2026年3月18日水曜日

祈祷会用:サムエル記下 5:1~25

サムエル記下 5:1-25

 この章には人類の歴史において決定的な意味を持った二つの出来事が記されています。その一つはダビデの即位であり、もう一つはエルサレムの征服です。ダビデ王朝はこの後400年以上に渡って現実にイスラエル(ユダ)を治めることとなります。このダビデ王朝という背景なくしてメシア待望はありません。キリストはまさにこの章で誕生するダビデ王家の末裔として、この世に来られたのです。

 また、エルサレムは聖書の時代のみならず、今日に至ってもなお、宗教上最も重要な場所と見なされています。エルサレムに言及することなくして世界の歴史は語れません。しかし、それらは見ようによればいずれも世界の片隅で起こった小さな出来事に過ぎません。ダビデの時代において、この二つの出来事が後の世界の歴史においてそれほど重大な意味を持つとは誰も想像できなかったことでしょう。しかし、神の大きな御計画は、このような小さなこと、取るに足らないこととしか思えないことを通して、備えられ実現していくのです。

 さて、アブネルとイシュ・ボシェトが死に、サウル王家のもとにあった体制が崩壊した時、イスラエルの長老たちはダビデのもとに来て、ダビデと契約を結び、彼に油を注いでイスラエルの王としました。ここで注目に値するのは、彼らがダビデに語った言葉です。「主はあなたに仰せになりました。『わが民イスラエルを牧するのはあなただ。あなたがイスラエルの指導者となる』と」(2節)。これは恐らくはアブネルに由来する言葉です。アブネルがイスラエルの長老たちの意志をダビデ擁立に向けて取りまとめようとしていた時に、彼が長老たちに届けた言葉はこうでした。「あなたがたは、これまでもダビデを王にいただきたいと願っていた。それを実現させるべき時だ。主はダビデに、『わたしは僕ダビデの手によって、わたしの民イスラエルをペリシテ人の手から、またすべての敵の手から救う』と仰せになったのだ」(3:17‐18)。このようにアブネルはイスラエルの長老を説得するに当たって主の約束の言葉を用いたのです。そして、長老もまたその約束の言葉を引き合いに出して、ダビデを王としました。

 アブネルが実際には、ダビデを王とするのは自分の実力によると信じて疑わなかったことは既に見て来たとおりです。また、イスラエルの長老たちが、主の約束を本当に信じていたのかどうか、それも疑わしいと言えなくもありません。実際に彼らが注目していたのは指導者としてのダビデの実力でしょうし、単に政治的な理由からダビデ擁立に賛同したのかもしれません。しかし、人間が信じようと信じまいと、そんなこととは無関係に神は約束の実現に向けて事を進められるのです。イスラエルの長老たちが信じようが信じまいが、とにかく彼らの言葉を通して、この油注ぎが確かに主の約束の成就であることを、聖書は私たちに伝えているのです。

 実際に主の約束が与えられた任職の出来事は、この世の目からは隠されたものでした(サムエル上16章)。サムエルはこの世に対して公にダビデの即位を宣言したわけではありませんでした。それは隠された油注ぎだったのです。その後、ダビデはサウルに追われる厳しい期間を過ごすことになったことは、既に見てきたとおりです。しかし、隠された油注ぎは、時満ちて公の油注ぎとして人々の前に現されることになったのです。それがここに書かれている出来事なのです。

 その時、ダビデは37歳、既に最初の油注ぎから二十年を経過しておりました。この二十年間、少なくともユダの王であった7年半を除いた期間、ダビデは王の姿ではありませんでした。否、むしろ人の目から見るならば、神の約束が反故になったかのように見える期間もあったのです。しかし、神の計画はあの最初の油注ぎの時から、人の目に隠れたところで確実に進んでいたのです。

 このことは、ダビデの子孫として来られるメシアについて予表となるような出来事であったとも言えます。ナザレのイエスというお方は、来るべき真の王として神に油注がれたお方でした。しかし、その最初の到来の時、主は十字架の上で死なれたのであって、その十字架に掲げられた「ユダヤ人の王」という言葉は嘲笑の材料にしかならなかったのです。その王なることは肉の目には隠されたままでした。

 今日もなおキリストはこの世においては全被造物世界の王として認められてはいません。今日もなお侮られているのです。しかし、やがてその覆いが取り除かれる時が来るのです。後の日にダビデの公の油注ぎがあったように、やがてキリストが真の王であることが明らかにされる時が来るのです。そして、今、人の目には隠されていますが、確実に歴史はその時へと向かっているのです。それがキリストの再臨です。

 このようにダビデが公に全イスラエルの王となって、まず取り組んだことは、エルサレムの攻略でした。彼はエルサレムを全イスラエルの首都としたのです。それはなぜか。第一に、エルサレムは軍事的に好ましい地形を有していました。シオンの丘は北を除いて三方が谷になっています。それは自然の作り出した要害でした。第二に、ユダとベニヤミンとの間にありました。すなわちユダと北の諸部族との中間にあるその場所は、まさに統一王国の首都として相応しい位置にありました。しかし、そのような位置を選んだということは、北と南の亀裂がいかに深かったかを物語っているとも言えるのです。

 その町は、エブス人の町であったと書かれています。そこが征服されないままダビデの時代にまで残っていたのは、既に述べたとおり、攻め落とすのが困難な地であったからでしょう。それはエブス人たちが誇って「目の見えない者、足の不自由な者でも、お前を追い払うことは容易だ」と言っている言葉からも分かります。しかし、神の備えておられる最も良きものはしばしば最大の困難の中に隠されているのです。その最も征服困難な地こそ、まさに統一王国の首都として相応しい場所として、神が残された場所であったのです。そのような最も征服困難な場所こそ、申命記の語る「主がその名を置くために全部族の中から選ばれる場所」(申12:5)に他ならなかったのです。

 ダビデとその兵は、水くみのトンネルを通って町に入り、その地を攻め落としました。ここに書かれている「足の不自由な者、目の見えない者を討て」という命令は、もちろん、エブス人の誇った言葉に対応するものであって、文字通りの意味ではないでしょう。「彼らの傲慢を打ち砕け」ほどの意味合いです。しかし、そのことにより、後に建てられる神殿に障害者が入ってはならない、と言われるようになった次第が説明されています。この箇所は、後にキリストが宮清めをした後に「境内では目の見えない人や足の不自由な人たちがそばに寄って来たので、イエスはこれらの人々をいやされた」(マタイ21:14)と書かれていることの背景となっています。

 このシオンの要害を拡大して全イスラエルの首都とし、ダビデは次第に勢力を増していきました。しかし、これはあくまでも「万軍の神、主は彼と共におられた」(10節)ゆえであることが語られています。そして、ティルスの王ヒラムがダビデの王宮を建てるに当たり、「ダビデは、主が彼をイスラエルの王として揺るぎないものとされ、主の民イスラエルのために彼の王権を高めてくださったことを悟った」(12節)と語られているのです。

 これまで繰り返し描かれてきましたように、ダビデは王位を人間に属するものとして見てはいません。それがサウルやアブネルとの決定的な違いです。どうして、そのことが重要であるかと言うと、そもそも王制というものが、神が民の上に君臨することを退けること(サムエル上8:7)に他ならなかったからです。ならば、王制の歴史が肯定されるか否かは、なおそこで神の支配が重んぜられるか否かにかかっているのです。ダビデの王座には、本質的に神によって与えられたものであり、ダビデもまた神の支配のもとにある王として治めていたのだ、と聖書は語っているのです。

 そのようにダビデがイスラエルの王となった時、ペリシテが攻め上ってきました。ところが、武力的に劣っているはずのダビデの軍が勝つのです。もちろん、この二つの戦いは代表的なものであって、これがすべてではないでしょうが、それは主の言葉によったことを聖書は語っていることが重要です。ペリシテへの支配から次第に独立していくのは、王国の体制が整えられたからではなくて、神への従順によることを示しているからです。


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