2014年7月27日日曜日

「ソロモンとシェバの女王」

2014年7月27日 
日本キリスト教団 頌栄教会牧師 清弘剛生
聖書 列王記上 10章1節~13節


主はたたえられますように
 今日読まれましたのは、ソロモン王の時代にシェバの女王が来訪したという話です。シェバ王国はアラビア半島の南部、現在のイエメン周辺に存在していたことが知られています。遠い南の国から女王は何のためにはるばるイスラエルまで来たのでしょう。

 この女王の来訪の直前にはソロモンがエツヨン・ゲベルで船団を編成したことが記されています(9:26)。その船団にティルスのヒラムの船団が合流するのです。そして、こう書かれています。「彼らはオフィルに行き、金四百二十キカルを手に入れ、ソロモン王のもとにもたらした」(同28節)。この金の産地として有名であったオフィルはシェバ王国の一部か、もしくはその近隣にあったと思われます。そして、今日お読みした11節以下には再び「オフィルから金を積んで来たヒラムの船団」の話が出て来るのです。

 このような話の流れから考えますと、シェバの女王の来訪も、もともとはティルスと合同で設立した船団による南方の国々との広い交易との関連で理解するべきものと思われます。つまり南方の女王がはるばる来訪した主たる目的は、この物語の中にも様々な形で現れてくるような物資の交換による経済活動であったと考えられるのです。

 しかし、そのような南方の国々との経済的な交流はソロモンの時代のイスラエルにおいては大きな位置を占めていたにもかかわらず、聖書はあえてシェバの女王の来訪を、「ソロモンの知恵」を中心として語ります。この章において、シェバの女王は単にソロモンの王国の繁栄を見た人としてではなく、彼の「知恵」を見た人として描かれているのです。

 シェバの女王は「難問をもって彼を試そうとしてやって来た」(1節)と書かれています。そのような彼女の質問に対して、「ソロモンはそのすべてに解答を与えた。王に分からない事、答えられない事は何一つなかった」(3節)と聖書は伝えます。さらには、シェバの女王は「ソロモンの知恵と彼の建てた宮殿」(4節)を目の当たりにします。そして、女王はこう言うのです。「わたしが国で、あなたの御事績とあなたのお知恵について聞いていたことは、本当のことでした。わたしは、ここに来て、自分の目で見るまでは、そのことを信じてはいませんでした。しかし、わたしに知らされていたことはその半分にも及ばず、お知恵と富はうわさに聞いていたことをはるかに超えています。あなたの臣民はなんと幸せなことでしょう。いつもあなたの前に立ってあなたのお知恵に接している家臣たちはなんと幸せなことでしょう」(6‐8節)と。

 そうです。富だけではなく、あくまでも「お知恵と富」なのです。そのように富だけではなくソロモンの知恵を目の当たりにしたこのシェバの女王のエピソードは、いったい何のためにここに記されているのでしょうか。――それは私たちに、もう一度ソロモンの治世の初めを思い起こさせるためなのです。ギブオンにおいて主がソロモンの夢枕に立たれたあの時のことです。3章に書かれている話です。

 あの時、主はソロモンにこう言われました。「何事でも願うがよい。あなたに与えよう。」その時ソロモンが求めたのは知恵でした。王として国民の訴えを正しく聞き分けることができる知恵でした。ソロモンのこの願いを主はたいそうお喜びになり、こう約束されました。「あなたは自分のために長寿を求めず、富を求めず、また敵の命も求めることなく、訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。見よ、わたしはあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える。あなたの先にも後にもあなたに並ぶ者はいない。わたしはまた、あなたの求めなかったもの、富と栄光も与える。生涯にわたってあなたと肩を並べうる王は一人もいない。もしあなたが父ダビデの歩んだように、わたしの掟と戒めを守って、わたしの道を歩むなら、あなたに長寿をも恵もう。」(3:5‐14)。

 シェバの女王が見たのは、まさにあの時主がソロモンに与えられた約束の実現に他なりませんでした。主は確かに真実であられた。主は約束を果たされた。私たちがそのことを思い起こすようにと、シェバの女王が来訪したこの物語は記されているのです。それゆえに、このエピソードの書き出しはわざわざ「シェバの女王は《主の御名による》ソロモンの名声を聞き」(1節)という言葉になっているのです。彼女は単にソロモンの名声を聞いたのではなくて、イスラエルをエジプトから導き出された神、主(ヤハウェ)の御名を聞いてやってきたのです。

 そして、彼女は確かに、このソロモンの栄華の背後に主が生きて働いておられることを見たのでした。それはこの女王がこう言っていることから分かります。「あなたをイスラエルの王位につけることをお望みになったあなたの神、主はたたえられますように。主はとこしえにイスラエルを愛し、あなたを王とし、公正と正義を行わせられるからです」(9節)。これがシェバの女王の認識でした。

 しかし、果たして当のソロモン自身の認識はいかなるものだったのでしょうか。今日は13節までお読みしました。しかし、続く物語の展開は、むしろソロモン自身はそのことを忘れてしまっていたことを示しているのです。そこまでを読んでこそ、聖書の伝えたいことが見えてくるのです。

与えられた時こそ試される時
 続く14節以下には、さらにソロモンの栄華の描写が続きます。「ソロモンの歳入は金六百六十六キカル」と書かれています。六百六十六キカルは約23トンに当たります。そんな莫大な量の金をどうするのでしょう。16節以下にはこう書かれています。「ソロモン王は延金の大盾二百を作った。大盾一つにつき用いた金は六百シェケルであった。延金の小盾も三百作った。小盾一つにつき用いた金は三マネであった。王はこれらの盾を『レバノンの森の家』に置いた」(16‐17節)。「レバノンの森の家」というのは宮殿の建物群の一つです。そこに金で作った膨大な数の大盾や小盾を保管したということは、要するにその大量の金をすべてソロモンは自分の財産として蓄えたということです。

 それだけではありません。「王は更に象牙の大きな王座を作り、これを精錬した金で覆った」(18節)。さらには、「ソロモン王の杯」(21節)はすべて金、レバノンの森の家の器も純金であったと書かれています。繰り返しますが、これら大量の金をすべてソロモンは自分の財産として蓄えたのでした。このことを心に留めておいてください。そして、少し飛びまして28節には「ソロモンの馬」の話が出てきます。「ソロモンの馬はエジプトとクエから輸入された。王の商人は代価を払ってクエからそれを買い入れた」。ここでわざわざ「エジプトとクエから輸入された」と書かれていることもまた心に留めておいてください。

 さらに進んで11章に入りますと、次第に雲行きが怪しくなってまいります。次のように書かれています。「ソロモン王はファラオの娘のほかにもモアブ人、アンモン人、エドム人、シドン人、ヘト人など多くの外国の女を愛した。これらの諸国の民については、主がかつてイスラエルの人々に、『あなたたちは彼らの中に入って行ってはならない。彼らをあなたたちの中に入れてはならない。彼らは必ずあなたたちの心を迷わせ、彼らの神々に向かわせる』と仰せになったが、ソロモンは彼女たちを愛してそのとりことなった。彼には妻たち、すなわち七百人の王妃と三百人の側室がいた。この妻たちが彼の心を迷わせた」(11:1‐3)。

 どうですか。既にかなり黒雲が立ち込めていますでしょう。そして、ついに聖書はソロモンの人生の集大成に当たる時期についてこう記しているのです。「ソロモンが老境に入ったとき、彼女たちは王の心を迷わせ、他の神々に向かわせた。こうして彼の心は、父ダビデの心とは異なり、自分の神、主と一つではなかった」(同4節)。

 さて、黒雲が立ち込めていると申しましたが、しかし、これは決してゲリラ豪雨のように突然起こったようなことではないのです。先にソロモンが金を大量に蓄えたことと、馬をエジプトから輸入したことを心に留めておいてくださいと申しましたが、それは既に神の戒めに背くことだったのです。申命記17章に「王に関する規定」があります。そこにはこう書かれているのです。「王は馬を増やしてはならない。馬を増やすために、民をエジプトへ送り返すことがあってはならない。…王は大勢の妻をめとって、心を迷わしてはならない。銀や金を大量に蓄えてはならない」(申命記17:16‐17)。すなわちソロモンは神に求めた知恵が与えられ、さらには富と栄光をも豊かに与えられていた時に、既にその心は神から離れつつあったということなのです。

 皆さん、本当の試練とは、求めているものが得られないところにあるのではありません。求めているものが得られたところにこそ試練はあるのです。なぜなら、そこで本当の意味で人は試されるからです。そこで与えてくださった御方に目を留めるのか。その御方の御前にへりくだり、従順に歩もうとするのか。それとももはや与えてくださった御方には目を向けなくなってしまうのか。人は本当の意味で試されることになるのです。

 ソロモンに豊かに恵まれた主に目を向けていたのは、ソロモン本人ではなく、むしろ異邦の女王でした。なんとも皮肉なことです。しかし、それは私たちも同じかもしれません。神様からどれほど豊かな恵みが与えられていても、それが当たり前になってしまって、もはや感謝をもって主を仰ぐこともない。主の御前にへりくだって従順に歩もうともしていない。それは私たちにも起こりえることです。むしろキリスト者ではない周りの人たちや家族の方がよほど神の恵み深さに目を向けているかもしれません。

 「あなたをイスラエルの王位につけることをお望みになったあなたの神、主はたたえられますように!」と感嘆の声をあげたシェバの女王。その賛美の声をソロモン自身は失ってゆきました。もし、私たちの内にも失われつつあるならば、私たち自身、立ち帰ってもう一度主の恵みの大きさに目を向けるべきでしょう。そうでないならば、私たちもまた、形は違いこそすれ、ソロモンの老境の姿に行き着いてしまうことでしょう。そうあってはなりません。

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