2016年12月11日日曜日

「喜びと平和がここに」

2016年12月11
日本キリスト教団 頌栄教会牧師 清弘剛生
聖書 フィリピの信徒への手紙 4章4節~7節

 アドベントの第三週となりました。アドベントに灯される四本のキャンドルの内、第三番目のものは「喜びのキャンドル」と呼ばれます。今日は御一緒に「喜び」について語っている聖書の言葉に耳を傾けたいと思います。

喜びなさい
 先ほど、フィリピの信徒への手紙4章4節以下が読まれました。この手紙には「喜び」という言葉が多く見られますので、しばしば「喜びの手紙」などと呼ばれます。ここにも「喜び」という言葉が繰り返されております。「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい」(4節)と。

 しかし、考えてみると、「喜びなさい」という命令文は私たちの日常ではそう使うものではありません。というのも「喜び」というのは感情であって、感情というものは命じられたからといって簡単にコントロールできるものではないことを知っているからです。ですから人に「喜びなさい」とは言わないし、人から言われても困ります。

 とはいえ、「喜びなさい」「喜べ」という命令文が使われる場面がないわけではありません。例えば、人が山で遭難して死にそうになっている時を考えてみてください。遠くからかすかに捜索隊の呼び声が聞こえてきました。ライトの光も見えてきました。その時、一人が一番弱っているもう一人に言うでしょう。「喜べ。助かったぞ!」これなら分かります。

 もちろん、そこには「喜べ」と言われても喜べない理由は山ほどあるに違いありません。滑落して脚を折っていたら痛いでしょう。死ぬほど空腹かもしれません。何時間も寒さに苦しんできたのかもしれません。しかし、それでもなお捜索隊の声が聞こえたという、喜ぶべき決定的な理由があります。その理由がある時に、言うことができるのです。「喜びなさい」「喜べ」と。

 遭難した人ではありませんが、この手紙を書いているパウロにしても、この手紙を受け取っている教会にしても、喜べない理由はいくらでもあったはずです。教会には分裂と仲違いがありました。教会内部の問題だけではありません。外からの迫害もありました。パウロはこの時、獄中にいるのです。思えば福音の宣教のために働き始めてからというもの、彼の人生は苦難の連続でした。喜べない理由を挙げるなら、それこそ数限りなくあったはずです。しかし、そのパウロが言うのです。「喜びなさい」と。

 そこには喜ぶべき決定的な理由があるからです。そうでなければ「喜びなさい」という言葉は意味をなしません。その決定的な理由とは何か。パウロはそれを「主において」という言葉をもって表現しています。「主において」という言葉は、パウロの手紙に実によく出てくる言葉です。同じ言葉が他の箇所では「主に結ばれて」と訳されています。それが理由です。

 信仰によってキリストと結ばれているのです。キリストの内にいるのです。そのキリストは、私たちを愛し、御自身を献げてくださった御方です。私たちの罪の贖いのために十字架にまでおかかりくださった御方です。その御方と結ばれて、私たちは罪を赦された者として、救われた者として、愛されている者として生きることができるのです。

 その「主において」という事実は、主に結ばれているという事実は、何が起ころうと変わらないのです。どのような状況に置かれても変わらないのです。パウロのように投獄されても変わらないのです。さらに言うならば、死んでも変わらないのです。迫害いよって命を奪われても変わらないのです。パウロは別の手紙で言っています。「だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう」(ローマ8:35)と。

 そのように決定的な理由があるのです。それは変わらないのです。だからパウロは「喜びなさい」と言うのです。いや「喜びなさい」だけではありません。「常に喜びなさい」とさえ言うのです。変わらざる理由があるからです。そうです、私たちはどんな時にも、どんな場合においても、喜ぶことのできる変わらない理由を持っているのです。
逆に言うならば、喜ぶことができない理由があればあるほど、この「主において」という決定的な理由が大きな意味を持つことになるのです。

広い心が知られるように
 そして、さらにパウロは言います。「あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい」(5節)。主から来る「喜び」はただ「喜び」として人の内に留まるのではありません。その「喜び」は「広い心」となって他者へと向かうものとなるのです。

 それはある意味では当然のことでしょう。主によって罪を赦された喜びは、他者を赦す心を生み出すのでしょう。主によって受け入れられた喜びは、他者を受け入れる心を生み出すのでしょう。主の寛容が喜びの源なら、その喜びは寛容を生み出すのでしょう。

 「あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい」とは、要するに、「主にあって常に喜びなさい。その喜びをもって人々の中で生きていきなさい」ということに他ならないのです。頑張って広い心になろうとすることではなくて、大事なのは「喜び」なのです。そして、その源である「主」なのです。ですからここでパウロは一言付け加えるのです。「主はすぐ近くにおられます」(5節)と。

 古代教会において合い言葉のように用いられていた言葉がありました。「マラナ・タ」という言葉です。これは「主よ、おいでください」という意味です。それはキリストの再臨を待ち望む祈りです。キリストが再び来られる。そのことをずっと遠い所からやってくるように思い描く人がいるかもしれません。しかし、初代教会が持っていたイメージは異なるのです。そうではなくて、「戸の外に立っておられるキリスト」なのです。もうすぐにでも戸を開けて入ってこられる。救いをもたらすために入ってこられる。そのようなイメージです。

 それは二千年経ってしまった今でも同じはずなのです。やがて主が来られる。今にでも来られる。その時、私たちははっきりと知ることになるのです。罪が赦されたということはどういうことであるか。主によって愛されているということがどういうことか。救われているとはどういうことか。やがて私たちは知ることになるのです。そして、それは思いの外近いのかもしれません。「主はすぐ近くにおられます」。

思い煩うのはやめなさい
 それゆえに、さらにパウロは、「思い煩うのはやめなさい」と語るのです。喜ぶことと思い煩わないことは、同じ主に結ばれた生活の裏と表です。積極的な側面と消極的な側面と言っても良いでしょう。片方だけでは成り立ちません。それゆえに「主は近い」と語ったパウロは、さらに具体的な勧めとして、「何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい」と勧めるのです。つまり、「主において」生きる生活は、祈りと礼拝という具体的な形を取るのだということです。

 パウロにしても、フィリピの信徒たちにしても、喜びを奪っていく要因、思い煩いの種は数え切れないほどあったに違いありません。しかし、そこにおいて思い煩わないで生きるために必要なことは、思い煩いの種を必死になって取り除くことではないのです。そうではなく、主にある者として生き、神に祈って生きることなのです。

 パウロはここで「神に打ち明けなさい」と言っています。これは単なる願いごと以上のことです。それは「感謝を込めて」という言葉が伴っていることからも分かります。しかしながら、「感謝を込めて」というのは、必ずしも常に感謝の言葉だけをもって祈るということではないでしょう。それは旧約聖書の詩編を読んでも分かります。そこには、神の前で嘆き、泣き、訴える人々がいるのです。

 ですから、ここで語られている「感謝を込めて」というのは、無理をして、表面だけをとり繕って、感謝の言葉を神に捧げるということではありません。そうではなくて、いかなる言葉をもって祈ったとしても、その祈りの根底に変わらぬ神への信頼と感謝があるということなのです。

 そこで重要になるのが、先ほどから語っています「主において」ということなのです。祈りが「主において」なされるということです。それは主によって赦され、救われた感謝と喜びをもって献げる祈りであるということです。そのように祈りがなされる時に、それはまた「神は私たちを愛しておられて、私たちに最善を為してくださる」という神への信頼に基づいて献げられる感謝の祈りともなるのです。

 では、そのように「神に打ち明ける」時に、いったい何が起こるのでしょうか。パウロはこう言うのです。「そうすれば、あらゆる人知を越える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう」(7節)。

 人において本当に守られなくてはならないものは何か。それは「心と考え」です。ここで語っているパウロは、獄中にいるのです。いつ引き出されて処刑されるかも知れぬ身なのです。彼は自分の命を自分で守ることができません。しかしパウロは、人知を越える神の平和によって、心と考えとを守られているのです。そのような人をこそ、私たちは「神に守られている人」と呼ぶべきでしょう。

 私たちは、一生懸命に自分の身を守り、立場を守り、メンツを守り、病気から肉体を守り、経済的な困窮から生活を守ろうといたします。しかし、そのように自分を守ることに一生懸命になっているうちに、心と考えがボロボロの雑巾のようになってしまうのです。私たちは、神の平和によって、心と考えとを守っていただかねばならないのです。そして、それは主に結ばれている者として神に祈るならば、パウロに対してそうであったように、私たちにも与えられることが約束されている神の守りなのです。

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