2025年11月5日水曜日

祈祷会用:サムエル記上 22:1~24

サムエル記上 22:1-24

 前章では、逃亡者となったダビデの姿を見てきました。彼はまず祭司の町ノブに赴き、祭司アヒメレクのもとを訪れてパンを求めました。しかし、そこには折悪しくサウルの家臣であるエドム人ドエグが居合わせていたのです。逃亡者であるダビデがアヒメレクと接触するのを目撃されるということは、アヒメレクにも危害が及ぶ可能性があることを意味していました。

 それにもかかわらず、ダビデはそのことを承知しながら、自分が逃亡者であることを隠したままパンを求め、さらにはゴリアトの剣まで受け取ってその場を立ち去ったのでした。その結果、どのような事態が起こったのかが、この22章に記されています。後ほど見ていきましょう。

 さらにダビデは身分を隠したまま、ガトの王アキシュのもとに逃れます。しかし、身分を完全に隠すことはできませんでした。アキシュの家臣に正体を見破られたダビデは、狂人のふりをしてその場を逃れたのです。

 今日はその続きです。ダビデはその後、アドラムの洞窟に身を隠しました。アドラムはベツレヘムから西へ約20キロほどの場所で、ダビデの出身地であるユダに属します。彼がアドラムに逃れたことを知ると、彼の親族がそこへ下ってきました。ダビデが反逆者とされたことで、エッサイの一族にも危険が及んでいたためでしょう。

 ダビデは年老いた両親を守るため、モアブのミツパに赴き、モアブの王に両親を託します。実はモアブにはダビデの親戚がいるのです。ダビデの父エッサイの祖母はルツであり、ルツはモアブ人でした(ルツ記1:4)。したがって、具体的にはモアブにいる親戚のもとに両親を一時的に避難させたということだったものと思われます。

 さらに、ダビデのもとには「困窮している者、負債のある者、不満を持つ者」が集まってきたと記されています。ダビデがユダの地に逃れた時、そのような人々が集まってきたのは理解できます。

 ユダの地はベニヤミン同様、ペリシテ人の地に直接接しています。ペリシテ人の勢力がベニヤミンのギブアにまで及んでいたことを考えると、ユダの地にも広範囲にわたってペリシテ人による占領地があったことが想像されます。つまり、土地を奪われた人々がいたということです。土地を奪われれば生活は困窮します。ある者は借金で首が回らなくなり、世の中に対する不満も募ります。

 そうして、現実的に食べていけなくなった人々が、強さで知られたダビデのもとに集まってきたのです。ダビデは彼らを養うことになります。どのようにしてでしょうか。後に見るように、略奪によってです。こうして、ダビデを親分とする、いわばヤクザの一家のような集団が形成されていったのでした。

 しかし興味深いことに、そこに突然ガドという預言者が登場します。この章の終わりでは、アビアタルという生き残った祭司がダビデの集団に加わります。ここで預言者と祭司が登場することには大きな意味があるのです。

 これまで見てきたように、油を注ぐことは神による任職のしるしですが、油を注がれて任職されるのは王だけでなく、祭司と預言者も同様です。つまり、この三つの職務が王国の柱なのです。この時点でダビデはまだサウルの追及を逃れている逃亡者です。しかし、それにもかかわらず、すでに油を注がれたダビデと共に、祭司と預言者がそろったのです。つまり、そこには小さな王国が出現しているのです。

 これは未来を示す予表です。実際、ダビデが王となった時、ガドもアビアタルも王国の預言者と祭司となるのです。このような形で、確かに主の計画は進められていることが分かります。

 一方、それに対して6節以下には、自らの王権と王国にしがみつくサウルの姿が、まったく対照的に描かれています。王国はすでに存在していますが、サウルの王国は確実に崩壊に向かっていることが明らかになっていくのです。

 ここに描かれているのは、もはや側近さえも信じることができなくなった、猜疑心に凝り固まったサウルの姿です。彼は「お前たちは皆、一団となってわたしに背き、わたしの息子とエッサイの子が契約を結んでもわたしの耳に入れない」(8節)と責め立てます。実際には、家臣が背いたわけではありません。ダビデとヨナタンの契約は、サウルの家臣から見れば何の問題もなかったのです。ダビデは忠実な千人隊長だったのですから。問題はサウル自身にあったのです。

 そのことに気づかず、家臣の非を責めるサウルは孤立せざるを得ませんでした。ただ一人、サウルに近づいてきたのは、あのドエグでした。彼はエドム人であると記されています。真にサウルのことを思って進言したヨナタンを退け、今まで忠実に仕えてきた家臣をも信じられなくなったサウルには、最後には主の御心にまったく関心のない、報酬目当てで擦り寄ってくるエドム人しか残らなかったのです。

 そのドエグの報告によって、ノブの祭司たちに悲劇が訪れます。ダビデがアヒメレクのもとに来たこと、アヒメレクがダビデのために主に託宣を求め、食料を渡し、ゴリアトの剣を与えたことを告げたのです。アヒメレクと祭司たちは王のもとに引き出され、死罪が宣告されました。それはまったく理不尽な判決でした。

 それが理不尽な、神を畏れぬ判決であることは、サウルの家臣の目にもそう映ったのです。ですから、サウルが近衛兵に祭司たちを殺すよう命じた時、彼らは手を下しませんでした。それは神に逆らうことであり、それがどれほど恐ろしい罪であるかを、誰もがよく知っていたからです。仕方なく、王はドエグに祭司たちを討つよう命じました。主を恐れぬドエグは、彼らを皆殺しにしました。そしてサウルは、祭司の町ノブを乳飲み子や家畜に至るまで絶滅させたのでした。

 この出来事は、かつて主がサウルに命じられたことを思い起こさせます。かつて主はサウルに、「行け。アマレクを討ち、アマレクに属するものは一切、滅ぼし尽くせ。男も女も、子供も乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも打ち殺せ。容赦してはならない」(15:3)と命じられました。そのときサウルは、アマレクの王アガグを生かしておき、羊と牛の最上のものを惜しんで滅ぼさなかったのです。そのことにより、サウルは王位から退けられることを主から宣告されたのでした。皮肉なことに、そのサウルが今や、罪のない祭司の町ノブを滅ぼし尽くしたのです。サウルは、自らを執り成す祭司さえも失うことになったのでした。

 主がアマレクの絶滅を命じられたことは、多くの人にとってつまずきであり、受け入れがたいことであるに違いありません。しかし、最終的に救いと滅び、生と死を決定する権威を神のみが持っていることを認めなければ、何が起こるでしょうか。人間の勝手な判断、人間の都合による判断によって、もっと恐ろしい悲惨なことが起こるのです。ノブの住人が、サウルという一人の権力者の一存によって皆殺しにされるというようなことが、まさにそれです。そしてこれは、現代においても起こっていることなのです。

 さて、アヒメレクの息子が一人、難を逃れてダビデのもとにやって来ます。彼の一族はダビデのゆえに殺されたのですから、本来であれば、最もダビデを憎んでいても不思議ではない立場にある人物です。普通に考えれば、そのような人物は、将来の報復を恐れて抹殺しておかなければ自分の身が危ないと考えるかもしれません。しかし、ダビデはその人物の前において、自らの非を認めるのです。父の一族が殺されたのは自分の責任であると。そしてその上で、アビアタルを自分のもとに留まらせるのです。ある意味では、命がけで誠意を示すダビデの姿がそこにあります。

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