サムエル記上 4:1-22
場面は聖所のあるシロから戦場へと移ります。その頃、ペリシテ人は支配の領域を拡大していきました。ペリシテ人をかろうじてエベン・エゼルでくい止めていたイスラエル軍は、戦闘が進むにつれ劣勢となり、ついに四千名の死者を出すに至りました。そこで長老たちが出した結論は、「主の契約の箱をシロから我々のもとに運んで来よう」(3節)ということでした。それが3節までに書かれていたことでした。
彼らの敗北の一つの要因は、明らかに軍事力の差でした。イスラエル軍は召集された民兵から成るのに対し、ペリシテ軍の方は後に職業軍人のいる常備軍なのです。その軍人の代表は後に登場するゴリアトです。また、イスラエルが基本的に青銅器を用いていたのに対し、ペリシテは既に鉄器を用いていたのです。
しかし、イスラエルの長老たちは、この敗北を単に戦力の違いによるものと見ませんでした。彼らは「なぜ主は今日、我々がペリシテ軍によって打ち負かされるままにされたのか」と問うたのです。
それはある意味で正しい理解でした。なぜ主は――私たちは既にその理由を知っています。サムエルを通して主が裁きの言葉をエリの家に対してに語られたことを既に読んできましたから。もちろん祭司の家が堕落する背景にはイスラエル全体の堕落があるのです。それゆえに、イスラエルが「なぜ主は我々が打ち負かされるままにされたのか」と問うならば、それは正しいことであり、悔い改めの機会でもあったのです。
しかし、そこで彼らが出した結論は極めて安易なものでした。彼らは戦場に契約の箱を持ってくることをもって解決しようとしたのです。「主の契約の箱をシロから我々のもとに運んで来よう。そうすれば、主が我々のただ中に来て、敵の手から救ってくださるだろう」(3節)と。
そもそも契約の箱とは何でしょう。その製造については出エジプト記25:10以下に記されております。「アカシヤ材で箱を作りなさい。寸法は縦二・五アンマ、横一・五アンマ、高さ一・五アンマ。純金で内側も外側も覆い、周囲に金の飾り縁を作る。四つの金環を鋳造し、それを箱の四隅の脚に、すなわち箱の両側に二つずつ付ける。箱を担ぐために、アカシヤ材で棒を作り、それを金で覆い、箱の両側に付けた環に通す」(出エジプト25:10‐14)。そして、大事なことはそこに「掟の板」が納められるということです。
そして、もう一つ大事なことがあります。その箱の蓋は「贖いの座」と呼ばれるということです。その作り方がこう書かれています。「次に、贖いの座を純金で作りなさい。寸法は縦二・五アンマ、横一・五アンマとする。打ち出し作りで一対のケルビムを作り、贖いの座の両端、すなわち、一つを一方の端に、もう一つを他の端に付けなさい。一対のケルビムを贖いの座の一部としてその両端に作る。一対のケルビムは顔を贖いの座に向けて向かい合い、翼を広げてそれを覆う」(同17‐20節)。そのようにして、「この贖いの座を箱の上に置いて蓋とし、その箱にわたしが与える掟の板を納める」(同25:21)。
「掟の板」というのは、十戒が刻まれた板のことです。また、「贖いの座」というのは、贖罪の犠牲の血が注がれるところです(レビ16:12‐15)。そして、その贖いの座に神が臨まれ、イスラエルの人々に命じることを語られるのです。このように、本来、契約の箱という存在は、神との契約、罪の贖い、神の臨在、神の言葉に関わっていたのです。すなわちそれは聖なる神と民とが出会い、共に生きることを指し示している箱なのです。そのためにこそ、罪の贖いが必要であり、そのためにこそ神の戒めが与えられていたのです。
しかし、既に見てきましたように、聖書における祭司制度は腐敗し、犠牲を捧げる祭儀も形骸化していた。「宗教」なるものは存在していても、もはやそこに神と民との間の生ける交わりなどなかったのです。そして、この場面に至って、ついにこの贖いの座を持つ契約の箱そのものが「偶像化」されることとなったのです。
そもそも古代オリエントにおいて、偶像の製造は、神の位置を限定し、神の霊を人間の意思のもとに置くという作業に他なりませんでした。ですから、偶像が作られる時、そこで神と人との人格的な関係は失われ、祭儀は魔術化することになります。
人間はそこで自分と神との関係を問うことなく、もちろん自分の罪を悔い改めるということもなく、自分の思い通りに神を移動し、あるいは神を持ち運び、必要に応じて神の力を用いようとするのです。「主の契約の箱をシロから我々のもとに運んで来よう」と言ってイスラエルが行ったのは、まさにそのような行為なのです。人間は自分が神に立ち返るのではなく、神を自分の側に意のままに引き寄せようとするのです。
しかし、主は人間の意のままに扱われる御方ではありません。主は「万軍の主」と呼ばれており、さらには「ケルビムの上に座しておられる万軍の主」(4節)と呼ばれているのです。「ケルビムの上に座しておられる」とは、すなわち、主は贖いの座の上に座しておられるということです。であるならば、神が共にいてくださるとするならば、それは罪が贖われることにおいてなのです。そのためには契約の箱を彼らのもとに来させるのではなく、彼らが罪を悔い改め、神に立ち返らなくてはならないのです。しかし、彼らはそうしなかったのです。
さらに言えば、彼らが契約の箱を聖所から持ち出したこと自体に大きな問題があります。契約の箱は至聖所に置かれていたはずです。そこには定められた者しか入ることはできません。しかも、血を携えることなく入ることはできないはずです。しかし、彼らは神の定めを犯してそこに入り、箱を運び出したのです。
実際に携わったのは、恐らくエリの息子たちであるホフニとピネハスであったに違いありません。箱と一緒に二人がついてきたことから分かります。彼らは本来戦場にいるはずの人々ではありませんでした。しかし、たいへん皮肉なことに、彼ら二人は契約の箱と共に戦場に来たために戦死するのです。こうして、かつてエリに語られた、「二人は同じ日に死ぬ」(2:34)という神の言葉が成就することとなりました。神はあくまでも偶像ならぬ生ける神として行動されたのです。
かくしてイスラエルの民は大敗し、神の箱は奪われました。神の箱が奪われたということは、要するにイスラエルの民が敗北して退却する時に、神の箱を戦場に残して逃げ去ったということを意味します。人が崇めているものが偶像でしかないならば、やがて人は自分の身を守るためにそれを捨てることになります。人間の自由にできるものは、捨てることも自由だからです。しかし、生ける神は人から捨てられ、他の者に奪われるような御方ではありません。主なる神は自ら去られたのです。
この章の最後には、ピネハスの出産について記されております。産まれた子は「イカボド」と名付けられました。それは新共同訳では「栄光は失われた」という意味であると説明が付いています。そのように「イカボド」と名付けたのは、「栄光はイスラエルを去ったと考えて」だと書かれています。そして、彼女は正しかったのです。
古代世界においては一般的に、戦争における敗北は一つの国の神が他の国の神に負けることであると理解されていました。しかし、イスラエルの神は敗北したのではなく、自らイスラエルを裁き、自ら去られたのです。「栄光はイスラエルを去った」とはそういうことです。
しかし、正しく見るならば、「神が自ら去られた」のならば、そこには希望があるのです。神が敗北したのなら希望はありませんが、神が自ら去られたなら、再び帰ってきてくださるかもしれないからです。事実、神の栄光は自分の御意志によって、誰の助けを得ることもなく、帰って来られるのです。それがこの後に続く話なのです。
さて、一方において、神の栄光がイスラエルを去ってしまったことに真実に心を向けていたのは、晩年のエリであったと言えるでしょう。私たちは、この数章の間に、エリの内に明らかな変化を見ることができます。
かつて神の栄光よりも自らの子供たちの方を大切にしていたエリでした。しかし、彼はサムエルの言葉を聞いた時に、神の裁きを認め、「主が御目にかなうとおりに行われるように」と言ったのです。彼は自分の子供たちが守られることよりも、また、自分の身が守られることよりも、もっと大事なことがあることを知ったのです。神が神として崇められることです。
やがて神の箱が運び出されることとなりました。年老いたエリは阻止することはできなかったのでしょう。神の箱が運び出された後、その見えない目をもって目を凝らして、彼はひたすら神の箱を気遣っていたのです。
そして、敗戦の報告が届けられました。エリは、息子たちの戦死を聞いた時にではなく、神の箱に報告が及んだ時に、席から落ちて死ぬのです。その時の様子は、殊更に彼が「あおむけに落ち」たのだと伝えられています。つまり、彼は上を向いたのです。そして、恐らく天を仰いで立ち上がろうとしたのです。それは祈りの姿勢です。そして、彼は後ろに倒れて落ちて死んだのです。既に、彼の目は既に見えなくなっていました。しかし、その最期の最期において、彼の目はまっすぐに神に向かっていたのです。