サムエル記上 5:1-12
アフェクにおける戦いにイスラエルは破れ、エリの二人の息子ホフニとピネハスは死に、神の箱は奪われました(4:17)。ペリシテ人は奪った神の箱をエベン・エゼルの陣営からダゴンの神殿があるアシュドドに運びます。「ペリシテ人は神の箱を取り、ダゴンの神殿に運び入れ、ダゴンのそばに置いた」と書かれています。
彼らはなぜそんなことをしたのでしょう。――実は、彼らの行為は古代オリエント世界において一般的であったの宗教的なものの考え方をよく現しているのです。当時の世界においては、戦争はただ国と国の戦いではないのです。そうではなく、ある国の神と他国の神との戦いであると信じられていたのです。なので、一つの国が破れるということは、その国の神が破れたことを意味したのです。
この場合、ペリシテ人が勝ったわけですから、当然のことながら、イスラエルの神はペリシテ人の主神ダゴンの支配下におかれることになります。いわばイスラエルの神は、ペリシテの主神ダゴンに負けて彼の子分になったのです。ということで、ダゴンのそばに置かれたのです。ちなみに、モーセの律法はこのようなことを禁じ、偶像を破壊するように命じているのですが(申命記7:5)、それはこのような外国の神々をいわば捕虜のようにして取り込むことを禁止しているのです。
さて、もともとペリシテ人はイスラエルの神ヤハウェについては一目置いていたことが、前の章に書かれていました。神の箱が運び込まれた時、彼らはこう言っていたのです。「大変なことになった。あの強力な神の手から我々を救える者があろうか。あの神は荒れ野でさまざまな災いを与えてエジプトを撃った神だ」(4:8)。そのイスラエルの神を捕虜にし、さらにはダゴンの子分にしたのですから、それはそれはとても喜ばしいことでした。彼らは大喜びで、神殿の中に神の箱を安置したのです。
しかし、生ける神を偶像のごとくに扱うことは、いわば真っ赤に焼けた鉄の塊を素手でつかんで持ち運ぼうとするようなものです。そんなことをすれば火傷をするのです。神がまことに生ける神であるならば、誰の助けを得ずとも自ら生ける神として行動されるのです。人が神を持ち運んだり、安置したり、神の領域を制限しようとしたりするならば、神は人間の思惑の通りに支配することなどできない、まことの生ける神であることを思い知らされることになるのです。そのことが、今日の箇所において、非常にユーモラスに描かれているのです。
ペリシテ人たちは神の箱をダゴンの神殿に運び入れたのですが、翌朝、主の箱の前の地面にダゴンがうつ伏せに倒れておりました。人々はダゴンを持ち上げ、元の場所に据え直します。そうです。ダゴンは人々の手によって持ち上げられなくてはならず、元の場所に据えてもらわなくてはならなかったのです。すると翌朝、またもやダゴンが倒れており、しかもダゴンの頭と両手が取れてしまっていたのです。
さて、ダゴンの像が倒れているのを見せられたこと、しかも一度ならず二度までも見せられたことは、ペリシテ人にとって決定的な意味を持つ出来事でした。真っ赤に焼けた鉄の塊を持ち運ぼうとすれば火傷をすると申しましたが、ダゴンの倒壊はペリシテ人が火傷をしないための警告でもあったのです。
神が生ける神として行動されることが、人間にとって裁きをもたらすことになるならば、そうならないために前もって警告が与えられる。それは旧約聖書に繰り返し見られるパターンです。しかし、彼らはそこで「偶像から離れて神に立ち返り、生けるまことの神に仕えるようになった」(1テサロニケ1:9)のではなく、迷信に基づくくだらない習慣を一つまた造り出しただけした。「そのため、今日に至るまで、ダゴンの祭司やダゴンの神殿に行く者はだれも、アシュドドのダゴンの敷居を踏まない」(5節)。しかも、その迷信は、「今日に至るまで」と書かれているように、代々に渡って受け継がれ、悔い改めなかった自らの愚かさを証しするものとなったのです。
丁寧に二度も与えられた主の警告を斥けてしまったのですから、当然のことながらアシュドドの人々の上に、その後、主の御手が重くのしかかるようになりました。ちなみに、「御手が重くのしかかる」という表現は、詩編32編にも出てきます。悔い改めぬ者に対する神の裁きを表現した言葉です。それは神の裁きを感覚的にイメージできる言葉です。
「重くのしかかる」はもともとの言葉で「カーベード」といいます。ちなみに「栄光」は「カーボード」です。似てますでしょう。二つは同根の言葉です。悔い改めて神に立ち返り、自らへりくだって神の栄光を誉めたたえる者となるのか。それとも頑なに逆らい続けて生ける神の重い御手を経験するのか。神が生ける神として行動されるなら、人はそのいずれかとならざるを得ないのです。
実際、アシュドドの人々の上には神の御手が重くのしかかりました。具体的には彼らの間に腫れ物が生じたと書かれています。6章には「腫れ物」と共に「ねずみ」が出てきますので、実際的にはねずみを媒介とした疫病が広まったということなのでしょう。いずれにせよ、聖書はこれが主によることを告げています。申命記28章にも、腫れ物が神の呪いとして記されております(申28:27)。
ついにペリシテ人も、これがイスラエルの神によることを認めざるを得なくなりました。そこでペリシテの領主たちは緊急会議を開きます。彼らは「イスラエルの神の箱をどうしたものか」と語り合いました。しかし、本来は、神の箱をどうするかが問題なのではないのです。そうではなく、イスラエルの神との関係をどうするかを考えねばならなかったのです。
しかし、彼らは神の箱を移動して解決しようと試みました。何か思い出しませんか。かつてイスラエルが敗戦色濃くなった時、アフェクに神の箱を持って来れば勝てると思っわけでしょう。神の箱を移動して起こっている事態を解決しようとしたのです。ペリシテ人たちは、あの時、イスラエルがしたのと基本的には全く同じことをしようとしているのです。
いいえ、その言い方は正しくありません。本当は逆なのです。イスラエルはあの時、まさに主を知らない異教の民、ペリシテ人と同じことをしていた、ということなのです。エジプトから導き出された民として、生ける神を知っているはずのイスラエルが、現実には周辺諸国と少しも変わらないことをしていたのです。イスラエルの歴史において繰り返し現れてくるそのような現実が、このようなところにもかいま見えると言えるでしょう。
さて、彼らは言いました。「イスラエルの箱をガトへ移そう」。ガトは後にそこからゴリアトが現れてくることからして、ペリシテ人の間でも、特に武力においてすぐれた都市国家だったのだと思います。しかし、そこに移動することは解決になったでしょうか。なりませんでした。皮肉なことに、それはさらに被害を拡大させるだけとなりました。「箱が移されて来ると、主の御手がその待ちに甚だしい恐慌を引き起こした。町の住民は、小さい者から大きい者までも打たれ、はれ物が彼らの間に広がった」(9節)。
神が生きて働かれる時には、人の誇りとする力はその前に何の役にも立たないのです。さらに箱はエクロンに運ばれました。既に災いの知らせを受けているエクロンの住民は叫びました。「イスラエルの神の箱をここに移して、わたしとわたしの民を殺すつもりか」と。(10節)。
さて、私たちはここで考えねばなりません。ペリシテの領地にイスラエルの神が共にいることは、彼らにとって決して喜ばしいことではありませんでした。私たちは彼らが当初は喜んでいたことを思い起こさなくてはなりません。神の箱をイスラエルからぶんどり物として奪ってきて、イスラエルの神である主を自分たちの支配下に置けていると思っていた時までは喜んでいたのです。彼らにとって神の箱は一つの偶像に過ぎませんでした。前にも申し上げたとおり、偶像であるということは、人間が思い通りにできる神であるということです。移動することもでれば捨てることもできる。人が「私の神」として自分の思い通りになると思っているうちは、神が共におられることは喜びなのです。しかし、そのような人にとっては、真に「生ける神」が共にいることは喜びとはならないのです。
生ける神が共にいることが喜びとなるとするならば、それは神を私たちのものとしようとするのではなく、私たちが神のものとなろうとするときに、初めて可能となるのです。そうでない限り、神が共にいることは喜びとはならないのです。そして、私たちが神のものとなることを求めるときに、どうしても解決されなくてはならないのは、私たちの罪の問題なのです。
それゆえに、イスラエルの神の箱の蓋が「贖いの座」となっているのです。また、そこには必ず祭司がおり、罪を贖う犠牲が捧げられるのです。そして、最終的にはキリストが自ら贖いの犠牲となり、大祭司となってくださったのです。当然のことながら、偶像を持っているだけの人にとっては、罪の赦しも問題にはならないし、キリストの血による贖いも必要とはなりません。さて、私たちが信じ、礼拝しているのは、本当に生けるまことの神なのでしょうか。