2019年11月10日日曜日

(子ども祝福礼拝) 「あなたはこの世界の祝福となる」

創世記12:1-9

祝福とは何か
 祝福を受けた子どもたち、皆さん、どこに座っていますか。ちょっともう一度手を挙げて見せてくださいますか。神様は今日皆さんをここに招いて祝福してくださいました。今日は、特に祝福を受けた皆さんにお話ししたいと思います。よく聞いていてくださいね。そして、わたしがお話しするだけでなく、神様が皆さんの心に語りかけてくださいますから、よく耳を澄ませて聞いてください。

 今日は「子ども祝福礼拝」です。「祝福」とは何でしょう。「祝福」とは、神様がよいものをいっぱい与えてくださることです。神様がよいものをいっぱい与えてくださって、命に満ち溢れさせ、未来を開いてくださることです。そうです、神様が祝福して未来を開いてくださるのです。

 ですから、昔の人たちにとって神様の祝福と言えば、例えば、農作物がたくさん取れることだったのです。例えば、羊がたくさん子を産んで、羊がどんどん増えていくことだったのです。例えば、子どもがたくさん生まれて、一族が増え広がって繁栄することだったのです。

 もちろん、豊作も多産も繁栄も神様の祝福であると言えるでしょう。しかし、神様がくださる目に見えるものばかりに注目すると、大事なことを見落としてしまいます。一番の祝福とは何でしょう。神様がくださる一番よいことって何でしょう。それは神様が一緒にいてくださることです。神様が恵み深い御方として、いつも一緒にいてくださることです。

 ですから、聖書にはこんな祝福の言葉が出て来ます。「アロンの祝福」と呼ばれる聖書の中で有名な祝福の言葉です。聞いていてくださいね。

「主があなたを祝福し、あなたを守られるように。
主が御顔を向けてあなたを照らし
   あなたに恵みを与えられるように。
主が御顔をあなたに向けて
   あなたに平安を賜るように。」
           (民数記6:24-26)

 「主が御顔をあなたに向けてくださいますように」というのは、「神様が一緒にいてくださいますように」というのと意味としては同じです。

 一番の祝福は神様が優しい御顔を向けてくださることであり、神様がそのようにして一緒にいてくださることです。だから、今日、私も皆さんを祝福するときに、「主が共にいてください」とお祈りしました。だから、神様は恵み深い御方として、皆さんのことをいつも見ていてくださいますし、そのようにして一緒にいてくださいます。

祝福の約束を受けた人
 さて、今日の聖書箇所には、神様から「わたしはあなたを祝福する」と言われた人が出て来ました。アブラハムです。アブラハムはもともと「アブラム」という名前でした。神様はアブラムにこのように言われたのです。「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る」(2‐3節)。

 神様が祝福して未来を開いてくださいます。神様は開かれるべきアブラムの未来を指し示しながら、「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める」と言われました。アブラムにはまだ何も見えていません。未来のことですから。しかし、神様には見えているのです。大いなる国民が見えているのです。アブラムの子孫が増え広がって一つの国になることが見えているのです。祝福とはそういうものです。まだ見ていない未来を約束として受けるのです。

 しかし、それはただ祝福される人自身のためではありません。「祝福の源となるように」と主は言われるのです。神はアブラムを「祝福の源」にしようとしていたのです。「祝福の源」というのは、アブラムから祝福が溢れ流れていくようなイメージ豊かな言葉ですね。実は、もともとの聖書のヘブライ語では「あなたは祝福となるように」と書いてあるのです。

 祝福されて祝福となるのです。アブラハムは祝福されて、今度は誰かにとっての祝福となるのです。神がアブラムを祝福するのは、ただアブラムのためではありませんでした。それはこの世界に祝福をもたらすためだったのです。ですから、主はアブラムに「地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る」と言われたのです。

 同じように、神様が皆さんを祝福するとするならば、それは単に皆さんが幸せになるためではありません。皆さんは、この世界の祝福となるためです。皆さんがこの世にいることによって、神様の祝福がこの世界にもたらされるのです。皆さんがこの世に存在することによって、神様が恵み深い御方として共にいてくださり、恵みの御顔を向けてくださり、平和を与えてくださるのです。

 大人の人たちも一緒にお祈りしました。子どもたちの上に祝福を祈り求めるということは、子どもたちがこの世界の祝福となることを祈り求めることでもあるのです。それは私たち自身についても同じです。私たちが、そして教会が祝福を求めるということは、私たち自身が隣人にとって、またこの世界にとって祝福となることを求めることでもあるのです。

神に信頼する新しい生活
 そのように、神様はアブラムを祝福すると言われました。しかし、その前に神様が何と言っているか、もう一度聞いてみましょう。神様は一言、このように言っています。「主はアブラムに言われた。『あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい』」(1節)。――そう、神様は旅に出なさいと言われたのです。

 アブラムはもともとハランというところに住んでいました。ハランはとても豊かな土地でした。そこでは親戚も一緒に住んでいました。そこには知っている人がたくさんいました。そこで生活していれば安心でした。

 しかし、神様はアブラムに安心していられるその場所を離れて旅に出なさいと言われたのです。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい」。どこに向かって旅するのか、分かりません。「わたしが示す地」としか言われないのです。神様がどこに連れて行こうとしているのか、アブラムは知りませんでした。

 皆さんだったらどうですか。知っている人たちを離れて、知らないところに向かって旅に出なさい、と言われたら。きっと不安でしょうね。どうなってしまうんだろうと心配でしょうね。アブラムもきっと、とても心配だったと思います。しかし、聖書にはこう書かれているのです。「アブラムは、主の言葉に従って旅立った」。

 アブラムは先のことを思い煩って、頭の中の思い煩いに留まっていませんでした。そうではなくて、神様に信頼して実際に一歩を踏み出したのです。そこから、神様に信頼して生きていく新しい生活が始まったのです。神様はそのような新しい生活を、祝福の約束と共に差し出されました。アブラムは、神様に信頼して生きる新しい生活を、祝福の約束と共に受け取ったのです。

 神様への信頼。アブラムに求められたのは、それだけでした。神に全幅の信頼を置いて生き始めること。神が求めておられるのは、単によい人間になることでも有能な人間となることでもないのです。この世界の祝福となるために、「もっと優しい人であれば」「もっと力があれば」「健康でさえあれば」「もっと若ければ」「もっと有能であれば」と人は思うかもしれません。しかし、もし若さが重要であるならば、もっと若い時にアブラムを旅立たせたことでしょう。彼は召された時75歳だったのです。そんなことは神様にとってはどうでも良かったのです。祝福は人から出るのではないからです。わたしはあなたを祝福すると主は言われる。祝福は神から来るのです。だから求められているのは、その神様にどこまでも信頼して共に歩む人となることなのです。

祭壇を築きながら
 さて、神様に信頼し、御言葉に従って旅立ったアブラムは、その後、どうなったでしょう。アブラムは神様に導かれて、ハランからカナン地方に向かって進みました。やがてカナン地方に入ります。そして、こう書かれているのです。「アブラムはその地を通り、シケムの聖所、モレの樫の木まで来た。当時、その地方にはカナン人が住んでいた」(6節)。

 「わたしが示す地に行きなさい」。そう主が言われて着いたところにはカナン人が住んでいました。先に住んでいる人たちがいるところに、後から入って行くのなら、よそ者扱いをされることになります。旅に出る前にハランにいたときにはなかった困難がそこにはあったことでしょう。

 しかし、そこで主は言われました。「あなたの子孫にこの土地を与える」。主はアブラムに開かれた未来を示すのです。そして、7節と8節に繰り返されている言葉があります。「祭壇を築いた」という言葉です。この「祭壇を築いた」という言葉をよく覚えておいてくださいね。

 「祭壇」というのはお祈りの場所です。彼はシケムにおいて、そこで祭壇を築いた。祭壇は石で作ります。石を積み重ね、一生懸命に祭壇を築いた。さらに、そこを発ってベテルの東の山に移り住むと、そこにまた祭壇を築いた。「そこにも主のために祭壇を築き、主の御名を呼んだ」(8節)とあります。主の御名を呼ぶとは、言い換えるならば「祈った」ということです。そのように、祭壇とは祈りの場所です。

 祭壇を築きながら旅をするということは祈りながら生きていくということです。神様に信頼して生きる新しい生活が始まったと言いましたけれど、それは具体的にはお祈りしながら生活していくことです。祭壇を築くとは「お祈りの生活を築く」ということです。

 今日、祝福を受けた皆さん、よく覚えておいてくださいね。大切なことは、どこに行っても、環境が変わっても、状況が変わっても、どんな困難の中に置かれても、そこで常に祭壇を築いて生きていくことです。日曜日には神様を礼拝し、毎日、神様にお祈りしながら生きていく、そのような生活を築いていくことです。神様の祝福はそのような皆さんと共にあります。そして、皆さんはこの世界の祝福となるのです。
 (祈り)

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