サムエル記下 17:1~24
ダビデ王は都を追われました。アブサロムは新しい王として、「イスラエル人の兵士を全員率いてエルサレムに入城」(16:15)しました。ここからも、軍事的にアブサロムを支えたのは実質的には北の諸部族の兵士たちであることが分かります。
さて、そこに「アヒトフェルも共にいた」(同)と書かれていました。ダビデの顧問であったアヒトフェルがアブサロムの側に付いたことは、既に15章で見てきました。そのアヒトフェルがアブサロムに提案します。「お父上の側女たちのところにお入りになるのがよいでしょう。お父上は王宮を守らせるため側女たちを残しておられます。あなたがあえてお父上の憎悪の的となられたと全イスラエルが聞けば、あなたについている者はすべて、奮い立つでしょう」(16:21)。その頃、アヒトフェルの提案は、神託のように受け取られていました。アブサロムはその提案に従い、全イスラエルの注目の中で父の側女たちを自分のものとします。ここにおいて、アブサロムとダビデの対立は修復不可能となったことは、誰の目にも明らかでした。
こうしてアブサロムが長年かけて準備してきたクーデターの計画は、いよいよ最終段階に入ることとなります。すなわち、最終的な目標はダビデの命です。前王を討ち取ること。ダビデが生きて残っている限り、アブサロムの王権は確かにはならないからです。
そこで、アヒトフェルはさらにアブサロムに提案しました。「一万二千の兵をわたしに選ばせてください。今夜のうちに出発してダビデを追跡します。疲れて力を失っているところを急襲すれば、彼は恐れ、彼に従っている兵士も全員逃げ出すでしょう。わたしは王一人を討ち取ります。兵士全員をあなたのもとに連れ戻します。あなたのねらっておられる人のもとに、かつてすべての者が帰ったように。そうすれば、民全体が平和になります」(1‐3節)。
この言葉はアブサロムにも、イスラエルの長老全員の目にも正しいものと映りました。実際、アヒトフェルの洞察力は恐るべきものであったと言わざるを得ません。彼は全く正しかったのです。16章14節には「王も同行の兵士も皆、疲れて到着し、そこで一息ついた」と書かれています。そこは約束していた待ち合わせの場所です。15章28節において「分かったか。わたしはあなたたちからの知らせを受けるまで、荒れ野の渡し場で待っている」とツァドクに言ったその場所です。彼らはヨルダン川を渡る手前で休んでいる。そこで知らせを待っているのです。ヨルダンを渡った後では急襲は難しい。手前にいるなら可能です。そこでアヒトフェルの速戦即決の策が実行されたなら、恐らくダビデに勝算はなかったでしょう。兵士たちは逃げ出し、ダビデは討ち取られていたに違いありません。
神託とも見なされていたアヒトフェルの提言です。普通なら即実行に移されていたはずです。しかし、この時は不思議とそうはならなかった。アブサロムはさらにフシャイをも呼び寄せて、意見を聞こうとしたのです。どうしてか。分かりません。クーデターの最終段階にあったため、彼は慎重になった。念には念を入れて落ち度のないようにし、すべての計画を成功裏に締めくくりたかったということかも知れません。
いずれにせよ、そこでフシャイが呼び出されます。彼はアヒトフェルの提案を批判して独自の対案を提示しました。「わたしはこう提案いたします。まず王の下に全イスラエルを集結させることです。ダンからベエル・シェバに至る全国から、海辺の砂のように多くの兵士を集結させ、御自身で率いて戦闘に出られることです。隠れ場の一つにいる父上を襲いましょう。露が土に降りるように我々が彼に襲いかかれば、彼に従う兵が多くても、一人も残ることはないでしょう。父上がどこかの町に身を寄せるなら、全イスラエルでその町に縄をかけ、引いて行って川にほうり込み、小石一つ残らなくしようではありませんか」(11‐13節)。
このように、フシャイは慎重論を展開したのでした。それは最後の段階で慎重になっているであろうアブサロムの意向に沿うものでした。さらに言うならば、フシャイはアブサロムの内にあった願望をみごとに見抜いていたとも言えます。アヒトフェルの提案との大きな違いはどこにあったか。アヒトフェルは「一万二千の兵をわたしに選ばせてください」と言っているのです。そして、1節後半では訳には出ていませんが「《わたしは》今夜の内に出発してダビデを追跡します」と言っているのです。そして、「わたしは王一人を討ち取ります」と言っている。これに対し、フシャイは全兵士をアブサロムの下に集結させるべきだと言っているのです。そして、「御自分で率いて戦闘に出られることです」と言って勧めているのです。
王位を欲する者が夢見る一つの姿は、自らが大軍を率いて出陣する姿です。フシャイはその姿を描き出してみせたのです。もちろん、フシャイの提案の真の意図は時間稼ぎにありました。何としてもダビデと兵士たちにヨルダンを渡らせなくてはなりません。ダビデは渡し場で待っています。そこに知らせを届けなくてはならない。この策が採用されれば、大軍を集める間、ダビデのところに使者を送るための時間を稼ぐことができます。
結果的に、アヒトフェルの提案は退けられ、フシャイの提案が採用されました。アブサロムの心理を読んだフシャイの洞察は見事です。しかし、私たちが注目すべきは彼の賢さではありません。聖書は別の言葉をもってこの出来事を説明しているのです。「アヒトフェルの優れた提案が捨てられ、アブサロムに災いがくだることを主が定められたからである」(14節)と。
ここに自ら王位を奪おうとしたアブサロムに対する裁きがあったことを聖書は語ります。この一連の出来事の背後に主がおられるのです。そして、同時に、これはダビデの救いでもありました。私たちは、アヒトフェルが裏切ったことを知った時にダビデが祈ったことを思い起こさねばなりません。彼はこう祈ったのです。「主よ、アヒトフェルの助言を愚かなものにしてください」(15:31)。この祈りがこのような形で応えられたと言ってもよいでしょう。
フシャイは、アブサロムが兵を集結させる間に、祭司ツァドクとアビアタルに指示を出します。荒れ野の渡し場で夜を過ごそうとしているダビデと兵士たちに使者を送ることを命じるのです。ツァドクの息子のアヒマアツとアビアタルの息子ヨナタンが都とダビデとを繋ぐ使者とされたことは、既に15:27で見てきました。こうして、ダビデが神の箱を返したことが、結局ダビデの命を救うことになるのです。
ヨナタンとアヒマアツがダビデのもとに知らせを届ける様子は、実に生き生きと描かれております。彼らは目撃され、アブサロムに知らせられます。そこで彼らはバフリムのある男の家に入り、間一髪、発見を免れて、ダビデのもとに行くのです。このようにかくまわれて追っ手を逃れる場面は、聖書の他の箇所にも見られますが、このようなモチーフによって、ここにも神の助けがあったことを描いているのでしょう。この結果、ダビデに知らせが届けられ、王は同行していた兵士たちと共に、ヨルダンを渡ります。そして、夜明けまでに全員が渡りきったのでした。
一方、23節以下には、アヒトフェルの策が不採用になった後、彼が自害した次第が描かれています。アヒトフェルは不採用に抗議して自害したわけではありません。「家の中を整え、首をつって死に」という描写は、彼が極めて冷静であったことを示しています。鋭い洞察力を持ったアヒトフェルのことです。事の結末が彼には見えていたのでしょう。この夜にヨルダンのこちら側でダビデを討たなければ、もはやどんなに多くの兵士を集めようともダビデには勝てない。アブサロムの軍隊に勝ち目はない。ダビデの王座が戻れば、もはや自分の命はない。もはや望みなしと判断して自害したのであろうと思われます。
さて、この一連の出来事は、その背後に神の御腕が働いていたことを示しています。一方においては、王となろうとしたアブサロムに対して裁きを下す腕が動き始めています。しかし、もう一方においては、荒れ野で嘆き苦しんでいるダビデのために、ダビデがまだ何も見ていない時から、既に救いの御腕は動き始めていたのです。
2026年7月22日水曜日
祈祷会用:サムエル記下 17:1~24
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