サムエル記上 7:1-17
神の箱はベト・シェメシュからキルヤト・エアリムに移されました。災いが起こった時に、ベト・シェメシュの人々が神の箱を留めることを嫌ったからです。それは、ダビデの時代にそこから運び出されるまで、丘の上のアビナダブの家に留まることになります(サムエル下6章)。本来ならば直接シロの聖所に戻すべきなのでしょう。しかし、そうできなかったのは、シロの聖所が神の箱を失って後、破壊され廃墟となっていたゆえであると思われます。
主の箱がキルヤト・エアリムに安置されてから二十年を経ました。「二十年を経た」というのは、士師記などに出てくるのと同じ表現で、正確な年数を表しているものではないでしょうが、長い時を経たことを意味しています。そこで「イスラエルの家はこぞって主を慕い求めていた」と書かれています。これはどういうことでしょうか。
「主を慕い求めていた」というのは、「主を嘆き求めた」とも訳せる言葉です。つまり、これは苦しみの中からの求めであったということです。その具体的な苦しみとは、3節に「ペリシテ人の手から救い出してくださる」とあるように、ペリシテ人の支配であったと思われます。アフェクでの敗戦の後、イスラエルの民はペリシテ人の支配のもとに圧迫されていたということでしょう。
さて、私たちはサムエル記から読み始めましたが、この書は既に読者が士師記を読んでいることを前提として書かれています。ですので、ぜひ士師記をまだ読んでいない人は読んでおいてください。士師記には繰り返し現れる一つのパターンがあるのです。一つのサイクルと言ってもよいかもしれません。「イスラエルが神に背く」→「背いた民に大して外敵の圧力が加えられる」→「人々が苦難の中から主に叫び求める」→「神が士師を立てて民を救う」→「平和が訪れる」というパターンです。そうして見ますと、ペリシテ人に支配される苦しみの中で民が主を嘆き求めるところに、同じパターンが現れていることが分かります。そうしますと、続くのは救済者としての士師が立てられることでしょう。その士師こそ、ここで改めて登場するサムエルなのです。
そこでサムエルはイスラエルの全家に語ります。「あなたたちが心を尽くして主に立ち帰るというなら、あなたたちの中から異教の神々やアシュトレトを取り除き、心を正しく主に向け、ただ主にのみ仕えなさい。そうすれば、主はあなたたちをペリシテ人の手から救い出してくださる」(3節)。この言葉を読みますと、これまでの一連の出来事がすべてここへと向かっていたことが分かります。
これまでの流れを思い起こしてください。アフェクにおける戦いの時、イスラエルの民は、敗戦色濃くなってきた際に、主が共にいないことが問題なのだと気付きました。その時、彼らは本来ならば異教の神々を取り除き主に立ち帰るべきでありましたが、彼らはそうするのではなく、神の箱を戦場へと持ち出しました。彼らは神の箱を異教の神々と同じように、すなわち偶像のように扱ったのです。そして、結果的に神の箱は勝利をもたらすどころか、むしろペリシテ人に奪われてしまったのです。
一方、神の箱を奪ったペリシテ人は、これを偶像のように扱い、ダゴンの支配下に置きました。しかし、生ける主は、ペリシテ人の地に災いをもたらしたのです。そのとき、ペリシテの人々は本来ならばダゴンをはじめ諸々の偶像を捨て、主に帰依するべきでありましたが、彼らはむしろ神の箱をたらい回しにし、あげくの果てに、イスラエルへと送り返したのです。彼らは偶像を留め、生ける神を遠ざけたのでした。
神の箱を送り返されたベト・シェメシュの人々も同じでした。主はベト・シェメシュの人々を打たれました。神の箱の覆いの中を(あるいは箱の中まで)見たゆえでした。本来ならば、その時、ベト・シェメシュの人々は悔い改めて主に立ち帰るべきだったのでしょう。しかし、彼らは神の箱をキルヤト・エアリムへと送ったのでした。
すべて同じパターンです。人が神を自分の思い通りにし、自分の手の支配下に置こうとしている限り、近づけるにせよ、遠ざけるにせよ、何も解決しないのです。神が人と共におられないとするならば、人が神に立ち帰らなくてはならないのです。偶像を捨てて、心を正しく主に向け、主に立ち帰って、主をのみ礼拝する者とならなくてはならないのです。このことが起こるまで、人はしばしば苦しみのもとに置かれることになるのです。重い主の御手のもとに置かれるのです。主は人が立ち帰ることを求めておられるからです。
そして、ついにその時が来たのです。彼らはサムエルの言葉に従い、バアルとアシュトレトを取り除き、ついに主に立ち帰り、ただ主にのみ仕える者となりました。サムエルは人々をミツパに集め、悔い改めの祈りの集会を開きます。彼らは共に断食し、「わたしたちは主に罪を犯しました」と告白しました。(その後の「裁きを行った」は、サムエルが士師としてイスラエルを治めたことを表現しています。)
しかし、そのように彼らが主に立ち帰った時、一つの出来事が起こります。「イスラエルの人々がミツパに集まっていると聞いて、ペリシテの領主たちはイスラエルに攻め上って来た」(7節)のです。それはイスラエルにとって非常に恐ろしいことでした。このように、人が主に立ち帰り、偶像を捨て、罪を捨て、主にのみ仕えて生きようとするとき、それを妨げようとする力が働きます。言い換えるならば、悔い改めと信仰は、試練によってその内実を問われるのです。そこであくまでも主に信頼するのかを試されることになるのです。
彼らは主に信頼し、あくまでも主を求め、主の助けを求めました。そこには、かつて彼らが寄り頼んだ神の箱はありません。しかし、主は確かに共におられました。彼らが罪を悔い改め、サムエルが執り成し祈ったとき、すなわち神に対する背きの罪が取り除かれた時、彼らは確かに主は共にいてくださったのです。そして、勝利は主の手によって与えられました。「ペリシテ軍はイスラエルに戦いを挑んで来たが、主がこの日、ペリシテ軍の上に激しい雷鳴をとどろかせ、彼らを混乱に陥れられたので、彼らはイスラエルに打ち負かされた」(10節)と書かれております。イスラエルに残されていたのは、敗走するペリシテ人を追撃することだけでした。
サムエルは石を一つ取ってミツパとシェンの間に置き「今まで、主は我々を助けてくださった」と言って、それをエベン・エゼル(助けの石)と名付けました。このエベン・エゼルという名に聞き覚えがありませんか。それはかつてペリシテ軍が陣を敷いていた場所です(4:1)。すなわち、あの惨めな敗北を喫した場所だったのです。しかし、その敗北の場所が、主に立ち帰った今、主の助けを証しする場所となったのです。
さて、13節以下には大変不思議なことが書かれております。「ペリシテ人は鎮められ、二度とイスラエルの国境を侵すことはなかった。サムエルの時代を通して、主の手はペリシテ人を抑えていた」と書かれているのです。サムエル記にこの先何が書かれているかを知っている人は、現実にはそうなってはいなかったことを知っているでしょう。有名なダビデとゴリアトとの対戦なども、この後に書かれていることです。ペリシテとの戦いは現実には続くのです。
では、なぜこのように書かれているのでしょうか。実は、これもまた士師記に繰り返し出てきた記述のパターンなのです。一人の士師が民を救ったあと、その士師の存命中は平和であった、という記述が繰り返されてきたことを思い起こしてください。(士師8:28など)。つまり、ここであくまでサムエルは士師として書かれているのです。(「裁きを行った」が繰り返されていることにも注意。)士師記のパターンならば、本当は、平和が訪れるはずでした。しかし、そうならなかった。それはなぜなのか。それこそが、この後、読み進むにつれて、考えていかなくてはならないことなのです。実は、そこにはこの後の王国形成の問題があるのです。