2016年7月31日日曜日

「わたしたちは決して負けません」

2016年7月31
日本キリスト教団 頌栄教会牧師 清弘剛生
聖書 ヨハネの手紙Ⅰ 5章1節~5節

恵みによる二度目の誕生
 ある夜、ファリサイ派の議員であり教師でもあるニコデモという人がイエス様を訪ねてきたという話がヨハネによる福音書にあります。その時、イエス様は彼にこう言いました。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」(ヨハネ3:3)。

 後に使徒ペトロが小アジア地方他の諸教会に宛てた手紙の中でこう書いています。「あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです」(1ペトロ1:23)。

 イエス様が言われたことが、教会において実現しています。「あなたがたは…新たに生まれたのです」とはそういうことです。そのように人は「新たに生まれる」ことができる。言い換えるならば、二度生まれることができる。聖書は確かにそう教えています。

 一度目の誕生は、通常の意味における誕生です。毎年「お誕生日おめでとう」を繰り返す、あの誕生のことです。私たちは必ず誰かを親として生まれてきます。誰かを親とする家族の中に生まれてきます。もちろん、実際にはその親が親としての役目を果たさず、家族が家族としての機能を果たさず、親も家族をも知らないで育つということはあり得ます。しかし、いずれにせよどのような形であれ、私たちは必ず誰かの子として生まれてくるのであるし、家族の中に生まれてくるのです。そのようにして私たちはこの人生をスタートする。これが一度目の誕生です。

 この誕生だけを経験して一つの人生を生き、一生を終える人もいます。しかし、聖書によるならば、人はもう一度誕生することができる。新しく生まれることができる。二度目の誕生。それは信仰による誕生です。信仰によってもう一つの人生がスタートします。一度目の誕生において、親の子供として生まれたように、二度目の誕生においては、「神の子供としてのわたし」が生まれます。一度目の誕生において、この世の家族の中に生まれたように、二度目の誕生においては、「神の家族の中にいるわたし」が生まれます。

 毎週私たちはイエス様がお教えくださった「主の祈り」を共に捧げております。あの「主の祈り」こそ、まさに新しい誕生に関わっている祈りです。つまり、私たちは神の子供として「天にまします我らの《父よ》」と祈りながら生き始めたのです。神の家族として「天にまします《我らの》父よ」と祈りながら生き始めたのです。そのように私たちは二度目の誕生によって始まるもう一つの人生を生きていくのです。それが信仰生活です。

 そのような二度目の誕生について、今日の聖書箇所でヨハネは次のように語っています。「イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です」(1節)。ここでは二度目に生まれた人について、はっきりと「神から生まれた者」と表現されています。

 神から生まれたならば既に「神の子供」です。何もしていないうちから神の子供です。神の子供らしくなったから神の子供としてもらったのではありません。王の子供として生まれたら、何もしないうちから既に王子です。どら息子でも王子は王子です。王子らしくなったから王子になるのではありません。そのように神から生まれた者は既に神の子供です。「信じる人は皆」とありますでしょう。神の子供とされるのは、神との新しい関係が与えられるのは、ただ信仰により、神の恵みによるのです。

恵みに対する応答
 そのように神の一方的な恵みとして神から生まれ、神の子供としていただくとするならば、その神の恵みに私たちはどうお応えしたらよいのでしょう。

 「恵み」に対するふさわしい応答とは「愛」です。神を愛することです。ですから「生んでくださった方を愛する人は皆」と続くのです。そして、神を愛するならば、そこから必然的に生まれてくることがあります。もう一度1節の初めからお読みします。「イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です。そして、生んでくださった方を愛する人は皆、その方から生まれた者をも愛します。このことから明らかなように、わたしたちが神を愛し、その掟を守るときはいつも、神の子供たちを愛します」(1‐2節)。

 ここに「掟」という言葉が出てきました。この直後にも「神を愛するとは、神の掟を守ることです」と語られています。神の掟については、今日の箇所の直前にもこう書かれています。「神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。これが、神から受けた掟です」(4:21)。

 「神の掟」という表現は実にいかめしく感じますが、しかし、それは神を愛することのごく自然な帰結であるとも言えるでしょう。私たちを生んでくださったお父さんは子供たちが愛し合って共に生きることを望んでおられるのです。そのお父さんの思いに応えて生きることこそ恵みに対するふさわしい応答なのしょう。

 「イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です」。自分が神から生まれた者、まことの親の子であることを意識して生活することは大切です。自分を見つめて「わたしはふさわしくない」とか「わたしは神の子供には見えない」とか言っているのではなく、生んでくださった方を見上げて「わたしは神から生まれた者です」と言ったら良いのです。

 そうすれば、隣の人も「神から生まれた者」であることが見えてくる。神が愛してやまない神の子供であることが見えてくる。父にとって大切この上ない父の子供であることが見えてくる。そうしてこそ、「生んでくださった方を愛する人は皆、その方から生まれた者をも愛します」ということが起こってくるのです。

世に打ち勝つ信仰
 そのように、神から生まれて神との間が親子の絆で結ばれ、そして神から生まれたお互いが兄弟の絆で結ばれていく。それが私たちの信仰です。そして、このような信仰こそが世に打ち勝つ信仰なのだとヨハネは言うのです。「世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です」(4節)と。

 ヨハネは手紙にこの言葉を書き記したとき、一つの場面を思い起こしていたに違いありません。かつてイエス様の口からこの言葉を聞いたその情景がありありと思い起こされたことでしょう。それはイエス様がまさに捕らえられようとしていたその夜、弟子たちと食した最後の晩餐の席でのことでした。主は不安と恐れの中にある弟子たちに多くのことを語られた後、最後にこう言われたのです。「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(ヨハネ16:33)。

 「わたしは既に世に勝っている」。確かに主はそう言われた。その「世」とは何でしょう。神の愛を現されたイエス様が十字架につけられて殺されてしまうような世界のことです。愛の力よりも憎しみと怒りの力の方がはるかにまさって強力に支配しているように見えるこの世界のことです。命よりも死の方がはるかに強力に支配しているように見えるこの世界です。神様よりも悪魔の方がはるかに強力に支配しているように見えるこの世界のことです。そう、私たちもそのように見ている、この世界のことです。

 しかし、そこで主は言われたのです。「勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」と。主は勝利宣言をされたのです。イエス様は負けない。世に負けない。絶対に負けない。その強さはどこから来ていたのでしょう。イエス様の強さはどこにあったのでしょう。イエス様御自身がはっきり語っておられます。「だが、あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る。いや、既に来ている。しかし、わたしはひとりではない。父が、共にいてくださるからだ」(ヨハネ16:32)。

 そうです、イエス様が見せてくださった本当の強さとは、どこまでも「父が、共にいてくださる」と言い得る強さだったのです。神の子としての強さだったのです。そして、その御方は私たちをも、同じ父との交わりの中に入れてくださったのです。私たちに二度目の誕生を与え、神の子供としての誕生を与え、神から生まれた者として、私たちもまた、「父が、共にいてくださる」と言い得るようにしてくださったのです。

 私たちは神から生まれた者です。私たちは、神の家族の中に新しく生まれたのです。私たちには、まことの父がいます。この世よりも大いなるまことの父がいます。私たちには、世に打ち勝った神の子イエスがいます。「勇気を出しなさい」と言ってくださる、いわば最強のお兄さんがいるのです。そして、私たちには、同じように弱さを抱えてはいますが、互いに愛し合って生きるようにと与えられている、他の子供たちがいるのです。共に父を仰ぐ兄弟がおり、姉妹がいるのです。

 だから、私たちは負けません。世に生きることがいかに過酷であったとしても、決して負けることはありません。私たちは負けて滅びる者ではなく、キリストの勝利にあずかって、完全な救いに至るのです。私たちは暗闇に引きずり込まれていくのではなく、光へと命へと向かって生きていくのです。いかなるものも神の子供たちを滅ぼすことはできません。「世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です」。

2016年7月24日日曜日

「キリストの命を共に受けるために」

2016年7月24
日本キリスト教団 頌栄教会牧師 清弘剛生
聖書 コリントの信徒への手紙Ⅰ 11章23節~29節

「主の晩餐」と呼ばれた食事
 私たちは毎週この礼拝堂に集まっています。では教会が誕生した頃、二千年前の教会はどのような場所に集まっていたのでしょうか。使徒言行録にこんな記述があります。「そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである」(使徒言行録2:46‐47)。

 集まる場所は二つありました。一つはエルサレムの神殿です。もう一つは民家でした。神殿参りと家ごとの集会。これが信仰生活の柱でした。やがて神殿参りは失われていきました。神殿が遠ければ日々の神殿参りは不可能だったでしょうし、紀元70年には神殿そのものがローマ軍に破壊されて無くなってしまいましたから。ということで、残ったのは家ごとの集会でした。

 私たちは現在新会堂建築のために準備を進めていますが、教会堂建築の歴史を遡って行きますとたどり着くのはそのような「家の集会」です。教会堂の原型は「神殿」ではありません。人々が「集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していた」その「家」こそが、教会堂の原型です。

 それゆえに二千年を経て私たちが集まっているこの場所も、神殿のような形にはなっていません。これは「家」だからです。ですから正面には祭壇があるのではなく、聖所も至聖所もなく、「聖餐卓」と呼ばれる食卓が置いてあるのです。そして、私たちが今日行っていることは、かつて人々が家ごとに集まって行っていたことと基本的には同じなのです。

 そこでは食事が行われていたと書かれていました。それはただ空腹を満たすための食事ではありませんでした。単なる楽しみのための会食でもありませんでした。それは特別な食事でした。それは後に「主の晩餐」と呼ばれるようになりました。キリストが宣べ伝えられ、エルサレムから遠いところに教会が誕生したとしても、そこでは必ず同じ特別な食事、「主の晩餐」が行われました。それはエルサレムから遠く離れたコリントに誕生した教会でも同じでした。その集まりにおいて「主の晩餐」が行われていました。

 コリントの人々に最初にイエス・キリストを伝えたのはパウロでした。当然のことながら、最初に救われた人たちに「主の晩餐」を行うことを教えたのもパウロでした。使徒言行録によりますとパウロの滞在期間は一年六ヶ月でした。パウロが去った後も「主の晩餐」は続けられました。

 そのようなコリントの教会に対し、しばらくの時を経てもう一度、パウロが「主の晩餐」について説明しています。なぜこの特別な食事が行われているかを思い起こさせているのです。それが今日の聖書箇所です。

 パウロはこの食事が単なる会食ではなく、主イエスに由来することを語ります。「わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです」(23節)。そうです、それは主が教会に手渡してくださったのです。そして、教会を通してパウロも主から受け取ったのでした。そのパウロがコリントの人々に手渡しました。そのようにして彼らもまた主から受け取ったのです。

 コリントの人たちは何を主から受け取ったのか。パウロはこう続けます。「すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、『これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい』と言われました。また、食事の後で、杯も同じようにして、『この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい』と言われました」(24‐25節)。

 そこに書かれているように、それはキリストを記念して行う食事した。しかし、それは故人を偲ぶための食事とは異なります。キリストは故人ではありませんから。復活して永遠に生きておられる御方です。その御方が「これは、あなたがたのためのわたしの体である」と言われるのです。それは特別な食事です。それはキリストの体を食べる食事なのです。

 それが何を意味するか、コリントの信徒たちはよく知っていたはずです。主がそのように言われたのは、イエス様が「引き渡される夜」でした。引き渡されて、主は十字架にかけられるのです。彼らのために、そして私たちのために、罪を贖うために、十字架の上にその体が釘付けられ、血が流されることを前提として、主は「これはわたしの体」「これはわたしの血」と語られたのです。私たちが罪を赦され、永遠の命にあずかるために、主は御自分の命を献げてくださったのです。そのキリストの体を受け、その血を受ける食事。それが「主の晩餐」です。

 その「主の晩餐」を食べるために彼らは集まります。目に見える形をもってキリストを一緒に食べるのです。それはお互いの関係においても決定的な意味を持つはずでしょう。キリストを食べるわたし。キリストを食べる隣の人。イエス様はわたしのために十字架で死なれた。イエス様はこの人のためにも十字架で死なれた。ならばもはや無関係ではあり得ません。キリストの命を共に受けるお互いです。そのような互いの関係を目に見える形で見せてくれているもの、それが「主の晩餐」という特別な食事なのです。

「自分自身の晩餐」ではなく
 パウロは「主の晩餐」がそのような食事であることを改めて語り、思い起こさせます。なぜなら、改めて思い起こさせなくてはならない事態が起こっていたからです。

 パウロはさらに彼らに語ります。「従って、ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする者は、主の体と血に対して罪を犯すことになります。だれでも、自分をよく確かめたうえで、そのパンを食べ、その杯から飲むべきです。主の体のことをわきまえずに飲み食いする者は、自分自身に対する裁きを飲み食いしているのです」(27‐29節)。

 そこでは「ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする」ということが起こっていたのです。「主の体のことをわきまえずに飲み食いする」ということが起こっていたのです。それはいったいどういうことでしょうか。

 コリントの教会で何が起こっていたのか。今日の朗読箇所においては語られておりません。実はこの前に書かれているのです。例えば次のように書かれています。「それでは、一緒に集まっても、主の晩餐を食べることにならないのです。なぜなら、食事のとき各自が勝手に自分の分を食べてしまい、空腹の者がいるかと思えば、酔っている者もいるという始末だからです」(20‐21節)。

 これが当時のコリントの教会の姿です。その集会の様子です。これはひどい。これでは集まって食べても「主の晩餐」にはならないだろう。それは今日の私たちが聞いても思います。

 少なくともこのような事態は私たちの教会では起こりません。起こりようがありません。この教会においては、主の晩餐を普通の食事の形では行っていませんから。食べるのは小さなウエハースです。飲むのは小さな杯に入った葡萄ジュースです。礼拝の中で順番に前に出て受けることになっています。酔っ払いようもないし、食べられない人が出るということもありません。

 ならばパウロがここで言っていることは私たちに無関係なのか。それはよくよく考えてみる必要があります。いったいここで問題となっていることは何なのでしょう。注目すべきは21節の言葉です。「各自が勝手に自分の分を食べてしまい…」とパウロは言います。「自分の分」と書かれていますが、これはもともと「自分自身の晩餐」という言葉なのです。「主の晩餐」を食べるために集まっているはずなのですが、それが「主の晩餐」ではなく「自分自身の晩餐」になっていた、ということなのです。

 先に集まって来た人たちは、もちろんイエス様のことを全く考えないで飲み食いしていたわけではないでしょう。彼らはもちろん「主の晩餐」を食べているつもりでいたのです。彼らが早い時間に集まっていたのは、ある意味では熱心だったからであるに違いありません。そのような彼らが、早くから集まってくる他の熱心な人々と一緒に、少しでも早く主の晩餐を行おうとしたのは主を求める熱意の現れでもあったと言えるのです。

 しかし、それがどれほど熱心な敬虔な行為であったとしても、彼らが食していたのは「自分自身の晩餐」でしかないとパウロは言うのです。「自分自身の晩餐」でしかないから、後から来る人のことを考えられないのです。後から来るのは長く働かなくてはならない貧しい人たちでした。そのような他の人々のことなど視界に入らないのです。

 いや、むしろ視界に入らないほうが、「自分自身の晩餐」は楽しめるものなのでしょう。実際、先に集まった人たちは、社会的にも経済的にも似たような者たちと共に、信仰熱心な自分たちの集会を多いに楽しんでいたに違いありません。しかし、それはもはや「主の晩餐」ではない。それは「自分自身の晩餐」でしかありません。

 考えてみれば、そのようなことは今日でも起こり得るのでしょう。いくらパンの形を変えても、どんなに儀式的に行おうと、秩序正しく行ったとしても、あるいはそこに敬虔さや感動があったとしても、それが「主の晩餐」ではなくて「自分自身の晩餐」になってしまうことは起こり得るのでしょう。他人に煩わされないで、ともかく自分が満足したい礼拝、そのような聖餐。他の人のことを心にかけ思い遣ることのできない礼拝、そのような聖餐。それはもはや「主の晩餐」とは言えないのでしょう。

 私たちがいるこの場所は「家」です。食卓のある「家」です。集まって「主の晩餐」という特別な食事を行うための「家」です。そこでは本当の意味で私たちが「共にいる」ということが本質的な意味を持っているのです。

2016年7月17日日曜日

「もう互いに裁き合わないようにしよう」

2016年7月17
日本キリスト教団 頌栄教会牧師 清弘剛生
聖書 ローマの信徒への手紙 14章10節~23節

互いに裁き合わないようにしよう
 「従って、もう互いに裁き合わないようにしよう」(10節)。そのように語られていました。今日の説教題でもあります。

 「互いに裁き合わないようにしよう」と語られているのは、裁き合っている現実があるからです。自分を正しいものとし互いに他者を断罪するようなことが起こっているからです。ここで問題となっているのは、肉を食べない人と肉を食べる人の裁き合いです。つまらないことに思えますか。しかし、往々にして裁き合いはつまらないことを巡って起こります。

 肉を食べない人はなぜそうしていたのか。細かいことは分かりません。コリントの信徒への手紙を読みますと、偶像に供えられた肉を食べることを避けた人たちが出てきます。一般的に市場に出回っている食用の肉は、多くの場合一度異教の神々に捧げられたものであったという当時の事情がそこにあります。ローマの教会にも、知らずにそのような汚れた肉を食することがないように、むしろ肉食そのものを断った人々がいたのかもしれません。ともかく何らかの理由により、肉を食べることは正しくないことだという判断が働いていたのです。

 その一方で、それが偶像に供えられた肉であろうが何であろうが、肉を食べること自体何ら問題はないと考える人々もいたのです。パウロ自身もそう考えていたようです。それは決して汚れたものなどではない。彼はこう言っています。「それ自体で汚れたものは何もないと、わたしは主イエスによって知り、そして確信しています。汚れたものだと思うならば、それは、その人にだけ汚れたものです」(14節)。

 そのようにパウロ自身は、肉を食べようが食べまいが、それはその人の自由だと考えていました。しかし、パウロはその自由を押しつけようとはしないのです。肉を食べる自由についての主張を展開してこの争いを解決しようとはしないのです。そうでなく、彼は言うのです。「もう互いに裁き合わないようにしよう」。

 それはどうしてか。最終的にそれぞれが神の裁きの座の前に立つことを知っているからです。「それなのに、なぜあなたは、自分の兄弟を裁くのですか。また、なぜ兄弟を侮るのですか。わたしたちは皆、神の裁きの座の前に立つのです」(10節)。そして、彼は言います。「それで、わたしたちは一人一人、自分のことについて神に申し述べることになるのです」(12節)。

 最終的に私たちが神の御前で問われるのは、他の誰かのことではありません。私たち自身のことです。私たち自身がどう生きたかということです。今は他の人のことを語っていられるかも知れません。批判することも裁くことも断罪することもできるかもしれません。しかし、やがては自分自身についてしか語り得ない時が来るのです。

 そこで私たちは、正しい裁きをなされる方によって裁かれるべき者は、他ならぬ私たち自身であることを知ることになるでしょう。赦しと憐れみとを必要としているのは、他の誰かではなく、私たち自身であることを知ることになるのでしょう。そこで私たちは、他ならぬ私たちのために、死んでよみがえってくださった救い主を、裁きの座から仰ぎ望むことになるのです。

 今裁き合っている者たちであっても、その時には共に主の前に膝をかがめ、その舌をもって神を誉め讃えることになるのです。パウロはイザヤ書を引用してこう言いました。「こう書いてあります。『主は言われる。「わたしは生きている。すべてのひざはわたしの前にかがみ、すべての舌が神をほめたたえる」と』」(11節)。

 そのように、やがては神の裁きの座の前に立つ私たちなのです。だからパウロは言うのです。「従って、もう互いに裁き合わないようにしよう」。

自由を部分的に放棄して
 しかし、パウロが言いたいのは、消極的な意味においてただ「裁き合わないように」ということだけではありません。やがては他の人のことではなく自分のことについて申し述べることになるのだから、自分のことだけを考えていればよい、と言っているのではありません。彼はこう続けます。「むしろ、つまずきとなるものや、妨げとなるものを、兄弟の前に置かないように決心しなさい」(13節)。

 「つまずきとなるもの」「妨げとなるもの」とは、信仰生活のつまずきとなるものや妨げとなるものです。それらを置かないようにということは、相手の信仰生活のことを考え、配慮しなさい、ということです。互いに裁き合うのではなく、むしろ相手の信仰生活のことについて配慮しなさい、と。考えてみると、裁き合っている時というのは、相手の信仰生活のことを思い遣って語っている時ではないでしょう。

 先ほども言いましたように、パウロ自身は何を食べようと自由だと考えていました。「それ自体で汚れたものは何もないと、わたしは主イエスによって知り、そして確信しています」と書いているとおりです。ですから、肉を食べる人たちの側に立って、肉を食べる自由を主張することもできたはずなのです。反対意見の人々に向かって語り、論駁することもできたのでしょう。


 しかし、パウロはここで、むしろ自分と同じように自由を主張する人たちに向けて語っているのです。相手の信仰生活のことを考えなさい、配慮しなさい、と。先ほど14節を引用しましたが、続いてパウロはこう言うのです。「あなたの食べ物について兄弟が心を痛めるならば、あなたはもはや愛に従って歩んでいません。食べ物のことで兄弟を滅ぼしてはなりません。キリストはその兄弟のために死んでくださったのです」(15節)。

 強い者の側の論理に立つならばこうはなりません。もしわたしが肉を食べることで誰かが心を痛めるとしても、それは心を痛める側の問題だと言うことができるからです。もしわたしが肉を食べるのを見てつまずいて、信仰を失うようなことが仮にあったとしても、それはその人の側の問題だと言えるのです。なぜなら、わたしは間違ったことをしているわけじゃないから。肉を食べるか食べないかは私の自由ですから。それでつまずいたとしたら、つまずく方が悪いのです。

 そうです、そう言ったとしても、確かに間違いではないかもしれません。しかし、パウロは言うのです。「あなたはもはや愛に従って歩んでいません」と。そして、続く言葉が刺さります。「キリストはその兄弟のために死んでくださったのです」。そうです、この言葉が刺さります。わたしの心にも刺さります。わたしにとって、とても痛い言葉です。

 わたし自身この言葉を読むと、いろいろなことを思い起こすのです。わたしはどちらかというと知らず知らずの内に強い者の側に立ってものを言ってしまう人間です。「こうすることの何がいけませんか。」「これは当然のことでしょう。わたしは間違ったことは言っていませんよね。」若い時から、そう言いながら、多くの人を傷つけて生きてきたのだと思います。キリスト者となってからも、牧師になってからも、これまで多くの人の道につまずきや妨げを置いてきてしまったのだと思います。「キリストはその兄弟のために死んでくださったのです」という言葉の前に、わたしは自分自身の罪と向き合わざるを得ません。仮に正しいことを言っていたとしても愛に従って歩いていないことがいくらでもありましたから。

 「キリストはその兄弟のために死んでくださったのです」。――それは、いわばイエス様から「わたしが命をもってあがなったその人を、あなたは愛してくれるか」と問われているということでもあります。だから、正しい主張であるか否かではなく、愛に従って歩んでいるかどうかという話になるのです。それゆえに、パウロは言っていたのです。「むしろ、つまずきとなるものや、妨げとなるものを、兄弟の前に置かないように決心しなさい」。

 これは「肉を食べることは自由だ」と考える人にとっては、あえて肉を食べないということを意味します。コリントの信徒への手紙においては、パウロ自身がこう言っています。「それだから、食物のことがわたしの兄弟をつまずかせるくらいなら、兄弟をつまずかせないために、わたしは今後決して肉を口にしません」(1コリント8:13)。

 正しさだけを問題にする人にとっては、それは馬鹿げたことでしょう。しかし、パウロは愛に従って歩くために持っている自由を部分的に放棄するのです。そして、彼はそのことをローマの信徒たちにも求めているのです。自由を主張するならば、愛のゆえにその自由を部分的に放棄することができるほど自由であって欲しいということでもあるのでしょう。

 「従って、もう互いに裁き合わないようにしよう。むしろ、つまずきとなるものや、妨げとなるものを、兄弟の前に置かないように決心しなさい。」互いに裁き合うのではなく、裁き合ってきたお互いであるからこそ、裁き合う代わりに相手の信仰生活のことを考える。それぞれが自分の自由を部分的に放棄し、愛をもって配慮し合う。そのような交わりが形づくられるならば、それはまさに神の国を指し示すものとなるのです。

 今日の聖書箇所にもこのように書かれています。「神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです」(17節)。飲み食いの次元のことにこだわって、互いに裁き合って、本来与えられているはずの、「聖霊によって与えられる義と平和と喜び」を失ってはならないのです。その後で、パウロはさらにこう言っています。「食べ物のために神の働きを無にしてはなりません」(20節)。そのとおりだと思います。

2016年7月10日日曜日

「長く暗い夜が明けて」

2016年7月10
日本キリスト教団 頌栄教会牧師 清弘剛生
聖書 使徒言行録 27章33節~44節

暴風に巻き込まれた船
 パウロがエルサレムからローマに護送される途中、彼らは「良い港」と呼ばれるところに寄港しました。既に秋も深まり航海が危険な季節に入っています。そこでパウロは人々に忠告します。「皆さん、わたしの見るところでは、この航海は積み荷や船体ばかりでなく、わたしたち自身にも危険と多大の損失をもたらすことになります」(10節)。しかし、その港は冬を越すのに適していませんでした。結局、大多数の者の意見により、出航することになったのです。

 続く出来事は次のように書かれています。「ときに、南風が静かに吹いて来たので、人々は望みどおりに事が運ぶと考えて錨を上げ、クレタ島の岸に沿って進んだ」(13節)。順風です。順風が吹くと、人は「望みどおりに事が運ぶ」と考えます。しかし、往々にして事は望みどおりには運びません。「しかし、間もなく『エウラキロン』と呼ばれる暴風が、島の方から吹き下ろして来た」(14節)と書かれています。船は嵐に巻き込まれることとなりました。

 ひどい暴風に悩まされた人々は、翌日には積荷を海に捨て始め、三日目には船具をさえ投げ捨てるに至りました。そのままでは船が沈んでしまうと思ったからです。幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風が激しく吹きすさぶので、ついに助かる望みは全く消え失せようとしていました。そのような中、人々を励まし支えたのは船長ではなく、同船していた百人隊長でもなく、一囚人であったパウロでした。

 そのような日が続き、暴風に巻き込まれ海上を漂流し十四日目となった真夜中ごろ、船員たちは船がどこかの陸地に近づいているように感じました。そこで水深を測ってみると20オルギィア(約37メートル)あることが分かりました。少し進んでまた測ってみると15オルギィア(約28メートル)となっています。船がかなりの速度で陸に近づいていることは明らかでした。しかし、暗礁に乗り上げてしまっては大変です。彼らは船尾から錨を四つ投げ込み、船が進むのを止め、夜の明けるのを待つことにしました。

長い夜を過ごして
 さて、先ほど読まれましたのは、そんな長く暗い夜が明けかけたころの船上の様子です。パウロは一同に食事をするように勧めます。「今日で十四日もの間、皆さんは不安のうちに全く何も食べずに、過ごしてきました。だから、どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです。あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません」(33‐34節)。そして、パウロはパンを裂いて食べ始め、一同も元気付いて食事をしました。

 これだけ読みますと、助かる望みを失っていた人々の心に希望の光が差し込んできた。そんな場面に見えなくもありません。助かる望みを失っていた人々に、陸地が近づいていることが知らされました。そして待ちわびてきた夜明けが訪れました。やっと安心して食事をすることができた。人々が元気づいたのは自然のことのように思えるでしょう。

 しかし、注意深く読みますと、今日お読みしたのはそのような場面ではないのです。41節を見ると「船尾は激しい波で壊れだした」と書かれています。夜は明けたけれど、嵐が止んだわけではないのです。依然として激しい風が吹き荒れているのです。

 しかも、今日は読まれませんでしたが、今日の聖書箇所の直前にはこんなことが書かれているのです。「ところが、船員たちは船から逃げ出そうとし、船首から錨を降ろす振りをして小舟を海に降ろしたので、パウロは百人隊長と兵士たちに、『あの人たちが船にとどまっていなければ、あなたがたは助からない』と言った」(30‐31節)。船員が夜明けを待たずに船を捨てて逃げ出そうとしたというのです。何を意味しますか。船に残っていたら危ないということでしょう。

 航海のプロである船員たちは船がもはや朝までもたないと判断したのです。既に船の一部が破損しかかっていたのだと思います。実際、「船尾は激しい波で壊れだした」と書かれています。船尾は暗礁によって破壊されたのではないのです。波のために壊れだしたということは、既に壊れかかっていたということでしょう。そんな船に残っているよりは、逃げ出した方がよい。どんなに危険であっても、自殺行為であったとしても、夜中に小舟を出して逃げる方がまだ安全だと船員たちは考えたのです。

 そんな船の中で、彼らは長い夜を過ごしていたのです。激しい風と波に揺さぶられながら、いつ船が壊れるかと怯えながら、長い夜を過ごしたのです。そして、やっと夜が明けかけたとはいえ、依然として嵐の中にあることには変わらない。今日お読みした食事の場面は、そのような場面なのです。

嵐の中での食事
 そう考えますと、これはやっと安心できる状況になったから食事ができたということではないのです。希望が見えてきたから一同が元気づいたということでもないのです。彼らは不安と恐れをかかえているのです。ですからここに書かれていることは決して自然なことではありません。実に不思議な特別なことが起こっているのです。

 怯えながら長い夜を過ごした人々のただ中にパウロの声が響きます。「どうぞ何か食べてください」。食事どころではない危機的状況のただ中でパウロは「一緒に食事をしましょう」と言うのです。

 そして、パウロは一同の前でパンを取って神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めました。それはユダヤ人が普通に食事をするときの所作です。しかし、そこで使われている言葉は、ある特別な食事を思い起こさせる言葉でもあります。この「パンを取り」「感謝の祈りをささげ」「(パンを)裂いた」という三つの言葉。それはイエス様が十字架にかけられる前に弟子たちとなされた最後の晩餐の場面に出て来る言葉なのです。

 パウロは、これまで幾度となく教会の兄弟姉妹と共に主の晩餐を祝い、パンを裂いてきたのです。そのように、ここでも同じようにパンを裂いて食べているのです。つまりパウロは、教会でいつも他の信仰者と一緒にしてきたことを、ここでも同じようにしているということです。パウロは教会においてキリストと共にあるように、この嵐の中の船においてもキリストと共にあるのです。人々はそこにただ囚人パウロを見ているのではありません。キリストと共にあるパウロを見ているのです。いや、パウロと共におられるキリストを見ているのです。そこで彼らもまた食事をします。パウロと共に、いや、パウロと共におられるキリストと共に食事をしているのです。だから「一同も元気づいて食事をした」と書かれているのです。それは特別なことなのです。

 それゆえに、この嵐の中で行われた食事は、キリストと共にあることがどういうことか、キリスト共にあって食卓を囲むということがどういうことかを指し示す出来事になりました。実際、そこに見るのは私たちの姿でもあるのでしょう。私たちが日曜日に集まって礼拝を行うこと、そこで聖餐にあずかるということは、こういうことではありませんか。

 私たちは嵐が吹き荒れるこの世界のただ中で聖餐という食事をするのです。時代が時代なら迫害という嵐の中で教会は食事をしてきたのでしょう。あの船の中の人たちがそうであったように、私たちも時には不安を抱えたまま、恐れを抱いたまま、ここに身を置くのでしょう。彼らがそうであったように、希望の見えないまま長い夜を過ごして、依然として希望の見えないままに、ここに身を置くこともあるのでしょう。

 しかし、そこで特別なことが起こるのです。今日お読みしたこの食事の場面には不思議な静けさと平安と希望が満ちています。まるで嵐が既に止んでしまったかのようです。現実には嵐の中で命の危険にさらされているにもかかわらず!しかし、そのようなことが起こるのです。彼らは、もはや嵐に支配されてはいないのです。風にも波にも支配されてはいないのです。夜の暗闇にも支配されてはいない。まことの主、キリストが共におられるからです。

 そこで行われるのは神の国の食事です。嵐よりも強く大きな神の支配の中で食事をするのです。だから、命の危険にさらされている人々であるにもかかわらず、「そこで、一同も元気づいて食事をした」と書かれているのです。そうです、私たちもまた、そのような主の食卓へと招かれているのです。日曜日の礼拝とは、そのような場所なのです。

2016年7月3日日曜日

「死から命へ」

2016年7月3
日本キリスト教団 頌栄教会牧師 清弘剛生
聖書 ヨハネによる福音書 5章19節~30節

 38年病気で苦しんでいた人をイエス様は癒されました。それは安息日のことでした。それゆえにユダヤ人たちはイエス様を責めました。すると主は言われました。「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ」(17節)。こういうことをユダヤ人の社会で言えば、ただでは済まされません。今日の朗読箇所の直前にはずいぶん物騒なことが書かれています。「このために、ユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとねらうようになった。イエスが安息日を破るだけでなく、神を御自分の父と呼んで、御自身を神と等しい者とされたからである」(18節)。

 今日お読みしたのは、そのような人々に語られたイエス様の言葉です。主はこう続けます。「はっきり言っておく。子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする」(19節)。

 このようなことを語れば火に油を注ぐことになります。しかし、イエス様は御自分の身を危険にさらすことになるのを百も承知で語られるのです。憎まれようが殺されようが、父がこの世に遣わされた子として語られるのです。なぜなら、これは永遠の救いと裁きに関わることだからです。そのような言葉として、私たちにも伝えられているのです。私たちはこの御言葉を、今この場で聞いて終わりにしてはなりません。自分自身に関わる言葉として、この一週間繰り返し思い起こし、じっくりとその意味するところに耳を傾けたいと思うのです。

父の業を行う御子
 「はっきり言っておく。子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする。父は子を愛して、御自分のなさることをすべて子に示されるからである。」これが父と子との関係だと主は言われます。

 神は目に見えません。私たちは見えない神について論じることはできますが、把握することはできません。神御自身についても、神のなさることについても、それは私たちの理解を超えています。それは当然です。神は創造主であり私たちは造られたものに過ぎないからです。

 しかし、ここに神を「わたしの父」と呼ばれる方がおられます。そして、「父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする」と言うのです。いわば、自分勝手にしていることは何一つないと断言しておられるのです。父がなさるとおりにしているのだ、と。

 それは何を意味していますか。イエス様がなさっていることはすべて、父である神がどのような方であるかを目に見える姿で表しているのだということです。神がどのような方かを知りたければ、わたしのしていることを見なさいと言っているのです。それゆえに、この福音書の第一章にこう書かれていたのです。「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである」(1:18)。

 先にも述べましたように、この直前には38年もの長きにわたって病んでいた人を主が癒されたという話が書かれています。「さて、そこに三十八年も病気で苦しんでいる人がいた。イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、『良くなりたいか』と言われた」(5‐6節)。そして、その人は癒されました。大勢の中のたった一人に対してなさったことに過ぎません。しかし、この行為もまた神がどのような方であるかを表しているのです。「子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする」。福音書はイエス様の言葉だけでなく、その生きる姿を伝えます。子の姿に私たちは父を見るのです。

 そのように「父は子を愛して、御自分のなさることをすべて子に示される」。イエス様は示されたとおりになさいました。ベトザタの池における癒しの業などは、まさにそのような御業の一つでした。しかし、父なる神がイエス様にさせようとしていたのは、そのような癒しの業に留まりませんでした。イエス様はこのように言葉を続けられます。「また、これらのことよりも大きな業を子にお示しになって、あなたたちが驚くことになる」(20節)。

 イエス様が父なる神から示されて為されるもっと大きな御業があると言うのです。癒しの業はそのしるしであるに過ぎません。イエス様が託された大きな御業とは何でしょうか。21節以下に2つのことが書かれています。

 「すなわち、父が死者を復活させて命をお与えになるように、子も、与えたいと思う者に命を与える」(21節)。これが第一のことです。第二は次のように書かれています。「また、父はだれをも裁かず、裁きは一切子に任せておられる」(22節)。

命を与える御子
 第一の御業、「命を与える」ということについては、さらにイエス様御自身が次のように語っておられます。「はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。はっきり言っておく。死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。今やその時である。その声を聞いた者は生きる」(24‐25節)。

 「死から命へ」。今日の説教題です。私たちが例外なく迎える肉体の死だけを考えているなら、このイエス様の言葉は分かりません。「死」とはなんでしょう。

 ある時にイエス様はこんなたとえ話をなさいました。「ある人に息子が二人いた。弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった」(ルカ15:11‐12)。下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ちます。ご存じ「放蕩息子のたとえ」です。しかし、本当の問題は息子が放蕩していたことではありません。父から離れていたことです。そして、父から離れていた息子が帰ってきたとき、迎えた父親はこう言うのです。「食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ」(同23‐24節)。

 父から離れていた息子は「死んでいた」のです。そのように「死」とは神からの離反です。神によって造られた人間がその命の源である神から離れていることです。神との交わりの喪失です。ならば、体は生きているけれども霊的には死んでいるということがあり得るわけです。パウロもエフェソの信徒たちに宛てて次のように書いています。「あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです」(エフェソ2:1)。

 イエス様に癒された病人のように癒しを経験することは素晴らしいことではあります。しかし、癒された人もやがては死んでいくわけです。癒しは死を越えた命を与えるものではありません。イエス様は「命を与える」と言われました。それは永遠なる神との交わりによって与えられる命です。死によって失われない命です。永遠の命です。

 「はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。はっきり言っておく。死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。今やその時である。その声を聞いた者は生きる。」そう主は言われました。

 神の子の声が響いています。今もなお響き渡っています。十字架にかけられ、死んで復活された神の子の声が響き渡っています。その声が死んだ者に届きます。罪の赦しを与え、父のもとへと招く、神の子の声が届きます。そして、その声を聞いた者は生きるのです。その声を聞いて、子を遣わされた父を信じる者は永遠の命を得るのです。その人は既に死から命へと移っているのです。体が生きようが死のうが、既に死から命へと移っているのです。

裁きを託されている御子
 「死から命へと移っている」ことについて、そこに「裁かれることなく」と言い添えられていました。なぜ、裁かれないのでしょうか。裁きは一切子であるキリストに任されているからです。主が第二の御業としてこう言っておられたとおりです。「また、父はだれをも裁かず、裁きは一切子に任せておられる」。

 ある人が「人生はレストランのようなものだ」と言いました。好きなものを好きなだけ注文することができる。しかし、やがてレジを通らなくてはならない。私たちはどう生きようと自由である。しかし、生きたように支払わなくてはならない。――それは正しいとも言えるし、正しくないとも言えます。人生の終わりをレジに喩えるなら、それは正しくありません。人は必ずしも自分が生きたように、そのツケを払って死んでいくわけではありません。人生の終わりは必ずしも審判の時ではありません。

 しかし、正しい神がおられる限り、最終的な審判は当然あるのでしょう。それをイエス様は次のように表現しています。「善を行った者は復活して命を受けるために、悪を行った者は復活して裁きを受けるために出てくるのだ」(29節)。イエス様ははっきりと言っています。人は死んで無になるのではありません。私たちの人生がすべて死んでチャラになるわけではありません。イエス様は、最終的に人は命を受けるか裁きを受けるかのいずれかだと言われるのです。

 それは恐ろしいことではありませんか。「善を行った者は復活して命を受ける」とは私のことだと確信を持って言える人はよいのでしょう。少なくとも私は言えない。あなたはどうですか。しかし、そこでイエス様はこう言われるのです。「また、父はだれをも裁かず、裁きは一切子に任せておられる」。

 裁きの一切を任せられた御子が父によってこの世界に遣わされました。そして、最終的に裁きを行う権能を託された方がこう言われるのです。「はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている」と。

 私たちは最終的な審判に至る前に、既に審判者の声を聞いているのです。神の子の声を聞いているのです。赦しの言葉を与えられているのです。神と和解し、神との交わりに生きることができるのです。最終的に裁きを行う方が「裁かれることはない」と言われるならば、もはや誰も罪に定めることはできないのです。自分の罪を知る自分自身でさえ、自分を罪に定めることはできないのです。最後の審判を待つまでもなく、既に死から命に移っているとはそういうことです。

 この後聖餐を行います。死から命へと移された者として、共に感謝をもって命の祝いをいたしましょう。

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