2026年7月29日水曜日

祈祷会用:サムエル記下 17:24~18:18

 サムエル記下 17:24~18:18

 アヒマアツとヨナタンは発見されることを間一髪免れて無事ダビデのもとに到着しました。そして「直ちに川を渡ってください」と言って、彼らが危機的な状況に置かれていることを告げました。ダビデとその一行は全員夜の間にヨルダンを渡りきりました。そして、彼らはマハナイムへと向かったのです(24節)。

 前にマハナイムという地名が出て来たのを思い出してください。「サウルの軍の司令官、ネルの子アブネルは、サウルの子イシュ・ボシェトを擁立してマハナイムに移り、彼をギレアド、アシュル人、イズレエル、エフライム、ベニヤミン、すなわち全イスラエルの王とした」(2:8)。これはペリシテ人との戦いにおいて、イスラエルが敗れた時の話です。

 サウルとヨナタンは戦死しました。サウルの王国は崩壊しました。そこでネルの子アブネルはマハナイムにおいてサウルの子イシュ・ボシェトを擁立するのです。つまり、マハナイムとは、かつてアブネルとイシュ・ボシェトが暫定政権の拠点とした場所なのです。しかし、結局、アブネルとイシュ・ボシェトは決裂し、さらにはアブネルが暗殺され、イシュ・ボシェトも暗殺され、サウル王家は滅びていったことは、既に見てきたとおりです。

 そのように、滅亡へと向かうサウル王家が逃れた場所であるマハナイムへとダビデは逃れて行くのです。まるであの時のサウル王家と同じ運命を辿っているかのようにです。しかし、その結末はあのサウルの家の場合と同じではなかったのだ、と聖書は言っているのです。確かにダビデは神の懲らしめの御手により、王座から追われ、ヨルダンの東へと追いやられることになります。しかし、決して滅びることはなかったのです。結果を先に申しますならば、むしろ滅びたのは、軍事力的には圧倒的に有利であり、しかも総力を挙げてダビデとその一行を全滅させようとしていた、その当のアブサロムの方だったのです。それはなぜであるのか。その問いを抱きつつ、今日の箇所を読んでいきましょう。

 まず、「ダビデがマハナイムに着いたころ、アブサロムと彼に従うイスラエルの兵は皆、共にヨルダンを渡った」(24節)と書かれています。イスラエルの兵がヨルダンを渡りきった頃、既にダビデは川から二十キロほど離れたマハナイムに到着していたことになります。彼らの間がこれほどに大きくあいたのは、どうしてですか。アブサロムが全軍を召集していたからです。

 先週見たとおり、アヒトフェルは少数精鋭による短期決戦を提案したのです。しかし、その策が退けられ、イスラエルの全軍を召集するように提案したフシャイの策が採用されたのでした。そこに神の意志が働いていたことは、先に見たとおりです(17:14)。ダビデは依然として苦しみのただ中にあります。しかし、ダビデの知らないところで、既に神の救いの御手は動き始めているのです。

 加えて、マハナイムにおいて、その地の有力者の援助を受けることができたことを聖書は伝えています。かつてのサウル王家の拠点となった地において、ダビデは全く思いがけない人たちの暖かさに触れることになりました。聖書はその中に、ナハシュの子ショビという人物がいたことを伝えています。彼は、かつて戦火を交えたアンモン人ナハシュの子ハヌン(10章)の兄弟です。これは驚くべきことでしょう。また、そこにはかつてメフィボシェトをかくまっていたアミエルの子マキル(9:4)もいます。彼は当然、サウル王家の側の人間です。さらにはその歳80になる老人のバルジライもいます。高齢をおしてここまで来たのでしょう。つまりこれらは当然のこととして与えられた援助ではないのです。ダビデは苦しみただ中で、人を通して現された神の憐れみに触れているのです。

 さて、ダビデはそこで兵士を三部隊に分けて、ヨアブ、アビシャイそしてガト人イタイの指揮下におきます。そして、自ら共に出陣しようとしますが、兵士たちはそれを止めました。「出陣なさってはいけません。我々が逃げ出したとしても彼らは気にも留めないでしょうし、我々の半数が戦死しても気にも留めないでしょう。しかしあなたは我々の一万人にも等しい方です。今は町にとどまり、町から我々を助けてくださる方がよいのです」(3節)。ダビデは、これを受け入れ、「若者アブサロムを手荒には扱わないでくれ」とだけ指揮官たちに命じて引き下がります。

 ダビデが留まるべきだと言い出したのは、恐らくヨアブではないかと思われます。ヨアブはダビデがもともとアブサロムに害を加えるつもりがないことを知っています。しかし、彼はこの時点で既に、アブサロムを殺すことを決意していたに違いないのです。だから、ダビデには戦場に出て欲しくはなかったのです。

 戦争というものは、支配体制の崩壊と共に終結します。古代の王国どうしの戦いならば、王が討ち取られた終わるのです。確かにダビデの兵士たちは、アブサロムの兵士たちと戦っているのですが、彼らを全滅させるわけにはいきません。統一王国はなお存続せねばならないからです。なんとしても戦死者が多く出ないうちに、早期に決着をつけねばなりません。「わたしは王一人を討ちとります」(2節)と言ったアヒトフェルの提案を思い起こしてください。あの提案は完全に正しかったのです。

 しかし、ヨアブの思惑がどうであれ、結果的には、出陣するはずではなかったアブサロムが出陣し、ダビデは出陣しようとしていたのにもかかわらず最終的には出陣しなかったのです。ここで本来起こり得たことが、ひっくり返っていることに注意してください。もちろん、ひっくり返したのは神様です。聖書はそこに神の御手を見ているのです。

 結局、戦いはイスラエル軍の側に多くの戦死者を出しました。それはエフライムの森が戦場になったからです。戦略においてはダビデの軍隊の方が一枚も二枚も上なのです。アブサロムがどんなに多くの兵士を集めたとしても、密林においては、大軍は役に立ちません。良く組織された精鋭部隊の方が圧倒的に有利なのです。聖書は、「その日密林の餌食になった者は剣が餌食にした者よりも多かった」と説明しています。

 そして、その密林での戦闘がアブサロムの命取りともなりました。アブサロムの乗ったらばが樫の大木のからまりあった枝の下を通った時、彼の頭が木に引っかかってしまったのです。

 先にアブサロムについて、「イスラエルの中でアブサロムほど、その美しさをたたえられた男はいなかった」(14:25)と書かれていたことを思い起こしてください。その美しさの一つは、彼の髪の多さだったのです。「毎年の終わりに髪を刈ることにしていたが、それは髪が重くなりすぎるからで、刈り落とした毛は王の重りで二百シェケルもあった」(同26節)。しかし、その彼の最も誉れとしていたことが、彼に滅びをもたらすものとなったのです。なんと皮肉なことでしょうか。

 これを発見した兵の一人はダビデの要求を思い出し、アブサロムを殺すことなくヨアブに報告します。すると、ヨアブは「見たなら、なぜその場で地に打ち落とさなかったのか」と言い、結局自らアブサロムを討ちに行くのです。ヨアブは棒をアブサロムの心臓に突き刺し、従卒十人がとどめを刺しました。そして、ヨアブが戦闘の終結を示す角笛を吹いて、それ以上の戦いを留めました。目的は全軍を滅ぼすことではないからです。

 さて、ここで重要なのは、ダビデがアブサロムを殺したのではない、ということです。もちろん、それは親子だからということでもあります。しかし、ともかくダビデはアブサロムを殺すことを願わなかった。にもかかわらず、アブサロムは死んだのです。

 このことは、サウルやイシュ・ボシェトの最期を思い起こさせます。ダビデは、あの時も、それぞれを自ら手にかけて殺そうとはしなかったのです。にもかかわらず、彼らは死にました。彼らに共通しているのは、王権というものを神からのものとして認めなかった点にあります。彼らは真の王である神のもとに謙ろうとはしなかったのです。神が王であることを認めず自ら王となろうとする者、また王権を維持しようとする者は、自らに滅びを招くのです。

 アブサロムにおいて起こった皮肉な出来事はもう一つあります。18節以下にこう記されているのです。「アブサロムは生前、王の谷に自分のために石柱を立てていた。跡継ぎの息子がなく、名が絶えると思ったからで、この石柱に自分の名を付けていた。今日もアブサロムの碑と呼ばれている」。14:27には、三人の息子があったことが記されていますが、三人とも早死にしてしまったのでしょう。彼ができたことは、石柱で名を残すことだけでした。

 しかし、王の谷に石柱を立てても、彼は結局王ではあり得ませんでした。そして、残そうとした名は、このようにまことに不名誉な形で末永く残されることになりました。人間の賢さを集めたような思惑も、神の御前においてはどれほど愚かなものであるか、ということでしょう。それは現実の世界において、実に皮肉な形で示されることになるのです。私たちは、この神の御前において、まことに謙らなくてはなりません。

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