王位継承者の筆頭になることを意味するのです。

 アブサロムはアムノン殺害後、ゲシュルに亡命します。13節を見ますと、アブサロムは亡命後、イスラエルを追放された者とされたようです。アブサロムは王位継承者筆頭であったアムノンを殺害したのですから、もはや事件はいかなる仕方でも隠蔽はされ得ません。すぐにもイスラエルにおいて事は公になりました。当然のことながら、ダビデは審判を下さざるを得なかったのでしょう。

 アブサロム自身は、この追放という処分が遅かれ早かれ解除されるものと考えていたようです。彼は決して自らの行ったことを悪であるとは見なしていなかったからです。それは後に32節において「わたしに罪があるなら、死刑にするがよい」と大胆にも語っていることから分かります。

 彼は自らを正当化することのできる理由がありました。そのような理由があることは時として非常に不幸なことです。彼は死ぬまで決して自分の罪を神の御前において認めて悔い改めることはありませんでした。そして、これは来週読むことになりますが、そのようなアブサロムが、自らを義としたまま、結局は追放処分が解除されてゲシュルからエルサレムに戻されることになるのです。そして、再び王子としてダビデの王宮に出入りするようになるのです。そのことが後のダビデ王家に、イスラエルに、いかに悲惨な結果をもたらすことになるか、私たちはこれから見ていくことになります。

 しかし、今日はアブサロム自身ではなく、彼がエルサレムに戻ることができるように動いたヨアブの行動に目を留めたいと思います。ヨアブはある策略を用いてアブサロムの呼び戻しを実現するのです。

 「アムノンの死をあきらめた王の心は、アブサロムを求めていた」(13:39)と書かれていました。アブサロムが関わる後の出来事を見ますと、ダビデがいかにアブサロムを溺愛していたかが分かります。彼が帰ることを求めたのは父の自然な心情でした。このダビデの心の動きに目を留めたのがヨアブでした。

 彼はテコアに使いを送って一人の知恵のある女を呼び寄せます。そして、喪に服しているように装い、王に架空の訴えをさせたのです。夫を亡くしたやもめの二人の息子がいさかいを起こし、一方が他方を打ち殺してしまった。そこで一族の者が「兄弟殺しを引き渡せ、殺した兄弟の命の償いに彼を殺し、跡継ぎも断とう」と言っているのだ、と訴えたのです。

 ダビデは、その架空の話における兄弟殺しの息子が殺されないように計らい、この女にとって憐れみ深い裁定を下します。「王は女に言った。『家に帰るがよい。お前のために命令を出そう』」(8節)。つまり情状酌量し兄弟殺しの息子を無罪とするのです。本来ならば王の裁定は絶対ですから、これで問題は解決しているはずです。ところがテコアの女は執拗に問題を蒸し返すのです。ダビデが主の名によって誓うところに持って行くためです。そして、ついにダビデは主の名によって誓います。「主は生きておられる。お前の息子の髪の毛一本たりとも地に落ちることはない」(11節)。

 そこですかさず女はこう言って王に迫ります。「主君である王様、それではなぜ、神の民に対してあなたはこのようにふるまわれるのでしょう。王様御自身、追放された方を連れ戻そうとなさいません。王様の今回のご判断によるなら王様は責められることになります」(13節)と切り出したのです。

 つまりこの女の息子を情状酌量無罪として女が息子を二人とも失ってしまうことがないように裁定を下したのに、アブサロムを無罪としないで追放したままにして、神の民が王となるべき人を二人とも失ってしまうようなことをしても良いのですか、と言っているのです。

 ヨアブの入れ知恵によるのですが、女はあえてここで「神の民に対して」という言葉を使っています。これは「神の民に逆らって」とも訳せるような言葉です。神の民、すなわちイスラエルの人々の願いに反して、ということです。ここには民意の変化が見てとれます。アブサロムが引き起こしたのは宮廷においては前代未聞のスキャンダルだったのですから、人々はアムノンを殺害したアブサロムの追放を当初は良しとしていたに違いないのです。しかし、三年経った今、明らかにアブサロムを連れ戻そうという動きが人々の間に起こってきているのです。

 それは25節に見るように「イスラエルの中でアブサロムほど、その美しさをたたえられた男はなかった。足の裏から頭のてっぺんまで、非のうちどころがなかった」と書かれていることと無縁ではないでしょう。そもそも、人々はアムノンよりもアブサロムが王となることを望んでいたのかもしれません。

 そうしますと、ヨアブはただ単に王の心情を察して仲介の労を執ったということではなさそうです。そこにはダビデ王の死後を考えた政治的な意図が見られるのです。ヨアブはかつて自分の権力の座が脅かされることのないように、アブネルを殺害した人物です。彼にとっては、国家に安定した統治があること、そしてその国家の軍の総司令官という立場に自分が君臨し続けることが決定的に大きな意味を持っていたのです。そのためには、相応しい人物が即位せねばならず、またその即位に一役買っていることは、極めて重要なことだったのです。世論の動き、ダビデの心の変化は、ヨアブにまたとない機会を与えたのでした。

 さて、ここに記されていることは、ナタンのたとえ話と対を為しているように見えますが、本質的に異なるものとして描かれているのです。ナタンを送ったのは神でしたが、テコアの女を送ったのはあくまでも神ではなくヨアブなのです。彼女が言っているように「ヨアブが事態を変えるためにこのようなことをした」(20節)のです。

 正義の主張と共に渦巻いているのは人間の思惑と野心です。それらが人間の「知恵」によって事を動かし、そして結果として災いをもたらすことになるのです。ここに出てくるのは知恵のある女です。あのアムノンを動かしたヨナダブも「賢い男」(知恵のある男)と書かれていました。人間の知恵が災いの連鎖を生み出すという悲しむべき事実をこれらの人物は象徴しているようです。

 しかし、私たちはもう一方で、これがすべてナタンによって予告されていた一線の上を辿っていることを思い起こします。すべては崩壊へと向かっているように見えます。しかし、神の手を離れてしまっているわけではありません。神の支配の中で、やがてアムノンではなく、アブサロムでもなく、ソロモンが王として立てられることになるのです。人間の思惑や野心によって、神の救いの計画は挫折させられることはないのです。


2026年6月10日水曜日

祈祷会用:サムエル記下 13:20~39

 サムエル記下13:20‐39

 今日は13章の後半をお読みします。13章は次のような言葉から始まりました。「その後、こういうことがあった。ダビデの子アブサロムにタマルという美しい妹がいた。ダビデの子アムノンはタマルを愛していた」(1節)。そのタマルを我がものとするために、アムノンは仮病を使います。父ダビデが見舞いに来たときに、アムノンは「妹タマルをよこしてください」と願いました。ダビデに言われるままにタマルがアムノンの家に来ると、そばにいた者を出て行かせ、アムノンはタマルを捕らえて力ずくで床を共にします。

 それはアムノンの従兄弟であり友人でもあったヨナダブの入れ知恵でした。この「ヨナダブ」の名を覚えておいてください。後で出て来ます。アムノンは自らの思いを遂げるとタマルを憎悪し家から追い出しました。タマルは上着を引き裂き、嘆きながら歩いて帰ります。そして、兄アブサロムのもとに身を寄せたのでした。ここまでが先週読んだところです。

 さて、今日の箇所の内容に入る前に、この事件に対する人々の対処の仕方を見ておきましょう。タマルが犯されたことを知った実の兄であるアブサロムは、彼女にこう言いました。「今は何も言うな」。これは《事件を公にするな》ということです。アブサロム自身、アムノンに抗議することも、王に訴え出ることもしませんでした。「アブサロムはアムノンに対して、いいとも悪いとも一切語らなかった」(22節)のです。表面的に見るならば、タマルもアブサロムも、アムノンの罪を不問に付したのでした。

 一方、この事件は当然のことながらダビデの耳にも入りました。父であるダビデはどうしたでしょうか。「ダビデ王は事の一部始終を聞き、激しく怒った」(21節)と書かれています。しかし、驚いたことに、ここにはアムノンの罪を処罰したとは書かれていないのです。

 実は、私たちが読んでいるのはヘブライ語で書かれた聖書底本からの翻訳なのですが、ギリシア語訳旧約聖書(七十人訳)では、「激しく怒った」の後に、次のような言葉が加えられているのです。「しかし、彼の息子の魂を悲しませることはしなかった。彼が長子であり、彼を愛していたからである」。細かい話は割愛しますが、恐らくこれが本来の読みであったものと考えられます。

 要するにダビデはあくまでもこの件を内密にしたのです。宮廷の中だけに留めたのです。息子アムノンの罪は、明らかに律法違反なのです。しかし、ダビデは息子を律法違反として公に裁くことはしませんでした。アムノンが長子であり、王位継承第一位にあったことはダビデにとって大きなことだったのでしょう。さらに言えば、王家のスキャンダルはようやく統一された国家を不安定にしかねい。そのような懸念もあったことでしょう。このような理由から身内の罪の隠蔽が起こることは、今も昔も変わりません。

 そして、今日の箇所に入ると、「それから二年たった」とだけ記されているのです。この間のことが全く抜け落ちている。聖書は沈黙しているのです。それは、アムノンの罪が、結局覆い隠されたままであり、人々の記憶からも消えていったことを示しているのです。

 そんなある日、アブサロムは、エルサレムから20キロほど離れたバアル・ハツォルにおいて、羊の毛を刈る季節の祝宴を催します。それは農業で言えば収穫祭に当たります。大々的に行われるのです。アブサロムは王子全員を招待し、ダビデ王と家臣をも招待しました。ダビデ王はアブサロムの負担になることを好まず辞退します。そこで、アブサロムはアムノンを代理として同行させてくれるよう願います。このようなやりとりから、この時点でアムノンは王子たちの中で別格の扱いを受けていたことが分かります。ダビデはアムノンを同行させることを承諾しました。

 さて、私たちはアムノンが実際にアブサロムの招待を受けて、平気で祝宴に参加していることに驚きを覚えます。しかも、アブサロムは従者にこう命じていたのです。「いいか。アムノンが酒に酔って上機嫌になったとき、わたしがアムノンを討てと命じたら、アムノンを殺せ」(28節)。そして、実際そのことが実行された。ということは、アムノンは酒を飲んで上機嫌になっていたということです。

 これは驚くべきことではありませんか。アムノンは恐らくタマルにも兄であるアブサロムにも謝罪することはなかったでしょう。しかし、特に自分自身の罪が取りざたされることのない二年間を経て、アムノンにとって「あの出来事」はもう既に終わったことになっていたのです。

 しかし、この聖書箇所に記されている悲劇は、一つのことをはっきりと示しています。人間の罪というものが、人々の目から隠されても、人々の記憶からは失われても、何事もなかったかのように以前の状態が続いていたとしても、依然として残っているのだということです。なぜなら、もともと問題は単に人と人との間のことではないからです。アムノンが神の律法に背いた行為が問題なのです。

 すなわち、これは神と人との間のことなのです。罪というのは、そもそもそういうものなのです。神と人との話なのです。しかし、ダビデもアブサロムもタマルも、そしてアムノン自身も、この罪を神の御前に出すことはしなかったのです。神の言葉のもとに置くことをしなかったのです。要するに、この13章に登場する人物は誰一人として、これが神に対する罪であることを認識していないのです。

 ついにアムノンの罪は、「神に対する背き」として明らかにされることはありませんでした。罪は神の御前で明らかにされ、神の御前で悔い改められ、神の御前で赦しが与えられ、神の御前において和解がなされなければならないのです。もしそうでなければ、問題は未来に持ち越されます。そして、事実そうなりました。

 アブサロムは、結局、復讐としてアムノンを殺害することになりました。罪は神の律法への違反として考えられないならば、ただ人と人との間の憎しみしか産み出しません。そして、結局恨みを晴らすという仕方でしか処理されません。アブサロムが、最後まで罪に対する神の裁きを考えられなかったことは、彼の言葉から分かります。「これはわたしが命令するのだ。勇気を持て。勇敢な者となれ」(28節)。強調されているのは「わたし」です。命じているのは神ではありません。

 こうしてアブサロムの復讐は果たされました。しかし、彼は母方の祖父であるゲシュルの王タルマイのもとに亡命します。これはダビデとの決定的な亀裂の発端となりました。そして、この結末は彼自身の滅びとなるのです。憎しみと怒りによって罪を処理しようとするならば、自らの滅びを招くことになるのです。

 一方、アムノンの悲劇は、ただ殺害されたということではありません。ここに再びヨナダブが登場します。ここで私たちは驚くべき発言を耳にするのです。アムノンが殺害された時、彼は明らかにバアル・ハツォルの祝宴に参加してはおりませんでした。彼はダビデと共に事件の第一報を聞くことになります。それはアブサロムが王子たちを皆殺しにしたという誤ったニュースでした。

 ダビデはそれを聞いて衣を裂きます。しかし、ヨナダブが言うのです。「殺されたのはアムノン一人です。アブサロムは妹タマルが辱めを受けたあの日以来、これを決めていたのです」と。彼はアムノン一人が殺されたことを強調します。実際に王子たちが帰って来るのはその後です。何を意味しますか?ヨナダブがアムノン殺害の計画を事前に知っていたということでしょう。あるいは少なくともそれを予測できたということでしょう。ヨナダブはこの章の始めにはアムノンの友として登場したのではなかったでしょうか!

 アムノンはダビデの長男としてその寵愛を一身に集めて育ちました。欲しいものはすべて手に入れてきたことでしょう。そして、異母姉妹であるタマルをも手に入れ、欲しくなくなったら捨てることもできました。その罪を問う者は誰もいませんでした。自分自身、そのために罪責感に苦しむ必要もありませんでした。何もなかったかのように生活できたのです。さて、彼は幸いな人だったでしょうか。そうではありません。彼は最終的に孤独の内に、友にも見捨てられた者として、身内の手によって殺害され、死んで行ったのです。これが彼の一生でした。

 人間に必要なことは処罰から逃れることでも罪の意識から逃れることでもありません。罪が不問に付され、罪が罪として認識されないということは、決して幸いなことではないのです。人に必要なのは罪からの救いです。神との関係、そして人との関係が神の救いの恵みによって回復されることなのです。そのためにキリストは来られたのです。


2026年6月3日水曜日

祈祷会用:サムエル記下 13:1~22

 サムエル記下 13:1‐22


 アレクサンドル・シュメーマンという東方教会の神学者が次のようなことを書いています。「聖書では、人の食物、すなわち人が生きるために関与しなければならないこの世は、神から『神との交わり』として与えられたものです。…存在するものはすべて神の人への贈り物です。人が神を知り得るため、また人のいのちを神との交わりにするための贈り物です」。

 しかし、この世界の現実はどうでしょう。食物にせよ、富にせよ、性の交わりにせよ、神からの贈り物として受け取られることなく、欲望の対象にしかなっていません。それらによって神への感謝が生まれることもなく、神との交わりが形作られることもない。そこにこそ本来の姿から堕ちてしまった人間の姿があります。今日の聖書箇所もまた、そのような現実を伝えているのです。

 ダビデの長男アムノンは腹違いの妹であるタマルを愛していました。この章には「愛していた」という言葉が繰り返されます。この言葉は神の愛から人間の欲望までを表す幅広い言葉です。今日は、この「愛」なるものがいったい何であるかを中心に見ていくことになります。

 彼は妹タマルを思いつつも、「タマルは処女で、手出しをすることは思いも寄らなかった」と書かれています。これはタマルの処女性を重んじたということではありません。どこの世界でも王家の娘は政略結婚に使われます。未婚の王女は厳しい管理下に置かれていたのです。それゆえ、簡単には手出しできなかった、ということです。

 そのようなアムノンに、ある日いとこのヨナダブが入れ知恵をします。病気を装って床に就き、父ダビデが見舞いに来た時に、「妹タマルをよこしてください」と願えば良いということでした。早速アムノンはその計画を実行に移します。案の定、ダビデは長男アムノンの願いどおりに、タマルのもとに人をやり、兄アムノンの家に行って料理をするようにと伝えさせました。

 タマルは言われるままに、兄のもとに来てレビボットを焼きます。すると、アムノンはそばにいた者を皆出て行かせ、タマルだけを残しました。そして、タマルが彼に食べさせようと近づくと、彼はタマルを捕らえて言ったのです。「妹よ、おいで。わたしと寝てくれ」と。タマルは「いけません、兄上。わたしを辱めないでください」と抵抗します。しかし、アムノンは彼女の言うことを聞こうとせず、力ずくで辱め、彼女と床を共にしたのでした。

 さて、ここで殊更に「妹よ」とか「いけません、兄上」と書かれていることには意味があります。彼らは確かに血のつながった兄弟ではありません。しかし、律法によるならば、たとえ異母兄妹であっても、性の交わりを持つことは禁じられているのです。「異母姉妹であれ、異父姉妹であれ、自分の姉妹と寝る者は呪われる」(申命記27:22)。

 ですから、タマルは「イスラエルでは許されないことです。愚かなことをなさらないでください」と言いました。その後の「どうぞまず王にお話しください。王はあなたにわたしを与えるのを拒まれないでしょう」という言葉は、律法の観点からすると誤りです。しかし、タマルはこう言うしかなかったのでしょう。そして実際、アムノンの願いなら、ダビデは律法に反しても願いどおりにしたかもしれません。

 いずれにせよ、これはただ律法に反するということではありません。律法に反する仕方で手に入れるということは、《もはや神からの賜物として受け取るつもりはない》ということを意味するのです。

 結婚も性の交わりも、本来は、神から感謝をもって受け取り、それゆえにまたそこに神との交わりが生じるはずの神の賜物だったはずです。しかし、それ自体が欲求の対象となる時にどうなってしまうのか。私たちはあのアダムとエバが禁じられた木の実を食べた時と同じ姿をここに見ることになるのです。

 聖書は恐るべき言葉をもって、その結果を記します。「そして、アムノンは激しい憎しみを彼女に覚えた。その憎しみは、彼女を愛したその愛よりも激しかった」。なぜアムノンがタマルを憎んだのか、その理由は書かれておりません。人間の心理としていくらでも説明することはできるでしょう。しかし、どのような理由にせよ、これは人の世にいくらでも見られることです。かつて肉体関係を「愛」と呼んでいた男女が、その後、それ以上に憎みあっていることなどは、決して珍しいことではありません。

 重要なのは、彼が憎んだ理由ではありません。彼の「愛」が全く逆の「憎しみ」に転じてしまったという事実です。アムノンはタマルに「立て。出て行け」と言って追い出します。そして、自分に仕える従者を呼び、「この女をここから追い出せ。追い出したら戸に錠をおろせ」と命じたのでした。そして、そこに表されたアムノンの憎悪は、ただアムノンの内だけで終わりませんでした。

 タマルは嘆きの叫びをあげながら家に向かいます。血のつながった兄であるアブサロムはこのことを知り、激しくアムノンを憎悪します。そして、やがてこれがアムノン殺害へと発展することになるのです。いや、それだけではありません。そのようにしてアムノンを殺すアブサロムがやがて自らを滅ぼすことになるのです。

 ここまで見てきたように、ある意味ではアムノンは自分が欲してやまなかったものを手に入れることができたのです。ヨナダブが与えた策略によって獲得することができました。そのように、人は欲するものを自分の知恵や力を用いていくらでも手に入れることはできるのです。

 しかし、たとえ何を手に入れたとしても、それを神からの賜物として受けるのでなければ、本当の意味で人間の幸いに結びつくことはないのです。いやむしろ自分自身や他者までも不幸に落とすものとなり得るのです。

 それは既にダビデの行為の中に見たとおりです。 ダビデもまた、神の御声を退け、神の賜物としてではない仕方において、バト・シェバを自分のものとしたのです。しかし、その罪についてナタンが預言した「それゆえ、剣はとこしえにあなたの家から去らないであろう」(12:10)という言葉は、このような形で実現していくことになりました。しかし、この不幸の連鎖は、まさに人間の歴史そのものを表していると言えるでしょう。

 しかし、まさにそのような世界に、イエス様は来てくださったのです。そのような世界のただ中に来られ、私たちをそこから引き出してくださいました。この被造物世界をそれ自体として欲望の対象とする罪の中から私たちを引き出し、再び神の賜物として受け取ることができるようにしてくださったのです。全てのものを神との交わりをもたらすものとして受け取る、人間の本来の姿へと回復してくださったのです。

 まさにそのことを指し示しているのが「感謝の祭儀」とも呼ばれる聖餐です。これはまことの「食事」の回復です。私たちはキリストを神の賜物として受け取り、パンと葡萄酒を真に神の賜物として受け取って祝うのです。

2026年5月20日水曜日

祈祷会用:サムエル記下 12:1~31

 サムエル記下 12:1-31

 前章において、私たちはダビデが家臣であるウリヤの妻バト・シェバと関係し、しかも彼女が身ごもると自らの罪を覆い隠すために、最終的にウリヤが戦死するように仕組んで亡き者としてしまうという恐ろしい罪を重ねたという話を読んでまいりました。

 ウリヤがダビデの思惑通りに戦死したことが伝えられた時、ダビデは使いの者に言いました。「ヨアブにこう伝えよ。『そのことを悪かったと見なす必要はない』」。ヨアブに語っていますが、これこそまさにダビデが行ってきたことなのでしょう。自分の行為を自分の目に悪としない。なんとしても、悪とは見なすまいとしてきた。しかし、その章の最後はこう締めくくられています。「ダビデのしたことは主の御心に適わなかった」と。直訳すると、「ダビデのしたことは主の目に悪とされた」という言葉であることを前回申し上げました。

 罪は人がそう見なさなくても神の前に罪として残るのです。罪が罪として認められないままに残っているならば、そこに救いはありません。救いに至るためには、人が罪を罪として認めなくてはならないのです。それゆえに主は預言者を遣わして御言葉を語られるのです。それが今日お読みした話です。

 主はナタンを遣わして、一つの物語を語らせました。1節から4節に次のように書かれています。「二人の男がある町にいた。一人は豊かで、一人は貧しかった。豊かな男は非常に多くの羊や牛を持っていた。貧しい男は自分で買った一匹の雌の小羊のほかに何一つ持っていなかった。彼はその小羊を養い、小羊は彼のもとで育ち、息子たちと一緒にいて彼の皿から食べ、彼の椀から飲み、彼のふところで眠り、彼にとっては娘のようだった。ある日、豊かな男に一人の客があった。彼は訪れて来た旅人をもてなすのに自分の羊や牛を惜しみ、貧しい男の小羊を取り上げて自分の客に振る舞った」(1‐4節)。

 ダビデはその話を聞いて激怒し、「主は生きておられる。そんなことをした男は死罪だ」と叫びます。王は司法の権威をも有しています。正しく裁くことは王の務めでありました。この物語に出てくる豊かな男は、ダビデの裁きによれば死刑に当たると判断されたのです。さらにダビデは言いました。「小羊の償いに四倍の価を払うべきだ。そんな無慈悲なことをしたのだから」。

 するとすかさずナタンは、「その男はあなただ」とダビデに言い放ちます。他者の犯す罪については明らかに判断できても自らの罪は分からないものです。あるいは分かっても認めようとはしない。人間の義の基準はいくらでも変わります。他者が羊を殺したら死刑と判断され、自分が人を殺してもそのようには見なさない。そのようなことが往々にして起こります。大切なことは、人の目にどう映るかではなく、神の目にどのように映るかです。ダビデは自分の発した言葉によって、神の御前に自分の行動が罪であることを突きつけられたのでした。

 しかし、ダビデの罪は、単に無慈悲なことをしたことではありません。そのことをさらにダビデは知らされる必要がありました。ナタンは主の言葉を告げて言います。「なぜ主の言葉を侮り、わたしの意に背くことをしたのか」(9節)。前章に見たとおり、問題はただ人と人との間の事柄ではありません。人に対して酷いことをしたことが責められているのではありません。もっと深いところにおいて、神の言葉と神の働きかけを頑なに拒否し続けたことこそが問題だったのです。罪の根はまさにそこにあったのであって、姦淫と殺人という具体的な行動はその実に他ならなかったのです。

 神の言葉を侮り、罪を罪として認めないところに救いはありません。ダビデはついに神の言葉を受け入れ、自分の罪が主に対する罪であることを認めます。彼はナタンに言いました。「わたしは主に罪を犯した」と。すると即座にナタンは答えます。「その主があなたの罪を取り除かれる。あなたは死の罰を免れる」。

 この「罪を取り除かれる」というのは、いつか未来においてという意味ではありません。今、ここで即座にという意味です。彼に与えられたのは罪の赦しの宣言です。人が罪と見なさなくなることによっても、人が忘れることによっても、罪は除かれません。罪がそのままならば永遠に神の前に残ります。罪は主が赦されることによって初めて取り除かれるのです。なぜなら、罪は主に対するものだからです。ですから「その主が」罪を取り除かれるのです。

 しかし、ナタンはさらにこう続けます。「しかし、このようなことをして主を甚だしく軽んじたのだから、生まれてくるあなたの子は必ず死ぬ」。これは不可解なことです。ダビデが罪を犯したのに生まれてくる子供が死ぬというのは実に不条理極まりないことでしょう。子供は悪くないのですから。しかし、このようなことがあえて書き記されていることには意味があるのです。少なくともこの主の言葉と続く物語は私たちに二つの大切なことを教えているのです。

 第一に、この箇所は私たちが罪を軽く考えてしまう過ちから私たちを守ります。確かに全く無条件に、即座に「その主があなたの罪を取り除かれる」と宣言されたことは、驚くべき神の恵み以外の何ものでもありませんでした。しかし、その恵みの中で私たちは続く言葉を厳粛に受け止めなくてはならないのです。主による罪の赦しは完全です。その罪責は完全に取り除かれます。借金は帳消しにされました。しかし、罪が残した傷跡は残ります。それは罪の行為者のみならずしばしば他者にまで及びます。

 ナタンは言いました。「主はこう言われる。『見よ、わたしはあなたの家の者の中からあなたに対して悪を働く者を起こそう。あなたの目の前で妻たちを取り上げ、あなたの隣人に与える。彼はこの太陽の下であなたの妻たちと床を共にするであろう。あなたは隠れて行ったが、わたしはこれを全イスラエルの前で、太陽の下で行う』」(11-12節)。実際、この子供に関することだけでなく、ここに語られていることもことごとく成就するのです。このことを認識するならば、私たちが罪の赦しを安価な恵みとして受け取ることはないでしょう。

 しかし、第二に、この主の言葉は続く物語と合わせて、さらに大きなことを私たちに示しているのです。それは何か。救いの確かさです。

 主の言葉どおり、主はダビデの子を打たれ、その子は弱っていきます。ダビデは苦しみます。彼はその子のために神に願い求め、断食し、引きこもり、地面に横たわって夜を過ごします。こうして七日間が過ぎました。そして、ついにその子は死んでしまいます。家臣たちはダビデが自害するのではないかと恐れました。しかし、子供が死んだことを告げられると、驚いたことにダビデは身を洗って香油を塗り、衣を替え、食事をするのです。

 通例ならば、子が亡くなってこそ嘆き悲しんで断食し喪に服するはずです。しかし、ダビデはそうしませんでした。家臣は不思議に思います。するとダビデは答えました。「子がまだ生きている間は、主がわたしを憐れみ、子を生かしてくださるかもしれないと思ったからこそ、断食して泣いたのだ。だが死んでしまった。断食したところで、何になろう」(22-23節)。

 一見すると投げやりなダビデの言葉に見えます。しかし、そうではありません。ダビデは、子供が死ぬことを告げた主の言葉に、あえて抵抗したのです。憐れみを願ったのです。しかし、願いは適いませんでした。そして、願いが退けられることにおいて、逆に、主の言葉の確かさに直面させられることになるのです。かつて主の言葉を侮ったダビデでした。しかし、今この出来事において、ダビデは主の言葉の絶対的な力に直面せられることとなったのです。そして彼は、恐れをもって、主の言葉の権威のもとに身を低くしたのです。それゆえ、通常の喪の慣習に従うのではなく、身を洗って主を礼拝したのです。

 子供の死を予告した神の言葉は、自ら権威をもってその確かさを証明したのでした。しかし、これはダビデにとって大きな意味を持ちました。なぜなら、その事実はまた、先に語られた神の赦しの言葉も、絶対的な権威を持っていることを意味するからです。ダビデは自らの痛みをもって、その事実を思い知ることとなったのです。

 それゆえ、彼は主を礼拝した後、ダビデは赦された者として新たに生き始めます。そして、バト・シェバとの間に一人の子供が与えられたのでした。その子こそ、ダビデの後を継ぐソロモンです。「主はその子を愛され、預言者ナタンを通してそのことを示された」と聖書は告げます。そこにあるのは神の一方的な恵みです。そして、その行き着く先に、イエス・キリストの到来があるのです。

2026年5月10日日曜日

「モーセの母」

2026年5月10日 主日礼拝説教 

聖書:出エジプト記 2:1‐10

 本日は五月の第二主日、「母の日」ということで、いつもの聖書日課を離れまして、聖書の中に出て来ます一人の母親に注目しながら、御言葉に耳を傾けたいと思います。その母親とはモーセという人物の母です。どうぞ出エジプト記2章をお開きください。

信仰によって
 今から三千数百年前のことです。イスラエルの先祖であるヤコブとその一族がエジプトに移住しまして既に四百年以上経っておりました。その頃既に、イスラエルの民は、エジプト人が無視できないほどに増え広がっておりました。外来の民族の増加に危機感を覚えたエジプトの王は、ついに恐るべき命令を下しました。今日の箇所の直前にはこう記されています。「ファラオは全国民に命じた。『生まれた男の子は、一人残らずナイル川にほうり込め。女の子は皆、生かしておけ』」(1:22)。――モーセという人物が生まれたのは、実にそのような暗黒の時代、悲しみと嘆きに満ちた時代でありました。

 誰でも良き時代に生きたいと思います。親は生まれくる子どもたちの時代が、良い時代であって欲しいと願います。しかし、実際、私たちは自分の産まれてくる時代を選べません。子どもたちの生きる時代についても、私たちの願いの通りにはなりません。それゆえに、私たちはしばしば無力さを覚え、嘆きの言葉を口にします。

 しかし、私たちはここで思い起こさねばなりません。神がモーセという人物を誕生させたのは、イスラエルにとって最も暗い時代だったのです。悲しみと嘆きに満ちた《最悪の時》こそが、モーセという人物を未来に向かって備えるために、神が選ばれた《最善の時》だったのです。

 モーセの誕生の経緯は次のように記されております。「レビの家の出のある男が同じレビ人の娘をめとった。彼女は身ごもり、男の子を産んだが、その子がかわいかったのを見て、三か月の間隠しておいた」(1‐2節)。

 彼らは王の命令に従いませんでした。実は、同じように、王の命令に従わなかった人たちの話が、今日の箇所の前に書かれています。1章には二人のヘブライ人の助産婦が登場します。彼女たちについては次のように書かれています。「助産婦はいずれも神を畏れていたので、エジプト王が命じたとおりにはせず、男の子も生かしておいた」(1:17)。

 彼女たちにとっては、王に従うことよりも、神に従うことの方が重要だったのです。王が望んでいることを行うことよりも、神が望んでいることを行うことの方が重要だったのです。生まれてきた男の子の命を奪うことを神が望んでおられるはずがない。神の御心を行うために、彼らは最善を尽くしました。

 そして、モーセの両親も同じでした。彼らもまたヘブライ人、神を畏れ敬う人々です。生まれてきた男の子をナイル川に放り込むことを、神が望んでおられるはずがない。神の望んでいることを行うために、彼らは最善を尽くしたのです。

 彼らの行為について、後の時代の新約聖書は次のように語っています。「信仰によって、モーセは生まれてから三か月間、両親によって隠されました。その子の美しさを見、王の命令を恐れなかったからです」(ヘブライ11:23)。王の命令に従わなかった。それは信仰による行為でした。彼らはそのために最善を尽くした。「三か月の間隠しておいた」とはそういうことです。

 しかし、人間の行うことが全てなのではありません。人間の行いが全てならば、いずれは行き詰まることになります。彼らにとっては、三ヶ月が限界でした。人間が行うことが全てなら、最終的には諦めるしかありません。しかし、彼らはヘブライ人です。神を畏れ敬う人々です。ならば行き着くところは諦めではありません。神への信頼です。

 モーセを三か月間隠しておいた両親は、ついに隠しきれなくなった時、手放すべき時、神に委ねるべき時が来たことを悟ります。彼らはアスファルトとピッチで防水したパピルスの籠に男の子を入れ、ナイル河畔の葦の茂みの間に置きました。そこにあるのは諦めではありません。神への信頼です。

神の御計画に用いられる
 事態はどのように展開していったでしょうか。赤子の姉が遠くに立って様子を見ていました。すると、折しもそこにファラオの王女が水浴びをしようと川に下りて来たのです。よりによって、命令を下した王の娘がやってきた。しかも、その王女によって、いともたやすく葦の茂みの間に置かれていた籠は見出されてしまいました。

 最悪の展開です。――しかし、神はしばしば最悪の展開をさえ用いて、事を先に進められるのです。王女は仕え女をやって籠を取ってこさせました。開けてみるとそこには赤ん坊がおり、泣いています。彼女はふびんに思って言いました。「これは、きっとヘブライ人の子です」。

 王女に赤ん坊を害する意思がないことを見てとったその子の姉は、すかさず近づいて王女に申し出ます。「この子に乳を飲ませるヘブライ人の乳母を呼んで参りましょうか。」王女はこの申し出を快く受け入れます。娘が連れて来たのは、その赤ん坊の実の母親でした。王女は言います。「この子を連れて行って、わたしに代わって乳を飲ませておやり。手当はわたしが出しますから」。こうして、その子は実の母親の手で育てられることになりました。

 できすぎた話だと思いますか。しかし、考えてみれば、この世の中でこのようなことが全く起こらないかといえば、そんなことはない。似たようなことは起こり得ます。そして、ある人はそれを「幸運」と呼ぶのでしょう。あるいは、「単なる偶然」と呼ぶかもしれません。

 しかし、もしこの母親が、信仰によって三か月赤子を隠した人であるならば、そして信仰によって赤子を手放した人であるならば、本気で神に信頼して委ねた人であるならば、これが単なる幸運や偶然ではないことは分かったはずです。「主なる神のなされたことだ!」と。そして、生ける神の御手が動かされたことを知って、畏れの念に打ち震えたに違いありません。

 そして、そこに神の御業を見る人は、ただ「ああ、よかった」では終わらないのです。モーセを再び抱くことができた時、この母親はそこにある神の御心、神の御計画ということを考えざるを得なかったことでしょう。そして、そこには自分自身に与えられた責任があることをしっかりと受けとめたに違いありません。それは、彼女がモーセをどのように育てたか、ということからも伺い知ることができます。

 王女は彼女に、「**わたしに代わって**乳を飲ませておやり」と言ったのです。明らかに王女はその男の子を自分の子にするつもりでいるのです。この母親は、エジプト王女の子の養育を託されたのです。――しかしモーセの母は、その赤ん坊をエジプト王女の子として育てなかったのです。あくまでも生ける神に仕えるヘブライ人として育てたのです。それは今日の箇所の直後、11節を読むと分かります。モーセは、王女の子としてエジプトの教育を受け、成人したころになってもなお、ヘブライ人たちを「同胞」として見ているのです。彼はあくまでもヘブライ人として、信仰の民として生きているのです!

 そのように、この母親はモーセの養育を神から与えられた務めとして受けとめたのでした。そして、神から与えられた務めを全うした時、再びこの母親は神の御手にその子を委ね、その子を手放します。「その子が大きくなると、王女のもとへ連れて行った。その子はこうして、王女の子となった」(10節)と書かれているとおりです。

 その後、この母はもはや物語の表舞台には出て来ません。それで良いのです。大事なことは、この母親が用いられ、人間の知恵や力によっては決して実現しないようなことが実現したということだからです。

 考えてみてください。エジプトの王女の子として教育を受け、エジプトの宮廷と社会事情に精通した者となることと、ヘブライ人として主を信じる信仰を受け継ぐこと――この二つはどう考えても同時に成り立つはずはないのです。しかし、神はこのことを実現されました。なぜですか。後の展開のためにどうしても必要だったからです。

 神はこのモーセを用いて、イスラエルの民をエジプトから導き出そうとしておられたのです。すなわちこのモーセは、後にエジプトの王と交渉をし、イスラエルの民をエジプトから導き出す人となるのです。そのためにモーセは、エジプトの宮廷の人間である必要があったのです。同時に信仰を受け継いだヘブライ人である必要があったのです。ですから神は、本来あり得ないこのことを実現させたのです。

 そもそも、「エジプトの王女の子であるヘブライ人」などというものは、歴史上に現れるはずがないのです。そのような歴史上に現れるはずのない人物を、神はこの一連の出来事を通して準備されたのです。

 そのことを実現するために神があえて選ばれたのは、――繰り返しますが――イスラエルの民にとって、最も暗い時代でありました。そして、神が用いられたのは、大きな力に翻弄され、悩み苦しみ、大きな不安をかかえた小さな一つの家族でした。神が用いられたのは、大きなことは何一つできない、無力な一人の母親でした。その母が、与えられた務めを信仰によって受けとめた時、その小さな信仰の行為が、神の大きな御計画の中において用いられたのです。

 私たちもまた、この時代にあって、様々な力に翻弄されながら生きています。それゆえに、時として大きな悩みを抱きながら、嘆きながら、悔し涙を流しながら、多くの不安を抱えながら、生きているのでしょう。しかし、そんな私たちと同じような人間が、神の御計画のために用いられた物語を読みます時、私たちのささやかな人生もまた、生ける神の大きな御手の中にあることを思わされるのです。

 そして、神は人の目から見て最悪の時代における最悪の展開をも用いて、御自身の御業を進められるという事実が、究極の形で現されたのは、キリストにおいてであることを私たちは知っています。神はキリストの十字架において私たちの救いを実現されたことを知らされているからです。ならば、あのモーセの母がそうであったように私たちにおいても、いや、福音を告げ知らされている私たちにおいてはなおさらに、大事なことはまことの支配者なる神への畏れと信頼とをもって生きることなのでしょう。

2026年5月6日水曜日

祈祷会用:サムエル記下 11:1~26

 サムエル記下 11:1-26

 10章でヨアブが率いた軍はアンモン人に対して大勝利を得ました。しかし、既に雨季に入っていたため、ヨアブはアンモン人をそのままにして引き揚げ、エルサレムに帰りました。最終的にアンモン人の都ラバを陥落させるのは12章26節です。

 年が改まり、雨季も終わって、再びダビデはラバを包囲するためにイスラエルの全軍を送り出します。しかし、ダビデはエルサレムに留まっておりました。既に、国の体制は整い、もはやダビデ自ら戦闘に出なくても良かったのです。

 ラバから百キロ近く離れているエルサレムは、実に平和でした。ダビデがこれまで歩んできました波乱に満ちた日々の末に、ようやく彼の人生に訪れた平和であったとも言えるでしょう。しかし、それはダビデが自らの力によって勝ち取った平和ではありません。それは7章に見たナタンの預言の成就に他なりませんでした。「わたしの民イスラエルの上に士師を立てたころからの敵をわたしがすべて退けて、あなたに安らぎを与える。主はあなたに告げる。主があなたのために家を興す」(7:11)。すなわち神の一方的な恵みと約束によって実現した平和なのです。

 しかし、恵みを与えられる者は、まさにその恵みを神の恵みとして受け止めるか否かが問われるのです。それは自分から出たものではなく、神からのもの。その認識を欠くならばどうなるか。神の恵みに与り、幸いを得た時にこそ、また罪への誘惑もまた大きくなるのです。

 ダビデが後々にまだ語り伝えられることになる大きな罪を犯したのは、まさに彼が最も大きな幸いを味わい、平穏な生活の中にあった時でした。すなわち、その平和の中で、ダビデは姦淫の罪に殺人の罪を重ねることとなるのです。しかし、この物語は単にダビデが「罪に陥った」ことだけを伝えているのではありません。実はもっと恐るべきことがあるのです。私たちはこの物語において特に4つの点に注目して読んでまいりましょう。

 第一に注目すべきは3節の言葉です。「ダビデは人をやって女のことを尋ねさせた。それはエリアムの娘バト・シェバで、ヘト人ウリヤの妻だということであった」(3節)。ダビデはその日の夕暮れ、午睡から起きて、王宮の屋上を散歩していました。するとその屋上から、一人の女が水を浴びているのが目に留まりました。「女は大層美しかった」と書かれています。ダビデはその女に心惹かれました。そこでダビデは人をやって女のことを尋ねさせます。使いが帰って報告します。それは「ヘト人ウリヤの妻だ」という報告でした。明らかなことは、この報告はダビデに十戒の第七戒を突きつけるものだったということです。「あなたは姦淫してはならない」と。

 第七戒が禁じる「姦淫」は単に性道徳の問題ではありません。これは結婚・家庭の事柄が、神の関わる極めて神聖な事柄であることを意味しているのです。他者の結婚関係は神の領域なのだということです。だから、たとえ王といえども、そこに入り込んではならないのです。使いの者の報告を通して、ダビデはここではっきりと神の「ノー」を聞いたはずです。しかし、何と書かれていますか。「ダビデは使いの者をやって彼女を召し入れ、彼女が彼のもとに来ると、床を共にした」(4節)。すなわち、ダビデはあえて神の「ノー」を退けたということです。

 第二に注目すべきは5節です。「(バト・シェバは)子を宿したので、ダビデに使いを送り、『子を宿しました』と知らせた」(5節)。子どもが与えられるということが全く神の業であることは、聖書における共通認識です。神はバト・シェバが子を宿すことを良しとされたのです。すなわち、彼らの行為の結果を与えられたのです。

 ダビデとバト・シェバの行為は闇の内にあったことでした。それは人の目からは覆い隠されていました。しかし、神はしばしば罪の結果をもって、隠された罪を明るみへと引き出されるのです。それは言うまでもなく、ダビデが罪を認め悔い改めるためです。

 ダビデの罪は明らかになりました。ダビデは再び自らの罪を神によって突きつけられることになりました。しかし、ダビデが考えたことは、その罪を神の御前に認めることではなくて、罪の結果をさらになんとか覆い隠すことでした。

 ダビデはウリヤを戦地から呼び戻しました。そして、家に帰らせようとするのです。ウリヤが家に帰ってバト・シェバと床を共にすれば、若干日数の計算が合わないにせよ、少なくとも胎の子はウリヤの子としてこの件を始末することができる。ダビデはそう考えたのでした。しかし、ウリヤは家に帰りませんでした。

 第三に注目すべきは11節です。ウリヤはダビデに答えました。「神の箱も、イスラエルもユダも仮小屋に宿り、わたしの主人ヨアブも主君の家臣たちも野営していますのに、わたしだけが家に帰って飲み食いしたり、妻と床を共にしたりできるでしょうか」(11節)。

 彼は「ヘト人ウリヤ」(3節)と紹介されていました。彼はもともとイスラエル人ではなくて、ヒッタイト系の異邦人(寄留者)です。しかし、ウリヤという名前自体は「主は私の光」という意味です。明らかに彼自身はイスラエルの信仰的な伝統のもとで育てられた人です。その彼が信仰によって答えたその言葉は、図らずもダビデの罪を明らかにする言葉となりました。

 「神の箱も、イスラエルもユダも仮小屋に宿り、わたしの主人ヨアブも主君の家臣たちも野営していますのに、わたしだけが家に帰って飲み食いしたり、妻と床を共にしたりできるでしょうか」――いや、イスラエルとユダが野営している時に、自分だけ飲み食いをし、他人の妻と床を共にしていたのは、他ならぬダビデなのです。

 この返答は人の目には偶然と見えます。しかし、その答えを通して神は語りかけておられたのです。すなわち、ダビデはそこでもう一度、自らの罪を突きつけられることになったのです。しかし、ダビデは自分の罪を罪として認めるのではなくて、あくまでも罪の結果を覆い隠すことを考えたのです。ダビデはウリヤを酔わせて家に帰らせようとしたのでした。しかし、ウリヤは主君の家臣たちと共に眠り、家には帰らなかったのです。

 第四に注目すべきは14節です。「翌朝、ダビデはヨアブにあてて書状をしたため、ウリヤに託した」(14節)。ダビデはついにウリヤを亡き者とすることを決心します。彼は書状をよりによって当のウリヤに託しました。忠実なウリヤは決して中を盗み見ることはないと分かっていたからです。

 書状には、「ウリヤを激しい戦いの最前線に出し、彼を残して退却し、戦死させよ」と書かれておりました。これは実に稚拙な指令です。現場の軍の司令官が、ウリヤだけを残して他の部下に退却を命令することなど、できるはずがありません。誰がどう見ても不合理だからです。

 ヨアブは恐らく戸惑いつつも、行える範囲でダビデの意図を汲んで従おうとするのです。要するにウリヤを戦士させることが目的であることは明らかだからです。そこで、強力な戦士がいると判断した辺りにウリヤを配置することにしました。

 しかし、それは町に接近することでもあり危険が伴います。事実、「ダビデの家臣と兵士から戦死者が出た」と書かれており、そのことが以後の記述において強調されています。戦死者の中には王に極めて近い人々がいたことは、ヨアブの苦しい報告からも伺えます。彼は、「王の僕ヘト人ウリヤも死にました」と言うがよい、と命じて使者を送るしかありませんでした。

 王の家臣の中には、ダビデの苦しい日々を共に過ごしてきた人々もいたことでしょう。ダビデが罪を罪として認めることなく、その結果を覆い隠そうとしたことは、さらなる結果を生みました。罪の結果は他の多くの人々まで巻き込むこととなったのです。ダビデを愛し信頼する人々にまで及び、彼らに死をもたらすことになったのです。ダビデはそこでもう一度、自らの罪を突きつけられることになります。しかし、ダビデはあくまでも罪を認めませんでした。

 この章の結末はこうなります。ダビデは使者に言いました。「ヨアブにこう伝えよ。『そのことを悪かったと見なす必要はない』」。この伝言は、直訳すると、「あなたの目に悪とするな」となります。これはヨアブに語っていますが、しかし、これこそまさにダビデが行ってきたことなのです。自分の行為を自分の目に悪としない。なんとしても、悪とは見なすまいとしてきたのです。

 しかし、聖書は次のように語ります。「ダビデのしたことは主の御心に適わなかった」と。これも直訳すると、「ダビデのしたことは主の目に悪とされた」となります。ダビデがどう見なそうと、それは主の目に悪なのです。そして、人の目からは消えても、罪は罪として残るのです。

 罪の問題の解決は、罪の悔い改めと罪の赦しにしかありません。罪の悔い改めは、主の目に悪とされることを、自らの目にも悪と見なすところから始まります。そこにしか、罪の赦しと真の救いはないのです。

2026年4月22日水曜日

祈祷会用:サムエル記下 9:1~13

 サムエル記下 9:1-13

 9章は直接8章には繋がりませんが、ダビデの王権が確立されるに当たってダビデがサウル家との関わりにおいて行った一つのことが記されております。「ダビデは言った。『サウル家の者がまだ生き残っているならば、ヨナタンのために、その者に忠実を尽くしたい』」(1節)。

 ここで私たちはサムエル記上で読んできた二つの場面を思い起こさなくてはなりません。一つはサムエル記上20章。ダビデがサウルによって命を狙われている事情を親友であるヨナタンに訴える場面です。そこでヨナタンはダビデのためにサウルの悪意を確認すべく動くわけですが、そこでヨナタンはダビデにこう言うのです。「…主が父と共におられたように、あなたと共におられるように。そのときわたしにまだ命があっても、死んでいても、あなたは主に誓ったようにわたしに慈しみを示し、また、主がダビデの敵をことごとく地の面から断たれるときにも、あなたの慈しみをわたしの家からとこしえに断たないでほしい」(サムエル上20:13‐15)。

 「主が父と共におられたように、あなたと共におられるように」とは驚くべき言葉です。王位を継ぐのは王子である自分ではなくてあなただ、という意味だからです。また、その後に「ヨナタンはダビデの家と契約を結び」とあります。それは、やがてダビデ家がサウル家に取って代わることを前提としている言葉です。だからこそ、ヨナタンは「主に誓ったようにわたしに慈しみを示し…あなたの慈しみをわたしの家からとこしえに断たないでほしい」と言うのです。古代オリエントにおいては、王朝が交替する時、新しい王家が旧王家のものを皆殺しにするのが通例でした。ここでヨナタンが願っているのは、そのようなことをしないで欲しい、ということです。

 もう一つ思い起こすべき場面はサムエル記上24章です。用を足すために洞窟に入ったサウルをダビデが殺すこともできたのに手を掛けなかったという話です。そのことを知ったサウルは声を上げて泣き、ダビデこそ王となるべき器であると認めるのです。その時、サウルはダビデに言うのです。「今わたしは悟った。お前は必ず王となり、イスラエル王国はお前の手によって確立される。主によってわたしに誓ってくれ。わたしの後に来るわたしの子孫を断つことなく、わたしの名を父の家から消し去ることはない、と」(サムエル上24:21‐22)。ダビデはサウルに誓いました。主旨は先のヨナタンとの約束と同じです。

 この二つの約束のゆえに、ダビデはサウル家に仕えていたツィバを呼び出して尋ねたのです。「サウル家には、もうだれも残っていないのか。いるなら、その者に神に誓った忠実を尽くしたいが」。この章では「忠実を尽くす」という言葉が3度繰り返されています。「忠実」は、ヨナタンとの約束では「慈しみ」と訳されていました。この最後の部分は直訳すると「神の慈しみを行う」という言葉です。この「忠実」あるいは「慈しみ」と訳せるヘセドが今日のテーマです。

 この表現が示すように、聖書における「忠実」とか「慈しみ」は、ヒューマニズムに基づく言葉ではありません。ダビデがしようとしていることは、単に約束を守るということではないのです。神がイスラエルに対して慈しみを示されたのは、イスラエルが優れていたからではなく、主がその約束に忠実であったからです。ですから人に対して慈しみを示すというのは、《主がしてくださったように人に対して行う》ということなのです。それがここでダビデが行っていることなのです。

 さて、ダビデのもとに呼び出されたツィバが非常に恐れていたであろうことは想像に難くありません。彼の一家はサウル家に仕えていた家だからです。彼はヨナタンの子息が一人いることを告げると、すぐさまこう付け加えました。「両足の萎えた方でございます」。その息子、メフィボシェトについては、既に4章4節に記されておりました。「サウルの子ヨナタンには両足の萎えた息子がいた。サウルとヨナタンの訃報がイズレエルから届いたとき、その子は五歳であった。乳母が抱いて逃げたが、逃げようとして慌てたので彼を落とし、足が不自由になったのである。彼の名はメフィボシェトといった」(4:4)。両足が萎えていれば、軍隊を率いることはできません。そのような人物が王位を脅かすはずはないのです。ツィバがメフィボシェトの足に言及したのは、明らかに、サウル王家の再興を企てる危険人物とはなり得ないことを示すためでした。

 ダビデはアミエルの子マキルの家にかくまわれていたメフィボシェトを呼び寄せました。そして、彼にサウルの地所をすべて彼に返すことを約束します。さらにダビデはメフィボシェトが常に王の食卓で食事をするように計らったのでした。このことについては、サウルの子孫を自分の目の届くところに置くことがダビデの目的であったとの見方がありますが、それは当たらないでしょう。先にも触れましたとおり、メフィボシェトは物理的に王位を脅かす存在とはなり得なかったからです。ここでダビデが語っているとおり、やはりこれは単純にヨナタンとの関係において説明されるべきです。

 メフィボシェト自身も、これが尋常な計らいでないことを理解しておりました。本来なら滅ぼされても不思議でないサウル家の生き残りが生かされて、しかも王の食卓で共に食事をしているのです。それは、ただヨナタンとダビデとの関係のゆえに、またサウルとの約束のゆえに、ダビデにおいて示された慈しみ(忠実)以外の何ものでもなかったのです。それゆえに、彼は驚きをもって語ります。「僕など何ものでありましょうか。死んだ犬も同然のわたしを顧みてくださるとは」。このように「慈しみ」というものは、それを受ける側(この場合メフィボシェト)に根拠があるわけではないので、そこには本来驚きが伴うのです。それが「慈しみ」を知る者の当然の反応なのです。

 それは私たちにおいても言えるのです。本来罪のゆえに滅ぼされてしかるべき私たちが赦されて、生かされて、それだけでなく主の食卓にあずからせていただき、キリストの体と血とにあずかっている。それを受ける根拠は私たちの側にはないのです。それはキリストのゆえの慈しみなのです。しかし、そこにこのメフィボシェトが示しているほどの驚きがあるかと言えば、改めて考えさせられます。私たちは慈しみを本当の意味で知っているのでしょうか。

 むしろ私たちは、もう一方のツィバに近いのかもしれません。彼の恐れもまた取り除かれました。ツィバの家の者たちは、メフィボシェトの召使いになり、彼に返還された土地を耕す者となったのです。これもまた、サウルの従者であったツィバの一族にとっては、驚くべき寛大な処遇であったはずです。

 メフィボシェトとツィバは違います。サウル王家にもともと仕えていた者として、反逆を企てる恐れがあるわけですからいつ粛清されても不思議ではありません。そのようなツィバとその一族は、なんとダビデの王国において、もはや恐れることなく生きていくことができるのです。彼はダビデに喜びをもって約束しました。「私の主君、王が僕にお命じになりましたことはすべて、僕が間違いなく実行いたします」(11節)と。

 しかし、彼は慈しみが何であるか、慈しみに与った者の責任が何であるかを理解しませんでした。彼はこの後、16章に登場します。ダビデの息子アブサロムが反乱を起こし、ダビデが都落ちをした時に、彼はダビデを迎え、メフィボシェトについて偽りの報告をするのです。「(メフィボシェトは)エルサレムにとどまっています。『イスラエルの家は今日、父の王座をわたしに返す」と申していました」(16:3)と。こうして彼は、報告を信じたダビデから、メフィボシェトに属するものすべてをツィバに与えるとの約束を取り付けてしまうのです。

 やがて反乱軍が鎮圧され、ダビデが再びエルサレムに戻った時、ツィバの偽りが明らかになります。メフィボシェトは王が都落ちをしたその日から、「足も洗わず、ひげもそらず、衣服も洗わなかった」(19:25)のでした。彼はひたすらダビデの帰りを待っていたのです。そして、偽りによって奪われた地所についても、「主君、王が無事に王宮にお帰りになったのですから、すべてツィバのものとなってもかまいません」(19:31)と語ったのでした。まことに、慈しみを知るとはどういうことかを考えさせられるエピソードです。

2026年4月15日水曜日

祈祷会用:サムエル記下 8:1~18

 サムエル記下 8:1-18

 7章におけるナタン預言とダビデの祈りから一転して、8章はダビデの戦果の報告です。内容は、周辺諸国がダビデに屈服し、イスラエルに隷属するものとなった、ということです。

 まずペリシテ人。シロの聖所が滅ぼされて後、サウルの時代を通じてイスラエルを支配していたペリシテ人が、ついにダビデの支配下に置かれることになったことが、1節に報告されています。

 そして、次に挙げられているのはモアブ人。これはなかなか理解することが困難な箇所です。というのも、サムエル記上22章を見ると、ダビデがサウルに追われアドラムの洞窟に難を避けていたとき、モアブの王に「神がわたしをどのようになさるか分かるまで、わたしの父母をあなたたちのもとに行かせてください」と言って、両親を託したという記事があるからです。そのように、もともとダビデは個人的にはモアブの王国と極めて親しい関係にあったものと思われます。実際、ダビデ自身にもモアブ人の血が流れているのです。曾祖母のルツはモアブ人だからです。

 ですから、ダビデがただ王国の領土の拡大を目論んで、積極的にモアブに軍事侵攻を開始したということは考えにくいのです。では、どうして親戚にも当たるモアブの王国と戦うことになったのか。――このあたりの事情については、後に読むことになる10章が参考になるかもしれません。

 後で改めて説明することになりますが、そこに描かれているのは、アンモン人の王が死んで、息子が王となった頃の話です。その時点でダビデの王国は相当に力を持つに至っていたのでしょう。軍事的な脅威は疑心暗鬼を生み出すことになります。

 ダビデの側としては、アンモン人の王の死に際して哀悼の意を露わそうとしただけなのに、高官たちは弔問のために送られた使節をスパイと見なしたのです。その結果、それまで友好関係にあったアンモン人の王国とイスラエルとは敵対関係になり、ついには全面戦争に発展して行ったのでした

 。恐らくは同様のことが、モアブとの間にも起こったのでしょう。モアブは戦わなくてよいはずの相手に、疑心暗鬼から弓を弾くことになったのです。

 しかし、重要なことは、先週お読みしましたナタン預言との関わりです。「わたしの民イスラエルの上に士師を立てたころからの敵をわたしがすべて退けて、あなたに安らぎを与える」という預言が語られていました。その予言が成就したことをこの章は証言しているのです。そう考えますと、この場合にもイスラエルの平和を脅かす要因がモアブの側にあり、それを主が退けられたということが語られていると理解してよいのでしょう。

 その次に挙げられている、ツォバの王ハダドエゼルおよび援軍として参戦したダマスコのアラム人との戦いについてはどうでしょう。ここにおいても、ダビデによる王国拡大のために侵略を開始したということではなく、「ツォバの王、レホブの子ハダドエゼルがユーフラテスに勢力を回復しようと行動を起こしたとき、彼を討ち」(3節)と書かれているのです。

 特にアラム人との戦いについては、先に触れた10章に記されている出来事と関係しているものと思われます。後に見ることになりますが、そこではダビデが積極的にアラム人との戦いを始めたのではなく、ツォバのアラム人が敵対してきたアンモン人の援軍として参戦したことが書かれているのです。要するに戦いを仕掛けたのは彼らなのです。

 加えて、ツォバの王から奪った戦車の馬の腱を切ったという出来事は、大事なことを伝えています。これはヨシュアもかつて行ったことですが(ヨシュア11:9)、ダビデがただ軍備を拡大していくことを考えていたとするならば、この行動は理解困難です。奪った馬はこちらの軍備として使えるわけですから。ですので、これらの行動は、やはりダビデが積極的には次なる軍事的な征服行動を考えてはいなかったことを示していると言えるのです。

 その後、戦いの話ではなく、ヒッタイト人の王国ハマトの王が平和的に王子を遣わしたという話が出ています。ハマトの王国はツォバのさらに北に当たります。ハダドエゼルはイスラエルと戦う一方でハマトとも戦っていたのです。しかし、ハダドエゼルが敗れたとなりますと、こんどはハマトがイスラエルと国境を接することになるのです。そこで彼らは、戦争という選択肢ではなく、いち早く友好的な関係を築くという選択肢を選び取ったのでした。

 そして、最後にエドム人が征服されたことが記されております。この戦いについてサムエル記は詳細を語ってはいません。しかし、この話は後々まで語り継がれたのでしょう。詩編60編はこの戦いを背景に作られた歌です。内容的には明らかに単純な勝利の歌ではなく、むしろ敗北して捕囚となった出来事を反映しています。そのことについては、後で改めて触れることにいたしましょう。

 さて、ダビデの戦果として報告されている一連の戦いについて見てきましたが、私たちはこのような血なまぐさい報告を読むことを快く思いませんし、また、身近にも感じません。しかし、実は、この章は私たちの信仰生活について、極めて重要なことを記しているのです。そこで、いくつかのことを考えてみたいと思います。

 第一に、ここでダビデが得た勝利は、力を付けたダビデ王国の軍事力による勝利であると記されてはおりません。二回繰り替えされている次の言葉は重要です。「主はダビデに、その行く先々で勝利を与えられた」(6節、14節)。つまり、ペリシテやモアブの征服の背後に主がおられるということです。ここに書かれていることは士師記に繰り返されていた「主の戦い」という思想の延長上にあることが分かります。

 このような「主の戦い」についての思想は、侵略戦争を正当化することに用いられる危険性を伴いますが、極めて重要なことをも語っています。それは神の裁きが単に終末論的に考えられるだけでなく、歴史の中で形を取るということです。

 この章における大事なポイントは、神の裁きが諸国民にまで及ぶのだ、という主張です。主は諸国民を支配する主でもあり、その裁きは全地に及ぶという教えです。その意味でこの部分はイザヤ書やエレミヤ書などの預言者の書に現れる「諸国民への預言」に相当すると見てよいでしょう。私たちは、神の支配と裁きが神を信じている人々だけに関係すると考えてはならないのです。

 第二に、このダビデの勝利は、ナタン預言に続けて書かれていることを心に留める必要があります。先に触れましたように、これは7章9節以下の記述が実現したことを示しているのです。つまり、主に油注がれた王は、「敵をことごとく断」つ王なのです。この油注がれた王によって、神の民は不正を行う者に圧迫されることなく、安らぎを得るのです。そして、ダビデは事実、そのように周辺諸国を支配し、イスラエルの民に平安を与えたのです。

 しかし、このこともまた、後の王国の滅亡という観点から見直さなくてはなりません。ダビデの平和はイスラエルの罪のゆえに失われてしまうのです。ダビデの王座は失われてしまうのです。ここから詩編60編のような歌が生まれることになったのです。

 ところが、もう一方において、神はダビデに対して、「あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに堅く据えられる」(7:16)と言われたのです。そこからやがてダビデの王座の回復と来るべき真の王の到来の希望が生まれます。これがメシア待望となるのです。ここに書かれているダビデの勝利は、後にイスラエルが支配された時代には、直接的に彼らの希望、メシアによる希望と結びつくことになるのです。

 このことはイエス・キリストが歴史の中に登場した時の背景を理解する上でも重要です。福音書を読みますと、人々の期待とイエスの行動との間に大きな隔たりがあることを見ることができます。人々は、明らかに、政治的な解放者としてのメシアを求めていたことが分かります。その期待の背景にあったのが、ナタン預言の約束だったのです。また、それに続く、諸国民を屈服させ支配するダビデ像だったのです。

 これに対して、福音書は、イエス様が苦難のメシアとして十字架に向かわれる姿を描きます。では、あの支配する王としてのメシア像は間違いなのでしょうか。それは教会から失われてしまったのでしょうか。いいえ、そのようなことはありません。王として全地を支配するメシアの姿は、依然として教会の希望の中に生き続けているのです。例えば、今日の箇所と同じように、敵を支配する王について語っている詩編110編は、繰り返し新約聖書に引用されているのです(マタイ22:44、使徒2:34以下など)。そこでは、復活したイエス様が、やがて敵を支配する王なるメシアに他ならないことが語られているのです。

 まず、罪が贖われなくてはなりませんでした。メシアは苦難を受け、罪を贖わなくてはなりませんでした。しかし、苦難の姿がメシアの最後の姿なのではありません。メシアは王なのです。最後に神の正義を貫かれる王なのです。神の正義によって全地を裁かれる王なのです。この王としてのメシア像を心に抱いているか否かで、信仰生活は全く異なったものになります。このイメージを持つために、勝利者としてのダビデの姿は重要な意味を持っているのです。

2026年4月8日水曜日

祈祷会用:サムエル記下 7:1~29

 サムエル記下 7:1-29

 エブス人の町エルサレムがイスラエルによって征服されて、統一国家の都として確立された時、ダビデが思い立ったのはエルサレムに神の箱を移すことでした。神の箱がダビデの町に運び上げられる時、ダビデが主の御前で跳ね躍って喜び迎えたことが6章に記されています。

 既にエルサレムには神の箱が安置されるべき天幕が用意されていました。かつて荒れ野を旅していた時のように、また、シロに聖所があった時のように、定められた仕方で建て上げられた「臨在の幕屋」と呼ばれる天幕です。神の箱がそこに安置されると、ダビデは主の御前に焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげました。――こうして、神の箱は紀元前6世紀にユダが滅亡するまで、エルサレムに留まることとなるのです。

 さて、7章に入りますと、神の箱のために天幕を張ったダビデが、天幕に代えて神殿の建設を思い立ったことが記されています。さらに、ダビデの計画について、神が預言者ナタンの口を通して語られたことが記されています。それらの言葉はこの章のほぼ半分を占めています。

 このように一人の人が長く語るところは、物語全体の主題に関する重要な部分であると以前申し上げました。特に今日の箇所は「ナタン預言」と呼ばれるところで、ヨシュア記から列王記に至るこの壮大な歴史物語全体において、中心的な意味を持つ重要な預言の言葉なのです。

 そこには、この後400年以上続くことになる「ダビデ王朝」という存在が何を意味するのかが明らかにされています。それは裏を返すなら、ダビデ王朝が紀元前6世紀に形の上では滅びることになる時、すなわち、王国が崩壊し、神殿が破壊された時に、いったい何が問題であったかを指し示す言葉ともなるのです。

 しかし、もう一方において、ダビデ王朝が滅びた時、このナタン預言は大きな希望の拠り所ともなったのです。そこには、神御自身がダビデの王座を堅く据えると約束されているからです。そして、さらに言うならば、その約束があったからこそ、ダビデの裔であるメシア(キリスト)が到来したのです。その意味で、メシアの到来を信じている私たちにとっても、このナタンの預言は大きな意味を持っていると言えるでしょう。

 それでは物語に目を移しましょう。ダビデは預言者ナタンに神殿の建設について相談しました。その背景にあったのは、ダビデがエルサレムを征服するや、いち早くティルスの王ヒラムがレバノン杉や木工、石工を送って、ダビデの王宮を建てたことにあります。5章11節以下に書かれていました。

 それゆえ、ダビデは言うのです。「見なさい。わたしはレバノン杉の家に住んでいるが、神の箱は天幕を張った中に置いたままだ」と。確かに言われてみれば、いかにも主が粗末に扱われているように見えなくもない。ナタンはダビデの計画を良きことと見て、それに同意します。「心にあることは何でも実行なさるとよいでしょう」。しかし、その夜、主の言葉が臨みます。それが5節以下の言葉です。

 ここでまず注目すべきは、「家」と「天幕」、「住む」と「歩む」という言葉の対比です。ダビデは神のために「住むべき家」を建てようとしたのです。家と天幕の違いは移動性です。神の箱が「天幕」に置かれていたのは、イスラエルがカナンの地に定住する前、荒れ野を旅して移動していた時代の名残です。

 既にイスラエルがカナンの地に入り定住するようになって百年以上も経過しています。王国の首都もエルサレムと定められてもはや移動することはありません。そこに王宮も建てられております。当然、聖所が移動式の天幕である必要もありません。ダビデが「天幕」ではなく「家」を建てようとしたことは自然であると言えるでしょう。

 しかし、神の箱が天幕に置かれていたことは、かつての時代の名残であるだけでなく、イスラエルの神がいかなる方であるかという本質的なことを指し示していたのです。ダビデはまずそのことを知らされる必要がありました。それはイスラエルの神は「共に歩まれる神」なのだということです。「わたしはイスラエルの子らと常に共に歩んできたが」(7節)と書かれているとおりです。

 このことは、彼らがカナンの地に定住するようになったからこそ、語られねばなりませんでした。なぜなら、カナンの地にはもともとバアルを礼拝する土着の宗教が存在していたからです。バアルは「主人」という意味です。それは土地の女神アシュタロトの夫です。地の作物はバアルによるアシュタロトの出産と考えられておりました。このようにバアルは土地と結びついた豊作の神なのです。

 それに対して、イスラエルの神である主はそうではありません。主は土地の神ではなくて、人と結びついている神、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」なのです。神は土地にではなく、人生と関わり、民の生活と関わっているのです。イスラエルが主の幕屋と共に荒れ野を旅をしていた時には、そのことが実に明瞭でありました。

 しかし、カナンへの定住と共に、その関係は見えにくくなったのです。神と民との関係が、バアルと土地との関係にとって代わられる危険がありました。そうなった時には、神はただ豊作をもたらすためだけの存在となるのです。もはや「共に生きる神」「共に歩む神」ではなくなってしまうのです。実際、彼らはそのようなバアル化の強烈な影響のもとに置かれてきたのです。

 それゆえに、王が神殿を建てることを思い立った時、ダビデはまず、神の箱が幕屋に置かれてきた意味を改めて教えられなくてはならなかったのです。確かに後の時代に、神殿は建てられることになります。しかし、それでもなお、神が幕屋を住まいとしていたことの意味そのものは、後の時代においても決して忘れられてはならなかったのです。

 そして、さらに預言は「わたしの僕ダビデに告げよ」(8節)と続きます。ダビデが神のために神殿を建てようとしていたときに、むしろ神がダビデのために家を興すと語り始めます。ここで注目すべき言葉は数多く繰り返される「わたし」という言葉です。ダビデが王であるのはなぜか。彼は羊飼いだったのです。その彼を主が「牧場の羊の群れの後ろからあなたを取って、わたしの民イスラエルの指導者にした」のです。

 ここにおいて、これまでの物語において、ダビデの王座獲得がクーデターではなかったという事実が重要になります。それは神の恵みと選びによるのです。神がこれまでダビデと共に歩んでくださったように、これからも「わたしは共にいる」と言ってくださることによって成り立つ。それがダビデ王朝なのです。

 それゆえにダビデ王朝の存在は、王国が何によって成り立つのかを示す「しるし」でもあるのです。王国を揺るぎないものとするのは人間ではなく神御自身なのです。「あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに堅く据えられる」(16節)と語られているとおりです。

 もしダビデ王家が、またその王国が、神殿を建てるように人間がその力をもって建てたものならば、それを支える人の力が失われた時に崩壊することになるでしょう。国家は国力が失われることによって崩壊することになるのです。

 しかし、ダビデの王国はそうではないのです。これは神が建てたものであり、神の恵みによって成るものなのです。ならば、もし崩壊するとするならば、それは人間が力を失った時ではなくて、人間が神との間に正しい関係を失った時なのです。すなわち、人間が神の恵みを恵みとして受け取らなくなった時なのです。

 ですから、ダビデにとって第一に大切なことは神のために何を為しえるかということではありませんでした。神の恵みを恵みとしてしっかりと受け止めることだったのです。

 18節以下において、ダビデは主の御前において祈ります。そこで語られていることは、もはや「わたしはあなたのために何かを成し遂げましょう」ということではありません。彼は神の御業を自分の言葉で語り直します。そして、その御業を誉め称えるのです。

 また神の言葉の真実に依り頼んで、「主なる神よ、今この僕とその家について賜った御言葉をとこしえに守り、御言葉のとおりになさってください」(25節)と語るのです。ここでダビデがしていることは、いわば彼の信仰告白なのです。

 私たちが信仰告白を唱える時にも、そこで為されていることは基本的には同じです。私たちが礼拝においてする第一のことは、神に対する決意表明ではありません。神の恵みを恵みとして受け止め、神の恵みの御業を自分の口をもって語ることなのです。ダビデの王国がそうであったように、教会もまたその信仰告白の上に成り立つものだからです。


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