2026年1月28日水曜日

祈祷会用:サムエル記上 31:1~13

 サムエル記上 31:1-13

 今日お読みしました31章は内容的には28章に続きます。当初、ペリシテ軍はアフェクに集結し、イスラエル軍はイズレエルにある一つの泉の傍らに陣を敷いていました(29:1)。しかし、ペリシテ軍は北方へと進軍し、イスラエルはついにギルボア山に追いつめられます(28:4)。窮地に陥ったサウルは主に託宣を求めますが、もはや主は答えられません。そこでサウルは口寄せの女のもとに行き、サムエルを呼び出そうとしたのです。

 サウルは口寄せの女を通して語るサムエルに訴えました。「困り果てているのです。ペリシテ人が戦いを仕掛けているのに、神はわたしを離れ去り、もはや預言者によっても、夢によってもお答えになりません。あなたをお呼びしたのは、なすべき事を教えていただくためです」(28:15)。本来ならば神が離れ去ったということ自体が最大の問題であり真に恐れ悲しむべきことであるのに、サウルにとっての切実な問題はペリシテとの戦いにおいて為す術を知らぬことなのです。それゆえに「困り果てているのです」と語るのです。

 そのようなサウルであるゆえに、サムエルの口を通して与えられるのは、やはり主の裁きの言葉以外の何ものでもありませんでした。「主はあなたのみならず、イスラエルをもペリシテ人の手に渡される。明日、あなたとあなたの子らはわたしと共にいる」(28:19)。そして、まさに主の言葉のとおりになったことを、今日の聖書箇所は伝えているのです。

 さて、先週お読みしましたように、サウルが北方へと追いつめられていくのに対して、時を同じくしてダビデは南方へと向かっていました。ツィクラグを襲って火をかけたアマレク人を追うためでした。ダビデもまた託宣を求めます。主はダビデに答えられました。「追跡せよ。必ず追いつき、救出できる」。そして、主はアマレク人らをダビデの手に渡され、ダビデは奪われたすべてを取り戻したのでした。

 主の御支配のもとにあって、一方は北方へと、一方は南方へと導かれました。この進軍の方向の違いは、そのまま、両者の辿る運命の違いをも象徴しています。主はサウルに裁きをくだされ、ダビデを救われました。これはいずれも同じ主の大いなる御業です。私たちはパウロがローマの信徒たちに書き送った次の言葉を思い起こさせられます。「だから、神の慈しみと厳しさを考えなさい」(ローマ11:22)。

 今日の聖書箇所は、イスラエルとペリシテの戦闘の詳細を伝えてはおりません。そこには多くの血が流され、地獄絵図のような様相を呈していたに違いないのですが、その描写に言葉を費やしません。ただサウルが最後に自ら剣を取り、その上に倒れ伏して死んだこと、そしてサウルの息子たちが共に死んだことを淡々と伝えます。「この同じ日に、サウルとその三人の息子、従卒、更に彼の兵は皆死んだ」(6節)。

 このように上巻の最後に記されている場面は、よくあるテレビドラマの最終回のように、これまでの様々な場面を思い起こすように書かれています。

 同じ日にサウルとその息子たちが死にました。かつて、同じことがエリとその息子たちに起こりました(4章)。彼らに起こったこともまた、預言者によって語られ、サムエルを通して再び確認された言葉の成就でした。

 また、イスラエルの兵士たち死にました。かつてサムエルの告別説教において語られていたとおりになりました。「…あなたたちもあなたたちの上に君臨する王も、あなたたちの神、主に従うならそれでよい。…悪を重ねるなら、主はあなたたちもあなたたちの王も滅ぼし去られるであろう」(12:13-25)。サウルの不従順はもはやサウルだけの問題ではありませんでした。王と民は共に責任を問われるのです。そして、その言葉のとおり、サウルと息子たちと共に、多くの者たちが死んだのです。

 それだけではありません。「谷の向こう側と、ヨルダンの向こう側のイスラエル人は、イスラエル兵が逃げ、サウルとその息子たちが死んだのを見ると、町をことごとく捨てて逃げ去ったので、ペリシテ軍が来てそこにとどまった」(7節)と書かれております。こうして、イズレエルの谷の北側およびヨルダン東岸もまた、ペリシテの支配下におかれたのです。それは、いわば王制以前の状態に戻ったということでもあります。

 人々は王国となることを求めました。周辺諸国と同じように王制を採ること、そして王の指揮の元に軍隊が組織されることを望みました。それこそが自らを守る唯一の道だと信じていたからでした。しかし、制度としての王制そのものは、民を救い出す力とはなり得なかったのです。その事実がこうして明らかになりました。

 かつてサムエルによって語られたように、真に重要なことは、神との関係によって決定するのです。王も民も真の王なる神に従うか否かということなのです。その原則は王国となっても変わらないのです。

 さて、これまで度々触れてきましたように、この歴史物語の最初の読者は、最終的にユダの王国が滅び、バビロンに捕囚となった捕囚民たちでした。上巻の最後に至るまで読んで、彼らは何を考えたのでしょう。きっとここに書かれている出来事と、自分たちの経験とを重ね合わさずにはいられなかったに違いありません。というのも、この敗戦は単なる歴史的な悲劇などではなく、明らかに神の審判として書かれているからです。その審判を捕囚民たちも経験したのです。そうです。この場面には、バビロン捕囚とはいったい何であったのかが、鮮やかに描き出されているのです。

 翌日ペリシテ軍はサウルとその三人の息子たちがギルボア山上に倒れているのを見つけました。彼らはサウルの首を切り落とし、息子たちと共にベト・シャンの城壁にさらします。ペリシテ人たちは、サウル王家からすべての栄光を剥ぎ取り、彼らをこれ以上為しえないほどに貶めたのでした。

 しかし、私たちはそこに「ペリシテ全土に使者が送られ、彼らの偶像の神殿と民に戦勝が伝えられました」(9節)と書かれていることに注意しなくてはなりません。明らかにイスラエルの敗北は、イスラエルの神の敗北として見なされ、そのように偶像の神殿と民に告げ知らされたのです。イスラエルが貶められ、イスラエルの王家が貶められるということは、イスラエルの神が嘲られ貶められることでもあるのです。いわば、主はイスラエルを裁くことによって、自らの栄光を捨て去ることを良しとされたのです。主の裁きは、主の栄光の放棄を伴うのです。それがサウルの軍隊の敗北が意味することであり、またそれが後の時代におけるバビロン捕囚においても起こったことなのです。主は自らの栄光を捨てられたのです。

 しかし、そこには神の憐れみもまた描かれているのです。神の憐れみが残されている。それゆえに希望もまた残されているのです。

 11節以下には何が記されているでしょうか。ギレアドのヤベシュの住民が、ペリシテ軍のサウルに対する仕打ちを聞くと、夜通し歩いてベト・シャンの城壁に赴き、サウルとその息子たちの遺体を取り降ろしたことが書かれているのです。これが命がけの行為であることは言うまでもありません。そうまでしてサウルたちを葬ろうとする人々がいた。しかも彼らは七日間断食したのです。

 どうして、彼らがそのような行動を取ったのでしょう。それは11章を読むと分かります。テレビドラマならば、回想シーンとして若き日のサウルがそこに再登場することになるのでしょう。ギレアドのヤベシュがアンモン人に包囲された時のことです。絶体絶命の危機がサウルのいるギブアに伝えられた時、神の霊がサウルに降り、彼は指導者として立ち上がったのです。荷物の間に隠れているような臆病者が、ただ神の霊によって、信仰によって立ち上がった。そして、彼はヤベシュの人々をアンモン人の手から救ったのです。主に召された時の、あの初めの頃のサウルです。

 サウルは、今でこそ惨めな姿で城壁にさらされています。しかし、あの時救われたヤベシュの人々は、あの時のサウルを忘れなかったのです。そのヤベシュの人々の姿は何を意味しますか。――ヤベシュの人々が覚えているならば、当然、神もまた、そのことを覚えておられる、ということです。他ならぬ神御自身が憐れみをもってあの最初のサウルを覚えていてくださることが、この出来事に示されているのです。

 これが捕囚の民にとって何を意味するかは明らかです。神は初めの時を覚えていてくださる。ヨハネの黙示録の表現によるならば、「初めのころの愛」(黙示録2:4)を覚えていてくださる。ならば大事なことは立ち帰ることなのです。サウルは死にました。しかし、捕囚の民は生きている。生かされている。ならば大事なことは悔い改めて立ち帰ることなのです。そこにこそ希望が残されているのです。

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