2026年7月1日水曜日

祈祷会用:サムエル記下 15:1~23

 サムエル記下 15:1~23

 新共同訳ですと、前の14章には「ダビデ、アブサロムを赦す」と小見出しが付いています。確かに全体の流れとしてはそのような話でした。兄殺しのかどで追放となっていたアブサロムはヨアブの計らいによって国外追放を解かれてエルサレムに戻されることとなります。さらに王宮への出入り禁止も解かれ、追放から5年後、ついにダビデ王と再会することとなりました。「王はアブサロムを呼び寄せ、アブサロムは王の前に出て、ひれ伏して礼をした。王はアブサロムに口づけした」という言葉で前の章は終わっています。口づけは赦しと和解のしるしに他なりませんでした。

 しかし、それは形だけの和解に過ぎなかったことがこの章で明らかにされます。もともと追放は主の前に罪を問われた結果ではありませんでした。赦しもまた、神の赦しを信じての赦しではありませんでした。結局、アブサロムは罪を自覚することなく、ゆえに罪を悔い改めることもなく、赦しを求めることもないままに、王家への復帰を許され、宮廷に戻ることとなったのです。そのことがダビデ王家にさらなる悲劇をもたらすことになろうとは、誰も想像しませんでした。

 今日の箇所は、その後にアブサロムが取った行動を伝えています。「その後、アブサロムは戦車と馬、ならびに五十人の護衛兵を自分のために整えた」(1節)。エルサレムにおいて自由に動けるようになったアブサロムが護衛を整えることは極めて自然なことでした。もはや逃亡者ではなく王子なのですから。また、アムノンの親族と共に都に共存することを考えるならば当然の行動と見えます。

 しかし、後に見るように、実はこれこそ政変の準備に他ならなかったのです。彼はダビデが王位から退くのを待つことなく、自ら王となってイスラエルが自分の王国であることを宣言することに決めていたのです。

 確かにアブサロムはアムノン亡き後既に王位継承第一位にありました。しかし、最終的に決定を下すのはあくまでもダビデです。ダビデとは既に和解しました。しかし、これまでの王との関係からすると、ダビデがそのまま自分を指名するとは思えなかったのでしょう。彼はダビデの死後における自分の王位継承は確かではないと考えた。さらに言うならば、もし自分が次の王になれなければ、自分と一族の命は危ないとも言えるのです。次の王は王位を安定させるために、他の兄弟を皆殺しにするかもしれない。そのような懸念もあったに違いありません。

 それゆえに、彼はその後四十歳になるまで(四年間という読み方もある)、着々と反乱の準備を整えていくのです。その準備の中心は、アブサロムを支持する母体を形成することでした。そのために一番確実なのは、ダビデ王に不満を持っている人々に接近することです。そこで彼は毎朝早く起き、王による裁定が行われる城門への道の傍らに立ちました。そこで裁定を求める人々に声をかけ、イスラエルの諸部族に属することが分かると、「お前の訴えは正しいし、弁護できる。だがあの王の下では聞いてくれる者はいない」(3節)と語ったのです。

 ここでイスラエルの諸部族というのは、ユダ以外の北イスラエル諸部族を指しているものと思われます。彼らの多くはもともとサウル家を支持していた人々です。かつてダビデがユダの王だったとき、イスラエル諸部族との間に戦争が続いたことを思い起こしてください。ダビデの治世においても、ダビデに不満や恨みを抱いていた者は決して少なくなかったであろうことは想像できます。

 実際、後にダビデが都落ちをした時、ダビデを公然と罵るシムイのような人物も出てくるのです(16:7以下)。そのような人々に、アブサロムは言葉巧みに語りかけ、「わたしがこの地の裁き人であれば、争い事や申し立てのある者を皆、正当に裁いてやれるのに」と言ったのです。そうして、彼は「イスラエルの人々の心を盗み取った」(6節)のでした。

 そうして、ついに計画決行の日がやってきます。彼は政変の拠点としてヘブロンを選びました。このことからも、アブサロムは既に、もう一つの不満分子に手を伸ばしていたことが分かります。それは誰か。ユダ族の宗教的に保守的な人々です。

 ヘブロンはイスラエルの伝統と結びついた古い聖所です。そこはユダの保守的な敬虔な人々にとって特別な意味を持つ場所でした。かつてダビデがユダの王であったとき、ダビデ王国の中心であったのはヘブロンだったのです。しかし、ダビデはイスラエルとユダの統一王国の王となった時に、都をエルサレムに移したのです。エルサレムは既に見たように、もともとイスラエルの伝統とは全く無関係なエブス人の土地です。そこに都を移すことがヘブロンの敬虔な人々にとって喜びであったはずがありません。

 しかも、18節にも見ますように、ダビデは側近や親衛隊に、かなりの割合で外国人を起用したのです。これは伝統を重んじる人々にとっては耐え難いことであったに違いありません。アブサロムはそのような人々を味方に付け、彼らの宗教的感情に訴えるためにヘブロンを即位宣言の場所として選んだのです。

 もちろん、アブサロム自身は、宗教的な保守主義者ではありません。彼は、ヘブロン行きの目的をカムフラージュするために、「主への誓願」を持ち出すのです。それほどに、敬虔さの微塵もない男でした。しかし、ヘブロンはアブサロムの生まれ故郷でもありましたから、ヘブロンに行くことについて誰も疑う者はなかったのです。

 そして、もう一人、彼が目をつけたのはダビデの顧問であるギロ人アヒトフェルです。彼は、エリアムの父親(23:34)であり、従ってバト・シェバの祖父に当たります(11:3)。彼がダビデの顧問として登用されたのは、恐らくはバト・シェバとの関係によるものでしょう。しかし、孫娘の家庭を姦淫と殺人の罪をもって破壊したことは、アヒトフェルの心に少なからぬ恨みを残したに違いありません。そこに目をつけたのがアブサロムでした。彼はダビデの顧問でありながら簡単に翻り、アブサロムの側に付くことになるのです。こうして、「陰謀が固められてゆき、アブサロムのもとに集まる民は次第に数を増した」(12節)のでした。

 さて、多くの人を動かして事を成そうとする時、最も手っ取り早い方法は、共通の敵を設定すること、そして人々の不満や怒りや恨みをかき立てて団結させることです。これがアブサロムの採った手法でした。アブサロムの目論みの通り、彼の周りには不満と怒りに満ちた強力な集団ができあがっていったのです。しかし、この最善と見えた方法が、結局はアブサロムを王にすることなく、彼を滅ぼすことになるのです。

 それはダビデが王となるまでに歩んだ道筋とは対照的であったと言えます。思い起こしてください。かつてダビデはサウルに追われた時、政変によって自らが王となることを求めませんでした。人を王とするのは神であることを信じていたからです。

 アドラムに難を避けた彼の周りには負債のある者や不満を持つ者が集まりました(サムエル上22)。しかし、ダビデはサウルの体制に対する彼らの不満と怒りを利用しようとはしませんでした。むしろサウルが敵ではないことをダビデは繰り返して示し続けたのです。どうしてか。神に信頼していたからです。

 アブサロムが反乱を起こした時、ダビデは再びあの時と同じ荒れ野の道を辿ることになります。イスラエル人の心がアブサロムに移っているという知らせが届いた時、ダビデは家臣全員に、「直ちに逃れよう」(14節)と言って都落ちを決意します。

 もちろん、彼はエルサレムに留まって徹底抗戦することもできたのです。ヨアブのもとにある軍隊と外国人傭兵部隊はダビデのもとにいるのですから。しかし、彼はエルサレムを去りました。一つの理由はエルサレムとその住民を戦火に巻き込まないためでした(14節)。それは自分の王位や王国の体制を守ることよりもずっと大事なことだったのです。

 ダビデは自らの未来を主に委ねて都落ちをします。それは後に25節において「わたしが主の御心に適うのであれば、主はわたしを連れ戻し、神の箱とその住む所とを見せてくださるだろう」と言っているとおりです。

 ですから、彼はガト人イタイが同行を申し出た時にも、一旦は申し出を拒否するのです。自分の身を守るためには、一人でも多くの者が共にいたほうが良いに決まっているのに、彼はイタイを帰そうとしたのでした。ダビデはかつて王となる前に辿った荒れ野の道に再び戻されることによって、彼の原点に、すなわち主に信頼して歩むところへと再び引き戻されたのです。

 さて、この物語を記した歴史家たちは、どんな思いでこのダビデの都落ちの場面を描いたのでしょうか。きっと、捕囚となった自分たちとエルサレムから離れていくダビデとが重なって見えたに違いありません。


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