2016年8月7日
日本キリスト教団 頌栄教会牧師 清弘剛生
聖書 コリントの信徒への手紙Ⅰ 3章1節~9節
パウロ派とアポロ派の争い
「兄弟たち、わたしはあなたがたには、霊の人に対するように語ることができず、肉の人、つまり、キリストとの関係では乳飲み子である人々に対するように語りました」(1節)。そのように、パウロはコリントの信徒たちに語りかけます。
「肉の人」という言い方はずいぶん辛辣です。パウロは彼らがクリスチャンではないとは言いません。信仰の失格者だと言っているのでもありません。あくまでも「兄弟たち」と呼びかけているのです。そして、「キリストとの関係では乳飲み子である」と見ているのです。キリストとの関係を失っているわけではない。成長していないだけです。しかし、それでもなお「肉の人」とは辛辣な表現です。
「肉の人」。この言葉からどんなキリスト者の姿を想像しますか。コリントは大都市です。それは退廃的な町としても知られていました。そのような町に誕生した教会は、当初から様々な問題を抱えていました。深刻な道徳的混乱もありました。そのようなコリントの信徒たちが「肉の人」と呼ばれています。ならば、それが堕落した世俗的クリスチャン、入信前の悪習慣から抜け出せないクリスチャンを意味したとしても不思議ではありません。
しかし、パウロが真っ先に挙げているのは別のことでした。コリントの信徒たちを「肉の人」と呼んだ時、パウロが見ていたのは互いの間の「ねたみや争い」だったのです。「お互いの間にねたみや争いが絶えない以上、あなたがたは肉の人であり、ただの人として歩んでいる、ということになりはしませんか」(3節)。
そして、さらに具体的に指摘します。「ある人が『わたしはパウロにつく』と言い、他の人が『わたしはアポロに』などと言っているとすれば、あなたがたは、ただの人にすぎないではありませんか」(4節)。なんと分派を作って争っていたというのです。実は分派争いについては、この手紙の一章において既に言及されております。それがこの手紙を書いた一つの理由でもあったようです。
さて、「パウロ派」と「アポロ派」の争いですが具体的なことは何も書かれていません。しかし、少なくともはっきりしていることはあります。もともとパウロとアポロの対立から生じたものではない、ということです。その意味では、どこかの企業の「社長派」と「会長派」の争いとは異なります。
パウロは今日の箇所でも言っています。「アポロとは何者か。また、パウロとは何者か。この二人は、あなたがたを信仰に導くためにそれぞれ主がお与えになった分に応じて仕えた者です」(5節)。そして、9節では「わたしたちは神のために力を合わせて働く者」だと言っているのです。ですから、パウロとアポロが対立していたのでパウロにつく人とアポロにつく人が生じたというわけではありません。
異なるタイプの伝道者
ならば、どうして「パウロにつく」「アポロにつく」という人々が起こってきたのか。そこで考えられることがもう一つあります。パウロとアポロは様々な点において際だって異なっていたのだろう、ということです。対立してもいない似たもの同士の二人ならば、「パウロにつく」「アポロにつく」という話は起こりようがありませんから。
使徒言行録によりますと、コリントの町で最初にイエス・キリストの福音を伝えたのはパウロでした。使徒言行録18章にその様子が書かれております。コリントの教会は、パウロの開拓伝道によって生まれた教会でした。パウロは一年半そこに留まって伝道した後、コリントを後にしました。
パウロが去った後にコリントを訪れたのがアポロでした。使徒言行録には「アポロはそこ(コリント)へ着くと、既に恵みによって信じていた人々を大いに助けた」(使徒18:27)と書かれています。そのようなことから、今日お読みした箇所でも「わたしは植え、アポロは水を注いだ」(6節)と書かれていたのです。
さて、「植えた」方のパウロですが、もともと彼はガマリエルという高名な教師のもとでユダヤ教のラビとしての訓練を受けた、まさにユダヤ人の中のユダヤ人という人でした。それゆえに熱心な教会の迫害者でもありました。しかし、その彼が復活したキリストに出会い、劇的な回心をして伝道者となったのです。
そのような人でありますから、キリストのためにまさに命がけで伝道してまわりました。その激しい熱情は使徒言行録からも書かれた手紙からも伝わってまいります。リストラという町では、石を投げつけられ半殺しにされて町の外に引きずり出されました。しかし、彼は起き上がってもう一度その町に入って行く。パウロとはそういう男でした。
しかし、その一方で第二の手紙には「わたしのことを、『手紙は重々しく力強いが、実際に会ってみると弱々しい人で、話もつまらない』と言う者たちがいる」(2コリント10:10)とも書かれています。決して雄弁な人ではなかったようです。
一方、「水を注いだ」アポロについては、使徒言行録において「アレクサンドリア生まれのユダヤ人で、聖書に詳しいアポロという雄弁家」(使徒18:24)と紹介されています。アレクサンドリア出身であることを書いているのは、それが彼の人となりの一端を示しているからでしょう。
アレクサンドリアは当時ローマに次ぐ世界第2の大都市であり、また七十万巻にものぼる蔵書を有するアレクサンドリア図書館の存在に見るように、学問の一大中心地でもありました。そこから出てきたアポロは「雄弁家」であったと書かれていますが、その言葉は「学識ある人」という含みをも持っています。恐らくは、旧約聖書のみならずギリシア哲学にも精通した知識と言葉の人だったのでしょう。
そのように様々な点において異なる二人の教師について、ある人がパウロに惹かれ、ある人がアポロに惹かれたとしても、それは無理ないことかも知れません。しかし、それが互いに分派争いに発展してしまうなら、それは何かがおかしいと言わざるを得ません。
成長させてくださったのは神です
何が問題なのでしょう。パウロは言うのです。「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です」(6‐7節)。
パウロがそう書かなくてはならなかったのは、明らかにコリントの教会では「大切なのは、植える者であり水を注ぐ者です」となっていたからでしょう。つまり、植える者、水を注ぐ者にしか目が向いていないのです。目に見える人間のことにしか思いが向いていない教会です。人間の能力、人間の行為、人間の生き様、優れた点、劣っている点、その人が何をしてくれたか、何をしてくれなかったか、云々。そのように人間に関することにしか思いが向かなくなっているならば、人間に関することが自分にとって絶対的に重要なこととなってくるでしょう。人間に関することで争いも起こります。「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロにつく」と。彼らの間の違いが絶対的に重要にもなってきますから。
しかし、パウロは言うのです。「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です」。そうです、彼らがどのような者であれ、そこで神様がしてくださっていることがあるのです。神様がコリントの信徒たちに関わってくださっていたのです。
細かいことですが、この「成長させてくださった」というのは原文では継続を意味する表現で書かれています。今もそのような御方として関わり続けていてくださるという意味合いです。ならば「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」と言い合って、ねたんだり争ったりしている間にも、神様は関わり続けていてくださっているのでしょう。「あなたがたは神の畑、神の建物なのです」(9節)とはそういうことではありませんか。
そのように神様がなさっていることがある。神の畑として実り豊かにしようとしていてくださるのです。神の建物として建てあげようとしていてくださるのです。それは完成へと向かう神の救いの御業です。本来ならば、とうの昔に裁かれて滅ぼされていても不思議ではないような者なのに、神は人を用いて植え、人を用いて水をやり、成長させようとしていてくださる。そこにあるのは神の恵みです。
皆さん、教会に来て、教会生活を始めるならば、そこには植える人がおり、水をやる人がおり、あるいは様々な形でお互いに関わりあいながら生きていくことになります。その人間の姿はどうしたって目に入るし、気にもなるものでしょう。しかし、そこに見ているのはすべて「神のために力を合わせて働く者」なのです。
大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。私たちの救いを誰よりも願い、そのために独り子をさえ惜しまず与えてくださった御方、そして、今もなお私たちの救いの完成のために尽力してくださっている御方がおられることを忘れてはなりません。その御方にこそ思いを向け、今日も心を合わせて祈りましょう。そこからこそ、大切な方を共に仰ぐお互いのあるべき関わり方もまた見えてくるのです。